第七十八話 至高の存在
夜の喧騒が静まり人々の意識が夢へといざなわれようとしていたころ。つい先ほどまで喧騒の中心だった酒場も、今は静かな時がおとずれていた。
カウンターの奥で後片付けをする酒場の親父。彼がたてる小さな物音は心地よい音楽のようにこの場に似合っている。しかしそのささやかな音楽会をときおり乱す漢がこの場には残っていた。
「ねえ、おやっさんわかる? オレだってさ……。少しは自覚してきたわけよ。自分が世界の中心にいるなんてのは……、うぬぼれにすぎないってさ」
「そうかい。その歳でようやく気付くのはどうかと思うが。まあ少しは賢くなれてよかったんじゃねえか」
片づけを続けながらなげやり気味に応える酒場の親父。実に慣れたものである。
「ああ……、多く見積もっても髪の毛先ほどは世界の中心からズレているだろうな。どおりで世界がオレの思い通りに動いてくれないわけだぜ。ハァ」
「それ、ほとんど世界の中心じゃねえか! おめえはもっとズレてるよ! しかもいろんな意味でズレてるから! どんだけ唯我独尊なんだおめえは!」
カウンターでいじけているタナカに酒場の親父のツッコミが直撃する。しかしタナカはビクともしない。
「だからさあ……、オレもささやかな夢だけでもかなえようと頑張ったわけよ。世界一のお金持ちになって、世界中の美女たちからチヤホヤされたいってね。でもその夢はあっけなく壊された……。オレほど理不尽な目にあってる漢はいねえよな。はっきりいって、世界はオレをそうとう嫌ってると思うね」
「いや、俺はおめえの願いが叶わないでよかったと心底思うぜ。世界のためにもな」
酒場の親父の言葉が聞こえているのかいないのか。ミルクをちびちびやりながらタナカの独り言が続く。
「おやっさんはさあ……」
「いや、もういいから帰れよ! 仕事の邪魔なんだよおめえは」
このままグダグダとしたやりとりが続くかと思いきや。次にこぼしたタナカの何気ない一言で、この場の雰囲気は一転する。
「なんで、どこの街の酒場にいっても同じおやっさんなの?」
「なに?」
酒場の親父の驚きは一瞬だった。次の瞬間、まるで重力が跳ね上がったかのようにこの場に重圧がのしかかる。それはタナカのまったりモードを解除するには十分すぎるほどのプレッシャーだった。
「いつから気付いてた?」
「さ、さあ……、いつからだろうね? 王国を旅している途中のころかなあ? いま思うとなんでそれまで気付かなかったんだろうね。ハハハハ……」
いつになく真面目モードの酒場の親父に、タナカはしどろもどろに答えた。
「最初から条件をクリアしていたってことかよ……。なんで気付いた時に言わなかったんだよ」
「よくあることじゃね? ほら、あの電気ネズミの活躍するやつの巡査さんとかさ」
「いったい何を言ってるんだおめえは」
これはタナカがかつて視聴していた国民的ゲーム『ぼけっとモンスター』のアニメ版。そこにでてくる巡査さんたちが、どこの街にいっても同じデザインだったことが原因だろう。タナカさんの知識の豊富さが仇となってしまったかたちだ。
「それにしても驚れえたぜ。いったいなにもんなんだ? おめえは」
「なにもんって言われても……。っていうかまったく状況がまったく理解できないんだが」
自分を取り戻しつつあるのか。勝手に話をすすめる酒場の親父にたいしタナカは疑問を口にした。
「深淵の魔女から継承したんだろ? 神の力を。そんとき説明されなかったのか?」
今度はタナカのほうが驚く番だった。そのことを知るのは三馬鹿トリオ以外にはいない。糸コンニャクに勝るとも劣らぬ結束力を誇るチームタナカ。その彼らからの情報流出などありえないのだからタナカの驚きようも当然である。
「驚いてるみてえだな。いい機会だからとっておきの情報を教えてやるよ。例えば……、おめえこの社会のなかで一番偉いのはだれだと思う?」
「ん? 突然何言い出すんだ? そりゃあ王様とかだろ? 力関係からいったら王国か皇国あたりの王様かな」
いきなり話が横にそれた気がしたが、タナカは律儀にそれに答えた。
「まあ、普通の答えはそんなところだろうな。だがそれは違うぜ。この世界にはあらゆる情報を収集し、管理しているエリート中のエリートがいる。それが『酒場の親父』という職業だ。この情報を武器にすれば権力なんてもんは思いのままよ。間違いなく社会のヒエラルキーの頂点に位置するは俺だ」
「ま、まじかよ……。すげえなおやっさん」
「ああ、酒場の経営は赤字だがな」
「なんでだよ! 情報を武器にとやらで権力・財力ウハウハにすればいいだろうが! ついでにオレにもウハウハさせてください。お願いします」
「バカヤロー! そんな卑怯な真似できるか! 酒場の経営をきちんとやってこその『酒場の親父』だろうが」
どうやらエリート中のエリートは思いのほか自分の職業にたいする誇りが高かったらしい。タナカのささやかな望みは却下される。
「まあいい。とにかく社会の頂点にたつのが俺なわけだが――」
「いや、そのヒエラルキー意味ないし――」
ツッコミをいれたタナカであったが、ギロリといった感じの酒場の親父に口を噤む。
