Route63「まあそこは俺たちの腕の見せ所ってやつさ」
山岳地帯を前にして千名を超える魔族の集団が野営の準備をしていた。薄汚れくたびれた着衣がここに集うまでの長く過酷な旅を物語っている。しかしそんな彼らの恰好に不釣り合いなくらいにその表情は明るかった。
目の前の山岳地帯を超えることさえできたならば、もはや障害はないといってもよい。誰もが旅の終わりが近いことを感じているのだろう。タナカたちが朗報を持って帰ってくるのを信じ、今自分たちにできることをやろうとする心意気が見て取れる。
しかし運命のいたずらだろうか。彼らの願いが叶おうとしているこのタイミングでそれはやってくる。
最初に気付いたのは見張りに立っていた黒魔族の末弟オランジェットだった。山岳地帯を背にするかたちで丘陵地帯を眺めていたオランジェットは、視界の隅に違和感を覚えた。
そちらのほう――南方にひろがる丘陵を注視するオランジェット。しかし気のせいだったのか特に変化は見られない。あいかわらず緑豊かな大地が広がっている。
しばらく違和感をもったあたりを見渡したがやはりなにもなさそうだった。オランジェットは気を取り直し見張りを続けようとそちらから目を離そうとする。その瞬間、長閑な景色にちらつく変化が目に入った。それは緑が風にゆれるような僅かな変化。しかしそれは土色で指向性のある動きだった。
身体能力に優れる黒魔族の目は何者かが巻き上げる土煙であることを看破する。丘陵のちょうど影にはいっていたためすぐに気付くことができなかったのだ。
「野営を中断しろ! 荷物をまとめなおせ! 急いで移動の準備を始めるんだ!」
オランジェットはそう叫びながら野営地の中心に走った。カレーマンや兄たちがいるであろうその場所に向かって……。
「ありゃあ、騎兵かな……。まっすぐこっちに向かってきているように見えるが」
「間違いないだろう。遥か後方に蠢く影も見えるからそちらが本隊といったところか。となるとあの騎兵はこちらの足を止める気かな」
クーゲルの言葉にカレーマンは顔を曇らす。
騎兵ということは王国の正規兵であるのは間違いないだろう。問題は国境を封鎖していた連中は歩兵が主でまともな騎兵戦力などなかったという点だ。封鎖するのが険しい山道を中心とした山岳地帯という条件を考えるにその陣容は当然といえる。
となると今こちらに向かってきている王国兵は、国境の封鎖とは別の任務をもっていた部隊ということになる。騎兵を運用していることを考えるとそれなりの練度を誇る部隊であろう。少なくとも国境を封鎖している兵より格上なのが予想される。
こちらはかるく千人を超える規模とはいえ女子供や老人もあわせた数だ。まともに戦える者となるとごく僅かとなる。
質も量も圧倒的に不利。まともにやりあえる状況ではなかった。
そしてなにより彼らが王国兵である以上、とるであろう行動は最良の拘束から最悪の殲滅まで。予想される未来はどれをみても悪いものだらけである。
「まったく最悪のタイミングだぜ。せめてあの三人がいてくれたらな……」
カレーマンはあまりの状況にそう考えずにはいられなかった。
「確かに……。しかし今はそれを言っても仕方ないだろう。彼は言った――後のことはまかせると。ならば我らはその期待に応えるまでだ。なによりこういった事態に備えて研鑽を続けてきたのだからな」
「そうだな。あの人の期待に応えないわけにはいかねえ」
不敵に笑みを浮かべるカレーマン。その顔は歴戦の戦士の顔だった。気持ちを切り替えこの先どうすべきか考える。
残念だが逃亡は不可能だろう。女子供や老人の足より王国兵のほうが足が速い。なにより先行してくる騎兵はそれほどの時間もかからずこちらを捉えるだろう。
ならば一戦交えるか。しかし先ほど考えたように質も量も圧倒的に不利である。それを補うものが必要だった。
「とにかく移動を始めるぞ。まずは山岳地帯に向かおう。騎兵の足を少しでも緩めさせねえとな」
「わかった。マッドパイ! オランジェット! 先導しろ! 出会った魔物は慌てず確実に仕留めろよ!」
「おう!」
「皆は二人に続いて移動を!」
クーゲルが次々に指示をだしていく。集まっていた部族長たちもそれを聞きすぐに行動に移った。
その間もカレーマンは考え続けている。彼が見つめる視線の先には目標の山岳地帯が広がっていた。
必要なのは千人を超える数の魔族を抱えきれる高所。登り口は狭くそれ以外の場所からの侵入は不可能なくらいに険しいほうがいい。カレーマンはめぼしい小山を選び出し決断する。
