第八十九話 化身
「ハァハァ――」
肩で息をしながらトビーは木刀を正眼に構えていた。それに対峙するヤシチも同じように構えていたが、ほどよく力を抜いた自然体からは彼の落ち着きが見て取れ、二人の間にある力量の差は一目瞭然だった。
「どうした。この程度で息を乱すようでは、この先勝ち残ることはできんぞ」
皇国闘技祭の予選試合も終わり皇都じゅうが本戦への期待で盛り上がるさなか、なんとか本戦出場にこぎつけたトビーは今後の戦いに勝ち残るためヤシチに鍛えられていた。
場所は皇都郊外からさらに離れた空地。人通りも少なくその過酷な訓練を知られる可能性も低い。仮に噂にあがったとしても本戦はすでに終わっているだろう。
「まだまだ!」
トビーが気合とともに斬り込む。ひいた木刀を正面から思いっきり振り落とすが、ヤシチは僅かに身体を揺らして躱すと間髪いれずに横薙ぎのお返し。トビーは戻した木刀でなんとか受け止めることに成功するが、流れるような軌道をみせるヤシチの木刀が次々と襲いかかる。
「よく受け止めた。しかし、まだ反応が鈍い!」
続々と繰り出されるヤシチの攻撃に防戦一方のトビー。そんな二人の激闘のとなりではこれまたポンコツコンビが対峙していた。
「それではダメだ! もっと緩急をつけて」
「なるほど。お嬢様の御髪を整えるのにかこつけて、うなじの感触を楽しむ感じでですね。わかります」
そんな言葉をかわしながら小さな箱を前に向かい合うタナカとエクレア。お互いに箱をツンツンしあっていた。
「そうだ! タナカさんを甘やかすように頬をぷにっとするような感じで」
「そういえば以前、お嬢様の頬をぷにっとしてしまったら張り倒されたのですが何がいけなかったのでしょう」
「なん……だと……。ひとりで抜け駆けするとはひどいではないか同志エクレア! 今度、オレも誘ってくださいお願いします」
「わかりました。そのときは適切なアドバイスをお願いしますよ賢者様」
恐るべき陰謀が進行するなか、二人の前では闘士が激しい攻防を繰り広げていた。
「――って真面目に特訓しているとなりで、何やってんすかアンタたちは!」
「ようやくツッコんでくれたか。まだまだ反応が甘いぞトビー」
「そういう反応を鍛えているわけじゃないっすから!」
今度の反応には満足したのかタナカはサムズアップで応える。そんな相変らずなタナカの様子にため息をつくトビー。
「トビー様。私はヤシチ様より十分優勝を狙えるとすでにお墨付きをいただいております。さらに優勝の可能性を高める方法があるとの賢者様のお言葉に従い、特別講習を受けているところでございます」
「いや、あんたそれ騙されてるから。あきらかにタナカさんが遊びたいだけ――」
「だまりゃ!」
トビーの言葉をタナカの一声が切って捨てた。中納言かと見紛うばかりの迫力からはタナカさんの怒りの大きさが見て取れる。たとえムフフな画像を献上したとしてもその怒りがおさまるかどうか。それほどの断固とした意志が感じられた。
「異世界に伝わる最強の武術にしてすべての武の源流。それを模した戦術シュミレーション『とんTONスモー』を知らないとは勉強がたりないぞ!」
図星を突かれ慌ててごまかしているように見えるかもしれないがそれは誤解である。タナカさんは主人のため優勝を目指すエクレアの心意気に心を打たれ、見返りなど微塵も考えずただ彼女の目標達成のために力添えをしていただけなのだ。多少声が裏返って醜態っぽく見えるかもしれないがまったくもって気のせいである。
「ほう、まさか日本の文化がこの世界に根付いていたとはな」
「えっ? ヤシチさん知ってるんっすか?」
タナカの博学さに感心するヤシチと驚きと戸惑いを隠せないトビー。
「まったくこれだから素人は。しょうがないなあ。お前にいいものをやろう」
そんなことを言いながらタナカが選び出したのは一人の闘士。
「アズキバー製のレア物だからな。大事にしろよ」
手渡される闘士。それは熱に弱いという欠点を持ちながらも、この世界で最も固いと言われる貴重なアズキバー鋼でコーティングされていた。
「ってなんでこんなものにそんな貴重品を使ってんすか!」
「せいぜいそれを使って精進するんだな」
トビーの抗議に聞く耳を持たないタナカには余裕が戻ってきていた。袖の下を渡したことだし、これで邪魔されずキャッキャウフフ、もとい特別講習が続けられると安堵しているのだろう。
