朝食の席で
そういえばまだ彼の名前をきいていなかった。
そう思ったおれは、食堂の席で青年に尋ねることにする。
「お名前、お伺いしてもよろしいでしょうか」
「あ、そういえばまだ自己紹介してなかったね。僕はエクトル・マリエット。グランリース帝国領、商工都市エルクラークで工房を営んでる。今はちょっと野暮用でこの帝都イベルタルに滞在しているけどね」
「エクトルさんですね。えっと、わたしは――」
っと、そういえば名前どうすればいいんだろう。
元の名前じゃ浮き過ぎる。世界観も違うし、性別も変わってるしで違和感がやばいことになりそうだ。
「ん? どうしたの?」
「いえ、なんでもありません。気にしないでください」
「――? それならいいんだけど」
首を傾げるエクトルさん。
名前、名前なぁ……。
どうしたものか。適当に名乗っておくのがいいか。
と、そう悩んでいたら、不意に頭の中に文字が浮かび上がってきた。
――マハヴァイン・クレイドル。
誰のものかはわからない。でも、その名前がおれと無関係ではないと、直感が告げていた。
よし、他に思いつかないし、これでいこう。
「わたしは、マーハ……です」
マハヴァインでは、男の名前っぽいし、それに浮かび上がった名前そのままというのは危ない感じがする。というわけで頭を取って、ちょっと改変して、マーハと名乗った。
「マーハちゃん、だね。よろしく」
「はい。よろしくお願いします」
特にエクトルさんは気にしていないようだ。
まあ、気にしようがないか。
そのまま食事に入るおれたち。
今日の朝食はベーコンエッグにパン、それにコンソメスープだ。味も前の世界の物と大差ない。むしろこっちの方が新鮮で美味しいくらいだ。木製の食器はそれだけで温かみを演出している。丸テーブルも木製で、建物自体も木製である。温かさの宝石箱だ。
「こっちでの食事は初めて?」
「そうですね。初めてです。ここの食事はすごく美味しいですね」
「そう言ってくれると僕も嬉しいよ。と言っても、料理を作ったのは僕じゃなくて宿屋のおばさんなんだけどさ。美味しいよね、おばさんの手料理」
そう言ってエクトルさんが台所にいるおばさんの方を見ると、おばさんはニコっと笑って返した。
「ちなみにエクトルさんは、お料理はされるんですか?」
「僕? いいや、料理はさっぱりだね。設備は工房にあるんだけど、使ったことはないかな」
「工房?」
工房っていったら、なんだっけ。モノづくり用の部屋ってイメージだけど、それで合ってるだろうか。
「ああごめん。僕の家は工房も一緒になってて。面倒だからまとめて工房って言ってるんだ」
「そういうことなんですね。工房っていうと、エクトルさんは何かの技術者なんですか?」
「技術者っていう程でもないけど、僕の職業は工匠なんだ。創作士とも言われていて、いわゆるモノづくりを生業にしている職でね。鍛冶とか合成や練成なんかもする生産職って思ってくれればいいよ」
「工匠……」
あまり聞かない職業だ。
前の世界でいう職人さんだろうか。
でも、職人って、1つのことに打ち込む人達のことだったような。
工匠は何でも幅広く出来るスキルを身に付けた人達のことかもしれない。
「マーハちゃんの世界では、聞きなれないかもしれないね。まあ、僕も魔界がどんな世界かはよくわからないんだけど」
「実はわたしも、よく知らないんです」
「え? そうなの? てっきり魔界からやってきたんだと思ってたんだけど、違うのかい?」
疑問の表情を浮かべるエクトルさん。
でも、おれは魔界のことなどこれっぽっちも知らない。ここで適当なこと言って相手を困惑させるのもナンセンスだ。正直に知らないと言った方が良いと判断した。
「わたしは、記憶がありません。気付いたら知らない洋館で倒れていました。そこで彷徨っているうちに、不思議な力で飛ばされて……それでここにいました」
「それはなんというか……。でも、そういうことなら帝都に魔族の君が1人でいることも頷ける。君も好き好んで帝都に来たわけじゃないんだね。問題は、どうしてその洋館でしかも記憶を失った状態で倒れていたか、か」
真剣に考えてくれるエクトルさんを見て、正直に話してよかったと思った。仕事でも最終的には正直に事情を説明した方がお客さんも真摯に受け止めてくれるものだ。
「はい。わたしにも何が何だか……」
「よければ、教えてくれる?」
「わかりました」
さすがに前の世界のことは言わないが、こっちで起こったことは全部説明した方がいいのかもしれない。
というわけで、話すことにした。
時間にして約5分。
