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4.胃痛の晩餐会

4.胃痛の晩餐会



 午後のお茶の時間のあと、公妃として書かなければいけない膨大な量の手紙を仕上げるため、私は自分の部屋へ戻ろうと廊下を歩いていた。すると。


「あ……」


 あわてて口を押さえた。廊下にいた私は、とっさに柱のでっぱりに身を隠す。


 私を動揺させたのは、ある人の背中。階段の方向へ歩き去っていく。

 方向的に考えて、その人が来たのは屋敷の主の部屋があるあたりから。


 綺麗にうなじを出して結われた髪に、きらびやかな金の櫛。

 そしてその人がいつも好んでまとうのは、鮮やかな(モーヴ)だ。今もその色のドレスが階段を下りて行った。


(やれやれ……また屋敷に来てたのか)


 あの色彩は以前にもここで見たことがある。でも正体は知らない。服装からして高い身分の客人なのに、屋敷の女主人である私に紹介されることのない存在。


 あれが一体何者なのか、おだやかな関係の人じゃないのは確かだ。



 もうすぐシーズンってことで、このカントリーハウスで大きな催し物が開かれることは当分ない。

 だけどお客様がいる。地域の上流階級に属する人々や親類、公爵の友人知人などが誰かしら滞在しているので、夜はそういう人たちと小規模ながらも晩餐会を開くのだ。今夜は新たな客人もいて、夕方、晩餐会の前に到着したと伝えられた。


 というわけで、ご紹介にあずかる。晩餐の前、応接間で夫の公爵の横に立った。もちろん晩餐会用のドレスで盛装して。


「初めまして、ユアグレイス。私はムッシュ・ヴェルネと申します」

「……。あ、失礼いたしましたわ、ムッシュ。少し驚いてしまって」

「ほう? 私の顔に何か見つけられましたかな? んん?」


 公妃の一瞬の自失。相手の鋭い目は見逃してくれなかった。


 鼻は団子のような丸い形で、その下には濃く黒い髭を生やしている。顎は太く二つに割れ、しっかりとした骨格を持つことを表していた。片眼鏡(モノクル)をつけていて、髪は薄いが綺麗に撫でつけられ、ヴィクトリア朝紳士の見本のようなイブニングコートの下の身体には、少々、いやかなりダブついた皮膚……ええいはっきり言おう、ぜい肉がついているように見えた。

 


 顔立ちも違う。体型も。だけど、その人の鷹のように鋭い目はきっとそうだ。

 ムッシュの顔に何かついていたから驚いたんじゃない。私は、その名前に驚いたのだ。


(出たあ! 『ムッシュ・ヴェルネ』だ。ホームズだ、ホームズが変装してるよ!)

 

 出たよ出たよ、この人きっとポスト『シャーロック・ホームズ』だ。こんなところでまさかの登場。今の顔やら体型やらは、変装している姿に違いない。お得意だもの。


 そう、VTのゲーム内で出てくるポスト“シャーロック・ホームズ”は、最初は偽名で出てくるのだ。それがフランス人『ムッシュ・ヴェルネ』。国籍までごまかして出てくる。もちろんストーリーが進む上で正体を明かし、名探偵の変装だってことがわかるんだけど。


 ただし、私が実際やっていたゲームとは、外見にだいぶ違いがある。こんなデブだったか? デブ専までカバーする乙女ゲームなんて新し過ぎじゃないだろうか、いくら変装でも。正体明らかにした時のギャップ萌えでも狙っているとか?


