第八十三話 緊急事態
「ニックッメン!! ニックッメン!!」
闘技場に漢たちの野太い声が揃ったように響き渡っていた。
「ニックッメン! ニックッメン!」
観客席にいたタナカも立ち上がって声をあげている。
「ニックッメン!! ニックッメン!!」
そして漢たちの声援を一身に受け続ける漢が舞台の上で構えをとっていた。本試合の主役のひとりであるニクメン選手である。
その手に武器はなく、身につけているのはマンガ肉を模したマスクと派手な柄のパンツのみ。無手で戦いに挑もうというその心意気が漢たちの魂をつかんだのだろうか。
「ニックッメン! ニックッメン!」
否、そうではない。漢たちの魂の叫びにはあきらかに殺気がこもっていた。この状況はいったい何が原因なのか。それはニクメン選手に対峙する男に原因があった。
「キャー! 薔薇の騎士様!」
漢たちの野太い応援の間を縫うように聞こえてくる女性陣の黄色い声援。その応援をうけてなのか。男には自信にあふれた笑みが浮かんでいた。
この舞台もう一人の主役である皇国の騎士ハンサム。チューリップを模した派手な装飾の鎧がやたらと似合っている。設定がガバガバすぎるぞ薔薇の騎士。
さらにその見せつけるように尖ったアゴが、否が応でも漢たちに嫉妬の炎を燃え上がらせていた。
「ニクメーン! そいつを叩き潰せー!!」
漢たちのボルテージが最高潮に達したところで試合が始まる。
漢たちの嫉妬の心が乗り移ったかのように、開始の合図とともに果敢に襲い掛かるニクメン。
このままニクメン得意の組み技にもっていけるのか。その手がハンサムの鎧を掴んだと思った瞬間、ニクメンの視界からハンサムが消える。そしてニクメンの意識はそこで途絶えた。
前のめりにゆっくりと倒れていくニクメン。
「ニクメーン!!」
漢たちの悲痛な叫びが会場に木霊する。
いっぽうハンサムは手刀を放ったポーズのままさわやかな笑みを浮かべていた。実際に腰の剣を抜くことなく勝利したのだからかなり余裕だったのだろう。
「薔薇の騎士様素敵! 抱いて!」
そんな女性たちの声援に応え、ハンサムは笑顔を振りまいていた。
「あの野郎! オレが美女に言ってほしい台詞ナンバーワンを!!」
観客席にいたタナカが興奮で声をあげる。その瞳には汁が溢れていた。この試合で生まれたニクメンとの絆の深さを如実に物語っている。決して嫉妬の涙などではない。
「ちょっと、タナカさん落ち着いてくださいよ」
吠え続けるタナカのとなりではトビーが必至になだめようとしていた。
「これが落ち着いていられるか。あんな野郎にニクメンが……! 俺たちの希望の星がやられちまったんだぞ! クソッ! やはり剣の使い手に無手ではハンデがありすぎだったんだ。無茶しやがって……」
「いやいや、剣抜いてないから。結局は素手同士の勝負だったから」
トビーがツッコミをいれるが、タナカさんに都合の悪い言葉は届かない。
「あのハンデさえなかったらニクメンは負けなかったね。プロのオレにはわかる!」
「ほう、兄ちゃんわかってんじゃねえか。あんな優男に俺たちのニクメンが負けるわけねえよな!」
タナカは近くでニクメンを応援していたオッサンたちと意気投合していた。
「駄目だこの人たち……。嫉妬のあまり現実がみえてないっす……」
現実逃避した漢たちで観客席が盛り上がるなか、ひとつの戦いは終わりを告げた。
「――って! こんな呑気にしてる場合じゃないっすよ! 俺も試合がひかえてるんすから!」
「ふーん」
あせるトビーとは対照的にタナカはポップコーンっぽい何かを口に運びながら席でくつろいでいた。
「まったく……、『緊急事態だからお前もこい!』なんていうからついてきてみれば、ただの応援ってなんなんすか」
「バカヤロー! ニクメンとイケメンの対決だぞ! これはもう麺の神様が見ろと言ってるとしか思えねえだろ。麺だけにかぶりつきでみたかったところだ。……おい、トビー。ここは『麺はすするものっすよ!』と攻めるべきじゃないか? かかってこいよ」
「わけわかんないっす! だいたいそんな神様聞いたことないっすよ。ハァ……、てっきりヤシチさんを見つけたのかと思ってたのに……」
トビーの表情が曇る。別行動をとっていたトビーとヤシチであったが、ここしばらくぷっつりとヤシチの消息が途絶えていたからだ。
