表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/5

最終話

 傘に打ち付ける雨粒が出す音は聞こえず、世界はこんなにも静かだと錯覚させた。笠森さんは昨日と同じように駅のベンチに座っている。雑誌を読むでもなく、天井を見上げていた。答えなかった事で出来た気まずさで、彼女の傍に行けない。

「なんで、ここ来たんだろう」

 あてもなくふらふら歩いていたはずなのに、まっすぐここへ足が向いていた。ここへ来たって、変わるものは無い。虚しくなって、いつもの逃避に走りたくなりヘッドホンを探したが、かばんを持ってきてないから有る訳がなかった。

 視線を感じた。じっと栗色の瞳が僕を見ていた。ヘッドホンが無いから、些細な彼女の仕草に気付いてしまう。

「何探してるんですか?」

「……いや、別に」

 有無を言わせぬ声音に、なんとか抗った。でも、彼女は僕を見透かしていた。やめてくれと叫びだしたくて、でも嘘は剥がせない。

「ヘッドホン、探してるんじゃないですか?」

「……分かってたなら、聞かなきゃいいだろう」

 あの瞳に射ぬかれたくなくて、背を向けた。離れた場所に一本だけ植えられた桜の木が、雨に濡れて白をまき散らしていた。あの桜吹雪が飾った頃は、どうしてこんなに静かで沈んだ物になってしまったんだろう。雨が強過ぎて、桜の花は地面で堕ちて溺れていくばかりだった。

「私は、先輩が作った曲、好きですよ」

「……何のこと?」

 声が震えた。背を向けていて良かったと思えたのは、顔がどんな表情をしているのか自分でも分からないからだ。

「一昨年にここの文化祭でやってた奴です、もちろん。それと、先輩が昨日も聴いてた曲」

 あんな少ない観客の一人だったのか。そんな思いが浮かび、あの曲を褒められたことが辛かった。

「あんな曲」

「だったら、なんでずっと聞いてるんですか!  嫌いな曲なら、聞きませんよ誰も」

「僕は……あの曲以外聞けないんだよ!」

 手がヒリヒリと痛い。彼女は壁が殴られた音に驚いて引いたが、すぐに前へ乗り出してくる。迫ってくる息遣いに心臓をわしづかまれた。

「だから、好きなんじゃないんですか?」

「あの曲は嫌いだ。あの曲以外聞こえないから、聴いてるだけだ」

「……意味、分かりません」

「分かってくれなんて、言ってないだろ。事実だけ言ってるんだ」

 もう問答は終わりだ。埒があかない。掴まれていた手を乱暴に振り払った。

「待って!」

 歩き出そうとして、声が僕の足をつかんだ。地面に足が張り付いて剥がせない。手を掴まれているわけでもないのに、体が固まって一歩も前へ進まない。

 でも、彼女は止まらなかった。綺麗な声がつむぐ。どれだけ聴いたのだろう。練習しただろう。彼女の歌声が響いて、応えるように雨の音が響いた。でも、雨はざらつき、僕の耳は悲鳴をあげた。

 叫び声に背を押されて足が走り出す。水たまりの水を弾いて、雨音が響く。

 がむしゃらに走る。はしる。ハシル。

 水たまりを弾いているのは分かるのに、地面を足が蹴ってる気がしない。もつれそうになって、必死で転がるように多分前に進んだ。

 どこを走っているのか自分では分からなかった。頬を雨が打って、心臓が早鐘を鳴らすようなのに、びしょ濡れになって冷えていく。

 荒い呼吸を繰り返した。うずくまった場所で目を閉じる。ここは一体どこなんだ。僕の身体は雨で冷え切っていて、外にいるのか中にいるのか、震えた身体では判断がつかない。

 助けて。笠森さんの待ってがだぶった。

 応えるように誰かが僕の肩を揺する。

「ねえ、どうしたの?」

「……先輩」

 大人びた顔立ちにあの頃と変わらぬ濡羽色の瞳が視界で揺れる。なんで?

