第八十五話 H難度の一手
大陸北部を占める魔族領。その広大な土地とは裏腹に人間が住める場所は僅かしか存在しない不毛の地である。
その魔族領のはずれ。ハル皇国の北方に位置するナナシの街はあいかわらず活気に満ち溢れていた。魔族領にありながら豊富な水資源と耕作地を手にしたこの街は、さらなる人を呼び込み急成長を続けていたからだ。
町長代行オモイの指示のもと農業の拡大と街の拡張に重点をおき、急激な人口増加に耐えうるだけの基盤を整えつつあったある日。新設された庁舎の一室にこの街の重要人物が集められた。
とあるオッサンのお供スケさん、カクさん。
勇者ミコトと大賢者マーリン。ミコトの肩が指定席と化してしまっている上位精霊の炎凰ゾンマーもいる。
さらにギルドAランクのカレーマン。
彼らと実力的に並ぶ魔族クーゲルとその弟たち。
このそうそうたるメンバーを前にオモイが話し始める。
「お忙しいところ申し訳ありません。緊急を要する事案が発生しまして皆さんに集まってもらいました。報告によると近々、魔族領の二大派閥間で本格的な争いが勃発するとのことです」
「ふむ、二大派閥というのは魔族の国再興を掲げ南下を目論む強硬派と、それに反対する穏健派ということでよいかの」
「はい、賢者様のおっしゃる通り強硬派と穏健派の争いです。数の上では穏健派のほうが多いのですが、強硬派は武闘派揃いですから戦力的には強硬派がかなり上でしょう」
「なるほどねえ。二大派閥同士が争うともなれば、この街にも火の粉がふりかかりそうだわな」
カレーマンが肩をすくめる。タナカさんがこの場にいたらそのヤレヤレに指導がはいったことだろう。
「この街はどちらの派閥にも属してませんが、皇国と友好関係を築いていています。我々は強硬派からすると目の敵にされても仕方ないでしょうね」
「なにかあったら私たちが事に当たることになるってわけね。でも本当に魔族同士で戦争なんてするのかしら? 武闘派からしてみれば戦力を消耗させたくないでしょうし、穏健派はそもそも争いは避けたいでしょう」
「ミコトさんの疑問はごもっともです。たしかに両派閥とも戦いは避けたいでしょう。事実、魔族同士での争いなど聞いたことありません。まあ、魔族領は広いですから私が知らないだけかもしれませんが」
そう言うとオモイはクーゲルに目を向けた。
「私も知らぬ。まあ歴史に興味がないから耳に入らなかっただけかもしれんが。そのあたりは賢者殿にまかせる」
クーゲルはあっさりマーリンにパスする。戦ってる最中の勇猛さは今は微塵も感じられない。
「やれやれ、わしもたいして知らんぞい。穏健派のリーダーが美少女じゃという噂ぐらいしかしらんわい。精霊殿に聞いたほうがええじゃろう」
マーリンはミコトのジト目を気にすることなく精霊にパス。
「我も知らんぞ。俗世のことはたいして興味なかったからな。お主らはどうだ」
ゾンマーは可愛い仕草でごまかしスケカクコンビにスルー。
「俺も筋肉以外に興味ねえし」
「拙者まだ二歳児にござる」
まったく役に立たなかった。それにしてもこのメンツ、戦力としては申し分ないが、いろいろと残念なものをお持ちのかたが多い集団である。
「まあまあ、とりあえずやることは決まっていますので。まず穏健派に属していて戦うことのできない一般の方々を受け入れようと思います。つきましてはタナカさんの従者の方々に農地拡大を手伝っていただきます。以前やったことなので問題ないと思うのですがどうでしょうか」
「ああ、湖の状態は安定しているし、タナカの作った耕地もかなりあまったままだしな。問題ねえんじゃないか」
「拙者もやり方は覚えているでござるよ」
タナカのやりすぎた行いも今となっては「こんなこともあろうかと」事案である。本人がここにいなかったのが実に悔やまれる。
「おいおい、やけに計画的に動くじゃねえか。これで何もなかったらえらい肩透かしだな。大丈夫かよ」
「問題ありません。この街の成長はしばらく続くでしょうし無駄にはなりませんよ。もっとも、残念ですが間違いなく戦争は起こるでしょうね。情報の出どころがタナカさんですから」
「まじかよ……」
言葉が続かないカレーマン。タナカへの信頼度が高い彼にしてみれば、これで戦争が起こるのは確実なのだろう。
「ちょっと待って。彼ってたしか皇都に出かけているのよね。魔族領にいったのならともかく、なんで皇都からそんな情報が届くのよ」
ミコトから疑問の声があがる。どうやら彼女はタナカが皇都に行っていることは知っているらしい。タナカさんの目的が知られていないかどうか心配なところである。
