12.戻りたくない本編・ムッシュの正体
12.戻りたくない本編・ムッシュの正体
「レノルズ。遅くなったけれど、晩餐会の席次表ができたの」
その朝一番、公妃は執事と席次表の点検をする。採点といったほうが正しい。
「おそれながら奥様。このD卿とB卿の席次は逆になさるのがよろしいかと。何故かと申しますと……」
熟練のおじいちゃん執事はその長い経験から得た社交界の情報を使って、男性客同士の身分、力関係、政界での立ち位置を計算し、優先順位を考えてくれる。そこに、私が去年からこつこつ集めた情報による女性客たちの関係相関図を加えれば、最適な席次表ができあがる。
今夜は正式な晩餐会だ。ここ、公爵家のタウンハウスでの。
ずっと前から招待状を出し、計画していた「公妃」としての仕事。お陰でここ数日は、主催者の妻として料理のメニュー選びや食器・リネン類の選別、席次表の作成やらに追われていた。有閑夫人も楽じゃない。
夕刻、自分の支度を終えてから食堂をのぞくと、銀器やお皿にグラス類、きれいな扇形に折られたナフキンやお花まで、完璧なテーブルセッティングが整っていた。さっきまでメイドたちが戦場のように騒いでがんばっていたものだが、すでに静けさが戻っている。その代わり今はキッチンが戦場になっているはず。
大人数での晩餐会の主催など初めてだ。この今の、私が味わっている緊張感。いっそ逃げ出したいくらいだといえば伝わるのだろうか。うう、胃が変になりそう。やだな。
しかし公爵本人はのんきなもので、「僕は邪魔になるみたいだから」などと言って午後から外出してしまったという体たらく。確かに邪魔は邪魔だったけど。
でもあのボンクラ、準備ができたというのにまだ帰ってこない。客たちが到着するまでに帰ってくるのかしらと、心配になった私は玄関ホールに下りていった。
ふと、鏡に映った自分の姿が目に入る。公爵邸で、髪にダイヤモンドのティアラをつけて貴婦人のドレスをまとい、使用人に指示を出し、晩餐会を仕切る女がいた。
ここにいるのは公妃だ。自身も生粋の貴族として生まれた、ゲインズバラ公爵夫人。はたから見る人にはそう映る。
でも内実は違う。本来の私は由緒正しい伯爵家の娘ではない。その上アーサーの妻でもない、心身ともに。
舞踏会での出来事を思い出す。
あの死亡フラグ以来、何度も考えた。思わず取り乱してしまったとはいえ、いつかは降りかかるものだと覚悟していた。死亡イベントへの招待を。私の死亡イベントは同時にVT内での最大の陰謀の舞台でもあるため、それに向けて用意だってしていた。
決めたはずだ。ロットン・ロウでの再会に失敗したとき。陰謀を阻止するために、動いているはずのゲーム主人公セアラ様。彼女のために、自分にできる限りの協力をしようって。
「……」
でも。閉じられた玄関のドアを見る。私は今、あそこを開けて逃げてしまいたいと思っている。きらびやかなイヴニングドレスのまま。
いっそすべて投げ出せたら、どれだけ楽になるかと想像している。外はどしゃぶりの雨だけど、飛び出して行けたら。
それなのに。
「奥様。閣下がお戻りになられたようです」
「……ええ、そうね。よかった」
時間切れ。外にある車寄せから、ひづめと車輪の音がした。レノルズがドアを開けて、屋敷の主人を迎え入れる。
「いや、すごい雨だった。間に合ったかな?」
「ええ、危ないところで。もうお帰りにならないのかと思いました」
「まさかそんな、本気で逃げ出すはずないだろう。ははは」
そらぞらしく笑うアーサーは、一度ならず考えたに違いない。手に負えない。
でも、私が待っていたのは、本当はこいつじゃない。
「ようこそ、ムッシュ・ヴェルネ。お越しいただきありがとう」