「……これ、どこかの商会にでも持ち込んだら、すごい高値で買い取ってくれるような気が」
「お前何言ってんの。ちょっと貸してみろ」
タナカはトビーに渡した闘士をひったくると、手をかざしてなにやら妖しい念仏を唱え始めた。
「なにやってんすか。あいかわらずワケわかんない人っすね」
「ちょっと呪いをかけてるんだよ。これで闘士を粗雑に扱ったらオレにわかるようになるから覚悟しろよ。オレすっとんでくからな。マジで腹にパーンいくからね」
「ちょっ、変なことやめてくださいよ。なんかタナカさんがそういうことやるとホントにできそうで怖いっす」
トビーは慌てて取り返すと貴重品を扱うように懐にしまう。本当に売りに出すのではないかと疑ってしまうような素振りだった。この小市民的なところに、タナカがひそかに親近感を覚えてしまったのはタナカさんだけの秘密である。
「フッ、相変らず仲がいいな二人とも」
「いやいや、なんでヤシチさんはいつもそんななんすか。もっと他に言うべきことがあるでしょ」
全方位でボケが続くなかトビーはひとり奮闘していた。
それは闘技祭のためではなく、ツッコミという過酷な運命を背負うトビーのために特訓をしているのではないかと疑うような光景だった。
「さて、休憩はこのくらいでいいだろう。そろそろ再開……と言いたいところだがそうもいかんようだな」
ヤシチは振り返ると構えを取る。彼が警戒する先には不気味な様子の男が一人立っていた。
「またアンタっすか。なんなんすかいったい」
トビーが不満をぶちまけた相手は、この街で何度か顔をあわせたことのある大剣のカレーパンだった。
「虫ごときに用はない。用があるのは貴様」
カレーパンの視線がヤシチに突き刺さる。
「――と貴様だ」
続けて標的にあげられたのはタナカだった。
「へ? オレ? なんで?」
間抜けな声を出すタナカに気付いているのかいないのか、カレーパンが言葉を続ける。
「お前たちの存在をこれ以上無視することはできない。不確定要素はここで排除する」
「ほう、なかなか興味深い話だ。もう少し詳しく聞かせてもらおうか」
ヤシチの得物が木刀から通常の剣に切り替わる。それにならうようにトビーも臨戦態勢にはいった。
「お前たちから匂ってくるその力……、いまいましき奴の波動……、もはや我慢ならん!」
カレーパンから禍々しい力が放出される。その巨大な力に――発せられた圧力にヤシチは知らず知らずのうちに歯を食いしばっていた。そんな自分に気付いたとき周りの異常に気が付く。
「どうしたトビー?」
一見、力を込めて踏ん張っているようにも見えなくないトビーの姿。しかしその実、恐怖で固まっていた。
トビー本人にも理解不能な心と身体の異常事態。それはトビーだけにとどまらずエクレアも同様の状態にあった。身動きとることなくまるで魅了されたように、ただ恐怖の対象から目を離せないでいる。
彼らが見つめるなか、カレーパンは巨大な力に耐えられなくなったかように外見が剥がれおちていき姿が変化していく。
あらわになったのは黒い人型としか形容できないナニか。目も口も鼻もなくのっぺりとした形状で、人と呼ぶにはあまりにも無機質な外見の化け物だった。
『今、この場で塵も残さず消し去ってくれる』
心の中に鳴り響くように聞こえてくる声。その瞬間飛び跳ねるように前にでたのはタナカだった。本来の彼からは絶対にあり得ない行動である。
タナカ自身、深く考えての行動ではなかった。ただ心の奥底から溢れ出る感情に突き動かされるように、ただ前に出たにすぎない。
しかしすぐに理解する。タナカのなかに眠る力、神の力が教えてくれたのだ。この宿敵の相手は自分がしなければならないということを。そして自分にしか倒せないことを――。
「アニキ! そいつらのこと頼む!」
タナカが手をかざすと、まるで何かに衝突したように後方に大きく吹き飛ばされる化け物。それを追うようなかたちで飛翔するタナカ。
あっというまに空の彼方へと消え去った二人に唖然としていたヤシチだったが、すぐに我に返り崩れ落ちたトビーとエクレアを介抱する。
二人とも呼吸は安定しており、気を失っているだけなのを確認するとひとまず安心し、タナカの消え去った方角に顔を向けた。
ヤシチは本能的に理解していた。先ほどの化け物が、自分とは戦いにすらならないほど別次元の存在であるということに。
「まかせたぞ、友よ」
そして彼の知る限り、それに対抗しうるのはタナカをおいてほかにはいなかった。




