第11話
夢を見た。久しぶりに嫌な夢を。
夫が今まで見せたこともないような輝く笑顔をコーデリアに向けている。手を振りながら、遠くかすんで見える光の洞穴に消えていく。夫のもとに駆け寄りたいのに、足は鉛のように重く動かない。そして、夫は完全に姿を消した。行かないで!と、のどが引きちぎれそうになるほど叫んでいたように思う。
---嫌な夢。目が覚めてよかったと思う夢。
がたがたと体に伝わる振動でコーデリアは重い瞼を開く。ぼうっとする頭を左右に振り、横に伏せていた体を起こして、コーデリアは周囲を確認する。
どうやら馬車で移動しているようだ。そして向かい側には右頬に傷のある男---コーデリアは「あっ!」と小さく叫んだ。
レイモンド叔父と御者を襲った3人組の男たちの内の1人、右頬に傷のある男が目の前で腕を組み、コーデリアを見据えている。コーデリアはその視線にさらされながら、自分の服装に乱れがないかを確認し、乱れていないことが分かるとホッとする、のも束の間、ジェラルドのことがとにかく心配であった---重傷を負っていたらどうしてくれるのだ、と、この男たちに言いたい。
早くジェラルドの状況を確認し、夫のもとに駆けつけたいのにと頚から下がっている袋を握りしめる。
悶々としているコーデリアの様子を見て、乱暴されたのかどうか不安になっていると勘違いをしたのか、男が口を開く。
「貴女には何もしていない」
目の前にいる男は体に響くような低い声音でコーデリアに乱暴したりしていないことを伝えた。
「それよりも叔父と・・・御者は?」
「今頃、二人とも目を覚ましているはずだ。貴女はご自分の事より、あんな男たちの心配ばかりだな。その上、存外落ち着いていらっしゃる。」
(あんな男?この男は叔父か御者を知っていたの?)
そう告げた男の目からは何の感情も読み取ることはできない。
「今のところ私は無事ですから」
「そうか」
「ところで、この馬車はどこへ向かっているのです?私はどうなるのでしょう?」
「貴女が何もしなけば、こちらも危害は加えない。行先は国外、これ以上は言えん。ご不便をおかけするが許されよ」
「今は何もしないわ。行先が国外・・・貴方方の目的は何なのです?」
男はこれ以上話す事はないとばかりに腕を組み、コーデリアから視線を馬車の外に移し、様子をうかがっていた。コーデリアもまたここから逃げ出し、ジェラルドがどういう状況なのか確認したかった。
コーデリアは逃げ出す好機は馬車から降りられるその時だと考えており、それまでは彼らには従順、且つ大人しくしていようと決めていた。
馬車での移動中、何もすることのないコーデリアはなぜ自分がこのようなことになったのか黙考していた。目の前にいる男たちの真の目的はコーデリアではなく、コーデリアに連なる何か、もしくは誰かということだろう。
何かと問われると屋敷と両親の残した莫大とは言えないがそれなりの遺産。誰かと問われると片手で数えられるほどしか、コーデリアに連なる人間はいない。
ちらりと目の前の男を盗み見ると、腕を組み静かに目を閉じている。髪はに日焼けて少し灰がかっているが黒く、その鋭く胆力が溢れそうなほど輝く瞳も夫と同じく黒色。程よくついた筋肉がなめし皮のようにしなやかな体躯を作り上げている、肌は感想と日焼けのせいか小麦色に焼けてカサカサしているようだ。年のころは夫より・・・夫の実際の年齢は知らないが夫より少し上、30半ばから40歳ほどだろう。
ディルク王国で黒の髪と瞳を持つ人間の人口占める割合はほんのわずかである。そんな髪と瞳の持ち主が馬車襲撃の際に3人も現れている、叔父と共に乗った馬車を襲った男たち全員である。おそらくジェラルドの出生地に属する人間であろう。傭兵になる前のジェラルドが何者なのかは分からないが、彼の前身が関係している可能性が高い。
(狙いは、ジェラルド?---ああ、どうか無事でいて)
この男たちは、コーデリアで夫を誘き寄せる気でいるに違いないのだが、残念なことにコーデリアの価値を完全に見誤っている。白い関係であり、ジェラルドが妻としてコーデリアを見ているのかどうかも、甚だ怪しいところである。囮としてコーデリアを連れているのならば「見当違いですよ」と声を大にして言いたい。
馬車での行程は3日目になった。野宿をしたり、水車小屋で一晩を過ごしたりとまるで冒険小説のような宿泊となった。もちろん、コーデリアは必要最低限のことで馬車を降ろされるほかは、ずっと馬車の中に閉じ込められていた。
夫ジェラルドのことがなければ、冒険小説のようだと少しは気持ちを明るく持って行けたのかもしれないが、夫の状況が分からない今は不安に押しつぶされそうになるのを耐えるので精一杯だった。
馬車の窓に映る自分の姿を見ると失望のため息が漏れる、アビーが結ってくれた髪はとっくに崩れ落ち、ブラシをしていない髪は乱れに乱れている。ドレスも野宿や打ち捨てられた水車小屋のほこりにまみれて眠ったためか、薄汚れている。夫と再会した時にこんなみすぼらしい姿をさらしたくはなかった。
体を拭きたい、髪を梳きたい・・・湯浴みはまず無理だろうから諦めるとしても、何とかお願いできないものか、相変わらず向かいに座る傷の男に声をかけた。
「あの・・・少しよろしいかしら」
腕組みをしていた男が閉じていた瞼を開いた。力強い眼光に気圧され、お願いを口にするのも遠慮してしまいそうになるが、女性としてやはり体を拭いてさっぱりしたいという欲求が勝った。
「お願いがあるのです。湯浴みは無理かと存じますが、どこか水場で体を拭けないかしら。できれば、櫛かブラシをお借りしたいの」
目の前の男の瞼がまた閉じる。やはり、図々しいお願いであったろうかと落ち込んだそのとき---
「すまない。男所帯だったのでそういったことに気が付かなかった」
目の前の男は剣の柄で馬車の天井を叩き、その合図で馬車が止まった。ここで待つようにと言葉短く言い残して、男は馬車から出て行った。
少ししてからすぐに傷の男が櫛を手に持って馬車に戻ってきた。そして、コーデリアにその櫛を渡す。
「櫛しかないがこれを使え。体を拭うのはもう少し待っていてくれ」
半分でも願いがかなったことに、コーデリアの心は少し明るくなった。これでボサボサの乱れた髪を整えられる。
「ありがとうございます。傷の人」
体を拭くのは諦めよう、考えれば自分の周りには男性しかいないのにその中で体を拭くのは危険行為だ。
「今夜、港町セガンというところに着く。そこで宿を取るからそこで体の垢を流すといい」
それだけ言うと、男はまた瞼を閉じて、腕を組むというおなじみの姿で黙ってしまった。彼が発した町の名前を聞いて、血が引きそうになった。夫がかの地に駐留していた場合、この男たちと接触することになる。この男たちの目的が分からないのが忌々しい限りである。
怪我もなく無事でいてほしい、そしてなによりセガンでの災害派遣が終わり、夫が無事帰途についていることを願う。重傷という情報が正しければ、セガンで駐留していることは間違いないのだ。
(ジェラルドが目的だとしたら、この男たちと接触させたくない)
---どうか何も起きませんように。コーデリアの祈りもむなしく、無情にも馬車は港町セガンに向けて走り続けた。
少し長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださってありがとうございます。
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