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第10話

 夫が王国北に位置する港町セガンに向かうと報せが入ったのは、ジェラルドを見送った翌日。城の使いがキャリントン家を訪れ、災害派遣のために港町に向かった仔細を執事ダドリーに告げると足早に屋敷を後にした。

 ダドリーから夫が港町に向かったこと、しばらく夫が屋敷に戻れないことを告げられると、コーデリアは夫の無事を祈らずにはいられなかった。レースのカーテンをそっと持ち上げ、窓の向こう---夫が向かった北の方角をみやる。ジェラルドは今頃この雨の中、港町セガンに向かっているのだろう。激しい雨は峠を越えたようで、今はしとしとと降る雨が静かにキャリントン家の庭を濡らしている。夫を打ちつける雨が柔らかくなったこと、それがせめてもの救いであった。


 雨が上がり秋の空が顔をのぞかせたのはそれから6日ほど後のこと。長く待ち望んでいた陽光が庭に残った雨のしずくに反射し、きらきらと輝いている。それがコーデリアの沈んだ心を慰めてくれた。

 いつもの様にエルマーと共に庭仕事に勤しもうとしたその時、アビーが慌てた様子でコーデリアのもとに駆けつけた。いつも穏やかで落ち着いている優秀な侍女が、ひどく動揺している姿を見たのは初めてである。

「どうしたの、アビー?まずは落ち着いて」

 そう声をかけて、まずは彼女を落ち着かせなければと、アビーの両肩にコーデリアはおのが手を置いた。アビーの双眸には少し涙が浮かんでいるようにも見え、ただ事ではないと予感しコーデリアに緊張が走る。

「だ、旦那様が大怪我をなされたとかで・・・それを報せにバロウズ卿がいらっしゃっています」

「ジェラルドが・・・怪我・・・」

 その報告にコーデリアは目が眩みそうになる。しかし、ここで倒れるわけにはいかず、何とか気持ちを立て直し、崩れそうになる膝に力を込めた。

「叔父様は?」

 震える手を自らの手で押さえながらコーデリアはアビーに尋ねる。

「応接間でお待ちです。お嬢様、急いで応接間へ」

 そう声をかけられ、コーデリアは急いで応接間に足を向けた。あの精悍で逞しい夫が大怪我などとはにわかには信じがたい話である。まずは状況を知ることだと、コーデリアは自分に叱咤し叔父のもとへ急いだ。


 応接間では落ち着かない様子のレイモンド叔父が、何度も応接間の窓の前を行ったり来たりしていた。

「叔父様!」

 コーデリアはレイモンドのそばに駆けより、叔父の腕をつかんでいた。

「ジェラルドが怪我とは?その・・・無事なのでしょうか。命を落としたりは・・・」

 すがるようにレイモンドを見つめるコーデリアの瞳は不安に揺れ、今にも涙が零れ落ちそうだった。

「私にも詳しいことはわからぬのだ。詳細は城に行かねばならん。お前も連れて行こうと思って、ここに寄ったのだ」

 すぐに支度をしますとレイモンドを応接室に待たせて、私室に戻る。庭仕事用の装いではとても登城するわけにはいかない。アビーに髪を結ってもらい、軽く化粧を施してもらう。華美にならないような、詰襟で千草色のドレスを身にまとう。

 城に向かうというコーデリアを止めたのはダドリーであった。ジェラルドに何があってもコーデリアを屋敷から出さないように言われたと、ダドリーは告げる。真面目で勤勉な執事はジェラルドの言いつけに背くわけにはいかないと、コーデリアが屋敷を出ることを最後まで反対していた。コーデリアは渋るダドリーを叔父と共にいれば大丈夫だと説得した。執事はコーデリアの懇願に折れた。


 ダドリーとアビーに屋敷の後を頼むと、レイモンドに付き添われてコーデリアは馬車に乗り込む。御者が馬に一つ鞭をたたくと馬車は走り出した。

 馬車の中では叔父と向かい合うように座っていたが、お互いに一言も発することはなかった。コーデリアはただ夫の無事をひたすら念じ続けていた。

 しばらくたって城に向かっていたはずの馬車がふと足を止める。レイモンドと目を見合わせ、馬車の外の様子をうかがうと、御者が「逃げてください」と叫んでいる。馬車の外で何事かが起こったようである。

 立ち上がろうとするコーデリアの肩に叔父が手を置き、その動きを制した。

「コーデリア、君はここで身をかがめて静かにしていなさい。いいね、何があっても出てきてはいけない」

「でも、叔父様・・・」

 レイモンドは首を横に振って、コーデリアの意見を封じる。そして、お互いに目を見合わせうなずくと叔父は素早く馬車を下り、その扉を閉めた。

 コーデリアは無意識のうちに首から下がっている小さな袋を握りしめる。

(どうか、叔父様を守ってください)


 しかし、コーデリアの願いが届くことはなかった。小さな叫び声が聞こえ、窓から様子をのぞくとレイモンド叔父が道に倒れている。叔父の周りには3人の男が叔父を見下ろすように立っていた。

(なんということを…)

 思わず叫びそうになる口を両手で押さえた。レイモンド叔父はコーデリアにとって、たった一人の血のつながった親族である。その叔父をここでなくすわけにはいかない。

 屈強な騎士ほどではないにしても、剣の腕を鍛えていたはずの叔父が簡単に倒されているということは、外にいる男たちがかなりの剣の使い手だということがうかがい知れる。ひ弱で武芸の心得などないコーデリアにとって、到底かなわない相手であることは承知の上である。が、叔父が傷つけられているのを黙って見過ごすわけにはいかないと、馬車に転がっていた紳士用の杖を片手に握りしめる。


 一太刀でも浴びせられたら---そう決意すると、コーデリアは勢いよく馬車を飛び出した。 

「叔父と御者に何をしたのですか!貴方たちは何者なの?」

 無心で叫ぶコーデリアを3人の男たちは遠慮なくその視線を浴びせる。

「これは、麗しいお嬢さんが隠れていたな」

 3人の男の内、右頬に縦にのびた傷をもつ男が口を開く。

「叔父と御者は無事なのですか?」

 声が震えるのを抑えられないコーデリアは必死に男をにらみつける。目を逸らしたら、この男に殺されるような気がした。背中には冷たい汗が流れて、コーデリアは身震いをする。

「無事だよ、気を失ってるだけだ。我らは貴女に用があったのだよ、お嬢さん」

「わ、私に?」

 男が一歩ずつコーデリアに迫ってくる。男の放つ気のようなものに気圧されて、コーデリアは少しずつ後ずさる。

「そう、貴女に。コーデリア様」

(私の名前を知っている---)

 そんなことを考えた一瞬の隙をつき、男は一気にコーデリアとの距離を詰めてきた。突然の出来事にコーデリアの足はすくみ、逃げようにも動くことがかなわなかった。

「貴女に恨みはない。許せ」

 そう男が口にした瞬間にコーデリアの首筋は軽い痛みを覚える。この後、完全にコーデリアの意識が途絶えた。

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