第九十三話 皇都混乱
皇国闘技祭のラストを飾る決勝戦。闘技場の中央では皇国の皇女カリンが悠然と佇んでいた。そしてその前には無様に横たわったトビーの姿が――。
「立て! 立つんだトビー!」
闘技場際ではタナカが必死に呼びかけている。いつの間に用意したのか黒い眼帯を装着し、いつもより濃いタッチの表情で叫んでいた。あいかわらず器用な漢である。
「……俺の……敗けっす」
起き上がろうと仰向けの状態から少しだけ上半身を持ち上げたところで、ついに力尽きて崩れ落ちるトビー。戦闘描写もないまま決着がつくという本作の暴挙に、まるで抗議するかのように湧き上がる観客たち。そしてタナカもご多分にもれず叫び声をあげていた。
「トビィィィィイイイイ!」
鼻を真っ赤にさせ涙を垂れ流すその様はまさに迫真の演技だった。それにしてもなんだかんだでトビーを応援しているところに、タナカさんの漢気が感じられる。
「倒れてもいいから気絶するんじゃない! オレのデートはどうなるんだよ! なんとしてもデートの約束を!!」
前言撤回。どこまでいってもタナカさんはタナカさんである。しかしここはぶれることのなかった芯の強さを評価してあげてほしい。
「なんだかあっけない幕切れだったわね。まったく勝負になっていなかったというか」
観客席ではミコトがそんな感想を漏らしていた。そこにヤシチのフォローがはいる。
「トビーはもともとただの商人だからな。こういった荒事の世界に身をおいてから、それほど日はたっていないのでね。そのあたりは大目に見てやってほしい。むしろよくここまで勝ち残ったものだと褒めてもいいくらいさ。実際ここまでの戦いのほとんどが、地力の上では相手に分があった。それをくつがえすために毎回策を講じてきたのは俺だが、それを実行するだけの力を得るため短期間の修行を乗り越えてきたトビーは決して弱い漢ではない」
「まあたしかに彼の戦い方はいろいろ参考になったし、ある意味親近感のわく姿だったわ」
かつて強大な力を持つ謎の魔王との戦いを想定し、圧倒的強者との戦い方をその身に刻んできたミコトにはトビーの試合は興味を引く内容だったのは確かである。
毎試合、終始劣勢になりながらも危機を乗り越えるためにみせる機転の良さ。数少ないチャンスを見逃さない集中力。そして毎試合ごとに短期間の修行で身に着けてきた、普段の力量とは不釣り合いなほどに研ぎ澄まされた決め技。
今回の闘技祭でもっとも勉強になる試合をみせたのはトビーだったかもしれない。
「彼の強さは表面上の強さだけではなかったということですか。確かに今思えば彼からは底知れないなにかを感じたような気がします」
横で話を聞いていたバラの騎士が会話にわりこんできた。その彼が見つめる先には自分の欲望をさらけ出して叫んでいるタナカの姿があった。叫んでいる内容が聞こえないだけに、その姿は実に理想的なセコンドの姿に見えたことだろう。
「なるほど、彼の後ろには背中をささえる漢がいたというわけですか。これでは勝てないのも道理ですね。むこうは二人で戦ってくるのですから」
高品質なヤレヤレが相変わらずよく似合う。その隣では無言のまま最後まで闘技場をみつめ続けるニクメンの姿が。すっかりふやけてしまったマンガ肉のマスクは、感動の涙でいっぱいであることを如実に物語っていた。
「お嬢様! いつの間にか賢者様のアフロが消えてしまっています! しかも太い線のお顔に! すごいです! 是非ともあの御業をお教えいただきたいです!」
「どうでもよいわ! 少しおとなしくしておれ。恥ずかしい」
メイドとお嬢もこの試合に満足いただけたようである。こうして盛況のうちに決勝戦は幕を閉じた。そしていよいよ皇国闘技祭最後のイベントが始まろうとしていた。あらたなる『皇国の守護者』の誕生である。それが行われるのは闘技場正面。観客席を裂くように続く階段の上に用意された儀式場である。
