第九十九話 トドメを刺す漢
『まさか今の一撃を防ぎきるとは。たとえ上位精霊であろうと成すすべなく消滅したであろうほどの威力だったのだがな』
モリナーガの目線の先にいたのはミコトの肩にとまる一羽の小鳥。姿かたちは変えようともモリナーガの目はごまかされてはいなかったのだ。先の一撃は上位精霊ゾンマーの消滅をも狙った一撃だったのである。
『それをたったひとりの人間が防いでみせるとは』
モリナーガの興味が突如目の前に現れたタナカに移る。世界管理者の頂点に位置するモリナーガをもってしても謎多き存在だった。そこには本当に驚いたといった様子が垣間みえる。
『しかし――、さすがに余裕がないと見えるな』
タナカを観察していたがその間も余裕の笑みが消えることはなかった。
すでに虫の息のようなタナカの様子から、自分の勝利が揺らぐことはないと確信しているのだ。もしもモリナーガが先に行われたタナカの戦いを見ていれば、今と同じく余裕の態度をとれたかどうかは疑問である。今タナカが弱っているのは、彼の超人的身体能力が自身の三半規管をふりまわしたがゆえの不調なのだから。
『このまま捨て去るにはなかなかに惜しい力よ。どうだ? 我がものになるというのならば、貴様だけは助けてやってもよいぞ』
「とりあえず膝枕を所望いたします」
すかさずの即答。
速さを尊ぶタナカの思想。あまりの吐き気から早く楽になりたいという欲求。そして美女を前にしての素直すぎる欲望。そのすべてがうまくかみ合った絶妙なる即答といえる。
しかしそのタナカの選択は誤りだった。
『……いいだろう。望み通りこの場で果てるがいい!』
そのあまりにも従順すぎる態度が誤解を生む。モリナーガはタナカが自分を馬鹿にしていると判断したのだ。
すかさずタナカに片手をかざすモリナーガ。そして放たれたのは亜光速の高密度エネルギー体。先の攻撃に匹敵するエネルギーをゴルフボール大に圧縮したその破壊球がタナカに迫った。
タナカは大魔法で卓球のシェークハンドラケットを生み出すとすかさず打ち返す。若かりし頃、体育の授業で学んだ卓越した技量をもってしてはじめて実現できるほどの華麗なるレシーブだった。
しかしこの時点でまたもタナカは選択ミスを犯していた。
それはシェークハンドラケットを選んだ点。これは体育の授業で皆がペンホルダーのラケットを使う傍ら、卓球部の部員がシェークハンドのマイラケットを使用していたことに対する憧れが原因である。
その憧れのラケットを使うという興奮がいつもの冷静沈着なタナカさんの動きを狂わせていた。さらにカラーテ奥義を使用したことによる身体へのダメージ。そしていかに自称プロ級の実力を持つとはいえ初めてのバックハンドストロークは精密さに欠けていた。
「あ……」
タナカの返した球はモリナーガの額に直撃。「すんばらしいレシーブで美女のハートをゲット」作戦は見事に失敗する。
さすがのモリナーガも自身の攻撃でダメージを受けるようなことはなかった。しかしモリナーガが身体にまとっていた結界と打球の衝突は巨大な力を生み、その巨大すぎる反動で彼女は大きくのけぞった状態で停止していた。
「……あの、大丈夫……ですか?」
のけぞったモリナーガの表情はタナカの側から知ることはできない。そのため遠慮がちに声をかけるタナカ。その様はまさしく小物のなかの小物ともいうべき真摯な姿だった。
「……いったい何が起こっているの?」
ミコトは空を見上げながらそう呟いた。しかし彼女の問いに答えることができるものはいなかった。
ここに集っているのは人類トップクラスといって過言ではない強者たちである。その彼らをもってしても、空の上で行われている攻防は認識できないほど刹那の攻防だった。
「戦いの余波だけで心胆を寒からしめるほどのプレッシャーとはな」