「良い夜ですな、公妃様。こちらこそお招きいただき光栄のきわみ」
「楽しんでいらしてね……存分に」
クラブに顔を出していたアーサーは、ついでに招待客のひとりを拾ってきた。
招待客のひとり、ムッシュ・ヴェルネ。ポスト“シャーロック・ホームズ”の変装姿。私が今夜、待っていた人でもある。
*
長いテーブルの端の席についた私は、晩餐会の客たちが活発に話題を交わすのをほっと安堵しながら見守る。席次がうまくいった証拠だ。
向かいの席にいる公爵も平常運転ではなく、隣席の貴婦人の相手を必死につとめていた。たぶん、相手の話をにこやかに聞き、「そうですね」「おっしゃるとおり」だけを繰り返しているんだろうけど。
結局、紫の美魔女についてあの人とは何も話していない。会話は事務的なことばかり。だって、やっぱり私が聞くべき話じゃないし。美魔女が何者だろうが、アーサーがどんな性癖もっていようが、それを知ってどうにかするのは本物のセアラ様だ。
(私には、問い詰める権利なんてないもの)
そう、だって私は“偽者”なんだから。
晩餐会は無事に、デザートのシャンパン・シャーベットまで終わった。私は頃合いを見て立ち上がると、席についた貴婦人たちに呼びかける。にっこり笑って。
「淑女の皆さまがた、先に応接間に参りましょう。殿方を自由にしてさしあげなくては、しばしの間」
晩餐会の後、殿方と淑女はしばし行動を別にする。食堂に残された男性客は葉巻を吸い、ポートワインを楽しむ。応接間に移動した女性客は女同士のおしゃべりを楽しむ。それがこういう場での正式な流れだそうだ。
でも最終的には男性客も応接間で合流するので、分けられる意味が私にはわからない。たぶんだけど、男は葉巻吸いながら晩餐会の首尾でも話しているんだろう、合コン後の反省会みたいに。
冗談はさておき、男性客が戻った後は、余興にカードゲームをすることになっていた。応接間から別室に移り、何人かの組に別れカードテーブルにつく。私を含めた何人かの貴婦人たちは見物に専念することにし、テーブル間を歩き回る。
「調子はいかが? アーサー」
「……うん。まあまあ」
晩餐の開始からかなり時間が経過し、立派に整えられていたはずの公爵の身なりが乱れてはじめていた。そんなアーサーに調子を尋ねると、自分の手元を見ながら歯切れの悪い返事をよこす。
「がんばって」
「おや、公妃。ご夫君に声援ですかな。仲がおよろしい」
「もちろんですわ」
同じテーブルについていた紳士がひやかすのを軽くあしらう。アーサーは聞いてないけれど。だって。
「そうだセアラ。さっきクラブで聞いたんだけど、電灯ついてる家があるんだってさ。アームストロングって人のところ。知ってた?」
こちらを振り向いて、こんな話を始めるのだから。唐突にもほどがある。
「この家もそうしないか、ガス灯なんかやめてさ。できればゲインズバラの家も」
「それはあなたのご自由になさったらいいですけれど。全部ですか?」
「うん。そうだ、田舎の家には温水ポンプも下水もちゃんとついてない部屋があったな。それも全部変えよう。君もきっと気にいる」
たしかにこの家はガス灯だ。ていうか、どんなに金持ちでも普通に電灯使っている家はほぼない。この時代はまだ。
しかし本当にどうしたんだろう。これまでにない、やる気を見せるアーサーは。
「やっぱり電気だよな、電気。これからの時代」
「ええ、そうでしょうとも。でもどこから電気を引っ張ってくるんです?」
現代人な私が抱く、素朴な疑問。コンセントも発電所もない時代、いったいどこから電気を持ってくるつもりなのか。
「……そういやそうだ。どこからだろう」
「そこから考えませんと」
VTって領地改革めいたこととかできたかしら、と私には別の疑問もわく。ま、やりたいなら勝手にすればいいけれど。私には関係のないことだ。
