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帝国海軍、大敗北

投稿遅れてすいません。


これから忙しくなるので3月ぐらいまでは1ヶ月に一話のペースになると思います。


今後ともよろしくお願いします。

同日シンガポール沖


「霧島、被雷!」

「比叡も被雷!傾斜しつつあり!」

「何が起こったっ⁈」


敵艦隊へ砲撃を続ける2隻の老戦艦の舷側から、艦橋まで届く程の水柱が立ち昇っていた。


「第二十駆逐隊の神風より入電!『我、敵潜水艦発見セリ。直チニ攻撃ニ移ル』」

「バカな!イギリス人はこの混戦下で魚雷を!」

「どうやら勇敢な潜水艦乗りがいるようですな」

「司令、意見具申します。ここは撤退すべきです」

「だが...ここで逃げ帰れと言うのか?伊勢の犠牲を無駄にするのか?」

「これ以上損害を増やすべきではありません。次の戦いに備え、一隻でも多く帰すべきです」


その時、後方からおどろおどろしい爆発音が聞こえてきた。


「比叡、大爆発しました!沈没します!」

「もはや...ここまでか...全艦に打電。直ちに戦線を離脱、サイゴンへ撤退せよ」


艦橋がお通夜の様な雰囲気に包まれ、誰も言葉を発しない。


そして、電信員が打電完了を報告した直後、頭上から甲高い音が聞こえた。


その音が極大に達したとき、彼等は自分達の運命をはっきりと確信した。


大地震の様な巨大な揺れによって床に投げ出され、身体が宙に浮いたとき、彼等の肉体は無に帰した。


戦艦金剛は、艦橋を根元から破壊され、瓦解した上部構造物の瓦礫の山は落城寸前の城を思わせた。


南遣艦隊の残存艦艇がサイゴンへ帰投したのはそれから3日後のことであった。



1941年12月25日東京海軍省


一週間前に帝都に飛び込んできた一通の電文は、海軍の中枢を混乱の渦に陥れた。


さらに、陸軍のマレー作戦を担当する第25軍参謀長鈴木宗作中将、作戦参謀辻政信中佐がわざわざ帝都に帰還、海軍省へ南遣艦隊の戦力増強を訴え一時騒然となった。


それ程までに第一次マレー沖海戦の結果は衝撃的だったのである。


第一次マレー沖海戦は、開始直後に南遣艦隊司令部の全滅という非常事態が起こり、そして旗艦の伊勢も沈没。


それに伴い、混乱の広がった帝国海軍は劣勢に立たされ、その戦局はとうとう海戦終了まで覆ることはなかった。


海戦中盤は、敵味方入り乱れる混戦状態に陥り、日英共に多大な損害を出した。


さらに海戦終盤、戦艦霧島と比叡がイギリス海軍の潜水艦による雷撃を受け損傷、比叡は被雷による傾斜で火薬庫の誘爆を招き沈没。


これ以上の戦闘継続を断念し、撤退を決断した直後、次席指揮官として南遣艦隊を率いていた三川軍一少将の座乗する戦艦金剛の艦橋に敵戦艦の主砲弾が飛び込み、三川軍一少将以下の第三戦隊司令部が全滅してしまう。


この第一次マレー沖海戦だけで南遣艦隊は二つの司令部を失ったのである。


艦橋を失い人事不省の起こった戦艦金剛がサイゴンへ帰投することはなく、金剛の最期ははっきりとしていない。


イギリス海軍側によると金剛は撤退する南遣艦隊に追随せずに東洋艦隊へ向け前進。


撤退する南遣艦隊を追撃せんとしていた東洋艦隊は金剛の撃沈で手一杯となり、諦めざるをえなかったという。


満身創痍の南遣艦隊が一隻の脱落もなくサイゴンへ帰投出来たのは、金剛の犠牲によるものであるとも言えた。


しかし、南遣艦隊が戦艦3隻を失って壊滅したのは事実であり、六六艦隊の全艦がドック入りしている現在、もはや英東洋艦隊を撃破できるものはこの太平洋に存在しなかった。


唯一の望みは現在慣熟訓練中の戦艦瑞穂であったが、慣熟訓練が終了するのは早くても2月の下旬であり、現時点で無理を押して前線に投入しても撃沈される可能性があった。


こうしてマレー半島及びイギリスの太平洋における牙城たるシンガポールをめぐる戦いは膠着状態に陥ったのである。


新たな南遣艦隊司令長官には、海軍次官の井上成美中将が就任することとなっていた。


井上中将は、「剃刀」という渾名を頂戴していたが、それはあくまで軍政官としてであり、実戦部隊の指揮官は苦手であった。


そして今日、彼は英東洋艦隊を必ずや撃滅するという決意を胸同期である小沢治三郎中将に海軍次官の座を譲り、南遣艦隊司令長官として帝都を後にしたのである。


一つの手土産、すなわち戦艦瑞穂の南遣艦隊編入を手にして。



1941年12月31日シンガポール セレター軍港


戦力不足に悩む帝国海軍であったが、英国海軍もまた本国からの戦力拡充の遅れによって深刻な護衛艦不足に陥っていた。


第一次マレー沖海戦において戦艦の喪失こそなかったものの、数に勝る敵に押されて重巡2隻と駆逐艦6隻、すなわち全巡洋艦と半数を超える駆逐艦を失っていたのである。


本国から、巡洋艦4隻と駆逐艦8隻の追加配備を決定したと通達が来たが、未だそれらの艦艇は本国におり、この増援艦隊がシンガポールに到着するのは早くても1月の下旬であり、それまでは出撃を控えざるをえなかった。


日英双方の準備が整うまでの約2ヶ月間、太平洋は異様なまでの静けさに包まれることとなった。










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