8.これからどうしよう
8.これからどうしよう
これからどうしよう。
主人公を見つけられなかった私には、考えないといけないことがたくさんあった。自分を救う方法、本物のセアラ様の動向、裏で進んでいるはずの陰謀など。これからも“アグネス”を続けるかどうかも決めないといけない。このハードな二重生活をどうするか。
「セアラ……? 起きてるか」
レディーズメイドによって半ば強制的にロットン・ロウからタウンハウスへと戻らされた私は、そのままベッドに追い立てられていた。冷静さをなくして、取り乱してしまったせいだろう。
そんな「妻」の寝室を、夕方近くになって外出先から帰った夫が訪ねてきた。何か面倒事もってきたんじゃないといいな。今は勘弁してほしいマジで。
「聞いたんだ。具合が悪いって」
「……はい、いえ。いつもの頭痛ですから寝ていれば治ります」
「そうなのか? ……」
まさか、心配して見に来たってこと?
でも私はベッドから出ずに答える。枕にうずめていた顔すら上げずにアーサーへと答えた。
だって、どうしたらいいのかわからなかった。この先も素知らぬ顔で「公爵夫人」を演じられるほど、私は図々しくないんだから。
私を「セアラ」と呼ぶ公爵閣下。この人をだましていることを忘れたわけじゃない。
すると。
「……悪いな、いつも。ゆっくりお休み」
その言葉の後に、私の頭に触れるものがあった。優しく。軽く撫でた手の持ち主、それはひとりしかあり得ない。
「……」
私が動けず、何も言えずにいたら。アーサーが寝室を出て行く気配がした。
なんなの、今のは?
偽者に優しくしたって、意味ないのに。……愛人いるくせに。
*
今夜はチャリティ芝居見物の予定が入っていたんだけど、公爵が一人で行ってくれた。
本当に珍しい。いつもは色んな人づきあいの雑事――招待状の返事を書くとか、気の合わない客の相手をするとか――を面倒がって、できる限り私に押し付けるのに。
午後中ベッドで過ごし、そのまま自室で夕飯にしてもらった私。姿の見えないメイドの“アグネス”がどう思われているのかは、もう考えたくもない。でも。
「コリンズ。……お医者様を呼んでもらえるかしら、明日」
「ええ奥様。閣下からもそのように言いつかっています。奥様がよろしいのでしたら、すぐにでも使いを出せますわ」
「うん、お願い。――自分のことだけ考えてちゃだめよね」
後半は口の中でつぶやいた。半日、思案に思案を重ねたのだ、これでも。
再度の入れ替わりに失敗した偽者公妃。悪事の発覚を目の前にしておびえる私は、いったい何をすればいいのか。正直にすべてを明かすか、もしくは、なんとしてでも本物のセアラ様を探し出して入れ替わるのか。
どっちもだめだ。今はまだ。
「私には、まだやるべきことがある。奴を、“ジャック”を阻止しないと」
どうなるにしても、今は自分のしでかしたことの責任を取らなくちゃ。ゲームのシナリオ通りなら、あの「陰謀」は主人公が解決してくれる。だけど私も協力しようと思う。自分にできる限りの方法で。
翌日の早朝、頼んでおいた医師の診察を受けた。医師、といえば主人公の攻略対象のひとりであるドS医師がいるけれど、もちろん避けた。それに、私あのキャラは苦手なんだよね。
寝室で医師の診察を受ける。疲れが溜まっているだけなのでは、と言われた。
「若い奥様のことですからなあ。念のためにうかがいますが、月の、その、あれは」
「生理のことでしたら、先日終わったばかりですわ」
「はあ。そうですか……」
相手がにごそうとした質問に率直に答えてやったら、慎ましきヴィクトリア朝的感覚を持つらしい医師のほうが口ごもった。現代的感覚からすれば、口にすることすらはばかるものじゃないんですけど?
