Coffee Break : 転送陣
Coffee Breakは本編ではありませんが、
その時々の物語の背景となる為、若干ネタバレ要素が含まれる場合があります。
気になる方は飛ばして読んで下さい。
「何をなさっているんですか?」
ゲイリーは部屋の扉を開けるや否や、目の前の主人の奇怪な行動に呆れた声を上げた。
リン・プ・リエンの王城に戻ってきて一週間程経った頃、ゲイリーはフィオディールに部屋に来るように呼び出されていた。
部屋の扉を開けると絨毯はめくられた状態で、付近にあったであろう調度品や美術品の数々が部屋の隅に無造作に重ねられており、代わりに何冊もの本部屋の至る所に散らかってる状態だった。
「ああ、丁度いいところに。外に人は居ませんね?でしたらそっちの端っこ持ってベッドを移動するのを手伝って下さい」
フィオディールの部屋は王子の部屋の割りに客室よりも狭い部屋で、扉を開けてほぼすぐ真正面に、1人用の小さなベッド。扉の左横には小さな机、その横にはタンスほどの大きさの本棚があるだけの非常にシンプルな部屋となっていた。
正直ゲイリーの部屋よりも狭いくらいなのだが、部屋の主は広いと落ち着かないからと、この部屋をいたく気に入っていたので、開拓地にある彼の部屋もこのような造りになっている。
自身のベッドを持ち上げようとフィオディールはベッドの反対側にゲイリーに移動するように指示を出す。
対してゲイリーは冷ややかな視線でフィオディールを見つめる。
「模様替えをしたいのであればその辺の暇な兵か侍従でも呼べばいいでしょう。私は殿下のイタズラに付き合っていられる程暇ではありません」
その言葉にフィオディールはガックリと肩を落として見せる。
「ゲイリー以外の人に見られたら不味いから頼んでるんじゃないですか。いいから手伝って下さい」
渋々ながらゲイリーは主の指示に従った。ベッドは扉を塞ぐような形で移動させられ、ベッドのあった場所は床が現になった。
すると、フィオディールは満足そうに頷き、特殊な青いインクの入った細長い棒をゲイリーに手渡す。
ゲイリーは見慣れたその棒を受け取ると、向かい合う形でしゃがみ込んだ主を怪訝な顔で見下ろした。
「何してるんですか?人が来ないうちにサッサと済ませますよ。解らない箇所があれば聞いて下さい」
さも忙しいと言わんばかりにフィオディールはゲイリーと同じ棒を手に、器用に円を床に描いていく。
鼻歌交じりに何処か楽しそうな主の様子にゲイリーは頭を抱える。
「何してるんですか?はこっちの台詞です。いえ、何考えてるんですか が正しいですね。貴方、死ぬ気ですか?」
一向に手伝う様子のないゲイリーを尻目に着々と陣の様なものをフィオディールは床に描いている。その大きさは丁度ベッドと同じくらいの大きさだ。
「見てわからない訳は無いでしょう?転送陣を描いてるんですよ。あ、そこ踏まないで下さいね」
転送陣は勿論ゲイリーも見慣れたものだった。なんせ開拓地ではこれがないと地区移動にかなりの時間と人員をかけなければならなかった。
転送陣は過去、フィオディールがベルンで買い漁った魔道書にある転送魔法陣を元に、独自の魔法研究機関を作り、再開発した新しい部類の魔法だった。そのため、効果範囲が限られており、一つでも間違えると何処に飛ばされるかも、どのような状態で飛ばされるかも解らない高度な技術を必要とする布陣だ。
過去にいく度となく行われて来た実験では、見るに堪えない状態の実験動物の無残な姿を目撃している。
それをこの王子は実験無しに、しかもおそらくここから最も離れている第5地区へ繋げようとしているとゲイリーは判断した。
「成功率がどれ位かわかっているのですか?貴方もあの惨状を見てない訳では無いでしょうに。大体、成功したとしてこのような場所に陣を設置して、後々厄介な事になったらどうなさるおつもりですか」
ゲイリーの抗議も虚しく、フィオディールはなおも陣を描き続け、結局1人で完成させてしまった。
「これでよしっと。大丈夫ですよゲイリー。100%とは言いませんが9割がた成功する筈です。ここに陣を設置することは前々から考えてはいたので計算は間違っていないはずです」
フィオディールはゲイリーに自分が使っていた棒も押し付けると、腕を組みながら再度、間違いがないか一つ一つの記述を確認する。
そして陣の正面に立つと、陣と同じ色の石を握り締め、呪文をモゴモゴと唱える。
呪文と共に陣に描かれた文字が輝きだし、やがて陣全体が光を帯びると、フィオディールは持っていた石を投げ込んだ。
布陣が一際輝きを放った後、何事も無かったかの様に布陣は光を失い、代わりに陣の中央に先程の石が輝きを放って転がっていた。
フィオディールは石を拾い上げると、クルリとゲイリーに振り返り笑顔で指示を出す。
「これで使えるようになった筈です。ベッドを戻すので手伝って下さい」
ゲイリーは溜息を一つ落とした後、言われた通りに部屋を片付ける。