 声に出す前に、僕の表情を読み取ったのか彼女は僕にタオルをかぶせて応えた。

「ここは天文部の部室よ」

「……あ」

 見慣れた部室の床に、おざなりに埃の被った望遠鏡があった。ゴシゴシと髪を拭かれる。

「準備、良いんですね」

「ちょっとね」

 タオルで視界が遮られる。

「いきなり雨啼君が部室に飛び込んできてびっくりした。それも私のこと無視して部屋の隅でうずくまるし」

 苦笑いされてると思い、気恥ずかしくなって声は小さくなった。

「すみません」

「君は相変わらずだね。何か嫌なことがあると、ここに駆けこんでくる」

「そんなつもりじゃ……」

 頭を拭く力が強くなって、声は遮られた。

「気づいてないだけ」

「僕は……ここが居心地良すぎたんです」

「私がいなくなってからも?」

 なんて意地の悪い質問なんだろう。僕はさらに膝を抱えた。

「居心地が良いとか悪いとかじゃなくて、空っぽでした。あの頃の楽しかった何かは聞こえなくて、嫌いなはずで聞きたくもないはずの曲をずっと聞いてる以外することがなくて……」

 僕は何が言いたいのかわからなくなって、そこでやっと自分の頬を拭って気がつく。先輩の前で泣くのは初めてだった。嗚咽が漏れ出さないように口を結んだ。タオルから手が離される。傍に先輩が座った。僕の身体に先輩の体温が伝わった。

「僕は……」

「雨啼君に手紙出したの、私」

 息が詰まった。酸素を求めて唇がパクパクと開閉する。手紙が崩れ去った感覚が手のひらに思い出されて、自分の両手を見た。そこに手紙は無い。顎を伝った涙が手のひらを数回叩いた。

「僕は何も言えま、せんでした。あの歌みたいに嘘つきだった。だから、あの歌が嫌いになった」

「私もあんな学校の伝説なんて信じて、逃げたから」

 雨に濡れたウソツキは救われないのがリアル。歌のまま、逃げていた。

「怖かった。ずっとずっと。先輩がいない自分の空っぽを、見透かされたくなかった。嫌われたくなかった」

 だって、居なくなったらもう何も残らない。

『そうさ 私たちは互いの気を引くため わざと傘を忘れてくる

頬を流れるのは雨なんだ 一緒に走った帰りに嘯いたのに』

 優しく耳殻を撫でて、甘い香りを残して彼女の歌声は消えた。

「私たちじゃなくて僕らですよ……」

「知ってるよ。でも、雨啼君だって気付いてるでしょ。私たちはどっちかが必ず傘を忘れてくる」

 歌のとおりだった。梅雨の細かく降り注ぐ雨を思い出す。先輩がどうして傘を持ってきてないんだと、睨んできてすぐにお互いに笑って走り出した。鳥が水たまりの上を楽しげに跳ねて踊る姿みたいに、先輩は僕の隣を駆けていた。

 降り注ぐ天使の梯子が雨の中で踊る彼女を照らしたのは、あまりにも出来すぎていて、綺麗だった。

「まさしく歌のとおりに、初めは僕も先輩も持ってくるの忘れて走って帰ったんですけどね」

「楽しかったねー、あの頃は」

 思い出しているのか、ちらりと視界の端で捉えた先輩の目は天井に向けられている。しなやかな指がジャージの袖をつかんだ。湿ったジャージからじわりと白い指に水が吸いつく。

 いい加減、話さないといけない。鼻をすする。

「うん?」

「僕は、」

 タオルを外す。烏が雨に濡れたような深い黒が優しく待っていた。逃げ出してはいけない。そう、背中を押すのは、誰だろう。本当に僕の時間を動かしたのは、果たして先輩だったのだろうか?

