13.裏切り者の末路は?
13.裏切り者の末路は?
雨が降らないだろうかと、期待して見上げた空は。
「なんていいお天気……!」
「ええ、奥様。天気もよく空気もさわやかで、お茶会日和ですわ。変わらないといいですわね」
朝一番、開け放った窓から見えた空は、ロンドンには珍しく晴れ渡っていた。名物の霧がない。ここ数日気温が高かったので、街でも暖炉があまり使われなかったのだろう。
露出の少ない午前中ドレス、それと帽子と手袋できちんと正装した。そして、何故か表情の暗いアーサーと共に、夫婦そろって教会に向かう。教会では日曜の礼拝と牧師による説教がある。
その後、教会の広間でほかの貴族仲間とのんべんだらりと語り合う段になって。
「具合でもお悪いの?」
「そんなことはないけれど」
普段よりもずっと無口なアーサーが大きな溜息をついた。ほぼうなだれたように。
そこで、私も同じように大きく息をついた。しょうがない。
「わかりました」
「え?」
「あなたはいらっしゃらなくていいです。今日の午後はご自由になさって」
公爵閣下のゆううつの理由はわかっている。私も同じ理由で気が重い。例えるなら自分の死亡フラグが立ってしまったぐらい……というか。
(ぜんぜん例えになってないな。だって今日はあの『お茶会』なんだし)
いよいよ来てしまった、悪役メイド・アグネスの最期の時。壮絶な死亡イベントの日だ。
もちろん大人しく死ぬつもりはない。自分が死ぬとわかっていて、抗わずにいるほど悟りを開いてはいない。でも。
「気が進まないのでしょう、レディ・ターナーのお茶会が。いいわ、私だけで行ってきます」
「いやでも、僕らセットで誘われたたんじゃないのか」
「ご心配なさらないで。……私さえ行けば先方も納得されます。お茶会なんて、女同士の付き合いのためのものですもの、むしろ殿方は遠慮したほうがよろしいわ。どんなおしゃべりに付き合わされるか、わかったものじゃなくてよ」
「そうなのか? でもさすがに」
「いいから。ほら、自然史博物館へ行きたいって言っていたでしょう。せっかくの休日なんですもの、いらっしゃれば。実を言うと、そのほうが私も他の方々とのびのびしゃべっていられるわ。あなたをお待たせしてるって、気がねしなくて済むじゃない?」
本気で気の進まなかったらしいボンクラ公爵は、私のこの必死の説得に、最終的にはうなずいた。ほっと明るい表情で。うん、言いくるめられちゃうあたりがやっぱりこの人だ。
私だって行きたくないけれど、「教授」の見張りがついていて、もう勝手な行動を取れない。逃げても無駄だと脅された。だけどどうしても行かずに済ませられないなら、ひとつだけ希望したかった。
できればアーサーには、その場にいてほしくない。それが私の希望。
だから、だまくらかしてでも私はひとり、自分の死亡イベントへ行くと決めた。
安堵して、見ちがえるほど明るくなったアーサーにもうひとこと。
「ごめんなさい」
「何が?」
わけがわかっていない。今でもちっとも疑っていない様子のアーサーは、いきなり謝られてぽかんとしていた。何を謝られたのか、通じていない。それでもいい。
(もう会うこともないだろうから。謝っておかないと)
私がテムズ河ドボンを回避できるかできないに関わらず、これを最後に、本当に二度と会うことはないだろう、この年上好きのボンクラ公爵とは。
後になってからでいい。何を謝ったのか、いつか理解してくれますように。微妙なところだけど。
*
朝から続く好天気。お陰で、ターナー侯爵夫人の催しは、予定変更なく行われることになったらしい。
社交界のうわさ話やら使用人に探らせた侯爵邸の情報(仕入れた資材、雇われた余興の種類)から、私なりに推理したところによると。たぶん、邸宅の庭を使ってのガーデンパーティが、今回開かれるお茶会の形式のはず。
