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V.T. 公爵と私の乙女ゲーム  作者: 端野ハトコ
クリスマス番外編 『きよしこのよる』
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2 ディナーは闘い

2 ディナーは闘い



 気まずい一夜が明け、やって来たクリスマス当日。気疲れして目を覚ました私だけど、起きるとすでにアーサーはいなかった。やれやれ。


「いいわ。クリスマスは楽しまないと」


 本物の『セアラ様』に対する罪悪感は、いつもそこにある。関わってしまった陰謀や『教授』に対する恐怖も。でも今日だけは全てを忘れて、クリスマスを楽しんではいけないかな。……いけないか。



 普段は夕食を正餐ディナーにしているけれど、今日はクリスマスだからか、昼食が正餐になるだそうだ。というわけで、クリスマス・ディナーは明るいうちにいただく。


 濃紺の絹サテン地に、銀糸と銀ビーズで刺繍を施したドレス。デコルテと袖口を飾るレースは純白で、長い裳裾の下からも同じく白のフリルをのぞかせる。


 我ながら化けたものだと鏡を覗いていたら、手伝ってくれたコリンズも言い添える。


「お綺麗ですわ」

「ありがとう、コリンズ。悪いわね、クリスマスなのに」


 ドレスの着付けに髪のセット。それから装身具も色々と。貴婦人の支度は大変だ。


 クリスマスには休暇をとって家族と過ごしたい――とは誰でも望むことなので、同行してもらったレディーズ・メイドのコリンズには悪いことしたと思う。本当ならそれが自分の立場なので、余計に。


 両耳には銀細工のイヤリング、胸元には小粒の真珠で縁どりしたカメオのペンダントをつけ、それで支度は整った。手袋を持ってしばらく待っていたら、アーサーが戻ってくる。こちらもまた正装ととのえた公爵閣下にエスコートされ、公妃は正餐へと出席するのだった。




 食事時間を知らせる銅鑼が鳴り、再びダイニングルームへと出そろった客たち。だけど。


「あら、もうすぐご結婚されるの? それはおめでとうございます」

「ありがとうございます、公妃。幸せになれますようにと願っていますのよ、そう、お二人みたいにね」

「……そ、そうですわね。ほほほ、幸せもおすそ分けできればよろしいのに」

 

 笑っていてもどこか苦しい私に対し、相手は本当に幸せそうに微笑んでいる。なんだか眩しい。婚約したばかりだと打ち明けてくれたのは、ヘンリーおじさんの孫娘のひとり、シンシア・ホガース嬢だ。現在十七歳だそう。


 クリスマスの正餐は、昨夜とは席順が変わっていた。私の左右はシンシアとサラの姉妹、正面はアーサー。幸せオーラ満開のシンシアは、ほんわかとそれを周囲にも振り撒いてくれる。


「公妃に内緒でうかがいたいわ。夫婦円満でいられる秘訣って何かしら。先に結婚した友達に訊いてもね、笑うばかりで中々話してくれませんの」

「円満、ですか。ええと……なんでしょう。何せこちらもまだ新婚でして」

「ねえ、アーサーも――子どもの頃からそう呼んでいますのよ――奥様のどんなところに魅かれましたの? まだそれも聞かせてもらってませんわよ」

「え、僕? あ、いや、どこって訊かれてもな」


 アーサーよ、お前もか。婚約したばかりのご令嬢が幸せオーラを振り撒くのはいいんだけど、どうしてか、この仮面夫婦はどちらもそれに追い詰められている。


 そしてさらに、ディナーには他の苦しみがあることが段々とわかってくる。


 定型通り、スープの後は魚料理。ノルマンディー風舌平目のフィレと、ホワイティングという白身魚のベアルネーズソースがけ。フランス風らしく、どちらもバターたっぷり生クリームたっぷりな料理だった。ようするに重い。


 ロースト・ビーフまで出て、その後が、いよいよクリスマス名物の七面鳥。普通なら飾りつけられた七面鳥の丸焼きが出てくるところだけど、それじゃ面白くないとヘンリーおじさんは考えたらしい。