実際にタナカと拳をまじえたことのあるガナッシュは、あの勝負にならないほど一方的に叩きのめされた戦いですら、タナカの実力の一端でしかなかったという事実にこれまで築いてきた常識が崩れさるような感覚を覚えていた。
「もはや我らが割って入ることなどできぬレベルの戦いよな」
上空を見つめるトルテ。
これまでどうしようもないような姿ばかりを見せられてきて胡散臭い男という認識だったが、先のガナッシュとの戦い、そして今繰り広げられている戦いを前にしては認めざるを得なかった。
「さすがです。賢者様」
一方エクレアだけは明後日の方向を向いていた。彼女の瞳に移るのは遠く四方に浮かんだ悪魔たちの姿。その匠の技術に虜となっていた。相変わらずにぶれることのない彼女だが、ある意味彼女の目の付け所は正しかったかもしれない。この常識を超えた戦いを繰り広げる間も、タナカは「大罪四重奏殲滅陣」による結界で世界に被害がでることを防いでいたのだから。
「たのんだぞ、友よ」
ヤシチは自分が最も信頼する漢の勝利を信じ空を見上げていた。そしてカムイやテツジン、使徒たちもこの戦いを見つめていた。世界の命運を決めるであろうこの戦いを。
『――潰す』
「えっ、よく聞こえないなあ。……なんて」
二人の声はともに震えていた。ひとりは怒りに、もう一方は緊張で。
『……いや、塵も残すことなく消し去ってくれる!』
次の瞬間、タナカは光に包まれる。それはちょうどタナカの全身を覆うくらいの球体だった。その性質は先ほどモリナーガがタナカを攻撃したそれと同じものである。ただしその威力は先ほどの比ではない。さらに高密度化されたエネルギーがもたらすこの攻撃の破壊規模は、皇国の存在を危うくするほどの一撃だった。
『我が怒りにふれて燃え尽きるがいい!』
モリナーガがタナカにかざしていた手を握り締める。――と同時に光球が輝きを増す。タナカを逃さぬために幾重にも張り巡らせたこの結界の中では、存在するものすべてがプラズマ化するほどにエネルギーが荒れ狂っていた。
やがてモリナーガの激情がおさまるとともに、徐々に輝きをうしなっていく球体。いかにモリナーガとはいえ、自身ですら存在が危うい規模のエネルギーを長期間維持することはできない。
完全に光が消えすべての存在が消滅したはずのその場所には――。
「なっ、なんばすっとね! 眩しかったとよ!」
完全にタナカをビビらせていた。恐るべしモリナーガ。しかし、この結果はモリナーガ自身さえも恐怖に陥れていた。
『ば、馬鹿な……。貴様いったい何者だ!』
お互いにうろたえるというなんとも訳のわからない状態だった。そのいたたまれないような状況が続くなか、いち早く復活したのはタナカのほうである。
調子に乗れる状況をすばやく見抜く死んだ魚のような瞳。断崖絶壁からダイブするまで調子に乗りまくることを可能とする胆力。我らが主人公タナカはこうでなくてはならない。
「コホンッ! ……い、いったい何をおびえているのかな? 誤解があるようだから言っておくが、オレは君の敵ではないぞ。ただの通りすがりのクールガイな漢さ。おっと、信じられないって顔だな。たしかに先ほどの醜態を見ればその反応になるのは仕方がないが、あれは粋なジョークってやつさ。だって眩しい光程度でオレがうろたえるわけないだろう。本当に眩しいのはギンギンに輝くミスターダンディズムたるオレのほうなんだからさ」
思わず殴りたくなるようなドヤ顔である。
『……』
タナカ的には会心の一撃だったのだがモリナーガの反応はいまいちだ。ここでタナカは危険度の高い技「指パッチン」の使用に踏み切る。これはタナカのナンパ成功率0パーセントを二倍にまで上昇させてくれる奥の手である。これで勝率0パーセントは確実だ!
