離別
「おじいさん、ようやくお迎えが来たようですよ」
東京・浅草において大正年間より営業を続ける植原豆腐店、その座敷におかれた仏壇の前に正坐した澄江さんは線香をあげ、手を合わせながら、一人、そう呟いた。その語る視線の先には三葉の遺影がおかれている。
一葉は、どうしようもなく昔気質で、どうしようもなく喧嘩っ早かった御主人の勇作さん。一葉は家業の跡を継いでくれていた一人息子、そしてもう一葉は息子と一緒に不慮の事故で命を落とした気立てのよい働き者だったお嫁さん。
息子夫婦の事故死から既に二十数年、勇作さんが亡くなってからでさえ既に10年という月日が経っている。
澄江さんは、この10年、毎日、勇作さんに教わった豆腐を一人で作り続け、その味を守り続けた。齢80歳を過ぎて随分と経ち、すっかり足腰が弱くなってしまった澄江さんにとって、力仕事を伴う豆腐作りは、相当にきつかったことだろう。
しかし、それに澄江さんが不満を覚えたことはない。むしろ、間もなく豆腐が作れなくなることへの寂寥の方が大きい。
三代続いた老舗豆腐店の味もやがて終わりを告げ、その味は界隈に住まう常連客の記憶の中にだけ存在する味へと変貌を遂げるだろう。そのことを口惜しいとも、残念とも思わない。むしろ、この味を受け継げる者自体が存在しえないほどの味だったとも言えるからだ。それでも一抹の虚無感だけは胸の奥底に残る。
自身の余命が数カ月に満たないと知ったのは、つい昨日のことだった。
近所の開業医、父親にあたる先代院長の時代から掛かり付けとして世話になってきた医院において、子供の頃から良く知る若院長に、そのことを告げられた。
若院長は、まるで自分の責任であるかのように、哀しげに、そして苦しげに澄江さんに病名と余命を告知した。平均寿命を超え、既にいつ死んでも大往生と呼べる歳、例え病気が無くても余命自体に驚きはない。
それよりも、母親に命ぜられて夕餉の膳に添える豆腐や厚揚げ、がんもどきなどを、小さな手に小銭を握り締めてお遣いに来ていた小太りの少年に死を告げられたかと思うと、その方が感慨深い。若院長とは云うもののすっかり頭髪の薄くなった中年医師の少年時代に想いを馳せると、つい、口元が綻んでしまうのだ。
澄江さんにとって、良人・勇作さんが亡くなってからの10年は、実のところ「おまけ」の様なものだったのかも知れない。
午前3時、豆腐店の朝は早い。昨日の昼時から水に浸された大豆は既に十分に水分を吸い込み、パンパンに膨れている。この大豆を柄杓ですくい上げ、1杯ごとにミキサーにかける。澄江さんはスイッチを巧みに操り、これを白濁とした滑らかなクリーム状になるまで、丹念に磨り潰していく。
このクリーム状になった大豆を大きな鍋に移し、鍋底を焦がさない様に木ヘラで撹拌しながら強めの火で焚く。しばらくすると灰汁と泡が出てくるので、これを丹念にとりながら、沸騰寸前まで煮続け、頃合いを見て弱火に切り替え、しばらくの間、煮込む。
この煮込み加減が豆腐の味を決める肝であり、実に難しい。大豆によって、或いはその日の気温や湿度によって毎日、変わってくるのだ。足りなければ青臭い豆腐となるし、過ぎれば味もそっけもない豆腐となってしまう。
煮上がった大豆の煮汁を木綿の布を入れ、上から重石をのせ、濾していく。木綿の内側に残った物がオカラとなり、濾されて下に溜まった物が豆乳となる。この豆乳にニガリを加え、木ヘラでゆっくりと混ぜ合わせたら、落ち着くまで十数分ほど待ち、静かにこれを木綿布の敷かれた水切りザルの上に移し、上から重石をのせて水を切れば豆腐は出来上がる。
澄江さんは、出来たばかりのまだ温かい豆腐を小さなお皿に移し、仏壇へと持っていく。勇作さんに味見をしてもらうのだ。自らの分も小皿に取り分け、澄江さんは勇作さんと試食をする。この家に嫁いできた六十余年前から毎朝、豆腐を食べ続けている。どんなに僅かな味の変化にも気が付くほど、豆腐に関してならば自信はある。それでも、やはり、不安なのだ。
「おじいさん、どうですかねえ……」
(水の切り方が悪い。重石をもう少し手早くのせなくてはダメだ)
「私もそう思います」
(いつまで経っても、腕があがらんな……)
「すみません」
澄江さんは毎朝、心の奥で今も生き続けている勇作さんにその日の豆腐の出来を尋ね、アドバイスを受ける。実のところ、そのアドバイスは澄江さん自身の声であり、感想でもあるのだが、腕の良い豆腐職人だった勇作さんの言葉として聞けば、自分でも驚くほど、しっくりと聞ける。
澄江さんは箸を置き、良人好みの二度入れの濃茶を味わいながら、店を開ける時間まで勇作さんといろいろなことを話す。それは勇作さんが生きていた頃から、変わらぬ光景だった。