 巨大な銀のお盆と、その上に盛られた料理を運んできた執事が粛々と告げる。


「“鶉のスリー・バード・ロースト”でございます」


 出て来たのは、普通の七面鳥だ。外見は。良い色にこんがり焼かれ、白い紙のフリルで飾られている。ただしスタッフィング――中の詰め物が変わっていた。七面鳥の中に、さらに別の鳥が詰め込まれているそう。


「えっへん。ではひとつ、手並みを披露するとしようか」


 まずはヘンリーおじさんのナイフによって、七面鳥が鮮やかにさばかれる。


 するとトリュフの香りのついた黄金色のバターが、皿の上へと流れ出た。熱々の鶏(これも丸ごと一羽)と共に。そしておじさんがさらにその鶏を切り分けると、中からまた別の鳥が現れる。ようやくうずらが出て来たのだ。


「すごい……」


 私も含めて、客は言葉もない。得意げに笑うのはおじさんだけ。

 トリュフとシャンパンで風味をつけた鶉を鶏に詰め、鶏にバターを塗りたくり、それをさらに七面鳥に詰めて――などと、客にサーブして回る執事が控えめに語った。


 確かに非常に美味しかった。思わず溜息が出るほど極上の味だ。それはいい。でも――。


(……食べ過ぎた。満腹、もう無理)


 魚料理が終わった時点ですでに八分目だった気がする。それに忘れちゃいけないコルセット。元からこれのせいで制限されていた胃が、かなりきついことになっている。


「……」


 うっすら怖くなる。この後やっと、本命のクリスマス・プディングもあるはずだから。


「この後はいよいよ、お待ちかねのクリスマス・プディングだ。だが火をつける前に、軽くミンスパイをいってみてはいかがかな?」


 そう言っておじさんが勧めてくれるのは、手のひらに載るくらいの小さなパイだ。軽い食感のクッキーみたいなパイ生地に、干し果物のフィリングが詰められている。

 ああ、ヘンリーおじさん。小さくとも今の私にはとてもきついです。他の人たちも同じなのか、みんな一瞬、口をつぐんだ。


 そこでふと、部屋中の灯りが徐々に落とされていたことに気がつく。カーテンも閉じられ、真っ暗に近くなる。


 ダイニングルームの扉が開く気配。闇の向こうに、青い炎が浮かび上がった。

 ブランデーをかけて火をつけた、クリスマス・プディングの登場だ。

 

「わあ……」


 苦しいお腹ことなど忘れてしまう。だってそれぐらい感動したから。


(これが……これがクリスマス・プディング。本物だあ、すごい)


 生まれて初めて本物を見たこの感動、ぜひ一生の思い出に――ってあれ? 待てよ。


(そんなはずないじゃない)


 私はイギリス人だ。正体はメイドとはいえ、クリスマスなんて今までに何回も過ごしている。そもそもプディングなんて高級な食べ物でもないのに、どうしてこんなに感動するんだろう? 変なの。


 妙な感覚を抱いた私をよそに、状況は進む。

 給仕たちによって消されていた灯りが戻り、カーテンも開かれる。

 

 底の平たい大きなお椀を伏せたような形の、茶色いお菓子。黒い点々みたいなのは、中に混ざっている干し果物だ。上に刺さっているのは、ヒイラギの鮮やかな緑色の葉と赤い実。

 

 火を消した後、最初のスプーンをヘンリーおじさんが入れる。そこから順々にサーブされていく。

 やがて嬉しそうな声が上がった。


「わあ、6ペンスだわ! 嬉しい、おじい様ありがとう」

「おや、シンシアは運がいいな。うんうん、それを持って幸せな花嫁になるんだぞ」


 プディングの中には色々な小物が隠されている。幸運のお守りである6ペンス硬貨の他にも、指ぬき、蹄鉄、ボタン、ベルがある。もちろん本物ではなく、小型サイズのチャームだけど。

 

 花嫁のお守りでもある6ペンス硬貨はシンシアへ、魔除けの蹄鉄はヘンリーおじさんのところに。『恋をしている』という意味のあるボタンはモリスフィールズ伯爵が引き当てしまい、その奥方から睨まれる。教会や修道院の鐘が由来だというベルは、ラベンダーの皿から見つかった。


「君は、セアラ?」

「残念ながら何もなしよ。あなたは?」

「僕もだ、……がっ! 今なんか噛んだ」


 言ったそばからアーサーは、口の中から何か見つけたみたいだ。いや、食べる前に気付こうよ?


