Route50「生き残りたければ剣をとれ」
「――爺さんが死んだ……だと……」
先ほどの戦いで話題にあがったホワイト将軍。それを思い出したトビーからの何気ない一言はタナカに衝撃を与えた。思いもよらぬホワイト将軍の訃報に立ち止まるタナカ。
華々しく戦いを制したタナカであったが、ムチスキー獄長の逃亡を許してしまい現在追跡中であった。もちろんそれはタナカの作戦である。そう、あくまで綿密な作戦であってカッコつけて油断している間に逃げられてしまったなどということは、タナカさんに限って断じて有り得ないだろう。
それはよいとして、地下に張り巡らされた通路を走り抜けている最中に立ち止まってしまったタナカにトビーが慌てる。
「なに立ち止まってるんです! あいつらを見失っちゃいますよ!」
しかしタナカはショックで立ち止まったままだ。慌てるトビーとは違いヤシチは冷静に状況を確認する。
「いや、魔法の効果が続いているなら問題なかろう。友よ、探知はできているな?」
「……あ、ああ。問題ない」
失われし奥義「絶対者の暴走零式」を復活させたタナカにとってすでに大気は支配下にあった。つまり第十位魔法「気流」で広範囲の空気を操れるタナカは、空気のブレを正確に感知することによってムチスキー獄長の追跡を可能としたのである。
「たいした魔法技術だ」
ヤシチはタナカが操る未知の魔法に感心する。しかしタナカの表情が晴れることはなかった。これがあの褒めれば天にも舞い上がる龍とまでいわれ恐れられた漢と同一人物なのか。誰もが目を疑う姿だっただろう。そこにはかつておだてられ垂直跳び五十センチを突破した漢の見る影もなかった。
「……爺さんはオレの命の恩人なんだ。爺さんと出会えなければとっくの昔にオレは死んでいた」
タナカは思い出す。この世界に降り立ってすぐに出会った気のいい老人を。接した時間は僅かであったがどういうわけか妙に気が合った。そのやりとりのひとつひとつがまるで昨日のことだったかのように思い出される。
「約束してくれたんだ……。再会したときは爺さんがたらふくおごってくれるって……。王都の美女をたくさん紹介してやるから豪遊しまくろうって約束してくれたのにっ! クッ……」
思い出とは実に美しいものである。
「ほう、なかなかに豪気な方だったのだな」
「……」
素直に感想を漏らすヤシチのとなりでトビーは短い幻を見ていた。「いやいや、わしそんな約束してないから」とタナカの発言を否定している恰幅のいい老人の幻を……。空気の読める男トビーはなにも見なかったことにする。
――なんとか気持ちを切り替えたタナカと愉快な仲間たちは、一路逃がしたムチスキー獄長たちを追う。再び目の前に現れた長い階段。そのはるか先に見える光をめがけてひた走った。そして……。
「闘技場、……いや処刑場か」
辺りを見回しながら進む三人。そこにひろがるのは円形状の広場。そしてそれを囲むように高い壁と観客席が横たわっていた。
「待っていたぞ」
ちょうど向かいにある観客席から人影があらわれる。大都市ケタバナハ・オーの権力者にしてこの大監獄の主レッド将軍だった。それに呼応するかのように周りを囲んだ観客席から王国兵が姿を現す。タナカたちが入ってきた場所の丁度反対側にあたる出入り口からも、王国兵が続々と湧き出し広場に展開していった。
「なるほど、脱獄対策も万全だったということか」
王国兵に囲まれていく状況をヤシチは冷静に観察していた。
「ひぃっ! も、もうだめだ……」
絶望するトビー。そして――
「『なんか牢獄が壊れちゃって! 修理を頼もうとしたら誤解されちゃったんですぅ!』……いや、これはダメだな。あまりにも現実味がなさすぎる。『オレは味方だ! たしかにオレは我慢できずに人前でオナラをした経験がある! しかしすかしっ屁に失敗して音が鳴る度に喉を鳴らしたり、鼻をすすったりしてごまかす努力を怠らなかった! こんなオレを敵だというのか!? 間違いなくオレは仲間だろう!』……よし、これならいける!」
なんという恐ろしい漢だろうか。すでにこの危機を脱出する策を見出そうとしていた。共感を覚えさせることにより自分を味方であると錯覚させる高等テクニック。相手の心理を深く読み切っての妙手であった。しかしそんなタナカさんの努力を踏みにじるかのように、タナカのターンは無しとばかりに状況は一変する。