おれがこの世界に来てからの出来事を、エクトルさんに話した。
まあ、大した量じゃないからすぐおわった。
洋館で目覚めて、彷徨って、帝都近辺に飛ばされて、投獄される。それから変態おじさんに出会って、小太刀をもらって、エクトルさんに出会う。流れとしてはこんなものか。
「ふむ」
エクトルさんは手を顎に当てなにやら思案中。
おれも、パンをかじるのを止め、エクトルさんをじっと見つめる。
じー……。
じー……。
じー……。
「あ、あのマーハちゃん? そんなにじっと見つめられると照れるんだけど……」
「あ、ご、ごめんなさい!」
気付いたらエクトルさんの顔をじっと見つめていた。
これはこっちも照れるな……。
「わたしのことは、多分よくわからないと思います。だってわたし自身よくわかっていませんから。魔族であるということだけが今判っている事実。それ以外は、何も……」
「それじゃあ、暮らす家も、戻るべき居場所もないってことかい?」
「そう、ですね……。なんとかして、仕事にありつければいいんですけど」
何はともあれ、先立つものがないと始まらない。
住み込みのバイトの様なことが出来る場所があれば嬉しいんだけど、そう簡単に見つかるとは思えない。それに、あったとしても魔族と言う種が邪魔をするのは火を見るより明らかだ。
それに、こんな少女なおれを雇ってくれる職場なんて中々ないだろう。よくて皿洗いとかか。異世界の職業にどんなものがあるかわからないから、他に良いものがあるかもだけど。
「仕事、仕事か……」
エクトルさんは何かを思考している様子だ。
おれもその間にスープをすする。うん、美味しい。
コンソメ味だな。朝食に持ってこいだ。
「さっき、僕は工匠だって言ったよね。それでまあ、本職は工作作業なんだけど、素材の採取や採掘なんかは個人個人でやらなきゃいけないことが多いんだ。もちろん、依頼者が素材をくれることもあるんだけど、その方が稀でね」
「素材ですか。素材と言えば……何なんでしょう……?」
薬草とか鉄鉱石とかだろうか?
「多分マーハちゃんが想像しているようなものだよ。特殊な薬草とか、鉱石とか。それに、モンスターの素材だって必要な時もある」
「モンスターですか。それはまた、大変そうですね」
「そうだね。僕の本職は工匠だから戦闘に関してはそこまで自信がなくってさ。よく他の武芸者の力を借りるんだ。腕の立つ人が商工都市エルクラーク……僕が住んでいる街にたくさんいるからね。だけど、皆が皆僕の都合に合わせれるわけじゃなくて、一緒に行けないこともある。工匠によっては専属のサポーターを雇っている人だっているんだけど……。――ううんと、なんか違うな。そうじゃなくて……」
「……?」
なんだか慌てている様子のエクトルさん。
どうしたんだろう。
意図が読めずにおれは小首を傾げた。
「あー、回りくどく言っても仕方ないね、ごめん」
「い、いえ」
なんか謝られたぞ。
真剣に話聞いてたらまずかったのかな。
「単刀直入にお願いするよ。マーハちゃん、僕の助手になってくれないかい? もちろん、給与は出すよ。住む場所も僕の工房でよければ使っていいし、さ」
「わ、わたしがですか?」
助手って助手だよな。
あの、手助けする人、的な。
てか、さっきのエクトルさんの話でこれを察せってことだったのか。
いやいや、さすがに無理があると思う。
「うん。ダメかな?」
「いや、ダメというわけではないのですが……」
急な提案で内心驚いている。
まさか、ここまでエクトルさんが良い人だったとは。おれを雇ってくれる、しかも住む場所もかしてくれるというのだ。なんだか上手くいき過ぎている気がしてならないが、このチャンス、逃すわけにはいかない。
「本当にわたしで、いいんですか? わたしは、その、モンスターとの戦闘も出来ませんし、工匠についてもさっぱりで……。ですから、あまり力になれないかもしれません」
「最初から何でも出来る人なんていないよ。少しずつ覚えていけばいいんだからさ」
微笑んで言うエクトルさんを見て、思った。
この人とならやっていけそうだ、と。
こんなおれでも、この世界で暮らしていけるのだと。
そう、思った。
神様、ありがとうございます。最初は牢屋にぶち込まれたりと散々だったけど、こんなに良い出会いを巡り合わせてくれて。感謝感激雨霰でございます。
「そういうことでしたら、よろしくお願いいたします」
「うん、こちらこそよろしくね」
こうして、おれはエクトルさんの元で働くことになった。
朝食の間、心臓はなんだかドキドキ高鳴って、心はそわそわしていた。