Route53「古き言葉で『心強き者』という意味だ」
プリン王国は東西それぞれを山脈に囲まれている。しかしその国土の大部分は起伏の緩やかな地形である。そのような地理的条件にある王国だが、国境以外にもいくつかの有名な山地が存在した。プリン教の総本山である聖地。魔の巣窟と化したポテロンゴ山。そして自然の宝庫といわれる霊山チョコボロ。
創世暦5964年初冬、タナカたちはその霊山を目の前にしていた。
「金なら一枚、銀なら五枚か……」
とりあえず意味深な言葉でカッコつけてみるタナカ。
「なんでござるか?」
「なに言ってんだおめえは」
以前タナカが神の力を得ることになった封印された地ほどではないが、この霊山チョコボロも魔力が集まりやすい土地だった。その影響からか、冬だというのに山を覆う木々はどれも巨大で、緑が深く生い茂っている。タナカが立っている森の入口から見ると、その奥はまるで闇に染まっているかようで不気味だった。
「な、なんかちょっと怖……。いや、別になんともないがな。まあこういう場所は面白いイベントとかありそうでワクワクするよな!」
さすがタナカさんである。誰もが臆するような景色を前にこの余裕。チームタナカのリーダーたるに相応しい風格が漂っていた。
「何が起こるか楽しみでござるな」
「早速いってみようぜ!」
スケさんとカクさんも乗り気で森の中へと足を進めた。
「あ……、いや。ほら、ナナシの街でオレを慕う美女たちが、さすがに心配してると思うんだよね。だからここは旅を急ぐべきだと……」
そしてタナカさんの人々を気遣う優しい言葉も森の中へと消えていった。
森の中を進むタナカたち一行。森の中はとても静かで、ときおり聞こえてくる鳥や虫の声が心地よかった。
「なかなかいい感じじゃないか。フッ、戦いに疲れた心が洗われていく気分だぜ」
思っていたより安全そうなので気をよくするタナカ。安心して森林浴を楽しむことにした。心の中のトイレでは嫌な思い出がさぞや盛大に垂れ流されいることだろう。
「いい場所でござるなあ」
「心の筋肉がたぎるぜ!」
スケカクコンビにも好評のようだった。タナカたちはゆっくりと森の中を進んでいく。こうして戦士たちは束の間の休息を楽しみ英気を養った後、そのまま何事も起こることなく霊山を旅立ったのだった。などという温い展開が待っているはずもなく、森の中を進んでいたタナカたちの目の前に凄惨な光景がひろがる。
少し開けたその場所は大量の血で彩られていた。もともとの森の深い緑色が、よりいっそう血の色をひきたてている。
「こりゃひでえ……」
あまりの凄惨さにカクさんも言葉が続かない。その場に倒れ伏した十人ほど人間。誰もがすでに息絶えていた。彼らの身につけた鎧の紋章からプリン王国兵であることがわかる。しかしその目印たる鎧はどれも例外なく、なにかに引き裂かれたような跡が幾重にも残っていた。
「これは一体何の跡でござろう? やはり魔物の仕業でござろうか?」
スケさんは王国兵の鎧に残されたその傷跡に注意を向ける。しかし注目すべきはすべての亡骸がひどく欠損していたことだろう。千切れた体の一部がそこかしこに転がっていた。
「そんなに強力な魔物がいる気配はなかったがな」
この山はかなりの魔力に満ちている。こういった場所には強力な魔物が住み着くことが多い。またそれほど脅威ではない魔物が突然変異を起し強力な魔物と化すこともある。しかしここまで歩いてきた限り、精霊たるカクさんの感知にひっかかった魔物はいなかった。いまいち釈然としないカクさん。
こうして二人が調べているあいだ、我らがタナカさんはというと――
「オェエエエエ!」
二人から少し離れた場所でリフレッシュしていた。危険性が高まったこの場所。突然なにが起ころうとも、すぐに対処できるよう準備を整えるその姿には恐れ入る。
「……なんなんだよコレは。ワザとか? オレを驚かすためにワザとやってんのか?」
休息のため気をゆるめていたところに、突然見せられたこの惨状。タナカは未だ知れない犯人に怒りを覚えた。
「……確かに不自然だな」