植原豆腐店の奥にある住宅部分の小さな庭先では染井吉野の古木が咲き誇っている。低く横に張った枝ぶりがよく、昔は御近所がそれぞれ料理や酒を持ち寄って、この軒先で花見に興じたものだった。
「今年で最後……なんですねえ」
澄江さんは、開け放たれた濡れ縁の先に咲く、その桜を見ながら感慨深げに呟く。
もう、来年にはこの世にいない――――。
そう思うと、一瞬も、この桜から目が離せない気がしてくる。しかし、澄江さんは痛む膝を叱りつけながら立ち上がり、店へと向かう。そろそろ開店の時刻なのだ。
客のほとんどは近所に住む昔からの常連客だ。スーパーに行けば、この店の半額で豆腐は買える。それでも、御近所は澄江さんの豆腐を買いに来てくれる。それがありがたかった。一人暮らしの老女を気遣い、その様子を見がてら、何気ない労わりの言葉をかけ、豆腐を買って行ってくれる。小さな気遣いかもしれないが澄江さんには涙が出るほどに嬉しかった。
だからこそ、澄江さんは御近所の心遣いに応える為、それに気が付かぬふりをし、今日も江戸っ子らしいチャキチャキとした口調で、軽口を叩きながら豆腐を売り続ける。
夕方、店を仕舞い、一人だけの夕餉の膳に箸を運びながら澄江さんは考える。
「心残りがあるとすれば――――」
息子夫婦の忘れ形見、たった一人の孫娘・結衣のことだった。幼くして両親を亡くし、勇作さんと澄江さんの手元で大切に育てられた結衣は、医大を優秀な成績で卒業し、政府関係の研究所に勤めている。
自分が死ねば、結衣は今度こそ天涯孤独の身となってしまう。親戚もいるにはいるが、どれも疎遠であり、頼りになるとは思えない。澄江さんは想いを馳せる。
「もし、あの時……」
一年前の事だった。大学で研究員をしているという恋人を連れ、結衣がこの家を訪れた。恋人の男性は、役者絵から切り出したようないい男であり、その機転の利いた会話から頭の良さを、澄江さんに対する態度から性格の良さが感じられた。もし、結衣を溺愛していた勇作さんが生きていれば、やきもちを妬きそうなほどに二人は仲睦まじく見えたものだ。
その恋人は植原家を訪れた数日後、とある事件に巻き込まれ、若い命を落とした。
あれから、結衣は変わってしまった。
一週間程、仕事を休んだだけで職場に復帰はしたようだが、週に一度は顔を出していた澄江さんのもとにも滅多に顔を見せなくなった。
最初、澄江さんは結衣の変貌ぶりを、仕事に打ち込むことによって、哀しみを忘れようとしているのだと思った。
勇作さんを喪った後の自分自身がそうであったように……。
だが、仕事に没頭したからといって哀しみを忘れるなんて出来ないということを澄江さんは誰よりも知っている。忘れることなどできない。それはただ、目を背けているだけなのだ。
「おばあちゃん、ただいま」
「おかえり。お腹、空いてないかい? ご飯は?」
ひさびさに結衣が顔を見せた。今朝、彼女の携帯電話の留守電に、帰りにこちらに寄るように吹き込んでおいたのだ。
「うん……きんぴらかぁ、少し頂こうかな」
結衣は指先できんぴらを摘まむと、一口ほおばり、パリパリといい音をたてる。澄江さんは、江戸おひつからご飯をよそおい、味噌汁を温め直しながら、この日の売れ残った豆腐にネギとショウガをのせ、奴で差し出す。
「元気そうだね。仕事は順調かい」
「まあね」
結衣の溌剌とした口調に澄江さんは少しだけ安心する。他愛もない女同士の会話で場をつなぎながら、自分の余命がいくばくもないこと、それを告げようかどうか、迷う。しかし、何も言わぬままに逝くのは、やはり、憚れる。
(この娘だけには、話しておこう)
澄江さんは、そう考え、彼女が食事を終えるのを静かな微笑みを浮かべながら待った。
「お豆腐、美味しいね……ねえ、おばあちゃん、今日、泊っていっていい?」
死期が迫っていることを告げ終えた直後、結衣はしばしの沈黙の後、澄江さんにそう問うた。
意外な反応……とは澄江さんは思わない。
早くに両親を亡くしたこの娘は、自分の感情を圧し、強がってみせるところが昔からあったからだ。
「いいよ。お布団、敷くね」
「ううん。おばあちゃんと一緒の布団で眠りたい……寝てもいい?」
「しょうがない娘だねえ。いいけど……明日も店を開けるから、おばあちゃんは朝、早いよ? 起こしちまうかもしれないけど」
嬉しくなった澄江さんは、ちょっとだけ顔を綻ばせながら、そう呟き、枕を用意する為、飾り気の無い居間から寝室を兼ねた座敷へと向かう。
その背中が思っていたよりも小さかったことに結衣はショックを受ける。
「一人ぼっちにしないで、おばあちゃん。死なせないよ、おばあちゃんを死なせはしない……絶対に」
思いつめたように吐き出された結衣の狂気を孕んだ呟きは、澄江さんの耳に届かなかった。