第七十六話 信念
ギルドのとある一室――そのかなり広めな部屋はそこかしこに資料がちらかっていた。そして書類の山ができあがった机を前に椅子に腰かけているのは、この執務室の主であるエチゴヤ。今は一心不乱となってとある資料を端から端まで凝視している。
「いかがですか? この季節に比較的短期間で、収穫可能なものを選定したつもりです。ひと月後にはそれなりの量の収穫が期待できると思いますよ」
そんなオモイの言葉が聞こえているのかいないのか。エチゴヤは資料に魅入られたように固まったままである。今、彼が手にしているのはオモイが作成した資料であり、今季の予想される収穫量、収穫時期に始まり、その生産を維持していくために必要な労働力の概算書。さらには今後を見据えての生産効率を重視した年間サイクルでの品目選定や、これまでの人口増加率から考えられる増産予定書。ついでに出荷する場合の増産計画と、それにともなう必要な人材などなど。そこにはこの街の農業に関連したさまざまな情報が書き記されていた。
タナカとオモイが再会したあの日。タナカに泣き付かれて……もとい、タナカに相談をうけてからオモイがまず最初に取りかかったのは、タナカがつくったという耕作地の土壌調査である。
結果は魔力過多。タナカの盛土魔法で操られた土は高濃度の魔力にさらされた結果、過分な魔力を含んだ状態にあったのだ。そのためまかれていた種子はその環境に耐えられず、休眠状態にはいり発芽不良に陥っていたことがわかる。
一日で状況を把握したあくる日。オモイは耕作地帯の魔力を吸収するため魔道具の制作を開始する。
そして翌日にはタナカとスケさんが完成した魔道具片手に、耕作地帯を飛びまわっているのを目にすることができた。これほど短期間で魔道具を完成させることができたのは、かつてオモイが自作した人工魔力結晶製造魔道具の存在が大きい。この魔道具に使われていた魔力吸収機構を応用することで新たな魔道具が完成したのである。
オモイの頭脳と三馬鹿トリオの非常識さがいかんなく発揮され、土壌の調整はあっというまに終了。ちなみに物理干渉できないカクさんが応援係だったのは言うまでもない。
そして種まきからやり直した数日後には、この地方の環境と季節に最適な農作物の発芽が確認できるところまできた。
タナカさんの先生にたいする信頼は上がりに上がりまくり、天上まで昇りつめ、天井を突き破り、天丼でフィーバー状態だった。その喜びようは特盛級でエビの大名行列である。
こうしてエチゴヤにドヤ顔をみせる機会を見事獲得したタナカは、オモイが片手間にまとめあげたという資料を持参して、エチゴヤの執務室に乗り込んだのが今日というわけだ。
「さすが先生! かつて世界中の賢者たちが期待をよせたという『時代を百年進める寵児』は今も健在ですね!」
「そんな風に呼ばれた覚えはないんだけどねえ、ハハハ」
タナカの妄想話に花を咲かせる師弟をよそに、エチゴヤはあいかわらず資料に見入っていた。それもそのはず。その資料は間違いなく、ジリ貧状態だったこの街の状況を一転させるための起爆剤となり得るものだったのだから。
「これ以上驚くことはないと思っていたんですが……、これほどの成果物を見せられては認めざるを得ませんね。タナカさんが新たなリーダーとなる――」
「ちょっと待った!」
ここでまさかの物言い。読者の誰もが期待したタナカさんの成り上がり伝説の幕開けを阻んだのは他でもない。タナカさん自身であった。
「ここまできてなんだが、この街をタナカ王国の始まりの地にしたいというエチゴヤさんの話、なかったことにしてもらえないか」
ツッコミどころ満載な発言をするタナカ。やたらと謙虚そうな表情も相まってイラッとすることこの上ない態度である。
これを間近で見ていたエチゴヤの血圧が一気に上昇したのは、まあ自然の摂理みたいなものだろう。
しかし、「そんな話になってたんですか。すごいですねえ」と気の抜けた笑顔を見せるオモイが目に入り、ツッコミをギリギリのところで踏みとどまったエチゴヤさんはたいしたものである。ストレスで倒れないか心配なところではあるが。
「ゴホン! ……いろいろと言いたいところではありますが、とりあえず置いておくとして。あれほど献身的に働いていたアナタが、いったいどういった心境の変化ですか?」
「なんか実際やってみると内政とかって思ってたより面倒くさ……、いやいや。なんというかアレがあんな感じでそんな感じなわけよ。わかんないかな~、……ああ! アレだよアレ! オレってば信念の塊のような漢だろ」
キリッとした表情に変わるタナカ。どこか線が太いタッチに変わってしまったような錯覚に陥らさせてくれるのは、彼の芸の細かさゆえか。
「つまりはさ。オレには何事にも優先すべき使命的ななにかがあるってことだ。わかるだろ? でも民を思う心がスープ皿のごとく深いオレは、この街の状況を放置しておくことができなくてさ。あえてその信念を曲げて力を貸してたってわけよ。どうよ? この女の子にモテそうなシチュエーション。フフン」