 とはいえ、ポスト“シャーロック・ホームズ”は、私の一番お気に入りの攻略対象だ。早く正体を明かしてくれないかしら……なんて。


(思ってる場合じゃない! ひえ、いきなりかい)


 きゃっきゃ浮かれてる場合じゃなかった。ゲームでやっていた時とは状況がまるで違う。

 あくまで、ムッシュ・ヴェルネは攻略対象キャラなのだ。ゲーム主人公のための。それは今は私じゃない。むしろ。


(まずい……ホームズが探りに来た。あああ死亡フラグまっしぐら)


 悪役メイドである私は、主人公に滅ぼされる運命にある。主人公側にいるはずのホームズにしてみりゃ敵だろう。もしかしたら、今夜も私の動向を探りに来たのかもしれない。ていうか。


(ば、ばらされたらどうしよう……)


 シナリオ上、そんなことは起こらないはずなんだけど。今はまだ。でも心配だ。こちらの正体はとっくに握られているはずだから。


 いきなりピンチに見舞われたわけだけど、私の混乱などお構いなしに晩餐会は始まった。

 困ったことに席次は、公爵の希望で私が彼の隣、反対側には今夜の新しい客がつくことになっていた。つまり。


「いやはやしかし、こんなにもお美しく素晴らしい奥様をもらわれて、閣下は本当にお幸せでいらっしゃいますな」

「……そう? どうも」

「ははは、閣下はご自分の幸運がまだおわかりでないようだ。平和で快適な家庭生活は、ひとえに奥様がたの手にかかっているものですよ。それは国が違えど同じでしょう」


 自分の妻を褒められても反応悪いぼんくらアーサーについては許そう。平常運転だ。

 でも。

 ふと、クラレット(赤ワイン)をかたむけていたムッシュの目が、私に向いた。その目は先ほどの鋭さなど嘘のようになごやかだ。逆にこわい。


「公爵夫人、実はわたくしめは今日、ロンドンから参ったのですよ。あちらはまだ底冷えする日もありますが、陽の光はすっかり春めいております」

「あら、そうでしたの。ええと、その。ムッシュはあちらの社交界にも?」

「とんでもない、わたくしは華やかな場所とは無縁な人間ですよ。アマチュアで自然科学の研究をしていまして」

「自然科学の……研究?」


 あれそんな設定あったかな、と内心首をひねる。そのせいで会話が途切れ、変な間が空いてしまった。いけない、なんか言わないと。

 ええと、そうだ! 


「……私共ももうすぐロンドンに参ります予定です。ムッシュはどうなさいますの? いらしたばかりですし、こちらでしばらくご滞在なさってはいかが?」

「まさか、公爵閣下がご不在のお屋敷にいさせていただくわけにも。たいへん魅力的なお誘いではありますが」

「いえ、是非そうなさって。ここでごゆるりと過ごして下さって構いませんのよ。自慢のようですけれど、部屋はたくさんありますし」


 そして当分ロンドンには戻らないでほしい、お願いだから。だけど。


「そうですなあ……とんぼ帰りではありますが、実は同行させていただけないかと公爵にお願いするつもりでいるのです。今年はなんといってもジュビリーですからなあ。フランス人も偉大なる女王陛下のお祝いに駆けつけてもよろしいでしょうが?」

「え、でもあの……それはアーサーが、ねえ?」

「え? ああ、構わないんじゃない。ご自由に」


 ボンクラ公爵は、ほとんど何も考えてないかのように反射的に答えてくれた。


 向かいの席を占めるムッシュ・ヴェルネは、親しげに会話を弾ませて私に汗をかかせるだけじゃなく、ロンドンへの旅にも同行すると決まってしまったらしい。私が悪いのだろうか、この会話の流れは。


 ぼんやりしていたアーサーが、急に何か思い出したような顔をした。


「それよりムッシュ・ヴェルネ。手紙で約束した物は持って来てくれたんだろうね?」

「おお、もちろんですとも。閣下も気に入られますぞ、アマゾンで採集したというあの……」


 何やら昆虫談義が始まった。同好の士、といった感じ。公爵は嬉々としている。


 ムッシュ・ヴェルネは、公爵の趣味の友人として招かれた、ということがやがて判明した。どうせ表向きの話なんだろうけど。アマチュア研究者なんて絶対うそだ。


 それにしても自由だなあ、アーサーって。のんきというか。変人だけど、それを誰かに(とが)められる気遣いもない。やっぱり高い身分に生まれると得なんだろうか。


 “妻”である私がこんなにも滅入っているというのに。

 ああ胃が、胃が痛いよう。やだようテムズ河ドボン。




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