「言いにくいのですが、おめでたというわけでもないようで、その」
わかってる。やることやってないので妊娠しているわけがない。清い関係ですよ、私たちは。21世紀なら高校生同士のカップルだってもっと進んでますよー。
でも私は、辛そうに眉をよせて嘆いてみせた。
「そうですか。……残念ですわ、とても」
「気を落とされることはありません。奥様はまだお若い、機会はいくらでもあります」
「ええ、ありがとう。……でも、ねえドクター、お願いできる?」
跡取りを産めない気の毒な公爵夫人になりきって、哀れっぽく頼む。
「ドクターから伝えていただけるかしら、公爵に」
「はあ、それは構いませんが」
「夫は期待しているようなの。私からはとても言えないわ」
伝えられたアーサーがどんな顔するか楽しみだ。とはいえ、私は別に嫌がらせがしたいわけじゃない。ちゃんと考えがあってのこと。
「では少し失礼を」
「ええ、お願いします」
寝室から出て行った医師。自分の荷物をここに残して。
「だましてごめんなさい」
椅子に置かれた黒い鞄を前にして、一度両手を合わせて心をこめて謝り、私はそれに手をつけた。
*
「セアラ。体調は、その、どう? 頭は痛くないか」
「ええ、ありがとうございます。もう平気よ」
「そうか。ええと、だ、大事にしてくれ。あ、いやその、深い意味は」
今夜も予定はキャンセルだ。オペラ観に行くんだったんだけど。まずいなあ、サボり過ぎてる。私個人は別にいいけれど、「ゲインズバラ公妃」の評判に傷がついては困りものだ。
少し表情をひきつらせたアーサーとは、夕食で顔を合わせた。夫婦水入らずの食事は久しぶりで、相手はなんだか頑張って気を遣おうとしている。
「ご心配をおかけしましたわ。あなたにまで気を遣わせて申し訳ありませんでしたが、もう大丈夫です。今度のグリーナウェイ卿のお宅での舞踏会ですけれど、アーサーもお時間あけて下さってますわね?」
「え。行かないとだめか。てっきり欠席かと」
「もう出席のお返事を差し上げています。良くなった以上、顔を出さなくては」
「……そんな真面目にやらなくてもいいのに。社交なんて」
「アーサー」
非常に残念がる公爵閣下が、舞踏会が死ぬほど苦手なのは知っている。ダンスの素養がまるでないのだから。妻の病欠で自分も休めるつもりでいたのだろう。
私だってなじまないけれど、そこはゲーム補正。なんとなく踊れる。
「二曲。二曲でいいから踊って下さい」
「その二曲が嫌なんじゃないか。……最初の一曲、僕がグリーナウェイ卿夫人と踊らされるかもしれないし。そうなったらみんな見るじゃないか。足蹴ったら怒られるだろう」
「当たり前です。よろしければ後で練習に付き合いますから。ね? その舞踏会さえ行っていただければ、しばらく夜はお休みにしてあげます。ほら、クラブにいらっしゃれば?」
「うん……あー」
子どもみたいにうなだれている。変な人だ。真っ白いカフスをつけたシャツに、ぱりっとした仕立ての良いイブニングコート。白皙で物憂げーな、いかにも英国貴族な容貌をしている。ちゃんとしていればイケメン度は高いのに。
「――ねえ、お尋ねしたいことがあるんですけど」
そんな相手に、神妙な顔で意味ありげに尋ねた。ためらいつつ。
すると医師から言われた件でも思い出したのか、アーサーは顔色を変えた。まるで、訊かれたくないことを訊かれるのを恐れるように。
「……何を」
「ムッシュ・ヴェルネはもうこちらにはいらっしゃらないの? どちらにご滞在なのかしら、あなた知ってる?」
「へ」
アーサーは一気に緊張がゆるんだらしく、笑顔で答えてくれた。
「ムッシュなら僕が紹介したベローナ・クラブに入ったよ。部屋もあるからそこに泊まるって」
「あら、そうでしたの。てっきりこちらで滞在なさるのかと」
「言ったけどね。しん……いやなんでもない」
あはは、とごまかすように笑った。
なるほどそういうことになっているのか。
クラブとはイギリス名物ジェントルマンズ・クラブのこと。会員は生粋の紳士でなくてはならず、そこは男の楽園だ。完全女子禁制をしいた、男だけの社交の場。なんだか違う想像をしたくなるけれど、ようは怖い奥さんからの避難所だ。
なんとかムッシュ・ヴェルネことホームズに連絡を取りたいものだけど。そこに逃げられたらどうしようもないな。
いや、もしかして。
(ベイカー街に帰ってたりして……ああ、行ってみたい!)
憧れの名探偵の事務所兼自宅に突撃してもいいのか否か。これは迷う。