7.偽者公妃は計画した……けど
7.偽者公妃は計画した……けど
列車の旅の後、ロンドンのタウンハウス、通称“ゲインズバラハウス”に、夕刻前には到着した。
少し肩透かしなことに、列車内はなにごともなく平和なものだった。そりゃそうか、無関係なサー・ウィリアムがいるからね。なんだ、いてもらってよかったんじゃないか。
だけどパディンドン駅に着くとサー・ウィリアムはもちろん、ムッシュ・ヴェルネまでここからは別行動だと言いだす。てっきりついて来るんだと思ったのに。
(ええー、結局なにもなかったじゃん。どうしたんだホームズ)
いったん自白しちゃえば、もう全部ホームズが後始末つけてくれるのかとちょっと期待した。そのほうがいっそ楽かと思ったのに。やっぱり、私は当初の計画通りに動くしかないようだ。気合い入れ直さないと。
財産に余裕のある、むしろあり過ぎるらしいゲインズバラ公爵家、もちろんロンドンでは滞在用の町屋敷を所有している。それがゲインズバラハウスだ。ロンドンの、どことは詳しくきかないでほしいんだけど、とにかく高級そうな地区にある。たぶんウェストエンドなのは確か。たぶん。
そして目まぐるしい生活を送るゲインズバラ公妃、到着したらしたで、二重生活のもう一方、“アグネス”の役もやらないといけない。
「アグネス!? どうやって、いつのまにロンドンに来ていたの? あなた今朝は」
「親切な方が馬車に乗せて下さって、列車にもなんとか間に合ったんです。他の方々と同じコンパートメントには乗れませんでしたが。ご心配をおかけして申し訳ありませんでした、ミス・コリンズ」
化粧し、かつらを被り、衣装を変えた私は、何食わぬ顔でタウンハウス内に入り込むことに成功した。いや、うん、めっちゃ不審がられてるけど。でもいいの、とにかく“アグネス”が存在していることをよそおえれば。
(これで計画の半分は達成した! ふふふ、驚くがいいセアラ様。悪役メイドの改心を!)
実はもう目の前なのだ。私の作戦を実行に移す時は。こちらの準備は整った。
目指せ、テムズ河ドボン!
……じゃなくてドボン回避。
*
その日の朝、レディーズメイドが紅茶の盆を持って主を訪ねると、公妃はすでに支度を終えていた。
「まあ、もうお目覚めでしたの」
「ええ、おはようコリンズ。良い天気でよかったわ」
心からの喜びを表しているんだけど、コリンズには伝わらないだろう。そんなメイドに笑いかける。
「いつもありがとう……これからもよく仕えてね」
「奥様? ええ、もちろんです」
「そう。あのね、いつもよく仕えてくれているから、あなたにひとつ贈り物があるの」
「そんな。あの、朝から突然どうなさったので」
「いいから。見てちょうだい」
すでにソファの上に用意した。
皺にならないよう気をつけて、ふわりと置かれた一着のドレス。
立て襟に長袖、露出の少ない午前中用ドレス。薄い茶色の地に緋色の花模様をジャガードで織りだしている。
「まさかこちらは。その、昨年作られたばかりでは」
「そうなんだけど。私には似合わないし、あなたにあげるわ」
奥様がレディーズメイドに自分のお古を下げ渡すのはよくあること。これは新品同様だけどね。
断ろうとするコリンズに、やや強引に押し付けた。
「受け取ってちょうだい。それにひとつお願いが」
「はあ。なんでしょう」
「これからロットン・ロウへ行くつもりなんだけど。付き添い頼めるかしら、是非これを着て。ね、お願い」
「でも、奥様は朝食がお済みでは」
「紅茶とビスケットですぐに済ませるわ。あなたは自分の支度をしていて。ほら、早く」
少々焦り気味に命じた公妃をコリンズがどう思ったのかはわからないけれど、とにかく私は承知させることに成功した。
玄関ホールへ下りる階段で、アーサーの従僕に行き合う。
「パジェット。公爵はお目覚めかしら?」
「は。まだお休み中でございます。何かご用でも」
「ううん……いいの。これを渡しておいて。夕食の時に忘れていたから」
昨夜の晩餐でのアーサーの忘れ物をたくす。小さな虫眼鏡。ご飯の時まで持ちこむなってお母さんのごとく叱ってやったら、しゅんとしていた。子どもか本当に。
(ほんとう、どうしようもないんだから。……さよならアーサー)
次に会った時には「公爵閣下」だ。計画通りにいけば、これからの私は彼の「妻」じゃない。今からタウンハウスを出る偽者公妃は、もう二度と帰って来ない。
あのボンクラの面倒をみるのも最後だったのかと思うと、叱って悪かったような気がした。だけど顔を見ずに別れを告げる。
階段を下りきると、さっきのドレスに着替えたコリンズがあわてて追いかけてきた。
「奥様! もう行かれますの? あの、お召し物を見せていただかなくてもよろしいので」
「……ええ。髪はどうかしら。ちゃんと結えている?」
「はい。――少しお直ししますわね」
女主人の着付けや髪結いは侍女の仕事だ。出来栄えで腕前が問われる。
コリンズは勝手に着替えていた私に困りながらも、髪だけ直してくれた。
ハイド・パーク。現代でのロンドンからすれば、中心地の西寄りに位置する。大都市のど真ん中にあるとは思えないほど巨大な公園で、ケンジントン宮殿がまるごと入っているケンジントンガーデンとハイド・パークに分かれる。ヴィクトリア女王が生まれたのはケンジントン宮殿で、今でも英国王室の居城のひとつだ。
それは今は横におくけれど。
