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20.伯爵と私と執事

20.伯爵と私と執事



 リージェント・パークにほど近い高級住宅街の道を行く、ひとりの女。身なりは比較的良いほうだが、紺色のモスリンのドレスや、飾りのない平たい形の帽子はかなり地味で、堅実な中流階級の奥様か、上級職のメイドの休日の姿、といった様子。


 分厚い眼鏡で変装した私は、思い出している。公爵の告白を。


(「禁断の兄妹愛ルート」か)


 たぶんだけど、今度こそ私の、VTに対する謎が解けた。一見して、攻略対象からは外されていた「公爵」。ゲーム主人公が本来なら結婚していたはずのアーサーは、決して攻略対象にはならない。まともにプレイしていたら。


 独力で攻略していた私だけど、他のユーザーを全く知らなかったわけじゃない。そのVT愛好者の友達が、ふとこんな噂があると教えてくれた。


(裏ルート。普通にクリアしているだけでは出て来ないゲーム展開)


 てっきり、18禁展開にでもなるんだと私が思っていたそれ。噂で聞いた、ある条件を満たした時にだけ現れるらしい、裏ルートの存在。ようするに、普通なら攻略できないはずのキャラを攻略できるようになるってこと。


 それが恐らく、「公爵との禁断の兄妹愛」ルートだ。


 条件を満たし、ゲーム主人公が公爵を攻略できるようになったときだけ発動するこの仕掛け。伏線が張られていた。本来夫婦になるはずだった二人が何かの拍子に再会して恋に落ちるけれど、実は兄妹だったことがわかるストーリーなんだろう。で、二人して禁断の愛に苦しむ、みたいな展開になる。たぶん。だって「裏」に相応しいドロドロ展開じゃない?

 

(アーサーは裏の攻略キャラだったんだ)


 悪役メイドの立場になって、初めて解けた謎だ。いや嬉しくはないけれど、そんなには。



 

 さて。休日のメイドに扮した私が向かう目的地。


 うーん。この背景。通りにならぶテラスハウスの形とか色とか、街灯とか、行き交う馬車とか紳士とか。このヴィクトリア朝ロンドンの街並み、見覚えあるなあ。


「……しょうがないか。もう」


 ここはかつて青春時代、さんざん見てきた背景だ。テレビ画面を通して。

 並ぶ白亜の住宅群、ひとつづきになったテラスハウスの中から、よく知っている番地の一軒を捜した。あった。段を上り、呼び鈴を鳴らす。


 出てきたのはナイスミドルな年頃の、ハンサムな執事。忘れてた。この人もここにいるんだっけ。


「何か当家にご用でも……?」


 約束のない客人がとつぜん訪ねてきても、優しいおじさま執事は首を傾げながらも微笑んだ。さすがだ。茶色い瞳を見守るようになごませて、VT攻略キャラ「ミスター・ポター」はこちらに問う。


「失礼ですが、ミス。お約束をうかがっていましたでしょうか? ここはミレー伯爵が所有されるタウンハウスですよ」

「いいえ、約束はありません。これをご主人様に渡してもらえないでしょうか」


 と言って、持って来た手紙を渡す。

 手紙を裏返してみた執事は、封蝋に押されたその紋章を見て顔色を変えた。


「お待ち下さい。どうぞ、中で」


 使用人用の半地下の出入口や裏口からではなく、正面玄関から通される。執事は少し迷ったように止まったが、入ってすぐの廊下脇にあった長椅子をさし示した。


「こちらでどうぞ」


 そして、公爵閣下の印章を押された手紙を持って、奥へと引き取って行った。しばらく待つ。十分、それから二十分。


 処刑台の上で待たされている囚人のような気分に、胃が限界になってきた頃。困り果てた顔の執事がまたやって来て告げた。敬意を示すべきなのか、それとも逆なのか測りかねた様子で。


「どうぞ、こちらへ」


 執事が私を案内したのは二階の部屋。間取りを思い出した私は、あれ、と思う。


(ここは居間じゃなかったっけ)


 屋敷の主人が日中を過ごす部屋だ、と気づいた。私的(プライヴェート)な空間。

 入るとすでに当人がそこにいた。


「失礼します」


 私は一言ことわりを入れ、それから変装を解いた。

 かつら、眼鏡、そして鼻のすぐ下につけていた、大きなつけぼくろ。これのお陰で他人の視線や印象はすべてほくろに集まり、元の顔立ちへの印象が薄くなる。


「なるほど。よく似ていますね。まさかと思いましたが、本当にご本人の登場ですか」

「……初めまして、ミレー卿(ロード・ミレー)