「僕は雨音が聞こえません」

「……そう」

 目が細められる。疑念でも困惑でもなく、揺れた瞳は僕から外されること無く僕の顔を写す。

「何か、質問とか。何言ってんの雨啼君、とか」

「だって私も聞こえてないし」

 なんでもない様に告げた彼女の眩しさに目がくらんだ。

「いつ、からですか?」

「恥ずかしいんだけどなぁ」

 袖を掴んでいる手とは逆の手が、わずかに赤く見える頬にそえられる。彼女の目が泳ぐ。ずっと昔はいつも自分が彼女の視線から逃げていたのに、逆転した。

「う~ん、私が追い詰める立場なのに、逆転しちゃったね」

「僕は篠崎さんを見送った時に、聞こえなくなりました。雨の音」

 そっとぬくもりが左手にそえられて、心臓が跳ね上がった。

「いやー、私もおんなじ時だよ。私たちは仲良しだねー」

 これは先輩の嘘なんだろうか。駅で再会した時に見た平気な表情の彼女は、強がりだったんだろうか。

「篠崎 ひさめさん」

「は、はひっ!?」

「もう、僕は向き合えるから本当のこと言ってください」

 初めて下の名前を呼んでどきどきして、そして驚いて変に高い声を出した彼女に見とれてしまう。ぎゅっと握り返した彼女の手は、はるかに小さかった。

 いつだって何かをしようと差し伸べられた手は、その優しさでいつだって強く大きく感じた。それに甘えていた自分の姿を思い出す。濡羽色の瞳を見つめ返すことの出来なかった僕は、彼女の声にしっかり応えていないのに、寂しくて身勝手に声を求めていた。

「あーあー。……私たちって仮面夫婦じゃない?」

「まず前提として夫婦ではないですね」

「そーゆーツッコミはいりません。私はね、雨啼君のリズム、好きだったよ。雨みたいで。だから、聞こえなくなってショックだった」

 長く息を吐き出した。肺の中が空っぽになって、ゆっくりと息を吸い込む。

「篠崎さんは、曲聞いたら雨音が聞こえるとか、無いんですか?」

「君の声でしか聞こえないね。だから、今すっごく新鮮。ああ、帰ってきたんだなぁって思った。たとえ、隣に私の居場所がなくてもね」

 その笑みが雪の日と重なる。そんな顔をさせたくないのに。勝手に溢れ出す言葉は、本当に身勝手だった。

「僕は、篠崎さんが好きです」

「……でもね?」

「逃げないで、答えてください」

 強い言葉に、彼女はそれでも首を左右にふった。

「君を連れ出したのは、もう私じゃないんだよ。だから、保留」

「……保留?」

 すでに一年以上もお互い保留にしてきたんじゃないだろうか。僕は逃げて、先輩は離れて。でも、僕の願いに反して彼女の気持ちは強固だった。

「そ、保留。しばらくこっちにいるから。こんだけ話せて嬉しかったから、次はあの子に謝って来なさい」

 握った手が離れて、扉のほうを指さした。

「あ」

「私、その」

 おろおろとして、今にも逃げ出してしまいそうな彼女がいた。

「ほら、謝れ」

 すぐに姿を視界に入れることが困難になった。問答無用で、土下座状態に移行させられた。冷たい床はやっぱり辛かった。

 ほれほれと篠崎さんが背中を叩く。

「ご、ごめんなさい」

「……私も、すみませんでした」

「いえいえ」

 うん?