客たちがカードに熱中するようになった頃。状況をよく観察した私は、この場からしばらく姿が消えても問題ないことを確認した。
ある人のほうを見ると、向こうもこちらを気にしていた。その視線をとらえ、目配せする。そうして部屋を出た。そっと。ぽつぽつと灯りのともった廊下で待っていると、目配せした相手も出てくる。
近くにあった小部屋へと、そろって足を踏み入れた。そこでやっと名前を呼ぶ。
「……ムッシュ・ヴェルネ」
「どうも、公妃。――いや、アグネス・ジョーンズ。やっと本来の自分を思い出したのかね」
いきなり本名を呼ばれ、全身が硬直した。これは不意打ちだ。でも。
「てっきりもう忘れたのかと思ったぞ。裏切ったのかと」
は? なんのことだ。私はホームズを裏切ったことなんてないけど。本物のセアラ様はともかく。目の前のデブを凝視すると、相手ははっきりとした怒気をみせた。
「指示書を何通送ったと思う。どれもこれも無視しおって、いったい誰のお陰で公爵夫人を気取れているのか、わかっているのか。この偽者が」
「え、あの……あなたは」
飲み込めなかったけれど。「指示書」。「誰のお陰で公爵夫人に」。この怪しいフランス人、ムッシュ・ヴェルネの言葉に、恐ろしい予感がわく。
まさか。
「あなたはまさか、『教授』の」
「その通り。せっかく送りこんだ替え玉の公爵夫人が使い物にならないからと、わざわざ『教授』ご本人が私をよこしたのだ。あのかたをわずらわせた罪、軽いと思うなよ」
私はデブのフランス人から、無意識に一歩あとずさった。鋭い目でにらむムッシュから。
「教授」。その単語が決定的だ。
恐ろしい事実に、心底ふるえ上がった。なんという勘違い。このムッシュ・ヴェルネは、変装したホームズでもなんでもなく、それどころかもっと恐ろしい相手だ。
普通のレディーズメイドだった“アグネス”。伯爵令嬢レディ・セアラによく似た彼女を見つけ出し、貴婦人教育をほどこした上で、本物のところに送り込んだ者。そうしておいて、公爵との結婚式直前に、侍女と花嫁の入れ替わりを企んだ。
その陰謀の首謀者が「教授」。その呼び方、どうせホームズの敵役で最も有名なあのモリアーティ教授のパロディなんだろうけど。
(だめだ、今はそんなこと思い出してる場合じゃなーい!)
「聞いているのかアグネス。どう釈明する」
「……ちょっと、忙しかったもので。中々お返事できなかったというかなんというか」
ホームズじゃない上に、ろくな相手ではなかった。ずっと前からこちらに送りこまれていたらしい「教授」の使い。そんな男と向かい合う私は、突然の事態にパニックになる。しどろもどろだ。
「……いいか。『教授』が欲しているものをお前が提供しなければ」
「はい――はい。わかってます、ちゃんとやります」
もちろん内心では、もう「教授」の言いなりになるつもりなんかなかった。
ここが乙女ゲームVTの世界で、自分が自分じゃないと思い出した時から、こいつらの陰謀に手を貸すのはやめたのだ。普通の手紙をよそおった指示書が何通来ようと無視したし、私は従わなかった。
これからだってそうするつもりだった。きっぱり手を切って、むしろ逆に、陰謀を阻止するつもりでいた。ゲーム主人公やホームズに協力して。
だけど不意打ちでやって来た「教授」の使いに、なんの心の準備もしていなかった私は。
「……わかりました。なんとかして作ります、機会を」
「当然だ。お前、公妃などと呼ばれて偉そうにふんぞり返ってるようだが、誰のお陰でそうしていられるのか、忘れることは許んぞ。そんなものいつでも壊してやれるということをきっちり覚えておきたまえ」
この時の私には、なす術もなかった。




