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25.最終話・公爵と私の乙女ゲーム

25.最終話・公爵と私の乙女ゲーム



 長かった説明会が終わり、誰かが窓を開けた。淀んだ空気が押し流され、ひんやりした秋の風が横を通っていく。


「……」


 長机に頬杖ついた私は、アンダーラインとメモ書きだらけの書類を見下ろす。


 治療費の保証の範囲。経済活動ストップ後の生活費の補てん。帰宅できないでいる間に引き払われてしまった賃貸住宅の賠償。元の勤め先を解雇された場合も同様に。


『ヴィクトリアン・ティーパーティ ~英国貴族の華麗なる秘め事~』。


 この古いゲームを愛好していたのは、何も私だけじゃなかった。


 途方もないお金持ちによる、途方もない酔狂の結果。VTの世界は、VRMMORPGの世界に再現されることになる。いや。


(RPGでもないし、オンラインでもないから、VRMM、か? よくわからないけど)

 

 怪しいヴィクトリアンうんちくに、都合のいいところだけ日本語が使われる世界観。本当の19世紀末にしては、いろいろ異なる歴史的事実。単にタイムスリップしただけじゃ説明のつかない「違和感」は、作られた世界だからだ。


 最新のバーチャルリアリティ技術によって。




 酔狂な大金持ちにまるごと買収されたVTの製作会社は、同様にその傘下に入っているバーチャルリアリティ作成を専門とする製作会社と協力して、ひとつのVRMM世界を作り上げる。


 それが、私がずっと過ごしていたVTの世界の正体だった。簡単にいうと、乙女ゲームの世界がバーチャルリアリティになっていたということ。馬鹿だよね、その金持ちも。なんでそんな酔狂を思いついちゃったんだか。


 でも。


(それに乗った私はいったい……)


 死んでゲーム世界に転生したわけじゃなかった自分。もちろん20世紀生まれの日本人だ。アグネスになりきってVTの世界を生きていた私は、その創られた世界を彩るキャラのひとりとして雇われただけだった。


 もちろん、悪役メイドキャラとして、だ。納得の上で、契約に基づいて。


 本業を休んでまでなぜ参加したのかというと、それはもう、VTへの愛がなせる技としか言いようがない。


 だってさ。日本屈指のVR技術を持ってる会社が、最先端技術を使ってヴィクトリアン世界を完全忠実再現するって企画なんだよ? 監修には本物のイギリス文化学者がついていて、ビジュアル的にも最高の物に仕上がってるって話だった。


 それなら誰だって受けると思うんだ。たとえ死ななきゃいけない悪役でも。どうせ本当に死ぬわけじゃないんだから。あくまでゲームの中なんだから。


 数少ないVTの熱心なユーザーだった私は、色々考えた末ゲームに参加する。集められた他のキャラ役の人たちと一緒に、生命維持装置のポットの中に入れられ、ヘッドギアをつけられ、ゲームの世界に入って行った。ゲームのスタート地点は私が「セアラ様」を陥れるところからだ。


 そこまではよかった。まずは一週間、お試しバージョンでヴィクトリア朝時代の人になりきって生活をしてみましょうか、という話だったから。


 しかし。事故はそれから始まった。


 暴走したゲーム。意識の戻らない被験者。シャットダウン不可能な状況。

 そして強い暗示。


 滞りなくヴィクトリア朝時代の人々になりきって生活できるよう、被験者は微弱な催眠術下に置かれる予定になっていた。特に使用人階級を演じる人には必要だ。

 だけどゲームのAIの暴走だかなんだかで、被験者たちは本当にVT世界の登場人物として、強い暗示をかけられてしまう。本来の自分の記憶を封印されて、別人になっていた。「記憶」として持っていたゲームスタート地点以前の出来事も、植えつけられた「知識」に過ぎなかった。


 その強い暗示のせいもあり、結果、ゲームの暴走は止まらなかった。


 それはゲームが通常のクリア状態に達するまで続いた。

 主人公役――つまりあのセアラ様役をやってた人――が、攻略対象キャラを落とすまで。


(いったい誰を攻略したのか、最後までわからなかったなあ。ていうか本当に落とせたのかね、あの状態から)