「いや、篠崎さんに謝ってるんじゃないですよ」

「私が重たい空気を軽くしてるのに、重たい声で戻さないの」

 メッと頭を軽くこづかれる。顔を上げると、すぐ近くに笠森さんがいた。わずかに後ずさってしまう。

「それじゃあ、私はちょっと行くところがあるから行くね」

「あ、はい。その、ありがとう、ございます」

「うん、また会いましょう」

 大きなかばんを手にして歩き出した篠崎さんの足取りは早く、足音はあっという間に聞こえなくなった。でも、雨の音は消えない。それが、あの人がいてくれた真実だった。

 どれほど時間が経ったか、笠森さんの声に鼓膜が震えた。

「雨啼さんはもう雨の音、聞こえるんですか?」

「……ああ」

 二人きりになれば、もう逃げ出すのは許されない。

「私は代わりにはなれませんか?」

 天井を見上げて目を閉じた。彼女はなぜこんなに固執しているんだろう。

「君は、篠崎さんじゃないんだ。だから、代わりになるとかならないとか、言わないで欲しい」

 篠崎さんと笠森さんの瞳の鋭さの意味合いは、隔絶した意味で違っている。笠森さんは僕を見透かすけれど、それを嘘で塗り固めて踊りはしない。彼女は現実を僕に投げてくる。そう、嘘ばかりで踊っていた篠崎さんと僕では彼女の真摯さが眩しすぎる。

「私は、歌なんて作れません」

「もうライブなんて物しないよ」

「私は、篠崎さんみたいな優しさが出来ません」

「笠森さんは、嘘つき続ける必要ないんだ」

 だって、嘘をつき続けたらすれ違うだけだから。分かって欲しかった。でも、次の発言の爆弾が大きすぎて僕の時間は停止した。

「私は、篠崎さんみたいに潔く雨啼さんの前から消えれません」

「なに、言ってる?」

 ……嘘だ。篠崎さんはしばらくこっちに居ると言っていた。今更嘘を言うわけがないじゃないか。

 不安に高まる心臓の音に合わせて雨が強くなっていく。

「だって、篠崎さん、来たときと同じかばんを持って出て行ったじゃないですか。あんな荷物、学校来て家に戻るだけならいりませんよ」

 最後の言葉を聞く前に走り出した。今度は逃げ出すんじゃなくて、追いかけるために足が地面を蹴る。足音はずっと前に遠ざかってしまった。間に合うのか分からない。それでも、追いかけなくちゃいけなかった。

 雨粒で、せっかく拭いてもらった髪がびしょ濡れになった。涙の跡が乾いたのに、雨が僕の頬を伝った。

 駅がひどく遠くに感じた。どれだけ走っても、辿りつけないような錯覚。息が切れ、足がもつれる。先輩の手のぬくもりが遠すぎて、アスファルトに膝をついた。

「どう、して!」

 走りだそうとして、もつれて水たまりにまた手をついた。波紋が止んだ時に、雨じゃなく自分が泣いてるのだと気付く。叫びだしたくなって、背中に降り注ぐ雨が止んだ。うつむいて水たまりに映った僕の泣き顔は、彼女が差し出した傘のせいで、雨で涙を誤魔化すことができないせいで情けなかった。嘘つきの涙と対峙した。

 誰か分かっていたけれど振り向く。

「せん、ぱい。大丈夫です、か?」

 走って追いかけてきたんだ。彼女はずぶ濡れで、今の今まで傘なんて差していなかったんだろう。長い髪が肌に張り付いている。震えている。

「もう……」

 諦めよう。自分が弱くて、

「走りましょう」

 彼女は強くって、

「間に合わない」

 いつもあの人は、時間ちょうどに乗れるように行動する。だから、僕が着く頃にはすでにいない可能性が高い。無駄なんだ。

「それでも、走りましょう。走り出したのに、なんで止まるんですか!」

 正面に回った彼女に、手を差し出される。走り出したくせに、必ずどこかで転ぶ自分がひどく惨めだ。転んだら起き上がるのさえ諦めてしまう自分が惨めだった。先輩がいなくなり、誰もいなかったあの頃、諦めた惨めな自分を見る人はいなかった。なのに、今、たしかにここにいる。