カクさんはタナカが憤慨しているのをみて気付く。鎧に残る傷跡から過剰ともいえる攻撃を何度もくわえたことが窺い知れた。さらにそこかしこに転がる四肢。無造作に転がるそれに食い荒された形跡はない。食物連鎖的な理由ではないのは確かだろう。そして極めつけは緑を染め上げている血。まるですでにこと切れた王国兵を叩き付けひきずり回し、それを何度も繰り返してできた惨状のようである。そこには魔物ではありえないなにか。思惑のようなものが込められているように思えた。それにしてもそれに気づかせてくれるタナカさんもさすがである。
「とりあえずなんかやばそうだし、とっととずらかろうぜ」
そしてこの機を見るに敏な判断力。決して恐ろしくなって逃げ出そうとしているわけではない。タナカさんに限ってそんなことはありえないだろう。これはリーダーたる責任感、そして冷静な分析力のなせる行動であると誰もが納得するはずだ。しかしそんなタナカの決断もすでに手遅れだった。カクさんが逸早く異常を察知する。
「なにかくる!」
真剣な表情で気配を探るカクさん。
「ちょっ! やめてくれる? 今回そういうの期待してないから!」
凄惨な現場を見た後だからか。タナカさんはやや声を裏返らせながら絶叫した。そんなタナカの要望とは裏腹にカクさんの表情が曇る。
「どうかしたでござるか?」
「わからねえ……。だが、なんだか変な感じがするぜ」
「だめだから! 小川で水浴びしてる美女発見的なイベントしか受け付けないからな!」
そして茂みを飛び越えて現れる一つの影。
それは大型の狼。いや、正確には狼人間というべきか。二足歩行の白狼だった。理性の窺えない瞳が獲物を捉える。その瞬間、歓喜したのか――。
「グギギギッ……、グゥオオオオ!」
咆哮をあげながらタナカに襲い掛かった。全身バネのような強靭な肉体。そこから生み出された爆発力が一気に間合いを詰めさせる。そして勢いにのって振りぬかれる逞しい腕。その先の鋭い爪が首を切り落とさんと走り抜けた。
並みの人間ならば捉えられないほどの俊敏な動き。まず間違いなく絶命したであろうその一撃は空を切っていた。それもそのはず、その相手は並みではないのだから。
そして決着はその攻撃が空を切った一瞬でついていた。それこそ目に見えない素早さでまわり込んだタナカが、すかさず手刀で相手の意識を刈り取っていたのだ。
「フッ、さすがオレ。カッコよすぎる」
心臓をバクバクさせながらも冷静さを装うその様は、まさしく小物のなかの小物。だれもが涙せずにはいられない漢の姿だった。
「なるほど……、そういうことだったか」
「どういうことでござるか?」
ひとり納得気味のカクさんにスケさんが尋ねる。
「いままで感じたことのない気配だったんでなにかと思ったんだが、こいつはたぶん狂化した獣人だ」
狂化――このスキルの使い手があらわれるのは極稀であり、精霊のカクさんも知識としては知ってはいたが、実際目の当たりにしたのは今回が初めてだった。
このスキル、魂と引き換えに強大な力を手にすることができるという。しかしこれがまたメリットに対してあまりにもデメリットが大きすぎるという代物だった。一度でも使用してしまうと次からは理性を失うたびに勝手に発動してしまうという迷惑ぶり。しかも使用するたびに理性を失いやすくなり、やがては発動したまま戻れなくなるという完全サポート。そしてそうなったら魂を消費しつくすまで暴れまわりやがて死を迎えるという、本人にもまわりにとっても危険極まりないスキルだった。このあまりのデメリットさゆえに、例えスキルを得たとしても誰も発動しようなどとは思わない。カクさんが初見であったのもうなずける話である。
「怖ええよソレ! って待て待て待て。ということはコイツやばいんじゃないか?」
「ああ、また暴れだすかもな」
「やべえじゃねえか! よし、トドメさすか……。いやいや、そんなスキル発動させるとかいったい何があったんだ? 実はこいつ可哀そうなやつなんじゃ……」
沈黙がその場を支配した。小物のなかの小物であるタナカがもっとも苦手とする空気である。
「タナカ殿の回復魔法ならば治るのではござらぬか?」
「よっしゃー! オレのターンきたーー!」
「無理だ。狂化は怪我でも病気でもねえ。治すって代物じゃねえんだよ」
再び沈黙。小物の王と呼ばれたタナカがもっとも嫌悪する空気である。