 さっき終わった説明会は、このゲームに参加した人向けに行われていた。無事に解放されてから数カ月経ったが、もう少しでゲームの中に囚われ、一生出て来られなかったかもしれない被験者たちへ。ゲーム会社との最初の契約事項や、予期せぬ事故によって失われた色々。本当に一年間も現実を奪われていた。きちんと契約書を交わしていたとはいえ、裁判沙汰は避けられない。


「……」


 あの「セアラ様」も、説明会に集まった人たちの中にいると思うと微妙だ。今思うとかなりの天然だったあの人。実はあの人が、自分よりも年上のおばちゃんとかだったら嫌だなあ、と思うから捜す気にはなれない。


 それでも私は、説明会から帰っていく参加者たちを見つめている。老若男女いるけれど、やっぱり女性が多い。男性キャラの中の人も女性だった、ということのほうが多そうだ。


「……」


 にじみ出る涙を抑えられなくて、私は長机に突っ伏す。


(馬鹿)


 なんて馬鹿なんだろう、私は。いま無意識に、存在するはずのない人を捜して、帰って行く人たちを見ていた。いないのに。あの中に「アーサー」はいないのに。


 なんて馬鹿なことをしたんだろうと、何もかもを後悔している。中途半端に暗示から覚めてしまったことも、そのせいで色々ゲームシナリオを変えちゃったことも。

 そもそも、この企画に参加したことも後悔している。


 だって、参加しなければこんなことにはならなかった。


(AIに、人工知能に本気で惚れるなんて)


 全てのキャラの中に「中の人」がいたわけではなく、AIが演じていたキャラもいたそうだ。例えば、決まりきった台詞しかないような本当のモブはAI。あとは完全に悪役である切り裂きジャックとか。


 そして。裏の攻略キャラである「公爵アーサー」にも「中の人」はいなかった。 AIだったそう。


 つまり私は、ゲームの中のAIに本気で惚れてしまい、ついて行く気になっていた。暗示下にあったとはいえ、その妻であり、恋人になったつもりでいた。


 だって好きになったから。

 これまで好きになったゲームのキャラはもちろん、現実の人間の誰よりも。


(それって完全に痛い人じゃないか)


 乙女ゲームは好きだけど、まさかそこまでのめり込むことになるなんて、思いもしなかった。

 このゲームはひどい。私から青春時代だけじゃなく、これからの人生も奪うんだから。


「絶対、絶対諦めない。最高裁まで行ってやる!」

「うわ!」


 必ずこの深い傷心の償いをしてもらう、と改めて固く決意した私が長机から勢いよく顔を上げたら。


 タイミングよく、人が入って来たところだった。説明会終了後、私以外の誰もいなくなっていたはずの部屋へ。


「ど、どうかしましたか」

「いえ」


 宣言した大声を他人に聞かれ、私はかなり恥ずかしい。


 痛いOLの恨み節にドン引きしているらしいその人は、ビビりながらもこちらへ来た。正確には、一番前の席に陣取った私の目の前の、ゲーム会社側の席へと歩み寄る。

 ああ、この人は。


「驚かせてごめんなさい、(まゆずみ)さん」

「あ、はい」


 泣いていた顔を隠そうと、よこを向いて涙を拭く私は思い出す。

 

 黛さんはバーチャルリアリティ製作会社の人だ。さっきの説明会でも何かしゃべってたし、ゲームから解放された後の参加者たちのケアのためか、色々相談にも乗ってくれていた。


 この人が言ったんだよね。「アーサー」はいないって。


「……まだ帰らないんですか、高山さん」

「帰りますよ」


 ばつが悪くて、そそくさと書類と荷物をまとめた。帰ろう。一年も不在にしている間にマンションを勝手に引き払われちゃって、仕事もなくした私が帰れる唯一の場所、実家へ。


 行こうとして、ふと、黛さんの様子を見た。「ここかよ……」と呟きながら、ホワイトボード下の溝から何かを手に取っている。ああ、ペンライトか。


(なんだ)