 見上げると栗色の瞳が僕をまっすぐ見つめている。それはあまりにも眩しくて、泥に汚れて傷つかないように踊ろうとする嘘つきの僕らにはない輝きだった。

 どうしてこんな現実で走れるんだろう。震える唇がそう問を出そうとして何度も失敗して、やっと尋ねると。

「作ったお話は現実に勝てないから! 敗けたくないから! 走るしか無いんですよ。今ここで引き返して、先輩はどんな嘘ついて私と話すつもりなんですか」

 手が取られる。引き上げられるように、ふらふらと立ち上がった。

 空っぽの自分には優しすぎて、崩れ落ちそうなのにもう彼女の手から逃げ出せなくなる。

 まっすぐ、栗色の深い瞳を見据える。震える声はもう走れないと叫ぼうとして、

「ありがとう。まだ走れる」

 ホントを言った。彼女の泣きそうな笑みが眩しかった。

 走りだしたのは篠崎さんのせいだった。そして、歩き出したのは笠森さんのおかげだった。

 部室から飛び出し走り続けたのは、篠崎さんの背中が走って遠くなっていくからだった。

 窓から空を見上げて沈み込んでいただけの部室から歩き出し、時間が動き出したのは、笠森さんが歩き出したからだ。

 彼女が傘を差し出すのを断って地面を、水たまりを蹴った。

 先程までの雨足の強さがなんだったのか、徐々に弱くなっていく。細かい雨がただ宙に浮いてるような、ひんやりした空気を漂わせた。

 駅そばにあった桜から散ったその花が、雨の中を泳いで風に踊る姿の先に、彼女がいた。

「篠崎、さん!」

 驚きで彼女が振り向く。電車が近づく音が聞こえた。でも、まだ彼女は駅入り口にいた。何を待っていたのか、勘違いしてもいいんだろうか。

「なんで、来たの?」

 そっぽを向く篠崎さんを抱きしめた。小さく可愛らしい悲鳴が上がるが無視する。早鐘になる自分の鼓動と、篠崎さんの心臓の音が胸に響く。彼女の小柄な体に泣きたくなった。

「篠崎さんは、僕に負けたんです」

「……なにそれ」

「嘘つきは救われないのがリアルなんですよ。だから」

 少しだけ抱きしめる力をゆるめ、彼女を見据える。背後で笠森さんが追いついた足音が聞こえた。

 篠崎さんはもじもじと逃れようと抵抗するが、今離したら逃げられるに決まっている。離したくない。

「好きです。一緒にいてください」

「無理だよ。だって、私、行っちゃうから」

「会いに行きます、絶対に。何度だってどこへだって」

「学校あるから来るの大変でしょ?」

「サボり魔なんで、いつでも行けます」

 笑って言うと、彼女もなにそれと笑った。雪ではなくて、雨でもなくて、初めて出会った時みたいに。

「好きです、だからもっと話しましょう」

「……ありがとう。時間があればどれだけでもそうした。でも、もう行かなくちゃいけない。今はまだ、恥ずかしすぎるから二人っきりの時に必ず言う。だから、というか本当に今恥ずかしいからほんと離して!」