 優雅な猫足のレカミエ椅子にクッションを重ね、そのうえに全身をあずけるよう仰向けに寝そべった青年がひとり。

 長く真っ直ぐな金髪、秀でたひたい。涼やかな目元もすっと高い鼻梁も薄い唇も。綺麗に整った顔立ちは、これぞ正統派美形と呼び声高いあの伯爵そのものだった。


 しかし美形伯爵は、なぜかそのひたいに白いタオルをのせている。目もうつろで頬も赤い。


「このままで失礼。しかし立てませんのでね、今は」

「ど、どうかしたんですか」

「風邪をひいているんですよ……ちょっと、よんどころない事情で。しかしそれは君には関係のないこと」


 毒舌伯爵は、せせら笑いを浮かべた嫌味な顔でこちらを見た。私は覚悟を決める。


閣下(ユア・ロードシップ)。私はアグネス・ジョーンズ。ホルボーン伯爵令嬢レディ・セアラの侍女をしていた者です」

「ほう?」

「……よんどころない事情で。今は、ゲインズバラ公妃を名乗っていますわ」

「なるほど。侍女というのは忠実な働きを求められるものですが、わざわざ女主人の身代わりを買って出る者までいたというわけですね? それはそれは、大儀なことです」


 調子の悪そうな伯爵だけど、皮肉がたっぷり籠ったその口調は健在だった。


 だけど、この丁寧口調な毒舌が売りなのだ。この人の場合。たぶんVTでは最も主要な攻略キャラと言える、毒舌美形貴族、「ミレー伯爵」は。


 ゲーム中、この人のシニカルなキャラは好感度を高めてもあまり変わらず、むしろ攻略後もいじめられた。好きな相手をいじめたいタイプってやつなんだろう。

 伯爵の皮肉な毒舌に疲れたかつての私は、対照的に、優しい大人の包容力でいつでも癒してくれるおじさま執事(ミスター・ポター)に、何度となく流れてしまったものだ。


 私がこの伯爵の家をよく知っているのは、ゲーム中に見ていたから。何十時間も。

 放置プレイに耐えきれず、自分からここへ来たってわけ。


 ゲーム主人公セアラ様を、最初に拾ったはずのこの人のところへ。


「どうしてまた僕のところに来たのですか? ああそれと、公爵の印章(シール)を使っているようですが、それは本来君が触れて良いものではないことを理解するんですね」

「わかっています、でもアーサー……公爵閣下の紋章ぐらい出しませんと、会ってはもらえないでしょう。私とは」

「当然です。ずいぶんと馴れ馴れしくしているようですが、すでに公爵は籠絡したとわざわざ告げにでも来たのですか。どんな手管か色仕掛けか、こちらは別に知りたくないんですがね」


 丁寧な言葉の中にあるトゲ。敵意を隠す必要性など感じていないらしい伯爵に、私は言う。


「いいえ。お願いがあって参りました。セアラ様に会わせていただきたいのです」

「……」

「お……お詫びを。私のしたことの。

 私は後悔しています、セアラ様を陥れたこと。妙な陰謀に関わったことを」


 ゲームのシナリオ通りに動いていただけのことなんだけど。それでも謝らないといけないんだろう、悪役メイドとして。


「図々しいこととはわかっています。でもできればセアラ様(レディ・セアラ)に直接謝りたいんです。どうか」

「……謝る」

「はい。言い訳に聞こえるでしょうけど、私だってやりたくてやってたわけじゃないし。できれば許して……」

「はっ」


 と、そこでさえぎられた。どうしてか、伯爵が鼻で笑った。吐き捨てるように。

 そんなに怒ってるんだろうか。でも私、この人には特に何もしてないんだけど。


「やりたくてやってたわけじゃない、か。顔がそっくりなら性格もそっくりというわけですか、君たちは」

「はい?」

「あのレディも同じことを言いましたよ。言って、僕の下から去りました。あっさり」


 えーっと。やっぱりすごく怒ってるみたいなんだけど。何にこんなに怒ってるの?


「あんなに支援してあげたというのに……あのおトボケ娘が」

「ちょっと、いくらなんでも言い過ぎ」

「言われても仕方がないと思いますよ。僕が教えてあげましょう、アグネス。君が会いたいレディはもうここにはいません。出て行きました」

「えと、それは宮廷に……」

「王宮務めはクビになったのです、とっくに」


 ……マジ? クビって。

 

「なんでも、他のメイドとの対決に負けたとかでほとんど追放同然で戻されました」

「そ。そんなに? ひどい」

「ええ、ひどい結果だったそうですよ、その対決とやらは。見事なまでのボロ負け」


 ああー。

 わかった。どうやら、セアラ様は宮廷へ出仕するところまでは行けたけど、そこから先で失敗したんだ。ミニゲームに負けて。うんうん、負けたらクビになるくらいの展開もありえる。厳しいゲームなんだ……ってええ!?