メイフェアにある背の高いバロック風の建物の玄関階段は、すでに縞の日除け、深紅の絨毯、温室植物の鉢で飾られていた。私はマークされていたらしく、前に止めた馬車から下りるとすぐ執事らしき男性が近寄ってきた。
取り次がれ、邸宅の廊下を進む。するとやっぱり予想の通り、いったん入った屋内からまた外へ出る。春の日差しの中へと。
「まあ。素敵ね」
「おそれいります。本日は特別なご用意をさせていただきました。どうぞご自由に、お好きな場所にておくつろぎくださいませ。皆さまおそろいになりましたなら、余興が始まります予定です。
お供のかたはこちらへどうぞ、待機場所にご案内いたしましょう」
大都市のど真ん中とは思えないほど広い庭だ。テラスの向こうには綺麗な萌黄色の芝生が広がり、さらに向こうには東屋や薔薇園、迷路らしきものが見える。そして、テラスにも芝の広場にもいくつかのテーブルが置かれ、お茶やお菓子の用意がされていた。庭木の葉が緩い風でちらちらと動き、その上に気まぐれな影を落とす。
すでに招待客らしき紳士淑女の姿が何人もいた。東屋にも人が集まっているところを見ると、そこにも何か用意されているようだ。
どうしたものかとテラスにつっ立っていたら。
「ゲインズバラ公妃でなくって? ごきげんよう」
「……! レディ・キャロライン。こ、こんにちは、もうお出でだったのですね」
出た! またまた出てきたVTの主要登場人物、「レディ・キャロライン」だ。
登場したのは、明るい青リンゴ色のドレスを着た十代後半のご令嬢。綺麗な金髪に羽飾りのついた大きな帽子をかぶり、レースの手袋をはめた手で上品に口元を隠している。大きな碧眼としみひとつない白い肌に恵まれた彼女は、公爵令嬢であり王室にも連なる血筋で、ついでに聡明で明るく社交的、ロンドンの社交界の華とも呼ばれる美少女だ。
この、よくよく豪華な設定を盛り込まれたキャラが、レディ・キャロライン。
ようするに主人公のライバル令嬢役、ということ。
悪役にはメイドのアグネスがいるけれど、ゲーム内での登場シーンは少ない。そのためライバル役が他にいて、うちのひとりがレディ・キャロラインだ。彼女は皇太子妃候補でもあるので、ゲーム主人公が少しでも「皇太子攻略ルート」にふれると必ず登場する。
(ということは)
確実に皇太子は出席する。セアラ様もたぶん一緒に。
「――公妃? どうなさったの?」
「えっ。いえ別に、失礼いたしました」
「おかしなかたね。今日はご夫君はどうなされたの? おひとり?」
「え、ええ。公爵はその、急病で。腸ねん転ですの」
病名は適当。腸ねん転ってなんだっけ。
私の返答にキャロラインはいぶかしげな目をしたけれど、結局は微笑んで言葉を続けた。
「それはお気の毒に。ね、だったらこちらにいらっしゃいな。わたくしたちのテーブルのお仲間になって? 今日は自由に席について構わないそうよ」
「あのでも、私既婚ですけど。お若いお嬢様がたにはお邪魔になるのでは」
「何をおっしゃるの、まだ結婚して一年にもならないでしょう? ……それにしても変わったご衣裳ね、あなた」
私のドレスへと、あからさまに馬鹿にした視線を向けるキャロライン。
ライバル令嬢に連れて行かれたのは、芝の広場で一番大きな長テーブル。いくつかのグループで分け合って使っているらしいが、キャロラインが私を連れて行ったのは、彼女の取り巻きに囲まれた席だった。白やピンクや花柄の、春らしいドレスの令嬢たちに。
(ぎゃっ。針のむしろ)
なにしろ偽者貴婦人、こうして本物の貴族令嬢に囲まれると辛いものがある。自分たちの会話に夢中だった令嬢のひとりが、さっそく話しかけてきた。
「聞いてくださいな公妃。ドロシーったら、年収八万ポンド以下の男性は、結婚を考える価値もないなんて言うんですよ」