「どうも強硬派というのはいろいろと画策しているようですね。皇都でも現在進行形で陰謀の真っ最中らしいですよ。そちらの件はタナカさんにお任せするとして、まあ彼がこの件に関わったせいで今回の情報が手に入ったというわけです。ちなみにこの情報は酒場の亭主さんが通信魔道具で受け取ったものだそうなので新鮮な情報ですよ」
「げっ、あの親父。通信魔道具なんてもってやがるのかよ。酒場の経営は赤字のくせになんつうもん持ってやがんだよ。ってかそんな高価なガラクタ買ったせいで金に困ってんじゃねえだろうな」
通信魔道具は軍用としては広まっているが、民間にはそれほど普及していなかった。そのためいまだ高級な魔道具としての地位を保っているのだ。
しかしこのカレーマンの指摘は酒場の親父的には風評被害以外のなにものでもないだろう。
今回の一件、ナナシの街にすぐにでも連絡をいれたかったタナカがとった方法が、この世界でユニークな存在である酒場の親父の特性を利用した言伝だったのだから。
酒場の親父は当然ながら断ったのだがタナカの熱意に負けて。実際にはタナカが土下座で頼みこみ、それでも断られてジャンピング土下座を披露し、それでも駄目でスパイラル土下座まで披露したからである。さらにいえば目的を忘れたタナカが調子にのり後方伸身二回宙返り三回ひねり土下座に失敗し、酒場の机や椅子をしっちゃかめっちゃかにして、酒場の親父がブチ切れるという微笑ましい日常の一コマもあったわけだが、そのことについて言及する必要はないだろう。
とにかく根負けした酒場の親父が、苦し紛れに使った言い訳が通信魔道具だったというのが真相なのである。
ちなみに借りができたタナカさんは現在皿洗いの真っ最中だったりする。当然タダ働きだ。
「それにしても彼の顔の広さには驚かされました。この情報の出どころはなんと勇者ヤシチだそうですよ。しばらく話を聞きませんでしたが、生きてたんですねえ彼。現在タナカさんは強硬派の陰謀を阻止するため、勇者ヤシチに加え穏健派のリーダーまで行動をともにしているそうですよ」
「勇者ヤシチ……」
「さりげなく美少女と行動をともにするその手腕、やはりやりおるのう」
「ハハハ、やっぱりすげえな。ダンナはよう」
思い思いを口にする面々。反応のない者は常識が欠けているせいか、なんの話かさっぱり状態だった。そちらのほうが多人数はだった点は、非常識集団としての矜持を保ったと評価したいところである。
「穏健派のリーダーとのかかわりもありますし、一般の方々の受け入れの話も間違いなく行われるでしょう。その方々はかなり散りぢりに暮らしているようなので、一度に大人数が増えるわけではありませんが。最終的には二万人ほどの増加を見込んでいます」
「おいおい、もう一つ街を作る気かよ。多すぎだろ」
「そうですね。ですが北方に追いやられてから一千年。魔族の二大派閥の一方が戦闘員を除くとはいえ二万ほどとは。彼らのこれまでの境遇がいかに過酷だったのか。いろいろと考えさせられます」
オモイのこの一言にはいつも大胆不敵なカレーマンも冗談を返せなかった。
「彼らの受け入れ、なんとしてでも成功させないとね」
ミコトが代わりに応えた。普段通りの一言だったがその言葉に込められた思いは強いものがあっただろう。
「先ほども言いましたが受け入れの件は我々でやります。街の防衛もお二方がいれば問題ないでしょう」
スケさんとカクさんが頷く。
「ですから他の皆さんには強硬派の足止めに動いていただきたく思います。戦力的には穏健派がかなり不利な状況です。危険な仕事になるとは思いますがよろしくお願いします」
「へっ、そうあらたまって頭をさげなさんな。そういうのはむしろ望むところなんだからよ」
いつもの調子でカレーマンが応えた。
「アンタはタナカの先生なんだからよ。もっとドンと構えておけばいいんだよ」
まるでカレーマンに対抗するようにカクさんがオモイを元気づける。いつになったらこのツンデレ勝負に幕が下りるのか。
「まかせておいて。修行の成果をバッチリみせてやるわ」
「これこれ、気負いすぎは危険じゃぞ。まったくどうしてこっち方面に成長してしまったんかのう。セーラー服が泣いておるわい」
「心配することはない。精霊たる我が味方するのだ。足止めなどと言わず勝利してやろうではないか。別に勝ってしまってもかまわんのだろう?」
愛らしい姿でカッコいいことをいう上様。もしこの場にタナカさんがいたらハンカチを噛み締めて悔しがっただろう。
「できれば双方とも被害が少ない方向でお願いしますね、ハハハ」
このときからオモイは少しずつ強硬派の心配をしはじめたのだった。