ロットン・ロウはそのハイド・パーク内にある乗馬用道路。上流階級専用の。シーズンともなれば、ロンドンに集まった貴族紳士や令嬢奥様連が続々と姿を見せ、乗馬を楽しんだり、乗馬を楽しむ人を見物したり、見物されるのを楽しんだりする。
私もまたコリンズを連れて、早朝ここを訪れた。着飾って優雅に馬をあやつるヴィクトリア朝紳士淑女たちは、それはそれで見ごたえある。でも今の私にはただの背景だ。
「今日は見物なさるのですね? 奥様」
「ええ。……少し歩きましょう」
私は落ち着かない。
VTのシナリオ。ゲームの中で悪役メイドが登場するのは、最低でも三度だ。最初に陥れる時と、最後のテムズ河ドボンイベントとで二回。他にないわけじゃないけれど、それはゲーム主人公がどのルートを進むかによる。
そして、悪役メイドが確実に登場するあと一回。それがこのロットン・ロウでのワンシーン。悪役メイドと主人公のニアミスが起こる。直接対決以前に会える、最後のチャンス。
てきとうに歩いていたら、声をかけられた。
「まあ、ゲインズバラ公妃じゃありませんの。ご機嫌よう」
「は……れ、レディ・ターナー。おはようございます。こちらでお会いできるなんて」
思いっきり背中をはたかれたぐらいの衝撃があった。全身に緊張がまわる。
声をかけてきたターナー卿夫人はゲーム内の重要キャラだ。主人公にとっての。つまり、伯爵家でメイドとして働く主人公を、宮廷に引き立てるその張本人。
「乗馬にいらしたのかしら?」
「いえ、見物に。そちら様も?」
「そうよ、良い天気ですものね。今朝はわたくしの、一番お気に入りの子と一緒に来ているのよ……あら、どこに行ったのかしら。変ねえ」
わわわ。『一番お気に入りの子』って、それって主人公でしょ!? セアラ様のことじゃ?
心臓ひっくり返りそうになりながらも、私も周囲を見回した。あれ。
「いないわね。どこに行ったのかしら」
「そ、そうなんですか。どなたをお捜しなのかしら、なんて……」
ターナー卿夫人が、現時点で入れ替わりを見抜いているのかいないのか、それはわからない。わかっているのは、今、ここに本物のセアラ様がいるってこと。でもまだ姿が見えない。
なら、ここからが正念場だろう。私の。
「コリンズ! マフを忘れたわ。馬車から取ってきてくれない?」
「え? でも奥様」
「いいから早く! ここでレディ・ターナーと一緒に待ってるわ、行って」
むりやり行かせた。
ゲーム内では今日のこの日、ターナー卿夫人と一緒にロットン・ロウ見物に来た主人公が、偶然悪役メイドの姿を見かける、という場面になっている。
主人公が見かけるのは、何食わぬ顔で公爵夫人を気取る悪役メイド。高価なドレスや毛皮をまとい、これみよがしに派手な羽飾りのついた帽子なんかを被っている。
それを見て悔しく思うかどうかは人によるだろうけど。やりがいのある仕事を持ち、イケメンたちにちやほやされる生活をしているとはいえ、面白くないのは当然だろう。出世するまで苦労したし。
そして、反省の色のない“アグネス”に正義の裁きが下りるのは当然だよね、っていうシーンでもある。
でもさ。
「私は反省してるんだから――。レディ・ターナー、やっぱり私も馬車に戻りますわ」
「え? あらでも、あなたのメイドが」
「ではご機嫌よう」
「ちょっと。お待ちになって」
引き留めようとする手をかいくぐり、さっさとその場を離れた。お嬢様育ちの貴婦人と違い、メイドをして働く私の動きはたいへん素早い。
「セアラ様……どこにいるの」
せっかくニアミスしているんだから、見られるだけじゃなくて、こっちから積極的に働きかけないと。
乗馬を見物する人々をかきわけ、私は大胆に進んで行った。さっきまでこの周辺にいたはずなんだから、捜せば見つかる。
会いたい。どうしても主人公に会いたい。会って許しを請いたい。そしてできれば。
「もう一回入れ替わろうよ……お願いだから戻って」
私が立てたテムズ河ドボン回避計画。
それは、再度の入れ替わりだ。本物のセアラ様に「公爵夫人」に戻ってもらい、私はハウスメイド「アグネス」に収まる、という筋書きを立てた。奪ったものは全て返すと。そうすればドボンイベントも必要なくなる。きっと。たぶん。だといいなと思う。
そのために準備もした。コートの下に隠して着たのは、貴婦人のドレスではなくメイドの衣装。滞りなく入れ替われるよう、かつらと眼鏡だって持って来た。
もう今しかチャンスはない。確実に主人公へと近づける日だから。
必死に走り回った。だけど。
「お、奥様あ。もうっ、いったいどこで何をしてらっしゃったんですかあ!? もうお昼じゃないですか」
「コリンズ……」
朝の散歩の時間はとっくに終わり、集まっていた紳士淑女も午餐のために帰った後。
ひとけのなくなったロットン・ロウにて、私はいまだに空しく捜していた。その私を、半泣きになったコリンズが見つける。
「どうしよう……私、たった一回のチャンスをふいにした? もうだめなの?」
「奥様? いったい何を」
「反省してるんだから、情状の余地をくれてもいいでしょ!? なんでよ、なんでいきなり火だるまエンドなんだ!! ひどいよVTのスタッフ。悪役だって生きてるのに」
普通にゲームしていた時は何も思わなかったけれど。
今は、悪役メイドにも希望のある終わり方を与えてほしかったと、VTの製作陣へと切実に願う。ひどいよ、いきなり焼死なんて。自分の末路を思いやった私は、思わずコリンズに泣きついた。
ようするに、今日、ここでは見つからなかったのだ。主人公は。
一体どこへ消えたんだろう?