蘇生
突然の爆発音に澄江さんは目覚めた。はて、何事かと思い、這ったまま部屋の出入り口から顔を出し、回廊を見る。
「あら、まあ」
澄江さんは、この日、何度目かの同じ言葉を呟く。その視線の先では、鎧に身を固めた武士を囲むように散開する6人の男女。男女はいずれも西洋風の甲冑に身を包み、三人が剣を、三人が弓を構えている。
「……」
異様な光景だった。6人組に囲まれながらも赤い武士は、両手を腰にあてたまま、何やら悪態をついている。刀は鞘に収めたままだ。
これに対し、6人組は回廊に広く散開しながら、武士との間にやや距離を保つように動いている。
澄江さんのような素人目にも、武士がまずい状況下にあるのが分る。武士の背後に回り込んだ三人の剣士に向かえば、背後から矢に貫かれ、弓を構える戦士に向かえば背後から剣が唸りを上げるだろう。
「地獄とはいえ、あまり感心しないね」
澄江さんは、立ち上がり回廊に出る。手には剣はおろか、盾すら持っていない。全くの手ぶらだ。
「ちょいと、お前さん達。なんだい、よってたかって多勢で一人相手に喧嘩って。そんな卑しい料簡だから地獄に落ちるんだよ、ったく!」
直参旗本の裔、神田上水掛樋の水を産湯に使った生粋の江戸っ子。
老婆の精神をもった筋肉の巨人は、自分より頭二つほど身長の低い一同をまるで近所の悪童を叱りつけるような心持ちで叱りつけはじめた。
「バーサーカー……」
突然現れた、巻き舌で喋り倒すバーサーカーの姿にサムライは絶句した。それは、何故か叱りつけられているパーティーの方も同様だった。
何が癇に障ったのか知らないが、明らかに興奮状態のバーサーカー、これほど厄介な存在はない。今のところ、バーサーカーのバーサーカーたる所以である「狂戦士化」はしていないとはいえ、その一歩手前といったところだ。
大鬼に匹敵する巨大で頑健な肉体を持ち、通常でもヒグマのパワーと、オオカミのスピードを合わせ持つといわれるバーサーカーだが、狂戦士化した際には、それが更に数段、パワーアップする。
何より厄介なのは、その極端な回復再生能力だ。痛みも恐怖も感じない状態である凶戦士化している最中であれば、例え手足を切り落とされても、瞬く間に再生してしまう。倒すには首を切り落とすしかないが、元より「鎧を纏う必要がない」ほどに分厚い筋肉の層で守られた身体、一撃で落とすのは至難の技であり、並の戦士であればその皮膚に赤い筋をつけるのが精一杯だろう。
そしてもう一つ……。
この虚像世界の不文律である「モンスター同士は戦わない」という不文律、それを超越している二種のモンスターの一方が、このバーサーカーなのだ。
凶戦士化した状態のバーサーカーは視界に入る全ての「動くモノ」を根絶するまで、通常の状態に戻らない。この「動くモノ」にはパーティーだけでなく、モンスターさえも含まれると定義された結果、バーサーカーはモンスターにとっても疫病神の様な存在として認知されているのだ。
ちなみに、もう一種の「不文律を超越したモンスター」はスライムだ。最底辺モンスターという位置付けであると同時に、迷宮内に横たわる屍骸の処理を行うとされるスライムは、その旺盛な食欲で迷宮内の腐敗物や老廃物を全て消化し、浄化していく。その「肉を消化する」という役割からスライムは瀕死のモンスターを襲い、掃除する任務を負っている。
結果、スライムは「対モンスター戦闘をこなせる」と定義されているのだ。
もっとも、基本的に腐肉食生物である以上、よほど、空腹でもない限り、生きているモンスターを襲うことはない。
「何とか言ったらどうなんだい、ええ?」