「勇者といえど長い間力を奪われ、病み上がり同然の状態ではたいした抵抗もできまい。雑魚ともども痛めつけてやれい!」
レッド将軍の速攻。指示を受けた王国兵が三人に向かいせまりくる。
「フッ、なめられたものだな。もともと魔法や加護とは無縁に生きていたのだ。その力を奪われたからとて何の問題にもならんよ」
ヤシチはせまる王国兵へ瞬時に間合いをつめると拳を振りぬく。その殴打は標的となった王国兵の鎧を砕き、打撃を受けた本人に認識させる間もなく吹き飛ばした。それはタナカのすばらしい策が披露される機会をも吹き飛ばしたことをも意味していた。これでよかったのかもしれない。
「これでも鍛錬は続けていたのでね。確かに勇者の力は完全に戻ってはいないようだが十分だ――」
突然別の王国兵がまるで先ほどの一幕を繰り返したかのように同様に吹き飛ぶ。その場にはやはり先ほどと同じように拳を振りぬいたヤシチの姿があった。
王国兵の誰もが捉えきれないヤシチの動き。これこそがヤシチを最強の勇者たらしめた努力の結晶。ヤシチは異世界に召喚された後も、もともと嗜んでいた古武術の研鑽を怠ることはなかった。独特の歩法によって加速されるヤシチの動き。その不自然な動きは見る者を惑わせ反応を鈍らせる。勇者の力と相まった彼の動きは王国兵の認識不能な領域にまで到達していた。
「なっ、なにが起こってるんですか?」
「さすが兄貴! かっこいいぜ」
王国兵と同じくヤシチの動きを追えないトビーは動揺を隠せない。そしてなんだかどうにかなりそうな雰囲気にご機嫌のタナカ。
そんな彼らを王国兵は放ってはおかなかった。ヤシチが王国兵を蹴散らしていく一方、二人にも王国兵は迫っていた。
「ひぃ!」
「これを使え!」
タナカはアイテムボックスから愛用の普通の剣をすばやく取り出すとトビーにむけて投げてよこした。兵が取り囲もうとするなかトビーの目の前に悠然と突き刺さる普通の剣。
「神代の世の秩序を一夜にして混沌に塗り替えた邪龍オレニード。その牙より生まれし十三本の魔剣のうちのひとつ『絶の魔剣スクリームヴァスタ』。生き残りたければ剣をとれ。真に望むならば剣は応えてくれるだろう。――全てはお前次第だ」
普通の剣をよこしておいてこの言いよう。――まさにタナカ。そして投げてよこされた普通の剣はタナカの妄想を笑いとばせないほどの存在感を放っていた。目に見えるのではないかと思えるほどの膨大な魔力を放出するソレに見る者すべてが圧倒される。長らくタナカに愛用されてきた拾い物の普通の剣。この剣はタナカの過剰ともいえる魔力付与を幾度となくうけ続けた結果、すでにこの世界において異質な存在と化していた。それはもはや神器をも凌駕する真の魔剣。
「『絶の魔剣スクリームヴァスタ』……」
トビーは無意識のうちに剣を手に取る。その瞬間、自分のなかから信じられないほどの力が湧きあがるのを感じた。
「この感覚は……」
それはまるでタナカと出会ったときに感じた不思議な感覚。つい今しがたまで自分を浸食していた恐怖が嘘だったかのように吹き飛ばされていた。
ある意味無防備ともいえる姿をさらしたトビーをみて、取り囲む王国兵たちはチャンスとばかりに襲い掛かった。しかしもはや次元が違う感覚に到達していたトビーにそれは奇襲とならない。
「うぉおおおお!!」
横に薙ぎ払われる魔剣。覚醒したトビーの力と相まって凄まじい衝撃波を生み出す。襲い掛かった兵たちはトビーに近寄ることすらできずに斬り飛ばされる。
「やれる! この力があれば俺だって!」
取り囲む兵のなかに猛然と踊り込むトビー。繰り出される一閃のたびに吹き飛ばされる王国兵たち。しかし王国兵たちは怯まない。圧倒的数を武器に襲い掛かる。
「負けない! こんなところで終わってたまるかぁああああ!!」
何度目かわからない一撃に王国兵は吹き飛ばされ、トビーのまわりに空白地帯が生み出される。そこに待ってましたとばかりに攻撃魔法の集中砲火が浴びせられる。炎が、氷が、岩が、カマイタチが全方位からトビーに襲い掛かった。
「うわぁっ!」
逃げ道なく攻撃にさらされるトビー。爆音とともに炸裂する攻撃魔法によって粉塵が一帯を覆い尽くす。
後方より攻撃魔法の集中砲火を放った魔法兵たちは勝利を確信したかもしれない。しかし彼らのその確信は粉塵よりあらわれた奇妙な現象によって打ち崩される。