 忘れ物で戻って来たのか。と、内心で肩をすくめて。

 私の足は止まった。

 振り返る。まじまじと見つめる。


「黛さん」

「はい?」

「もしかして、昆虫とか好きじゃないですか」


 一瞬ぽかんとしたけれど。理解した彼は、たちまち顔を赤らめた。その黛さんに畳みかける。


「今回のゲームって。すごく厳しい監修をしていたんでしょう」

「……はい」

「私、ひとつ疑問があって。おかしいと思いませんか。ヴィクトリア朝の人がヘルマン・ヘッセについてしゃべってたら」


 Jugendgedenken――邦題が「少年の日の思い出」。


 ドイツの作家ヘルマン・ヘッセが書いたその短編小説は、本国ではあまり知られていないにも関わらず、遠く離れた日本では有名だ。どうしてか。


「中学の時。黛さんも読みませんでしたか? 『少年の日の思い出』」


 国語の教科書に載っているからだ。中学校の。そして。


「あれが書かれたのは20世紀なんです」

「……」


 ヘッセの生まれた年は1877年だそう。VTの時代設定の頃ならまだ子どもだ。

 後で調べて思った。変だなって。あの会話はなんだったんだろうって。


「VTの世界観って、19世紀末でしょう。登場人物が20世紀に書かれた小説の話をするのって、不自然っていうか」

「プログラムのミスなのでは……」

「覚える必要のない知識をプログラムしたの? 人工知能に」


 往生際の悪い男を追い詰めるのは、やっぱり女の武器なんだと思う。だって。


「そんなこと俺に言われても……ってちょっと」

「ひどい。私、もてあそばれて捨てられたんだ」


 特に演技するつもりがなくとも、涙なら溢れ出る。まだ傷心しているから、簡単に。

 私の涙に、黛さんは面白いほどうろたえ出した。


「泣かないで下さい、こんなところで」

「心も身体ももてあそばれた! 夫だと思うからぜんぶ許したのに」

「違う! 何もしてないだろ、バーチャルなんだから! それにあれ一応健全なゲームだから。18禁展開になったら強制朝チュンになるようになってて」

「そうなの?」

「そう。結局何もさせてもらえなくて俺がどれだけ無念をか」

 

 そこでようやく、黛さんの口は閉じた。彼の顔はもうこれ以上赤くなることはないんじゃないかというぐらい紅潮している。


「いやだから、高山さん。違う、違うんだ」

「何が?」

「……泣いてたんじゃないんですか?」

「泣いていましたよ。まだ見る?」

 

 もういいです、と止められたので私は落ち着くために深呼吸した。もう一度涙をふいて、崩れた化粧をどうしようかと思っていると。

 黛さんがぽつぽつと語り始めた。「アーサー」みたいに。


「開始直前に、被験者がひとり降りて」

「……」

「それで急遽、スタッフが代わりに、中に」

「『アーサー』を?」

「はい。……俺はVR製作のほうの担当だから。ゲームが始まったらお役御免で、見学しに行っただけだったのに」

「あら。それなら何の予備知識もなく?」

「いや、始まったら始まったで、完全に取り込まれましたけど。『アーサー』の人格になりきってたっていうか。イギリスのことなんか何も知らなかったのに。ていうか半分馬鹿に」

「ちょっと」


 聞き捨てならない本音にむかついた。


「何よ、偉そうに『公爵様』やってたくせに」

「高山さんこそ。はたから見てたらおかしかったですよ、一人二役」

「はあ? 私が頑張らなかったらゲームオーバーになってたんだからね!? 主人公はやる気なさすぎるし」


 舌戦になるかと思ったけれど。

 こうして現実で向かい合っていると、なんだか急におかしくなってくる。私たちはほとんど同時に吹き出した。


「アホみたいだった、俺。本気で色々悩んだりしてた、自分のことじゃないのに。あんな昼ドラ設定」

「私も。もう完全に、ヴィクトリア朝の人になったつもりだった。そんなわけないのに」


 ごく普通の日本人の感覚で生きてみたヴィクトリア朝。

 公爵とメイドだった私たちだけど、二人とも結局最後はその枠から出ようとしていた。爵位への責任とか貴族の常識とか、当時の人が当たり前に持っていた階級意識も何もかもも、関係なかった。


