第3話
ジェラルドが帰宅するころにはレイモンド叔父は屋敷を後にしていた。いつもの様に執事ダドリーと共に帰宅するジェラルドを迎える。変わったことはなかったかという、いつも通りのジェラルドの質問にコーデリアはレイモンド叔父が訪ねてきたことを報告する。
「バロウズ卿が?」
「ええ、様子をうかがいに昼間にやってまいりました。それが何か?」
「いや・・・」
夫が少し思案したような表情を浮かべている。他には何かなかったと尋ねられたが、何もないとコーデリアは首を左右に振った。
「コーデに何もなければそれでいい」
それだけを言うと夫は穏やかな笑顔をコーデリアに向けた。夫のこの表情を見ればコーデリアの心も明るくなる。
(私もジェラルドに何もなければそれでよいのですよ・・・)
心の中でそっとコーデリアは返答をした。
入浴を済ませて寝室の椅子に身を沈めてコーデリアが本を読んでいると、同じく汗を流してさっぱりした様子のジェラルドが妻が持っている本に興味を示す。
古代神聖文字で書かれた古い書物である。それを示すとジェラルドは驚いた顔をする。
「コーデはこれが読めるの?」
「ええ、叔父様がつけてくれた教師の中に古代神聖文字に通じる先生がいたんですよ。まるでお兄さんのような年若い先生でしたけれど、とっても教え方が丁寧でわかりやすかったんです。年若い先生がその先生一人だったので小さいころはその先生が来る日を楽しみにしていましたの」
懐かしい少女時代にコーデリアは想いを馳せた。年若かったその先生がもたらしてくれる王都で流行しているものや話題の事柄など、別邸に引きこもっていたコーデリアにとって外での出来事は新鮮で刺激的であった。
「コーデは先生に教えを受けた?」
ジェラルドがコーデリアの座る椅子の肘掛けに腰を掛け、書物を覗き込む。
「ええ。でもその授業は途中で打ち切りになってしまったの」
レイモンド叔父がつけてくれたその教師は突然辞めてしまった。叔父は後付けの様に古代神聖文字を学ぶことは「女性のたしなみ」ではなかったから、と教師の辞めた理由をコーデリアに告げた。きっとコーデリアには言えない事情があるのだと一人納得したのを思い出す。
「その後は独りで学びました。叔父様には内緒で」
「他にも教わったの?」
珍しくジェラルドがコーデリアのことを聞いてくる。
「ええ、いろいろ学びました。神学、哲学、国語学…隣国テレム公国語、それにディルク王国史に…兵学まで叔父様が教師を付けてくださったんですけど、女性のたしなみである刺繍とかマナーやダンスの教師は付きませんでした」
「まるで貴族の子息が学ぶことばかりだ、「女性のたしなみ」ではないね」
ジェラルドは驚いた表情を浮かべた後、珍しく声を立てて笑っている。
「でしょう。叔父様は私が娘であることを忘れてしまっていたのだと思います・・・ふふ、おかしいでしょ。そのくせ古代神聖文字の授業は取り上げられたのよ」
読んでいた本を閉じると夫の方を見遣る。
「それで社交界が苦手?ダンスを習わなかったから?」
ジェラルドは顎に生えている髭を撫でながら、コーデリアが社交界に出ない理由を尋ねてくる。ここは、コーデリアも夫が望むなら社交界に出ると告げる好機だと、いつ言いだすかその機会をうかがう。
「それも当たりです。それともう一つ理由がありますの」
「もう一つ?」
「そう。実は小さいころから別邸の方に引きこもっていたので、今更どう人と接してよいのかわからないのです。両親が亡くなってから、私のそばにいたのは執事のダドリーと侍女のアビー、料理人のベインズ夫妻、そして叔父様だけでしたから」
言い訳のようにジェラルドに告げる。
「社交界は人が多いし、コーデの目が回ってしまうだろうね」
それにしても我が妻は箱入りもいいところだ、とコーデリアの髪を夫は優しく撫でている。
「ふふ・・・確かに箱入りもいいところです。でも、」
コーデリアは夫のひげで覆われた顔を両手で包むと、
「社交界は夫婦同伴が基本でしょう。そういう場に招待されたらきちんとおっしゃってください。貴方が私を伴わないせいで恥をかいたり、悪い噂を立てられたりするのは嫌です。」
やっと言いたいことを言えたコーデリアはその興奮から顔を染めた。それを聞いたジェラルドはホッとしたような表情を浮かべる。
「そう、それは丁度よかった。実は王妃殿下主催の夜会があってね、コーデも伴うようにと招待を受けていた」
「はい・・・?」
「コーデを苦手な場に連れ出すにはどうすればよいのか思案していたのだ。よかったよ。ぜひ我が妻として参加していただきたい」
冗談めかして言う夫の姿がうれしくて、コーデリアは思わず両手をジェラルドの頚に投げかける。
「ダンスが出来ない不束な妻ですが、どうぞよろしくお願いしますね。貴方に愛想を尽かされないように頑張ります」
結婚して半年。こんなに夫と会話が弾んだのは初めてで、コーデリアはすごく幸せな気持ちに包まれていた。コーデリアが枕を濡らさずに眠りについた夜はこの夜が初めてであった。
ただ、夫から感じる微妙な違和感が消えることはなかった。
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