「そうだ! 大魔法だよ大魔法! オレが……、は無理だからカクさん頼むぜ」
未だに大魔法を使いこなせないタナカはカクさんに頼む。しかし――。
「大魔法でもダメだ。コイツは選んだはずなんだ。魂と引き換えに力を得ることを。コイツにとってそれだけのことがあったってことだろう。仮に正常に戻せたとしても、その記憶がある限り狂化を発動させずにはいられないだろうぜ。もはやコイツは遅かれ早かれ破滅する運命にある」
先程から冷たく言い放つカクさんだが、彼とて助けたくないわけではない。しかし助けるいい手立てがないのだ。
「それともコイツの記憶ごと消し去るつもりか? それなら助かる可能性がなくもないが」
それは小物のタナカにとってはあまりに無理な決断。重荷というものを背負うのが最も嫌いな銭湯民族。そのエリートであるタナカにはできない選択だった。ちなみに銭湯好きなのに特に意味はない。
そうこう悩んでいるうちに件の獣人が目を覚ます。
「ここは……」
辺りを見回す獣人。いま見えているのは凄惨な光景であるはずだが、あまりそれらを気にした様子はなかった。そして彼とカクさんの目が合う。
「あなたは精霊様!」
はたして獣人の直感かなにかであろうか。精霊を前にしているとわかるや、瞬時に姿勢を正すと頭をさげる獣人。その土下座している姿は、とても先程まで理性を失って襲ってきた人物とは思えない変わりっぷりであった。
「たしかに俺は精霊だが……、会ったことねえよな? なんでそんなに畏まるんだ?」
カクさんは不思議がって獣人に尋ねた。
「我ら白狼族はこの山の精霊様を信仰し、森を守り続けてまいりました。たとえ山の精霊様ではなくとも、精霊様は礼を尽くすべき方々です」
そのあまりの変わり様に若干気の抜けた感のあるタナカ。
「なんかいつもよりカクさんが輝いて見えるぜ」
「そうでござるな。うらやましいでござる」
そんなタナカを見て、急に目の鋭さが増す獣人。
「お前はなんだ」
「い、いやあ……。なんだと言われても」
急に態度が変わった獣人に戸惑うタナカ。というか「メッチャ怖ええ」と心の中で絶叫中であった。
「ああ、こいつは俺の主でタナカっていうんだ」
「精霊様の主……。ということは貴方様も精霊様!?」
再び畏まって頭をさげる獣人。なんとも変わり身の速い獣人である。
「いやいや、違うから。普通に人間だから」
「は? はあ……」
精霊の主である人間。その理解不能な存在に、どう対応していいのかわからず戸惑うのだった。
「ところでお前こそなんなんだよ」
そんなタナカの疑問に獣人は立ち上がると胸をはって答えた。
「我は誇り高き白狼族の戦士ブラックミケネコ!」
そのどこか満足そうな表情の獣人に、我慢できずツッコミをいれるタナカ。
「どんだけ矛盾を抱えて生きてるんだよ! 白か黒か三毛なのかはっきりしろ! っていうかイヌ科なのにネコを名乗るの? ねえ? それって思いっきり誇り失ってるよね?」
はじめての挫折を味わった若かりし日。「ツッコミの時代は終わった。これからはボケを貫き通して女にモテる」。校庭に生い茂る伝説の木の下でそう誓ったあの日のことは今も鮮明に思い出せる――。そんな妄想をしながらもタナカはツッコまずにはいられなかった。
「さすがのオレもキレるわ! キレるとまじで怖いよオレ。もう少しで世界滅ぼすところだったからね? いやホントだって。もしお前が『白狼族の戦士ブラックミケネコウィザード!』とか名乗ってたら間違いなく世界滅ぼしてたからね! っていうかブラックミケネコウィザードってなんか響きがカッコよくないか? 特撮ヒーローとかになったら人気でそうでなんか悔しい!」
ひとり憤慨するタナカにそれこそ「何言ってるんだお前?」という顔のブラックミケネコ。タナカが落ち着いたところで彼は語る。
「『ブラックミケネコ』は我が一族の戦士が継いできた誉れある名――」
誇らしげな表情で続けた。
「古き言葉で『心強き者』という意味だ」
「……ああ、そうですか」
あいかわらずタナカには冷徹な世界。何故にタナカをこれほどまでに苦しめるのか。どうでもいい謎は深まるばかりであった。
活動報告にて書籍版の紹介をしてます。興味がありましたら覗いてみてください。