「何?」

「……指ぬき」

「あら。よかったわね、アーサー」


 ちょっとおかしい。指ぬきももちろん幸運のお守りではあるんだけど、そもそも裁縫道具で、女性の持ち物だ。それを男の人が引き当ててしまうとは。この公爵閣下、やっぱりどこかで間が抜けている。なごむなあ。


 本人もおかしかったらしく、笑っている。するとそこへ、ひときわ大きな声が聞こえてきた。


「――そうそう、ヘレン。わたくしの“プレアデスの乙女”ですけれど、今年はラベンダーに貸してあげましたのよ。よく似合っていると思わなくて?」


 モリスフィールズ伯爵夫人だ。その声に答えたのは、黒髪のヘレン・ホガース夫人。おっとり微笑んで言った。


「あらまあジャネット、お優しいこと。それはあなたのとっておきでしょうに」

「ええ、でもこの娘を見て下さいな、ヘレン。ラベンダーは今が最も輝く年齢でしょう。輝く若者には輝く星を身につけていてほしいものですから」


 話しているのは、ヘンリーおじさんの娘の伯爵夫人ジャネットと、息子の嫁のヘレン夫人だ。伯爵夫人が話題に出しているのは、彼女の娘のラベンダーがつけている宝石のことらしい。


 今日は淡いローズピンクのドレス姿で現れたラベンダー。編んだ髪にいくつもの髪飾りを挿しているんだけど、その髪飾りのうちのひとつがすごかった。大きな青い宝玉。丸い形にカットされた、星のような光を宿す大きなスター・サファイアだ。


「ねえヘレン、わたくし、あなたに話しましたかしら? この“プレアデスの乙女”について」


 伯爵夫人はヘレン夫人の返事も聞かず、その宝石について得々と語り出す。


 インドで採掘されたその宝石の、最初の持ち主となったのはかのフランス国王ルイ十五世の寵姫だったデュ・バリー夫人。彼女がフランス革命で処刑されるとそのどさくさで盗まれ一度は行方不明となるが、後にある港町の納屋で発見される。競売にかけられたそれを落札したのはナポレオン配下の将軍の夫人で、ナポレオン失脚後はアメリカの富豪の持ち物となり、その富豪が多額の借金を残して自殺した後に所有したのが同国の宝石店。モリスフィールズ伯爵はそのアメリカの宝石店で買い上げた――とのこと。


 なんとまあ遠大な話だ。宝石ながらこの“プレアデスの乙女”は、なかなかややこしい来歴を持っているようだ。きっと値段もそれなりにするんだろう。

 

「ええ、ジャネット。本当に星の輝きのようなサファイアですわよね。ラベンダーに似合うわ、金髪によく映えて」

「そう言っていただけると嬉しいわ。高貴な宝石ですもの、それに見合う者が身につけなければ、その高貴さが失われますものね? ラベンダーも、“プレアデスの乙女”に相応しいレディになったということかしら」

 

 親の欲目ばかりじゃない、と私も思った。

 ドレスと同じローズピンクの頬をしたレディ・ラベンダーは非常に美人で、ほっそりした腕や腰は華奢でなよやか。若々しさ溢れる美女の金髪を飾ったスター・サファイアは、確かに高貴な光を放っている、気がする。母親と叔母に褒められて、本人も満更ではない笑みを浮かべた。


「お母様ったら、恥ずかしいわ」

「何を言うの、大事なことではないの。――いいこと、ラベンダー」


 伯爵夫人はここで言葉を切る。そして何気なく視線を斜め右に逸らす。その視線の先にはたまたまちょうど、私がいた。


「よく覚えておきなさい。社交界では妻がみすぼらしい格好で人前に出れば、夫の面目を潰します。高貴さに相応しいだけの装いで場の華やぎとなるのも、貴婦人の務めですからね」

「まあお母様。そうでなければどうなりますの?」

「恥となるような妻ならば、いっそいないほうがよかったというものです。ラベンダー、お前はそうならないようにね」


 話している相手はラベンダーなのに、どうしてか、伯爵夫人の目はこっちを向いている。


(なに? もしかして私に言ってる?)