そこで待つのはこの国の第255代国皇ビンタハル14世。エチゴヤや皇女カリンの父親でもある男だった。ここで「元気ですかあ!」と叫ぶような偉丈夫を想像したのならば残念ながらハズレである。そもそもそのような漢が皇であれば、貴族たちの専横を許すことなどありはしなかっただろう。実際、ビンタハル14世は線の細い温和そうなおっさんだった。
儀式場ではビンタハル14世をはじめとした皇族のお歴々が揃い踏みである。元皇族のエチゴヤまで参列がゆるされたのは、貴族たちが開かれた闘技祭を推し進めていたがゆえか。実際に彼ら皇族の両脇には、派手な装飾に身を包んだ貴族たちが我が物顔で参列している。さらに創世神の祝福が行われる儀式のためか。彼らの後ろには神聖そうなローブを深くかぶったものたちが大勢立ち並んでいた。
皇女カリンが観客たちの目が集まる中、儀式場へと続く階段をのぼっていく。バラの騎士やニクメンも自分たちの頂点にたった戦士をみつめていた。貴賓席からはプリン王国王女も見つめている。彼女につきしたがう勇者カムイも。彼の仲間であるテツジンも。
それらとは少し違った目線を送る勇者ヤシチや勇者ミコト。さらにトルテお嬢と駄メイドも何事か起こるのではと警戒していた。
そして急にもよおしてしまったタナカがトイレへと姿を消している間に、カリンが儀式場へとたどり着く。タナカに強引につれられていったトビーはご愁傷様としかいいようがない。二人がいないままついに儀式が始まってしまう。
高所にある儀式場でなにが行われているのか部外者たちにはわからない。しかし静まり返った観客がみまもるなか儀式場で光の柱が立ち上った。以前の闘技祭を見たことがあるものならば、それが創世神の祝福がもたらす光であることはわかっていた。
この祝福の光をうけた皇女カリンが、儀式場から再びその姿をあらわしたとき、それがあらたな『皇国の守護者』のお披露目の瞬間となる。
「――どういうつもりだ」
創世神の祝福をうけるため、光の柱に足を進めようとした皇女カリンの前にローブ姿の者たちが立ちふさがった。
「今回の闘技祭は内容が変更になりましてね。それにともない優勝者のかたには創世神の祝福をご遠慮いただくことになりました」
これには列席していたビンタハル14世や貴族たちにも動揺が走る。
「なにを馬鹿なことを申しておる。……おぬしら神官ではないな。何者だ!」
ビンタハル14世の叱責に、その男はかぶっていたローブから顔をあらわにして答えた。
「何者も何も。我々はそちらの貴族様がたのご贔屓にあずかり正式に参加したのですよ」
それは魔族の男だった。この男こそ皇都での暗躍を主導してきた魔族強硬派参謀シュトレンである。そんな男が表舞台にでてきたということは、もはや事は成ったも同然ということなのだろう。しかしそれに気づくものはいなかった。
「たしかに儀式への参列は認めたが、このような勝手なふるまいまで許したわけではない!」
話をふられた貴族たちが慌てふためく。
「これは冷たい。我々は皆様方の隆盛のためときに謀略を、ときに暴力をと身を粉にして働いてきましたものを」
「だからこそ栄えある闘技祭への参加をゆるしたのではないか!」
「それだけではいささか見合わないかと。ゆえにこの先は自分たちで見繕って勝手にいただいてしまおうと考えた次第です」
「なにがほしい! 金か! 権力か!」
貴族の言葉にシュトレンは冷笑で答えた。
「我らがいただくのはこの皇都。今日限り皇国の歴史には幕をおろしていただき、我ら魔族の国の出発点とさせていただきます」
「馬鹿なことを!」
貴族たちがそんな言葉を吐き捨てるなかエチゴヤは疑問の声をあげた。