「社会の頂点にたつのが俺なわけだが、はっきりいってそんなもんは飾りにすぎねえんだ。そんな人間の枠を飛び越えてあらゆる生物――。いや、あらゆる存在の頂点に位置するのが『酒場の親父』である俺だといっていい。どんな強力な魔物だろうがいっぱつでコレもんよ」
そう言って拳を突きだす酒場の親父。酒樽を持ち運ぶことで鍛えられた腕は太く逞しい。その迫力にはさすがのタナカさんもごくりと喉を鳴らす。
「このあいだも近所に住むチョコちゃんがつれた子犬の愛らしいタックルを受けて、思わず地面にキッスしてしまったぜ」
「めちゃくちゃ弱えじゃねえか! しかもキッスとか言ってんじゃねえ。その発音はイケメンだけにゆるされる特権なんだよ!」
「バカヤロー! ペロちゃんは俺になついてるんだよ! そんなペロちゃんに手をだすわけにはいかねえだろうが! この紳士的な行動こそがイケメンのさいたる証だろ!」
いまだかつてこれほど高度な知識を必要とする難解な問題への議論はあっただろうか。いや、ある。
「とにかく! そんな至高の存在である俺からの忠告だ。今はその力を隠しとおして磨き続けろ。時がくるまではな」
「なんだそりゃ? ワケがわからんのだが」
「いいから俺とおめえの秘密を隠し通せ。もし秘密を漏らしたら……、まじで世界から罰を――呪いをうけるぜ」
酒場の親父は先ほどまでの雰囲気とは違い真剣な様子に戻っていた。タナカもやっかいな問題を背負わされていたことを自覚したのであろう。その深刻さから胸焼けするほどのプレッシャーを感じていた。
誤解されがちだがタナカさんにもそれなりの責任感がある。たまにはタナカさんもシリアスになるのだ。決して「俺とおめえの秘密」というフレーズに吐き気をもよおしたわけではない。
「お、脅かすなよ。わかったから。今日聞いたことは誰にも言わねえよ」
「それでいい。もし秘密が漏れたら……、夢の中で階段を踏み外してビクッとなって目が覚める呪いくらいはかかると思っていい。しかも毎日だ。はっきりいって世界はおめえが思っているよりも残酷だぜ」
「地味な嫌がらせだなオイ! ひょっとして世界はオレに優しいのか? 今ちょっと堕とされそうになってるよオレ。だが、オレをなめてもらっちゃこまるぜ。あのビクッってなる感覚。嫌いじゃないんだぜ?」
「ま、まじかよ」
ここにきて酒場の親父はようやく気づく。タナカが自分の考えを凌駕するほどの可能性を秘めていることに。
「おめえには脅かされてばかりだぜ。人間ってやつはこれだからあなどれねえ……。まあいい、とにかくさっきのはあくまで例えばの話だからな。罰なんてうけないにこしたことはねえだろ? だったら秘密は隠しておきな」
「わかったよ……。まあ、おやっさんには世話になってるからな。言うこときいておくよ」
「それでいい。ついでに……、もう帰れよ! 仕事が終わんねえんだよ!」
問答無用で酒場から追い出されるタナカ。しばらくの間ミルクへの未練に立ち竦んでいたタナカさんであったが、ひとりトボトボと歩きはじめる。
「それにしてもショックだぜ……。この世界で良識派だと思っていた酒場の親父がボケるなんて……。この先、オレはいったいどうすればいいんだ。ツッコミ役として生きていくしかないってのか……」
もはやタナカが安心してボケられる安住の地はない。ボケ役のほうがモテるという都市伝説を信じているタナカにとって、あまりにも残酷な現実だった。ただひとつ救いがあるとすれば、この世界にはまだツッコミを続ける漢が残っているということだろう。そう、タナカの剣を借りパクしたヤツの存在である。しかし、彼が今どこにいるのかはさだかではない。しばらくの間はタナカにとって過酷な日々が続くだろう。
頭を悩ませ足を重くしながら宿に向かう。タナカは先ほどの酒場の出来事を考えていた。
「――ってよくよく考えると、おやっさん全然オレの疑問に答えてねえじゃねえか! なんなんだよいったい! オレはなんでどこの街の酒場にいっても同じおやっさんがいるのか、軽い気持ちで聞いてみただけなんだよ! 無駄にわけわからん設定とかいらないから! アニメでよくあるどこの街にいっても同じキャラ的な仕組みだって……。そう言ってくれれば納得できたのに! なんで……、なんでこんなことに!」
どことなく悲劇の主人公っぽい台詞をはいて雰囲気を出すタナカ。しかし誰がどう見ても悲劇になりえないのはタナカのタナカたるゆえんであろう。どこからともなく聞こえてきた夜鳥の鳴き声も、タナカを馬鹿にした台詞に聞こえてくる。恐るべき才能と言わざるを得ない。
とにかく、どうでもいいような世界の秘密に触れてしまったタナカさん。これからいったいどうなってしまうのか。当然どうなることもなかった。
タナカは一晩でキレイさっぱり悩みでもなんでもない悩みを忘れてギルドの仕事に復帰する。ほぼ無一文からの再スタートだったがタナカさんにしてはめずらしく順調な滑り出しだったといえよう。
しかし、それはギルドで顔をあわせたエチゴヤの相談を受けるまでの話である。
しばらくの間、停滞していた時の流れが動き出す。それは時代の激しい変化の前触れ。タナカの新たな冒険が始まろうとしていた。
「タナカの異世界成り上がり」第二巻が発売されることになりました。
表紙イラストを公開してますので、興味のあるかたは活動報告をのぞいてやってください。




