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1.ヴィクトリアン・ティーパーティ。略して“VT”

1.ヴィクトリアン・ティーパーティ。略して“VT”



 『ヴィクトリアン・ティーパーティ~英国貴族の華麗なる秘め事』。


 こんなタイトルの乙女ゲームが存在したことを、覚えている人はいるんだろうか。たぶんいないと思う。私以外には。


 この古いゲームは、本格的な英国ヴィクトリアン貴族物を追求した乙女ゲームを、というテーマで作られたらしい。設定はまさしくそうで、19世紀末の英国上流社会を舞台にして、恋や陰謀が繰り広げられるシナリオになっている。主人公は由緒正しい伯爵家の令嬢で、攻略対象は英国皇太子を筆頭に、貴族や陸軍士官、医師に牧師に執事などが続く。果てはシャーロック・ホームズばりの名探偵まで出てくるあたりがいかにもイギリスっぽい。


 間違ってない。テーマを追うなら。


 でも少し本格的過ぎた。小難しい貴族のルールだの細かいイギリスの行事や文化など、誰がんなこと知っていますか、というようなうんちくを持っていないと攻略が不可能なのだ。目のつけどころは悪くないんだけど、案の定売れなかった。

 すると必然的にユーザーが少ない。少ないと攻略本も出ない。攻略サイトなんていう素敵なものが出回る以前の代物でもあった。


 そういうわけで、このゲームにドはまりした数少ない人間である私は、そりゃあもう苦労した。だって自力で攻略していくしかなかったんだから。地道にメモを取り、資料を調べ、ひたすらルートをたどる日々があった。だけど苦労がある分充実もしていた。このゲームに青春を捧げた。


 そのせいだろうか。


「思い……出した」

「ユア・グレイス? どうなさいましたか」

「グレ……あの、えと。あ、あなたこ、コリンズ? だよね」


 怪訝けげんな顔して尋ねてくれた金髪美人に対し、私は意味不明な言葉しか返せなかった。


「はい、わたくしコリンズですけど? 公妃様、お加減が優れないのでしたらおっしゃって下さいまし。仕立て屋を下がらせましょう」

「あのでも、ええと。いまって、来シーズンのドレスのデザイン決めてるところでした、いえ、だったような」

「ええ、夜会服に乗馬服に、午後用の普段着まですべて新調なさるご予定でいらっしゃいますもの。ですがそんなものどうとでもなります。――ミセス・ヒンギス、今日はこれで終わりにしましてよ。また呼びますわ」


 と、気の利く侍女(レディーズメイド)が仕立て屋に命じてくれる。何故かいきなり慌てだした私のために。

 いやだって、慌てもするでしょう。


 資料として集めたヴィクトリアン関連の本やビデオでしか見たことのない光景。えらく高い天井には神話を描いた天井画があり、壁はご先祖様とかの肖像画で埋め尽くされる。調度品はビロード張りに花を絹糸で刺繍した椅子に大理石の……もういい、めんどくさい。


 とにかく、写真か画面でしかお目にかかったことのないはずの世界がリアルに私の目の前にあるのだから。


「またいつもの、おつむりのご不調にございますか?」

「え……ええ。実はそうなの」

「まあ。ではお召し替えの支度を。お休みになりますわね」

「うん、いえ、コリンズ、任せたわ」


 どう対応したらいいのかとっさにわからなかったんだけど、メイドが全部いいように整えてくれた。着替えさせられ、持ってきてくれたミルクを飲まされ、ベッドに追い立てられる。


 そうしてやっと、私はひとりで物を考えられるようになった。さっき、なんて呼ばれた?


