14.ダウィジャー・イン・モーヴ
14.ダウィジャー・イン・モーヴ
自らの死亡フラグを完遂させてしまったらしい偽者公妃。いまここ。
(どうしよう、どうしよう)
馬鹿だ。やっぱり死にに来たとしか思えないぞ自分。大丈夫か。
くらくらする私の視界の隅では、楽器を抱えた青年たちがテラスに入って来て、器楽四重奏をはじめていた。あれはただの余興、というか恐らく今日のメインイベントの前座に過ぎないんだろうけど。
「あら……あら! 音楽が始まりましたわ。少しそばで聞いてこようかしら」
「公妃? お待ちになって、わたくしも参りますわ」
思わず逃げようとしたけど、ついて来られた。くそう。あの「台詞」を言うってことは、キャロラインは現時点で全てを知っているに違いない。主人公側についているってこと。万事休すじゃないか。
その上。
「ゲインズバラ公妃。本日はよくいらしてくださいましたわね。レディ・キャロラインもようこそ、お会いできてうれしいわ」
お茶会の主催者がテラスに出てきた。くすんだ金色のドレスを着たターナー侯爵夫人は、歓迎のほほえみを浮かべて私のそばによって来た。
「えと、その。素敵なお茶会ですわね。それにお天気にも恵まれて」
「でしょう? 本当、お天気だけはどうにもなりませんものね。大事なお客様を招いての会ですもの、最高のものにしなくては。ねえ?」
「ええ。そういえばレディ・ターナー、今日はなにやら大事な発表もあると耳に挟んだのですけれど。本当かしら?」
「あら、レディ・キャロラインったら。いったいどなたがあなたのお耳に入れたのかしらね。ええ、でもそれはまだお楽しみにしておいてくださいな、もう少しの辛抱ですわ」
あらあらうふふ、とふわふわした様子で語り合う貴婦人ふたりだけど。
(は、挟まれた)
わざとなのかどうなのか、私は優雅に話すこの二人のレディに左右を挟まれていた。キャロラインが寄って来て、さりげなく私の腕を取った。逃げられない。
冷や汗が背中をつたう。
(まずい。このままセアラ様の前まで引っ立てられる!? わわわ)
怖かった。その後に待ち受ける凄惨な末路もだけど、出そろった紳士淑女の前でみじめに正体をさらされるのもまた辛い。いたたまれない。主を裏切った恐ろしいメイドであり、身の程知らずな夢をみた女として裁かれるのだから。
(ごめん、アーサー)
しかも私だけじゃない。何も気づかず、偽者を妻として娶ったアーサーもただじゃ済まないだろう。醜聞だ。こんな公衆の面前で暴かれては、もみ消しようもない。せめてと思ってここから遠ざけたあのボンクラに、もう一度心の中で謝る。
すると。
「ごきげんよう。レディ・ターナー、いえ、レイチェル。なかなか盛況ではなくって?」
「……テレサ!」
別方向から、予想もしない人が現れる。その人には、ターナー侯爵夫人まで驚きを隠せなかった。
「どうしてここに」
「来て悪かったかしら? でも招待されてもいないのに押しかけるのは、わたくしの昔からの得意でしょう。それにイギリスに滞在中なのをまだ知らせていないような気がして。問題があるようなら今すぐ退散しましてよ」
「……いいえ、テレサ。あなたを追い返すなんてできるはずないでしょう」
「あらそう? レイチェル、今度から招かれざる客、でも追い払うには難しい客について執事にちゃんと指示しておきなさいね。でないとこういうことになるの。さて」
いきなり現れて、その上しごく自由な態度でターナー侯爵夫人をあっさり食ってしまった人。
紫色のドレスの貴婦人は、今日もあでやかな美貌が健在だ。
紫の美魔女は、左右を挟まれていた私の腕を、キャロラインからやんわり奪う。
「この娘借りるわ。いいわよね、レイチェル?」
「え、でも。……テレサ、それはちょっと」
「何か問題があるの? ではごめんなさいと謝っておきましょう。そちらのかわいらしいレディも、挨拶はまた今度にさせていただくわ」
キャロラインには軽く腰をかがめて挨拶し、紫の美魔女は私を連れ去った。強引に、かつマイペースに。
ターナー侯爵夫人はともかく、キャロラインも美魔女を知らないのか、「あの方はどなた?」尋ねているのが最後に聞こえた。
「ダウィジャー・ダッチェス!? あの人が?」
そんな声も。
*
さて。
「便利ね。ロンドンでは誰だってわたくしを歓迎しないけれど、誰も追い返せないのよ、表立っては」
「……」
「普段はパリにいるの。いいところよ、こことは違って他人のことにとやかく言わないから。どこかの高貴な御方のように、いつまでも喪に服してるなんて馬鹿げてると思わない? 晴れて自由な身になったんですもの、これからを楽しまないと」
言葉通り、楽しんで生きているかのような紫の美魔女は、私の腕をとったまま、ひとけのない東屋へと入っていく。