「あらフィリス、わたしは間違ってないわよ。今より生活の水準を落とすなんて無理だもの。だって馬車のない生活なんて考えられて? それに公妃ならわたしに賛成してくださるに決まってるわ。ねえ?」
「は、はあ。それはまあ、お金はあるにこしたことは」
そりゃそうだけど。身のふたもない。ヴィクトリア朝の令嬢もなかなかシビアだ。
「ほーらね。わたしが正しい」
「でも……申し込まれてもいないうちから断るわけ?」
「何言ってるの、申し込まれてないなら候補にも入らないでしょう」
「そんなこと言って。ドロシー、このあいだの舞踏会で踊っていた人、あの時はあんなに楽しそうだったのに、家に来たら居留守つかったそうじゃない?」
「ええ。財産はぜんぶ彼のお兄さんの物だそうだから」
「本人のことは少しも好きにならなかったの? 恋は?」
「ただ一晩踊っただけよ」
「相手の人がかわいそう」
「もてあそんだみたいに言わないで。お互いさまよ、殿方だって持参金目当てなんだから。本気で心を動かしては負けなのよ。フィリス、あなたのほうが心配だわ。ロマンスより現実見なさい」
耳はシビアな会話に向けていたけれど、そのとき私の目は、全く別のものを見ていた。
(あれって……まさか)
木陰の落ちる庭内をそぞろ歩く紳士淑女。その中に、知人の姿を見つけた気がした。ここにいるはずのない人を。
「――あなたは幸運でしたわよね、公妃?」
「え? あ、はい」
一瞬別のところに気を取られたけど、横にいたキャロラインに話しかけられ、私は引き戻された。
華やかな美貌のライバル令嬢は、なぜだか楽しげに話す。
「あなたの嫁ぎ先はゲインズバラ公爵家ですもの、良縁に恵まれておいでだわ」
「……ええ、本当に。もったいないくらい」
「実はわたくしもね、そろそろ捕まえられてもよい頃合いだと思っているの。それはもちろん、この国で最高に素敵な殿方になら、だけど」
「まあ。ではお噂どおりのあのかたと?」
「まだ内緒ですわ。でもおそらくそうなるでしょう」
どういう状況なのかわからないけれど、今日のイベントの時点でキャロラインが皇太子を諦めていないってことは、主人公は他の攻略ルートを進んでいる可能性が高い。
「それでね、お先に嫁がれた公妃にひとつお尋ねしたいことが」
「なんでしょう」
「結婚したらレディーズメイドを置けるでしょう、それが楽しみなの。フランス人で、最高のファッションセンスを持つ者にするつもりよ。連れて歩いても恥ずかしくないような容姿で、でも性格は控えめなほうがいいわ。選ぶポイントをご教示いただけない?」
「……」
待って。なにその質問。
「ねえ。実際に使ってみていかが? 役に立つ?」
「……それはもちろん。よく仕えてくれています」
「良い者を雇われたのね。じゃあもうひとつ質問が」
恐ろしい予感。だめ。訊かないで。その質問はだめ。
だけどこちらの内心の懇願などには素知らぬ顔するキャロラインは、とても楽しそうに笑いながら続けた。
「では……例えばね、もしもご自分のメイドに裏切られたら、あなたならどうなさる? そんなメイドがいたとしたら、その女はどうなるべきかしら。
ねえ、ゲインズバラ公妃。主を裏切って、その名前も立場も身分も、全てを奪ったレディーズメイドには、どんな罰が与えられるべきだと思う?」
やられた。
まさしく、ゲーム主人公を、伯爵令嬢セアラ様を裏切った悪役メイドである私は。
この質問をされた私は、こう答えるしかないのだ。
「まあ。そんな薄汚い裏切り者は、燃える樽の中にでも押し込んで、テムズ河にでも捨てておしまいになればいいのに」
この台詞でフラグが完成した。そこまでされるのかというぐらいに酷い罰、だけど他ならぬ自分が言った通りの末路が、悪役メイドに与えられる。正確には馬車に押し込まれるんだけど。