いっぽうタナカのほうはエチゴヤと合流予定だった商会が消失し、エチゴヤとの連絡ができないまま無駄に日々を過ごしていた。持ち前の優柔不断さをいかんなく発揮するところはさすがタナカといわざるをえない。
この状況でトビーがタナカにヤシチを探すよう頼んだのは自然な成り行きだったといえよう。
「そう落ち込むなよ、なんとかしてやるから。何でもできるタナカさんといわれてはいるが、人探しはオレの最も得意とするところだ。安心しろ」
なんとも頼もしい漢である。エチゴヤを探すこともせず呆然としていたとは到底思えない。ジト目のトビーがそれを物語っている。
「だからお前は試合に集中しろ。優勝してモテモテになってオレに女の子を紹介するのが、今のお前にできる唯一のことだ」
「無理っす! いろんな意味で無理っすよ! だいたい試合に集中するのを思いっきり邪魔してんじゃないっすか!」
「チッ! そのへんは流せよ。もっと大人になれって。な?」
大人でないのはどちらなのか。その証明は徳川埋蔵金を見つけるより難しいと思われるので、ここで言及するのはひかえておく。
「……仕方ない、今回の優勝はキッパリとあきらめよう。だからせめて皇女ちゃんと仲良くなってオレに紹介しろよ」
「相変わらず難易度高いっすよ! っていうか闘技祭をなんだと思ってんすか」
「フッ、わかってるよ。お前がオレのハーレムをつくるという野望のため、ひそかに協力しようとしてくれていたってことはな。だから兄貴のことはオレにまかせとけ」
サムズアップしてカッコよく立ち去ろうとするタナカ。頼もしき事泥船の如し。
「いや、そんなこと考えてないし……。アンタ頭の天辺から足の爪先まで勘違いでできてるっすよ」
そんなトビーの言葉をBGMに漢は闘技場を後にしたのだった。
「――つってもどうしたもんかなあ」
街に出たタナカはあてどなくフラフラと歩きまわっていた。
タナカとしてはトビーからの依頼がなくともヤシチを見つけ出すつもりだった。最強勇者の看板をもつヤシチとは良好な関係を続けたいからだ。
あるときは強者の背中に隠れ、ある時は強者の力を背景にブイブイ言わせたいと考えるのは小物であれば健全すぎる考えだろう。
つまりタナカにしてみればヤシチとこの機会に一度挨拶をしておくというのは重要な案件なのである。
こうして割とまじめに人探しをしていたタナカなのだが……。
「あっ! あれは……」
賑やかな人波でひと際目立つものがいた。この場にそぐわないメイド服に身を包み、凛としたひとつひとつの仕草は人々の目をひいてやまない。その女性は混雑した人波を難なく進んでいた。
「フフッ……。どうやらようやく釣りに成功したようですね」
彼女は誰にも聞こえないほど小さく囁くと人ごみを進み続けた。人の多い中央の通りから外れ、やがて皇都でもあまり治安のよくないエリアに移動する。
さらに人影のない路地裏、ちょっと開けた袋小路に入ったところで立ち止まった。
「この皇都でなにやらコソコソと企んでいるようですが、それを調べるのもいいかげん疲れました」
彼女が振り向くとそこには彼女を目当てに集まった幾人かの者たちがいた。
「あなた方がその胸に秘めたもの。この場ですべて打ち明けてもらいましょうか」
戦う侍女エクレアはその細身な体に不釣り合いなくらいの巨大な鎌を取り出すと構えをとった。
しかし次の瞬間、キリッとした表情のエクレアの眼が驚愕で見開かれる。彼女を追ってきた者たちのなかにひときわ異彩をはなつ者がいたからだ。それはポンコツな彼女の記憶にすら残るほどの漢。
「フッ、まさかこれほど積極的な女性だとは思わなかった。以前みせた君の顔は本当の顔ではなかったということか。ヤレヤレ、まだまだオレも青いな。だが安心してほしい。そういう情熱的なの、嫌いじゃないんだぜ。だから受け取ってもらおうか。この、オレの心に秘めた情熱を。そして歩いていこう、二人のキャッキャウフフなバージンロードを!」
あきらかにヤバい雰囲気の者たちのなかにあって、自分の欲望で周りが見えていない漢がいた。
それはポンコツたちの二度目の邂逅。陰謀渦巻く皇都において、この出会いはいったい何をもたらすことになるのか。なにももたらさないかもしれない。