「逃げるんで、絶対嫌だ!」

「にーげーなーいー!」

 ぬあーと一生懸命腕から逃れようとするので、ちょっぴり反省して腕を離した。

「あー、服すっごく濡れたよ、君のせいで。電車の中ですっごく怪しまれるじゃん。スケスケじゃん。透けてないけど」

「……えーっと、すみません」

「……遊びに、来てね。次は必ず答えてあげる」

 ちゃかすでもなく、まっすぐした声に嬉しくなって、……逃げられた。

「抱きしめるの、もうダメ」

 人差し指で鼻先を抑えられる。感極まっているのがバレたらしい。

「必ず、遊びに行きます」

「うん。……もう行くね、電車来ちゃう」

 先輩が背を向けた。小さな声ではいと答えると、先輩もうなづいて歩き出して。

「あ、笠森さん? 勝っちゃったけど、良いのかな?」

 その声に、ずずいっと僕の隣に笠森さんが並ぶ。その顔は闘志に燃えているように思えた。

「大丈夫です。いつでも巻き返せるポジションなんで。今回だけは、負けても」

「ふ、ふーん。でも、もう私の圧勝だけどね」

「負けませんから」

 そう言って、笠森さんは篠崎さんが応じる前に素早く彼女の背中側に回りこんで、駅ホームを向かせた。

「もう電車来ちゃいますよー」

「あわわ。そんなに押さなくても」

 中々の強さらしく、篠崎さんは笠森さんに押されっぱなしで改札を抜けた。こっそり僕らもホームに入り込む。線路と接触部分が悲鳴を上げて、電車が止まった。

 たくさん言いたいことがあって、どれを言えばいいか迷って声が詰まる。僕より先に笠森さんが口を開いた。

「大事な事だから、もう一度言っておきますけど、敗けませんから」

「勝ったはずなのに、なんだか今敗けた気分。それじゃあ、いってきます、雨啼君」

 二人は笑顔で交わしながらも、少しだけ怖い。告白したばっかりでお見送りに、急に頭が冷えてきて、自分の行いに恥ずかしくなって頬が赤くなるのが自分でも分かった。先輩のいってきますに、少しだけ視線を下げてしまう。

「……う、あの。篠崎さん、いってらっしゃい」

 もーっと彼女は腰に手を当てて、僕をその濡羽色の眼で睨んだ。

「次はそっちが来るんだから、しっかりしてよね」

「あ、はい。絶対! 絶対に」

 小さくうなづく彼女は、扉が閉まるのを見て手を振る。僕もおんなじように手を振り返した。

 出発のベルが鳴る。走り出した電車は、すぐに彼女の姿も追いつけないほど加速して、視界から消えていく。さよならは言わなかった。

 ずっとホームにいようかと思ってしまったが、笠森さんが駅から出ていくので、自分も外へ出た。

「ありがとう」

「いえいえ。私が勝つための布石なんです」 

 力強く笑う彼女に、僕はそうなのかと笑ってから、空を見上げた。

 雲間から光が指す。天使の梯子が降り注ぐ。

 雨は止んだ。

 けれどもう、彼女の鼓動を、忘れない。


―――

でも君は気づいてしまう 僕のたくさんの嘘に

空っぽで 優しくて もう逃げ出せなくなった

雨に濡れたウソツキは 救われないのがリアル

みな降る世界へ謳う君 現実きみ物語ぼくが負ける

そこからが 君と僕の始まり ともに旋律うみで踊ろう

―――


差し込まれてた歌のひとまとまり。


雨濡れた憧憬 桜穿つ烟景えんけい

見上げた空の灰色で 便箋を濡らした

掴み取ったことばに どんな形があるのかな?


手を伸ばす風に 声かける風に

気になるふりして自分を許した

踏み場をなくした君の姿には 何を思えばいいの?


濡羽色の光が射ぬく 僕らを曇らせる元凶

何でもできるって 互いに叫んでた

空っぽの部屋の隅 君の歌は聞こえない


互いの手の中で脆くも 崩れ去った紙は

詠いたい 歌いたい でも叫べない君で

時間が巻き戻せたときは 出会ったばかりの姿へ

傷つけはしない あの頃の僕なら 手紙を破るのに


そうさ 僕らは互いの気を引くため わざと傘を忘れてくる

頬を流れるのは雨なんだ 一緒に走った帰りに嘯いたのに


君の背中を目が追わないように

自分の声を聞かれないように

さよなら告げたあの時の僕は

ちゃんと本当うそを言えてたかな?


掛け合った伝えきれない嘘を

きっと本当みたいに笑い合って

物語てがみに踊っていた


でも君は気づいてしまう 僕のたくさんの嘘に

空っぽで 優しくて もう逃げ出せなくなった

雨に濡れたウソツキは 救われないのがリアル

みな降る世界へ謳う君 現実きみ物語ぼくが負ける

そこからが 君と僕の始まり ともに旋律うみで踊ろう


-----------------------

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