「数の上であなたがた魔族は圧倒的に不利です。ここで騒ぎを起こしたところで、数の暴力に屈することになるのは火を見るよりも明らかでしょう。しかしそれがわからずに大言をはいているようにも思えない。いったいなにを企んでいるんです」
「企む? すでに答えは提示していると思うが? 皇国の力はお前たちが思うほど盤石ではない。たしかに豊かな国に発展しているようだが、自立心を高めるのはほどほどにしておくのだな。王国を退けたこともあり錯覚しているようだが、この国は一本の柱が折れてしまえば分裂する可能性が極めて高い状態にあった」
この言葉にエチゴヤの顔が曇る。
「我々が貴族たちの隆盛をささえ、皇家の力を削いできたのが貴族たちに媚びを売るためだけだと思っていたのか。いまや各都市はさらに肥え太り、皇家という楔がなくなれば馬鹿な貴族は耳元で囁くだけで欲望のまま行動するだろうさ。やがてやってくるのは小国の乱立する戦国時代。これでも我ら魔族が不利だと言えるかね」
「それでも……、こんなことをしでかした魔族の国に協力者は現れないでしょう。人間同士の国が協力し、あなたがたを排除する可能性も十分にある」
「本気でそう言っているのか。おのが野望をあらわにし起った貴族がどんな大義で団結するというのだ? まあしかし、厚顔無恥な貴族であればありえなくはないか。その意見は貴重な意見としていただいておくよ。もっともこの豊かな皇都を抑え、ここにいる貴族を人質にいくつかの都市を抑えられれば敗けることなどありはしないがね」
シュトレンの言葉に顔が青ざめる貴族たち。そんななか蚊帳の外にいた皇女カリンが前にでた。
「なるほど。いろいろとご教授いただきありがたいことだが、このような状況を前にして私がこのまま引き下がるとでも思っているのか? 私と技を競い合った戦士たちのために。そして皇家の一員としても。創世神様の儀式を好き勝手にすることも、皇国に害をなそうとすることも見過ごすわけにはいかない」
剣を抜いたかと思うと瞬時にシュトレンに迫る皇女カリン。しかし彼女の刃が届く前に、横からの豪快な槍の一撃が彼女を襲う。すんでのところで気づいてその身を引く。
「このような温い戦いの勝者がなんの障害になるというのだ」
その男の覇気に多くのものが気圧される。そしてシュトレンが頭をさげたのをみてすべてのものが悟った。この男こそ魔族の王になるものであることを。
「我が名はガナッシュ。新たなる魔王である。もはや言葉はいらぬ。服従するをよしとせぬのであれば力をしめせ。我を納得させるだけの力をな」
威風堂々たるその姿に、この場で抵抗できるのは一人しかいなかった。
「ならばお相手願おう。私たちの戦いが温かったかどうか。その身で確かめてもらおうか――」
あらたな『皇国の守護者』を待ちわびる観衆の前にあらわれたのは複数の人影だった。そこで皆の目線を釘付けにしたのは、そのなかでもひときわ大柄な男である。なぜならその脇に力なくうなだれた皇女カリンを抱えていたからだ。
「ガナッシュ!」
トルテが席から立ちあがる。観客たちもざわめき動揺が走っていた。
そこに突然の爆音が鳴り響く。四方からもくもくと煙があがっていた。それが出入り口の方向であり、自分たちが閉じ込められたのだと即座に気づいたのはごく少数の人間だけだった。ほとんどのものたちが目の前の出来事にただただ動揺していた。
「静まれい!」
ガナッシュの大きな声が響き渡る。
「静まれい! 愚民ども! この闘技場の出入り口を封鎖させてもらっただけだ!」
堂々とした態度をみせる大男に皆の注目が集まる。
「これより『皇国の守護者』を廃止し、あらたに魔王誕生の儀を行う!」
皇都の混乱はまだ始まったばかりだった。