「で、なんでここにもいないの!? 出て行ったって」


 そんなシナリオあったっけ? 負けたら負けたで、戻った伯爵邸で伯爵かもしくは執事とのゴールイン、みたいな救いエンドがあるはずなのに。


「ふっ……。家出したんですよ。そして」


 少し自嘲の笑みを見せたあと、伯爵は続けた。


「この数カ月、捜し回りましたよ。もしかして世を儚んでよからぬことをするんじゃないかとか、ある日テムズ河かサーペンタイン池にでも浮かぶんじゃないかとか、そうなったらどうしようと僕が必死になって捜していたというのに!」


 勢い余ってひたいのタオルを落とす伯爵。どうどう、落ち着いて。


「またただのメイドとして働いていたそうです。適当に拾われた家で」

「は?」

「それでなんと言ったと思いますか? 見つけた時」

「……」

「『元から対決なんてしたくなかった。わたしは別に出世もしたくなかったし、そもそも宮廷に行くことも気が進まなかった』と。ささやかでいいからひっそり目立たずのんきに暮らしたいなんて言われた日には、こっちはどうしたらいいんですかね! せっかく失った地位や名誉を取り戻してやろうと、女王陛下にも社交界の有力者にも口をきいて、あんなにバックアップしてやったというのに、全部ありがた迷惑だったそうです! 競争のない平和な人生が一番とは、やる気がないにもほどがある!」


 と、熱が上がったのか、というか興奮し過ぎた伯爵は、振り上げていたこぶしをバタンと下ろし、ぷしゅっ、と事切れた。

 いや、事切れたは言い過ぎ。生きてる。一気に体力使いはたしたみたいだけど。


 うーん。これはどういうことだ。


「じゃ、じゃあ。セアラ様は今どこに」

「……まだそこで働いていますよ。雑役女中(オールワークス)をしているそうです」

「オールワークス!」


 それはまた、数あるメイド職の中でも一番きついやつじゃないか。文字通りすべての家事労働が仕事で、朝から晩まで働きづめだ。よくできるなお嬢様育ちのはずのくせに。


「ええっと。ならできれば住所なんか教えてもらえると」

「教えてもいいですが。僕が思うに、たぶん迷惑がられますよ、今さら君が行っても」

「どうして!? セアラ様、元に戻る気ないの?」

「……それこそ本人に聞くんですね。ポター」


 執事を呼び、紙を用意させる伯爵。住所を書いてくれたらしい。簡単だな。


「……あの、いいんですか?」

「どうでしょうね。ああ、いきなり公爵夫人が会いにいっては目立ってしょうがない。今のような格好で行くのがいいんじゃないですか」

「いえそうじゃなくて。だからね、私、今のままでいいの? セアラ様は伯爵令嬢に戻れなくてもいいの? 貴族なのに」

「公爵はなんと?」

「アーサーは。何も知らないから、いまだに」

「ほう。それはまたうまく騙しおおせたものだ、一年も。いったいどうやったのやら。

 そうですね……唖然としたくないなら、自分の心の平穏を望むなら、セアラのことはもうそっとしておくことを薦めますよ。素知らぬ顔をしていなさい」

「はあ……」


 どういうアドバイスだ。何があったんだ、セアラ様。伯爵との間に。この人どう見ても攻略されていないし。落されていない。

 じゃあセアラ様はいったい誰を攻略しているんだろう? 皇太子もドS医師もホームズも違ったみたいだし、伯爵も執事も違うみたいだし。あとは……。


 私が思案すすめる暇もなく、伯爵が思い出したように付け加えた。

 

「そういえば、ひとつだけ確認したいことが。僕にあの手紙を送ったのは君ですか」

「え? あ、あのことですか。ターナー侯爵夫人のお茶会」


 実はお茶会の前日ギリギリになって、やっとアグネスとして外出するチャンスを得た。お茶会そのものに「行かない」という選択肢はえらべなかったものの、せめて他の誰かに暗殺の陰謀を明かしておきたかった。セアラ様が動いているはずとはいえ、全容を知らせておくに越したことはないと思って。


 だからギリギリになって、知っている全てをしたためて手紙で送ってみた。ヴィクトリア朝ロンドンの郵便配達は、届くのがネット通販並みに早いというのは本当だったようだ。どうやら教授の手で破棄されることもなく、無事伯爵に届いたみたい。


「見事阻止したそうではないですか?」

「はい、まあ、警察とドクター・ワトソンがですけど。読んでいただけたんですね」

「ミスター・ホームズに通報したのは僕です。良かったですよ、手紙がなければノーマークでした。まさか皇太子が狙われるとは思っていなかったので、別方面の警護を強化していたところだそうです。君のお陰と言えなくはないと、僕も認めるにやぶさかではありません。そうですね、君が反省したというのも一応信用してあげようじゃありませんか」

「え」


 それも放置してたの!?と、ゲーム主人公のやる気のなさに、私も目が点になった。




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