 あまりにも見られるので、私も何か返事をしたほうがいいのかと、口を開く。


 でも何か発言する前に、ヘンリーおじさんがおかしそうに言った。


「――やれやれ。ジャネット、今年もまたそのサファイアの話か。お前はそれをせんことには、年の終わりを締めくくれんようだな?」

「ま、お父様ったら!」

「ルイ十五世がうんぬんという話を毎年この席で聞くような気がするんだが。それともわしの記憶違いか? ん?」


 おじさんは周りの人にも同意を求め、周囲もうなずく。言われてみれば、伯爵夫人が話している間中、みんな顔が笑っていた。あれは「また始まったぞ」という意味だったのか。


「まあ、これもなければないで淋しいだろう。いいかジャネット、これからも続けるんだぞ」

「毎年だなんてまさか、たしかに初めてではないかもしれませんけれど――」

「ははあ、さてはお前、そこら中でその話をし過ぎてわからなくなったな? ジョージ、すまんな。よほどサファイアが自慢なようだ」

「そういうところが可愛らしいのですよ、ジャネットは。これだけ喜んでもらえれば、贈った甲斐もあるでしょう」

「ふむ、そういう考え方もできるか。――贈り物といえば、クリスマスの晩、ある貴族の屋敷にブリキの箱いっぱいの絹のハンカチが届いたそうでな……」


 と、おじさんと伯爵によって、和やかに会話が進められる。


 伯爵夫人は何回サファイアの話をしたのかしらと内心で考えていたら、アーサーと目が合った。すると彼は無言で手を出す。右は五本の指ぜんぶ、左は二本だけ立てて。『七回は聞いた』と言いたいらしい。


 そりゃ話し過ぎだ。思わず吹き出したら、アーサーも堪え切れずニヤッと笑った。



『とにかくこれで終わりだわ』と、ほっとしながらプディングを片付ける。だけどそこでヘンリーおじさんが、


「さあてお次は、デザートの本命、クリスマスケーキだ!」


 とおっしゃられました。

 はい? 今食べましたよ、クリスマス・プディングを。それがケーキじゃないの?


 ぎょっとする私をよそに、給仕は冷静に皿を取り替えていく。現れたのは、大皿に載った丸くて真っ白い砂糖衣のケーキ。上は果物で飾られている。


「……」


 そうだ。今ちょっとど忘れしていたけれど、クリスマスにはこれもあるんだった。

 十二夜のケーキ。


 クリスマスから数えて十二日目に当たる一月六日が顕現祭で、その前夜の“十二夜”にふるまわれるケーキなんだけど、いつの頃からか、これもクリスマスに食べるようになった。白い砂糖衣の中は、たっぷりの干し果物とナッツが入ったフルーツ・ケーキだ。


 回ってきたのは一切れ。でもねっとり甘くて重いデザートが続き、口に入れるだけでもやっとの思いをする。だけど。


「さあさあ、お次は毎年恒例ベイクウェル・タルトだぞ。これはわしが毎年する話だが、このタルトは城の近くにあるベイクウェルという町の名物で、クリスマスにはこれも味わうのが我が家の伝統……」

「それから今年は、クイーン・オブ・プディングも用意させたんだ。これは昨日、我らが公爵の花嫁がいたく気に入ったらしく、ずいぶんと褒めてくれたのでな……」

「そろそろチーズの盛り合わせでアクセントを……」

「デザートに杏子の砂糖漬けはどうだ? みんな知っとる通り、これはわしの好物で……」


 と、ディナーは果てしなく続いたのだった。私は悟る。


(闘いね。これはもう闘いだわ……!)


 挑戦は受けよう。何かが激しく違うような気もするけれど。



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