「あの山を目指そう。あそこに陣取って三人の帰りを待つ」
「あれか……。確かに守りやすくはあるだろうが、あそこに籠ってしまってはもはや逃げることはできんのではないか。おまけに食料調達もできそうにない」
「どうせ逃げることはできねえよ。向こうのほうが足が速いんだからな。それに食料だって今あるので十分だ。あそこに陣を張っても持って二日だろうからな」
なんとも絶望的な状況である。しかしカレーマンの表情に悲壮感はなかった。
「大丈夫さ。一日もしないうちに三人は帰ってくる」
「そうだな。問題は我らがその一日を持たせられるかどうかだ」
「まあそこは俺たちの腕の見せ所ってやつさ」
カレーマンとクーゲルが顔を見合わせ笑みを浮かべた。お互いに激しい戦いになることはわかっているのだろうが、戦士たちはそれをおくびにも出さない。
「さしあたってはあの騎兵が追いつかないことを祈るのみか」
「追いついてきたときは肩慣らしといこうじゃねえの」
魔族の集団は移動を開始する。今回の旅の最大最後の試練を迎えるであろうその高台に向かって……。
「隊長! 件の魔物たちが山岳地帯へ移動を始めたとのことです!」
「この危険地帯で山に入るつもりか? いったい何を考えている……。いや、もし魔王とやらがその一味にいるのならばこの場所の踏破も可能か……。先行部隊に伝えよ! そのまま一定の距離を保ち魔物たちを追跡! くれぐれも本隊との合流を果たすまで戦力の損失を避けるようにとな。本隊も合流を急ぐぞ!」
騎兵からの伝令に指示を返し走らせる。そして隊長は行軍を速めながら思案に暮れた。
「どうかしましたか? 隊長殿」
部隊の雰囲気の変化を敏感に察知したのか。そこにやってきたのは黙々と進む王国兵たちとは幾分毛色の違った数名の者たち――勇者カムイとそのパーティーメンバーだった。
運命ともいうべきなのだろうか。タナカ率いる魔族の集団に目を付けていた王国兵の一団は、魔王討伐を目的とした独立大隊だったのだ。
独立大隊は魔王の有力な情報を得ることができないまま、とりあえず不穏な動きをみせる魔族たちを追ってこの東の地へとやってきていた。あいかわらず魔王の足取りを捉えることができず、この辺りに網を張っていたところに出くわしたのが千人もの規模を誇る魔族の集団だった。
他の部隊に連絡し魔王捜索を続けるべきとの意見もあったが、国境封鎖を担当している部隊に千人規模の集団を押さえる余力などあるはずもなく、今回に限りこの集団への対応を余儀なくされた。
「勇者殿か。少々気になる点がありましてな」
大隊長はカムイに先ほどの懸念を説明する。山岳地帯のなかでもこの辺りは強力な魔物たちの縄張りとなっていて、踏破不可能といわれている場所だということを。そして件の集団が山に踏み入ろうとしていることを。
「ただの無謀なものたちの集まりであればよいのですが、もしやつらにこの場所を越える自信が――力があるのだとすればそれは相当のものだと考えられます」
「あの集団に魔王がいると?」
「可能性としてはあり得ます」
勇者パーティーの空気が変わる。
「先行部隊には勝手に戦端をひらかぬよう指示は出しました。我が本隊は先行部隊との合流を急ぎます。勇者の皆さまも戦いが間近であることを留め置きください」
勇者たちが無言でうなづく。隊長は勇者たちの油断なき姿とその身体から漲る覇気に満足してうなづき返す。そして先行部隊との合流を急ぐべく兵に檄を飛ばすのだった。
「大丈夫。僕らは確実に強くなった」
カムイは思わず口に出す。思い出すのは真の恐怖というものを知ったあの時の事――常識をはるかに超えた化け物たちとの戦いだった。
「弱さを知り、恐怖を知った。それに負けぬよう努力も続けてきたんだ。魔王がどれほどのものかは知らないが、あの経験を得た僕らが負けるはずない」
そこには一段と逞しくなった少年の姿があった。いや少年から男へ変わろうとしている姿だったかもしれない。
「カムイ様」
そんなカムイの雄姿に頬を染めるカルトビッチ。ある意味この彼女の態度こそ勇者たちが自信を取り戻し、確固たる力を得たという証なのかもしれない。
そして桃色の空気を醸し出しているカルトビッチのとなりでは、あいかわらず何を考えているのかわからない無表情なテツジンがじっと山岳地帯を見つめていた。次の戦いの舞台であるその場所を――。