「でも……本当にアホだったんだよ、俺は」

「黛さん?」

「目を覚ましたら何もかも夢で、『アグネス』はいなかった。せっかくできたかわいい奥さんは幻で、やっぱり家に帰ったらひとり。あれほど空しいことはなかったな」


 許してほしい。つい、黛さんの左手を確認したことを。そこに指輪がなかったのを見て、ほっと安心したことを。


「一人暮らしですか?」

「高校出て以来」

「彼女は?」

「……あれやってる間に振られていました。二次元でのだけど」


 なんだ、似たような趣味なんじゃないかと思った。お互い様だ。


「私の実年齢、二十歳じゃないんです」

「知ってるよ」

「いま無職。新しい職場捜し中の紅茶専門アドバイザー」

「高山さんが無職になったのはこっちのせいっていうか」

「なら。責任」

「ストップ」


 今さら止めるの!?と愕然とした。

 黛さんは長机に腰掛けて、腕を組んで難しい顔した。


「俺、公爵じゃないよ。言っとくけど」

「……見ればわかるんだけど」

「イギリス人でもない」

「それも見ればわかるわ。あなたほどボンヤリしてないの」

「あれはゲームの設定上、ボンヤリした奴じゃないと成立しないからであって。実際の俺はもっとしっかりしてる。有閑貴族じゃ食べてけない」

「じゃあ問題ないじゃない。ていうか、なんでしら切ってたの? 訊いたよね、二回目に会った時」


 いろいろ相談に乗ってくれていた黛さん。私は会って二回目には訊いたのだ。アーサーじゃないかって。そうだといいなと思いながら、冗談めかしてそれとなく。


「あれは……まさか言い当てるとは思わなかったから、つい、否定を」

「どうして今まで本当のこと隠したの? AIだなんて嘘ついて」

「それは……」


 どんどんうつむいていく。

 あれ。もしかして私、やっちゃった?


(もしかして先走り過ぎ……!?)


 二十歳の西洋美人なら良くても、三十路目前の日本人はだめだったのだろうか。

 え、振られた? どうしよう、考えてなかった。だって突発的に動いたんだもの。


「高山里古(さとこ)さん」

「は、はい」


 やっぱり傷心で両親の家に帰るのかと思ったら、いつの間にか黛さんは顔を上げていた。


「俺は黛慎吾と言います。歳は高山さんの三つ上」

「……はい」

「仕事は……まあ知ってるか」


 黛さんは組んでいた腕を解き、ちゃんと真っ直ぐ立った。


「指輪も何も用意していないけど。爵位どころか、会社でもそれほどの地位じゃないけど。……それでも、うんと言ってくれませんかね。でないと何も話せない」


 私はうんと言って、黛さんの首に抱きつくべきなんだろうか? 

 別の意味で慎み深い現代日本の女子に、ていうかリアルでそんな真似したことない私にそこまで要求されても困るんだけど。でも。


「ほ、ほっぺにちゅーぐらいから始めてもらえるなら」

「はい?」

「手、手をつなぐのもハードル高いのに。腕組むなんて論外」


 いきなりの結婚生活で始まった偽者公爵夫婦のようになんて、もちろんハードル高かった。いや、あの時は最後までいっちゃったと思ってたわけだけど、でもねえ。


「高山さん」


 今さら込み上げる羞恥心に、もじもじしていた。呼ばれて、勇気を出して彼を見上げる。

 なんだか具合悪そうな黛さんを。あれ、イエスの返事したつもりなんだけどな。


「怒らないで聞いてほしいんだ」

「何を?」

「実は……さ、里古さんの個人情報を、内緒で調べたり、していて」

「……」


 その予想外に目を丸くする。調べた? それってつまり。


「ストーカー?」

「違う! 何もつけ回したりはしてない」

「じゃあなんで。――嘘ついたのはそれが後ろめたかったから!? ちょっと」

「わかってる! 自分がやったことはおかしいって。でも……会いたかったんだ。『アグネス』の中の人に。忘れるなんて無理だったんだ、馬鹿みたいだと思っても」


 「アーサー」の中の人に会いたい。忘れられなかった。

 同じ気持ちを持っていた私が、それを聞いて嬉しくないはずがない。


「慎吾さん」

「わっ」


 越えられない枠をはみ出す一瞬だった。と言い訳しておこう。

 背伸びした私が、慎吾さんの首に抱きついていったのは。




 こうして、公爵だった慎吾さんと悪役メイドだった私の、乙女ゲームは終わった。

 現実でのことは、また別のおはなし。






「つけ回したりしてないって。最寄り駅に一回行ったぐらい」

「……」

「すいません、嘘つきました。一回じゃないです。でも改札からは出てないから。ギリセーフ?」





ここまでお付き合いいただいて、ありがとうございました。

完結です。

大事なことなのでもう一度。読んで下さってありがとうございます!


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