19.秘密の公爵閣下
19.秘密の公爵閣下
「この前、グリーナウェイ卿の舞踏会で会った女性。覚えているだろうか、僕が『その話はまたいつか』と言っていた人。
実は、あれは僕の母なんだ。今まで紹介もしなくて悪かったが」
うん、それはもうわかってるんだけど。
母親似の黒髪を持つ公爵閣下は、そんな語り出しで己の身の上話を始めた。
先代のゲインズバラ公爵は、最初の夫人との間に二人の息子を持ったが、不運なことにその嫡男も予備も早世してしまう。そして前妻の死後、すでに老域に入りかけていた先代公爵は、親子ほども歳の離れた女を後添えに迎える。爵位と領地の相続人――新たな後継者を得るためだけに。
「母の言い分しか知らないが。父は母を、子どもを産むためだけの道具としか見ていなかったそうだ」
不仲は最初から。
爵位と財産で買われた若い妻は老齢の夫を嫌い、夫は、子どもを得るためだけに財産で買った妻を見下した。
「でも……その、肝心の子どもがなかなか産まれない。産まれても長生きできない」
不妊はすべて女性の責任、と見なされていた時代のこと。ましてや、そのためだけに迎えられた先代公妃にかけられたプレッシャーなど、計り知れない。
「否定してもしようがないから話すが、母は父を憎んでいる。生涯で一番。だから」
復讐のため。憎い老公爵への復讐のため、若い公妃は他の男と関係を持った。密やかに。
やがて無事に産まれた男の子がひとり、その子は健康で、すくすくと育った。息子が物ごころつく頃には老公爵が病に倒れ、そしてついに、生き残っている末息子に全てを残し神の御許に召されてしまう。
「それが僕」
アーサーの言い様は、そこだけはあっけらかんとしていた。
「……それってつまり?」
偽者妻になんて秘密を明かしてくれるのだろうと思う。
「僕は母の浮気相手の子どもってこと。母本人が言うんだから本当なんだろう」
そんな簡単に認めるな! 重大なことなんだから。重い、重いぞアーサー。
頭痛をこらえる私は、美魔女の笑みを思い出す。あの人、よくもあんな堂々と「義務を果たした」って言えたもんだな。同じ女として気持ちはわからないでもないけど、でも。
だから紫の未亡人は、あんなことを言ったのか。「破滅したいの」と。
「ばれたら大変じゃないの! 公爵やめさせられちゃう」
「いやあ。なかなかやめられるものでもないっていうか。何より父は、先代は亡くなっている。先代公爵が嫡出子として認めている以上、簡単には覆らないね。それこそ母が訴えでもしない限り」
「……そうなったらどうなるの?」
「知ってるだろう、僕の推定相続人。又従弟のトマス。あいつのところに行くだけだ、全部。だけど母のほうでも、そう簡単に公爵の生母という地位を手放すつもりなんかないんだ。そんなに心配はしていない」
重い事実に対し、アーサー本人が呆れるほど軽い。それでいいのか。
でも……ということは。問題は何なのか。
「もしかしてあなたは、子、子どもを……?」
英国貴族の継承法では、アーサーに息子が産まれれば、その子が相続人として最上位の権利を持つ。このまま真実が暴露されなければそうなる。
だけどその、推定相続人とやらに爵位を譲りたければ。正統な権利を持つ人へ返そうとするなら。そのためには、出生に疑問のある自分に子どもがいては困ると、アーサーは思っているのだろう。
それで仮面夫婦か。やっとわかった、と私はそう思った。
ただのメイドが抱えるには重すぎる秘密だけど、これでアーサーが、私を避ける理由は理解できた。だったら最初から結婚なんか考えなければよかったのに、変なの。これを聞かされたのが本物のセアラ様だったら、大変じゃないの。そういうことは先に言っとかないと。
「わかったわ。子どもを望んではいけないのね」
しょうがないな。本物のセアラ様が現れたら、このことは私から話しておこう。そして、どうするか本人に決めてもらうしかない。
そして、もし。もしもセアラ様が、そんな夫は嫌だと言ったら。その時は。
「よく話してくれたと思うの。大丈夫、(本物以外の)誰にも言わないわ」
何を企んでいるんだろう、私。
椅子にかけたアーサーの前にしゃがみこみ、手を取った。冷たい。
「あなたが、その、ずっと私に、よそよそしかった理由はよくわかった。理解もしたつもり。私はそれでも」
本当は悪役メイドである私とは、違い過ぎる身分の人。偽者の私が、彼にこんなことを伝えても無駄なんだろうけど。何がどう変わるわけでもないんだろうけど。でも。
「もし、それでも私が」
「……」
見上げたアーサーの表情はわからない。何を考えているのか。でも、歓迎する様子もない。見つめ合っていても、あの時とは何かが違う。
そりゃそうか。だってこの人、男しか愛せない――。
「だめだ」
思いのほか強い力で振りほどかれた手。私はショックで口もきけない。
「そんな風に見ないでくれ。よ、夜中に、二人きりなんだぞ」
「……」
「それに。セアラ、まだ肝心なことを言ってない」
椅子から立ち上がり、逃げるように背を向けた。
「言ったら君も離婚したいと言うに決まっている。無理もない、僕が悪いんだ。よりによって君を選んだから。非はこっちにある。条件はなんでものむし、なんだったら結婚自体の無効を訴えても通る、今のままなら」
懸命にそんなことを訴えてくる。
「よりによって」? そんなにまで私が気に入らなかったんだ、この人。なんてきつい。
「……とにかく。なるべく早く別居しよう。こんな風に夜、顔を合わせるのは困るんだ。腕もほとんど治ってしまったし」
「ひどい」
そこまで言わなくてもいいのに。
振られるだけでもひどいのに、どうしてそこまで言われないといけないのだろう。乙女ぶるつもりはなくても、やさぐれた昭和生まれの独女OLでも、そろそろ限界だ。
何年ぶりだろう、失恋で泣くなんて。馬鹿みたい……ううん、元々馬鹿なんだけど。こんな気持ちを抱いたりしなければよかったのに。
もう優しく慰めてはくれないアーサーは、私の言葉に深くうなずいた。
「確かにひどい。セアラ、母が浮気相手に選んだのはみんな貴族だ。君の亡き父上もそこに含まれる。そして、ちょうど僕ができたくらいに関係していたのがホルボーン伯爵なんだそうだ」
ちょい待ち。え、それは。
「僕らは母親違いの兄妹だ、と僕の母は主張している。そういうわけで、離婚しないか」
ははあ。なるほど。
「夫婦揃って」破滅だ。兄妹で結婚。ない。(後継ぎ作った後なら)ある程度の不倫浮気は黙認される上流貴族でも、それはない。いくらなんでも禁忌過ぎる。うん、確かにひどい。
それはもちろん、私が本物のホルボーン伯爵令嬢レディ・セアラだった場合なんだけどね……。