「あなたにはまだわからないでしょうけれど。未亡人って素敵よ。どこへ顔を出そうが自由だし、お目付役なんか連れて歩く必要もないし、慈善家を気取って時間と魂すり減らすこともないし。
でも何より最高なのは、夫という名の障害物がいなくなったことだわ」
私よりも少し背の高い美魔女は、しゃべり続けた口を一度閉じて、ずっと浮かべていたほほえみを消した。こちらに冷たい視線をよこす。
「わかるわよね? わたくしがそれだけ自由でいるのを許されているのは、義務を果たしたから。あなたは違う」
「あの」
「わたくしの息子に後継者を与えるのがあなたの義務。まだ果たしていないようだけれど」
……。えっと。確認させて下さい。
「……先代公妃(dowager duchess)でいらっしゃる? アーサーのお母上」
「そうよ。改めてだけど、初めましてと言わせてもらうわ、セアラ」
ちょっと待って。
改めて相手をよく見る。確かに美人だけれど、日差しの下では小じわの入ったお肌が化粧を通して見て取れる。その誤差を考えると予想よりプラス十歳か十五というところ、なるほどあれだけ育った息子がいてもおかしくない年齢だ。
「でも……結婚式にもいらっしゃらなかったような」
そうだ。おかしい。
この人、結婚式には出席していなかった。息子の結婚式にも来ない母親なんているか? いくら遠くに住んでいるからって。それに、アーサーの母親が存命しているなんて、周囲は誰も話題にのせない。両親とも亡くなったとばかり思っていた私は間違っていないと思う。
「ああ。だって呼ばれなかったんですもの。本当ならアーサーから紹介しに来るべきなのにね? あの子の不出来は母親のわたくしの責任とも言えるから、こちらから息子の嫁にわざわざ会いに来てあげたのよ。感謝なさいな」
「そ、それはそうですけど。……ご挨拶が遅れて失礼いたしました、が」
よろしくお願いします、とか言う前に今の立場を思い出す。これからよろしくされても困るんだった。色々手遅れだし、人違いだし。
「いいわ、許してあげてよ。それで今日はアーサーは」
「き、来てません」
「あらそうなの。ならあなたからでいいわ、あの子に伝えてちょうだい」
紫の美魔女あらため、とうの昔に黒装束――mourning dressを脱いだ先代公爵の未亡人は、こちらに顔を寄せてささやいた。とても低い声で。
「わたくしの言葉のまま伝えてなさいね。
『年金の増額を認めなさい。娶ったばかりの妻もろとも、破滅したいの?』。……って」
ぞっと、悪寒が走った。
声に含まれた感情――呪詛のような響きがあまりに強くて。
だけど、身を離した先代公妃は、うって変わって明るかった。遠慮のない態度でこちらの頬に手を添えて、親しげにほほえみかける。
「かわいいセアラ。わたくしはあなたが好きよ、気に入ってるわ。アーサーはとても良い相手を選んだって、会う前から思っていたのよ。そう、最初からね。
孫の顔を見るのを楽しみにしているわ。また会いましょう、セアラ」
用は終わったから帰るわね――と、そう言って去った。紫色の強烈な残像が、目の中でちらちらする。
私はしばらく立ち尽くす。
「……おしゅうとめさん?」
愛人じゃなくてお母さんだった。あの美魔女がアーサーの母親。紫の未亡人――ダウィジャー・イン・モーヴ。義母。えらい勘違いをしていたものだけど。
(こわっ! え、なんか怖いんだけどあの人。なんで?)
母親を「あの人」呼ばわりして結婚式にも呼ばず、まともに紹介もしないアーサーもアーサーだけど、あの姑も何かおかしい。さっきの、破滅させてやる宣言はなんなんだ。息子に対する言葉だろうか、あれが。
変な毒気があって、魔女というのは間違ってない気がした。私までそれに当てられた。
よくわからないけれど、そうとう仲が悪い親子なのは確かだ。
「なるほど……」
愛人がいるらしい、というのは世慣れぬ令嬢方のうわさ話を耳に挟んで判断したこと。一定以上の年齢の人がそう話しているのは聞いたことがない。もしかして、私のように先代公妃の顔を知らない誰かが、あの親子が一緒にいるのを目撃して勘違いしたのが原因ではないか。
あれ。ということは。
「え。じゃあまさか、本当に」
夫婦のセックスレスの原因も、愛人じゃないってことか。
ということは、やっぱり他に何か――つまり特殊な性癖を持っているんじゃないか? アーサーは。
「乙女ゲームの攻略対象が……男に走っちゃだめだろ」
乙女ゲームの攻略キャラがBLルートへ走るなんてあり得ない。攻略対象同士のBLルートとかありそうだし、喜ぶ層もいそうだけど。でもやっぱり意味がないし、私は見たことない。
なるほど。だからあの人、攻略対象になれないんだね。やっと納得した。