唖然とした様子の一同を前に、腕組みをして仁王立ちの姿勢で澄江さんはまくしたてる。下町で生まれ育った澄江さんは、子供の頃から職人同士の喧嘩は見慣れていたし、何より、彼女の御主人・勇作さんは文字通り「火事と喧嘩は江戸の華」を地でいったような人物だった。鉄火場には馴れている。
「……バーサーカーだ」
「まずい……まずいぞ」
動揺の広がるパーティー一行を首領格が叱りつける。
「うろたえるな! 一撃でしとめろ。弓、頭を狙え。剣、刺突用意」
パーティーはサムライへの包囲を解き、澄江さんへ向き直る。狂戦士化する前に斃さなければ、魔術師も、僧侶も伴わない戦士6名で構成されたパーティーに勝ち目はない。
変則編成で冒険するだけに6人の戦士はいずれも腕に覚えがある様子だ。
ツーハンドソードを構える首領格はどっしりと落ち着いているし、細身で長い刃渡りの両手剣エストックを操る二人の戦士も歴戦の面構え、弓を持つ三人の戦士は、いずれも狩人のスキルを持っているのか、引き絞る弦の張力を抑えこむだけの膂力が備わっているらしく、狙いを定めたままピタリと停止している。
「逃げよう」
サムライはあっさりと決断する。突然現れたバーサーカーには悪いが、サムライに言わせれば、バーサーカーである事の方が悪いのだ。例え狂戦士化したところで、自分が遅れをとるとは思えないが、戦って旨味のある相手でもない。
「放て!」
「行け!」
睨み合うパーティーとバーサーカーに背を向けた瞬間、矢継ぎ早に指示を下す首領格の声が回廊に響く。
「御愁傷様」
足早に場を去ろうとしたサムライの言葉は、どちらに向けたものであったのか。
顔面に向けて飛翔する矢を見た瞬間、澄江さんは驚いた。
――――なんだってんだい。あたしは喧嘩を止めただけなのに。
慌てて、バスケットボールほどもある両の拳を顔の前にたてる。続けざまに手の甲に痛みが走り、三本の矢が地肌に喰い込んだことを知る。
「くっ!」
手に感じた痛みに澄江さんは歯を食いしばる。続けて突進してきた二人の戦士の細長い鋭利な剣が腹を、そして胸を深々と貫く。首筋を狙った首領格の剣だけは顔の前に掲げた腕のお陰で、切り落とされるのを防いだが、それでも両手首の先が半ば切断される。
「痛いっ!」
あまりに理不尽な攻撃に、澄江さんの中でふつふつと怒りが燃え始める。逆に、一撃で仕留め切れなかったパーティー側は、明らかに狼狽し始めた。
「弓、第二射、用意。剣、早く抜け!」
気の遠くなるような痛みが、怒りにより塗りつぶされ始めた時、『それ』はやってきた。
「てめえ、糞ガキ! 俺の澄江に何をしやがんでぇ」
怒りの咆哮とも、獅子の雄たけびともつかぬ絶叫。
その絶叫と同時に、筋肉は鋼の硬さへと変化を起こし、手の甲に喰い込んでいたはずの矢は凄まじい勢いで弾き飛ばされる様に抜け落ちる。バーサーカーの身体から剣を抜こうとしていた二人の戦士は、バスケットボール程もある拳の一撃で、首から上が完全に消失する。あまりの拳の速度に、首から下は生前と変わらず、立ったままであり、頭部のみが闇の虚空を飛び、数十メートル先に転がったのだ。
狂戦士化により、骨まで切断されていた両手首はたった一回の鼓動を打つ間に全く元通りに再生され、突き刺さった剣は圧倒的な筋肉の中に埋もれ、今では棘程の異物感すらないないだろう。
狂戦士化はパワーだけではなく、スピードも増す。首領格の腕を握り締めた状態で、弓を構えている戦士たちまでの距離を一呼吸する間もないほどの速さで詰めると、手にした首領格を振り回し、蹴散らす。
頭蓋と頭蓋がぶつかり合い、互いに爆ぜるいやな音、ちぎれた腕から噴出する血の驟雨、 木琴を叩くような、肋骨の折れる音。
狂戦士化した澄江さんの体内に生まれ落ちた別人格・植原勇作。
東京・浅草にその名を知られた天性の喧嘩師“豆腐屋の勇作”さんは、こうして復活した。