公爵夫人(ユア・グレイス)。または公妃。英国公爵の妃、つまりduchess。


「思い出した」


 さっきまでは何事もなく受け入れていたすべてに、激しい違和感を覚える。これは、これは、現実じゃない。私はごくごく平凡な日本のOLで、生まれは(大きく言いたくはないけど)昭和だ。趣味はこれまた平凡にゲームと読書で、その二つに人生捧げた独女だったはずじゃないか。


 それなのに。

 私はさっきまで、英国公爵の妻として何の違和感もなく生活していた。大勢の使用人に囲まれ、当然のようにかしずかれ、貴婦人としての優雅な毎日を謳歌していた。あの(・・)ゲームの中としか思えない世界で。


 そして――もっと恐ろしいことを思い出す。あのゲームの登場人物一覧。


「ええと、公妃、公爵夫人か。ていうとゲインズバラ公妃しかいないよね。じゃあまさか」


 その登場人物の詳細を思い浮かべ……気が遠くなった。


「どう転んでも、バッドエンドで死ぬじゃないか!!」


 つまりあれだ。


 私は、自分がかつて青春ささげた乙女ゲーム、『ヴィクトリアン・ティーパーティ~英国貴族の華麗なる秘め事』、略して“VT”に出てくる、バッドエンドで死ぬしかない悪役に生まれ変わったらしい。



 少し説明しておこう。ヴィクトリアン・ティーパーティっていう乙女ゲームを。


 まずは由緒正しい伯爵家の令嬢である主人公が、公爵家へと輿入れすることになったところからゲームの前段が語られる。しかし主人公は結婚式の直前、実家から連れてきた自分のレディーズメイド、つまり侍女によって陥れられ、立場をそっくり乗っ取られてしまうのだ。

 眠らされた主人公が目を覚ますと、そこは首都ロンドンのど真ん中。そのうえメイドの格好をさせられていた。途方に暮れた主人公を、通りがかった美形伯爵が助けくれて、そのままメイドとして働くことになる――。


 ゲーム場面はそこから始まる。メイドになった貴族令嬢が、そこから次々と出会うイケメンたちの助けを借りて、ヴィクトリア朝ロンドンを舞台に恋や冒険を繰り広げていくっていうストーリーだ。


 攻略対象は幅広く、派手で遊び人タイプな英国皇太子を筆頭に、毒舌美形伯爵、ドS医師、口説き魔な騎兵大尉、優しいおじさま執事、真面目牧師、幼馴染みの純朴見習い弁護士などがそろっている。ああ、口の悪いワイルド系で例の名探偵みたいなのもいた。私の一番お気に入りなんだけどね。


 攻略ルートはたくさんあるけれど、どこを選んでも主人公はイギリス王室の宮廷へと伺候する大筋になっていた。ゲームイベントをクリアすれば宮殿内でもどんどん出世できて、最後は皇太子妃や伯爵夫人になれば、まあそれで王道のエンディングかな。出世を極めて女官長になるっていうラストもあった。


 そして当然その過程で、最初に主人公を陥れた侍女も関わってくる。裏切り者の悪役メイドは主人公の代わりに公爵夫人に収まって、栄誉栄華を楽しんでいるんだけど――。


「……炎上する馬車に乗ったままテムズ河にどっぼーん……」


 という壮絶な最期が用意されているのだ。哀れ、侍女。ていうか。


「やばい! それ私だし」


 そう、私が生まれ変わった(?)のは、その侍女。主人公を押しのけて公爵夫人の座に収まった悪役メイドなのだ。そして思い出せる限りのシナリオでは、悪役メイドはどうあがいても死ぬ。テムズ河ドボンが発生しないルートはなかった。


 さらに思い出すと、そのイベント発生はもうまもなくだ。春にはロンドンの社交季節(シーズン)が本格的に始まる。悪役メイドと伯爵令嬢の入れ替わりが露見するのは、そのシーズン初頭の行事でのこと。


 そしてさっき、私はシーズンの準備のため、ドレスを新調しようとしていた。やばい。もうすぐってことじゃないか。


「なんとかしないと」




 偽物公妃に生まれ変わったらしい私は、自分の壮絶な死亡イベントを発生させないようがんばってみることにした。

 



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