一流企業をその才覚だけで渡り歩いていけるのでは。そんな期待感をもたせてくれるほどの冷静さと説得力である。
「聞き捨てならない言葉が聞こえたような気がしたのですが。まあ、いいでしょう。できることなら街のためにも、このままタナカさんの敏腕を発揮していただきたかったところですが、幸いにも今回の成果で当面の危機は回避できるでしょうし」
「だろだろ? それにもしものことがあった場合でも先生がいるから大丈夫! はっきり言って先生まじパネェから。長年、教えを受けながら間近で先生の偉業を見続けてきたオレがいうんだから間違いないって。ここだけの話、先生を手に入れたものは天下を制すとか賢者たちに言われてたらしいからね。ほんとこれマジだから」
こっそりとエチゴヤに耳打ちするタナカ。「なにやら現在進行中で私の過去がつくられている気がするんですが、気のせいなんでしょうかねえ、ハハハ」というオモイの言葉が二人に届くことはなかった。
「というわけなので! 先生、後のことはよろしく頼んます!」
ファンシーな効果音を立てながら、脱兎のごとく執務室から飛び出していくタナカ。
「ハハハ、どういうわけなのかわかりませんよ。相変わらずですねえ」
取り残されたオモイはタナカが出ていった扉に苦笑を返すしかなかった。そんな風に扉を見つめたままでいるオモイにエチゴヤが話しかける。
「それにしても、まさかこんなかたちで再会するとは思いませんでしたよ。先輩」
その言葉にほんの少しだけ驚いた様子のオモイ。
「随分な変わりようだったので人違いかと思いましたが、やはりアナタでしたか。殿下」
「殿下はよしてください。すでにその身分は捨てたのですから。いまはただの商人ですよ。もっともギルドのしがらみのせいで、政治まがいなことをしてますがあくまで臨時ですので」
「それではこちらも先輩はよしてくださいよ。研究局でアナタの面倒をみたのは昔の話なのですから」
互いに苦笑を返す二人。しかしどこか張り詰めたような空気があった。
「それにしても一昨年は随分とご活躍だったようですね。お上の方々のひきとめもさぞや豪勢だったことでしょう」
「ハァ、思い出させないでくださいよ。訳あって国に力を貸すかたちとなりましたが、私が研究局を去った理由を忘れたわけではないでしょうに」
「申し訳ありません。その様子ですと、かの方々も相変わらずお変わりのないようで、言うことなしです」
疲れたような様子をみせるエチゴヤの姿に、オモイは静かに尋ねた。
「本当にお捨てになったのですか? 私の知るかつてのアナタは強い信念を感じさせてくれましたよ。それこそ、かの方々の権勢を止めてくれるのではと期待させるほどに」
「買いかぶりです。私の信念など簡単に消し飛ぶ程度のものでしかありませんでしたよ」
自嘲気味に語るエチゴヤの姿に、オモイはかける言葉が見つからなかった。
「まあ、昔のことはいいでしょう。今の我々にはやるべきことがたくさんあるのですから。とにかく今後もよろしくお願いしますね。オモイ先生」
気を使ったのか。強引に話題を変えるエチゴヤにオモイも笑顔で答える。
「ハハハ、なんだか照れますね」
そのまま執務室を後にしようとしたオモイだったがふと足をとめる。
「彼は不思議な人ですよ。自由気ままな足取りは頼りなげで、突拍子もない行動ばかりとるんですが、それでもまったく不安を感じさせることがない。それこそ不可能を可能にしてしまうんじゃないかと思わせてくれるほどに」
そんな言葉を口にしながらオモイが振り返ると、急な話題に疑問の浮かんだような表情をみせるエチゴヤ。
「もし、アナタにほんの少しでも信念の欠片が残っているのならば、彼を頼ることをお勧めしますよ。彼ならばきっと期待にこたえてくれるでしょう。この街の人々を救ってくれたようにね」
「ありがたい提案ですが遠慮しておきますよ。彼にかかれば問題が山積みになって返ってくるでしょうから」
苦笑しながら応えたエチゴヤだったが、オモイの次の言葉に笑顔を続けることはできなかった。
「聡いアナタのことです。気づいているんでしょう? 彼の力が常識をはるかに超えたものだということに」
「……」
「でなければ賢明なアナタが、一見トラブルメーカーでしかない彼と交友関係を続けているはずなどありませんからね」
反応をしめさないエチゴヤを気にもせずオモイは話を続けた。
「ひとつ忠告しておきましょう。もし彼を変に利用しようというのならばやめておくことです。師と慕ってくれていますが私と父の恩人でしてね。彼の立場を危うくするものが相手ならば、私はどんな手段も問わない覚悟ですよ。もっとも私の助力など彼には必要ないかもしれませんがね」
今度こそ執務室を後にするオモイ。
「素直に協力を仰ぐことです。私も及ばずながら力を貸しますよ」
そんな言葉を残されて、エチゴヤはただ黙って見送ることしかできなかった。