何事も無かったかの様に部屋が元通りの形を取り戻すと、フィオディールはまたニッコリとゲイリーに笑いかける。
その笑みに未だ勝つて無い嫌な予感をゲイリーは感じた。
「ゲイリー。プリンちゃんを連れてきて下さい」
「お断りします」
プリンちゃんとは兄王エルネストが可愛がっている猫の名前である。
よりによってエルネストのペットを実験に使う気満々の様子に、流石のゲイリーも「鬼畜だ」と自分の主に対して嫌悪感を抱く。
しかしそれは決して猫が可哀想などという感情では無く、後々処罰されるであろうゲイリー自身に対しての感情でしかない辺りがこの主にしてこの家臣なのである。
「しょうがないですね、ではゲイリー、行ってきて下さい」
やれやれ譲歩しますとでも言わんばかりの主の所作に、ゲイリーは更に笑顔で「イヤです」と答えた。
そんな押し問答を続けていると、ベランダの方から「にゃぁ」と可愛らしい声が聞こえてくる。
2人がその方向を見ると、件のプリンちゃんがこちらを覗いていた。
フィオディールはニコッとプリンちゃんに笑いかけると、
「こんにちわ。プリンちゃん。よく来ましたね。僕の頼みを聞いてくれませんか?」
などと言い、何も知らないプリンちゃんを抱きかかえ、部屋に招き入れると、ベッドの中央にプリンちゃんを乗せる。
プリンちゃんの頭を撫でながら首輪にはなにやら丸めたメモ用紙をくくりつけ、
「いい子ですね。そのまま大人しくしててください」
と言って、石を握り締め早速呪文を唱え、最後にプリンちゃんの名前を呟くと、あっという間にプリンちゃんは光とともに消えてしまった。
その様子を見ていたゲイリーは頭を抱え、フィオディールはと言うと、さも悲しいと言わんばかりの表情で、
「ああ、惜しい方を亡くしました…」
などと冗談にならない冗談をつぶやく。
しかし程なくして、再びベッドの上に光とともに無事プリンちゃんは現れた。
首輪には先程とは違う手紙が括り付けられていた。
フィオディールは嬉しそうにプリンちゃんから手紙を取り抱き抱えると、ゲイリーに微笑みかけた。
「…成功したから良かったものの、失敗してたら大惨事ですよ」
「だから9割がた成功するって言ったじゃないですか。プリンちゃんは勇敢な兵士ですね。ゲイリーを降格させて団長に就任させますか」
「良いですね、そうなれば私も心置き無く貴方の首を狙えるというものです」
主従の不穏な空気を察してか、プリンちゃんはフィオディールの腕からするりと抜け出し、元来たベランダから出て行ってしまった。
ふぅ…と先に嘆息を吐いたのはゲイリーで、
「それで?何故こんな場所に陣を?」
とフィオディールに問いかける。
「理由は色々ありますが、当面の目的は連絡手段の確保です。と言ってもこの陣は長距離転送に特化させて無理に作ったのも同然なので、使用回数は限られていますからおいそれとは使えないんですがね」
受け取った手紙を広げながらフィオディールは答える。
真剣なその横顔を見ながら、ゲイリーは「成る程」と頷く。
「使用回数が限られているのであれば、見つかっても問題ありませんね。まあ、石がなければ転送は出来ないので大丈夫かとは思いますが…何か緊急の連絡が必要だったのですか?」
ゲイリーの問いに、フィオディールは神妙に頷く。
その様子は鬼気迫るものが感じ取られ、エルネストかリオネスに何か不穏な動きでもあったのかとゲイリーは身構えた。
「第1地区を放棄する直前の事を覚えて居ますか?」
「直前?いえ、特に気になるような事は無かったかと…」
ゲイリーは必死で記憶を辿ったものリオネスに関する不審な点も、拠点で何か不手際があったような様子も無かった為首を捻る。
フィオディールはガックリと肩を落として手紙に視線を戻す。
「僕、リオネスが来てすぐに彼女に手紙を送ったの覚えてませんか?…ああ、あの時ゲイリーは居ませんでしたっけ?とにかく、それから返事を確認しようにも第1地区は放棄したし、そのままココに戻って来てしまったしで今まで返事が届いてるか確認出来なかったんですよ!」
フィオディールは力説しながらゲイリーに歩み寄り、必死の形相で食いかかる。
「まさか…そのために陣を?」
「それ以外に急ぎの用があると思いますか?」
にわかに信じられない理由にゲイリーは呆気にとられる。
しかしフィオディールはそんなゲイリーを差し置いて、
「返事は来てたんですが、なんですかこれ!どうやら彼女、今、花嫁修業してるみたいなんですよ!僕どうしたらいいんですかね?!」
と、悲痛な叫び声をあげ、頭を抱える。
「知りませんよそんな事。ああ、いい機会ですから懐中時計送り返してもらうように催促でもされては如何ですか?」
ゲイリーはそれだけ言い放って部屋を早々に後にした。
後には「うぅぅ〜」と唸るフィオディールだけが取り残された。
馬鹿馬鹿しいと思いつつも、ゲイリーはあの腹黒王子を籠絡する女とは一体どれだけの美女なのかと心の隅で気になり始めていた。