「フッ、どうやら口数が多すぎたようだ。言い訳がましく聞こえてしまったのなら謝ろう。だがダーゲンハッツアイスクリームのような甘い香りでオレを引き寄せた君もまた罪作りな女だよ」
歯の浮くようなセリフにあわせて狙い撃つ!
――スカッ!
ここで痛恨の失敗。世紀のビッグウェーブに乗り絶好調のタナカですら指パッチン失敗の呪いからは逃れられないというのか。
その濁り切った瞳から汁があふれた。生まれて初めて流す9999回目の悔し涙である。
『――よくわかった。貴様が我を見下しているということがな』
大手菓子製造業者の目の前で他社製品を褒めるがごとき暴挙を前に、モリナーガの表情が怒りのそれに変わっていく。
『しかし認めねばなるまい。我が力が及ばぬほどに貴様力が強大であることを』
以外にもその口から出た言葉はタナカの力を認めるものだった。しかしその内容とは裏腹にモリナーガからは怒りの表情は消えていない。むしろその激情は膨れ上がり戦意が高まる。
『だが! どれほどの強さがあろうと我には勝てぬ! 我こそが神の後継者である証を見せてくれよう!』
タナカのまわりに再び収束する力。それはいままでの攻撃とは別次元の力だった。なによりタナカは今自分の身体を捉えている力を知っている。その力はタナカ自身も持つ神の力に他ならなかったからだ。
『世界の狭間! 虚無の世界にて堕ち果てるがいい!』
闇がタナカを呑み込もうと膨れ上がる。タナカは即座に闇を引きはがそうと動くがここで問題が浮上した。
タナカが神の力を自由に操るには条件がある。大魔法「大罪四重奏殲滅陣」を利用したローテーションを行う必要があるのだが、すでに世界に被害がでるのを防ぐため「大罪四重奏殲滅陣」を使用していた。そしてこの時点で神の力は発動しておらず、あくまで大魔法で結界を張っていたのである。
もしもすでに神の力を発動させていたのならば問題はなかっただろう。しかし今回は改めて神の力を発動させなければならなかった。
そして問題になるのがこの初動にうまれる隙。「大罪四重奏殲滅陣」のローテーションによって持続力のなさを克服し、神の力を自在に操ることに成功したが、初動の遅さだけは解決していなかったのである。
この唯一残っていた弱点を偶然にも突かれていた。
闇に引きずり込まれるなかタナカは悟る。間に合わないと――。
このときタナカにできたのは助けを求めることだけ。タナカの目は自然とはるか下方に向いていた。
その先にいるのは最も頼りになる漢ヤシチ。タナカはありったけの念をこめていた。「助けてください! お願いします!」と――。
そしてタナカはわずかな希望にすがりながら闇に呑み込まれたのだった。
「うそ……。消えちゃった」
ミコトが唖然としていた。いや、ミコトだけではない。タナカの勝利を信じていた者たちが皆絶望していた。
「敗けたのですか……」
エクレアが力なく呟いていた。先ほどまで猛々しいフラつきで彼女を魅了していた悪魔たちは今はどこにも見当たらなかった。
「しっかりしろ! 勝負はこれからだ!」
そう喝をいれたのは唯一希望を持ち続けていたヤシチ。
「友の目が言っていた。『すぐに戻る』と――。ならばそれに応えねばなるまい。ここまで友に頼り切りだったのだ。今こそ活躍しなくては格好もつかんだろう」
「ヤシチさん……。そうですね……、あの人がそう簡単にやられるわけがない。一分でも、一秒でも時間を稼いでみせる!」
闘志を燃え上がらせるヤシチの姿にカムイも勇気を奮い立たせる。そして一人、また一人と絶望から這い上がるのだった。
相変わらずタナカにたいする信頼度マックスなヤシチは、その天然さをいかんなく発揮し、ついにトドメを刺すことに成功した。はたして助けのこないことが確定したタナカはどうなってしまうのか。そして世界の命運やいかに。