トビー顕在。しかしそれが原因ではなかった。未だ完全に晴れない粉塵が彼を中心とした球形のナニかの存在を明らかにしていた。それは空気の高速回転が生み出した見えざる防御壁。
「迂闊だぞトビー! まわりの状況を常に把握することを忘れるな! 多人数と闘うときの基本だ!」
タナカからの援護。生活魔法で空間をも支配しているタナカにとって児戯にも等しい行為だった。しかし対峙する王国兵にとってそれは脅威でしかなかった。特に攻撃魔法を放った魔法兵にとって、その未知の魔法は悪夢以外の何ものでもなかっただろう。そんな兵の耳に入るヤシチの独り言。
「どうやらトビーのことはエチゴヤに任せておいて大丈夫のようだな。それにしてもあれも高位魔法の一種か……、さすがにやる」
「なっ!」
いつの間にか自分のそばにまで接近していたヤシチに慌てる魔法兵。しかし身構えることすらできず意識を刈り取られる。
「とはいえ今のトビーに魔法兵の相手は厳しかろう。こちらで対処しておくとしようか」
そう言うが早いか瞬時に疾走し魔法兵を次々に倒していくヤシチ。抗うことすらさせず敵を殲滅していくその姿はまさに最速最強の勇者であった。
「おのれ……、勇者ヤシチめ……。なにをしている! たった二人の敵に王国兵ともあろうものが何を怯むことがあるか!」
レッド将軍が王国軍を叱咤する。いつの間にか獅子奮迅の活躍をくりひろげるヤシチとトビーに意識が移っていた。恐るべきはタナカの智謀。タナカはヤシチとトビーが戦場で活躍するなか、最も安全な場所をつねにキープしカッコいいポーズをとり続けていた。そして彼から溢れ出る圧倒的な小物感。その二つがもたらす相乗効果をもってしていまやステルスタナカと化していたのだ。
それは彼の断固とした決意の表れ。ムチスキー獄長との激闘で役割を果たしたタナカにとってもはやこれは他人の戦い。最初に誓った決意を忘れず戦いから逃げまくっているのだ。
そう、タナカさんは臆病なわけではない。決して自分可愛さに逃げまくっているわけではないのだ。そこにあるのは信念を曲げないという志の高さだけである。まさに有言実行の漢。「漢ならかくあるべし」いまのタナカの姿を見れば誰もがそう感じたであろう理想の体現者。これがタナカという漢なのである。
そんなタナカさんの活躍もあって勝敗は明らかとなってきた。もはや立ち上がっている者がまばらな状況。
「魔法兵は粗方かたずけた。これだけ数を減らせばもはや足止めもできまい。そろそろ脱出するとしようか」
「待ってました!」
「はい!」
瞬時に存在感を増すタナカ。率先して意気揚々と出入り口らしき場所に向かい歩き始めたのだが――
「クッ……」
「こ、これは……」
ヤシチとトビーが同時に膝をつく。
「ど、どうしたんだ? 二人とも」
何が起こったのかわからずひとり狼狽えるタナカ。そんな彼らに笑い声が投げかけられる。
「ハッハッハッハ! 油断したな! まさかこれほどの被害を受けるとはさすがに肝が冷えぞ。しかし例え勇者といえども私から見れば素人よ。戦争のプロである我が智謀の前では無力!」
いつの間にか観客席には謎の紋様の浮き出た壁が並びつくしていた。戦闘中ひそかに準備したのであろうそれを王国兵たちが後ろで支えている。それは封印術式が組み込まれた石壁。不気味に放たれる光が忌まわしい能力の発動を物語っていた。
「監獄に設置されていたヤツか。まさか持ち出せるものだったとはな……」
急激に力を奪われたためか。意識が朦朧としながらもヤシチは自分たちが罠にはまったことを察した。
「あっ、あれか! そういえばなんか具合が悪くなってきた気がする……」
急にお腹を押さえながらうずくまるタナカさん。おそろしく協調性に富んだ漢である。その苦しみはかつてミルクの飲み過ぎで味わった地獄を思い出させた。ついでに酒場のオヤジの笑顔も思い出す。タナカはますます具合が悪くなった気がした。
まさに絶体絶命のピンチ。力を失い倒れ伏す三人のまわりでは巻き込まれた王国兵もうめき声をあげていた。この冷酷な策略家は勝つために味方の兵もろとも罠にはめたのだ。
「少しは頭のキレる男かと思ったが所詮は素人か。戦いにおいては我が知略の前に成す術なしといったところだな」
味方の怨嗟の声も聞こえるなか、それをまるで意に介せずレッド将軍は機嫌よさそうにタナカに語りかけた。先日のゲームで散々煮え湯を飲まされた相手。その苦しむさまを見てよほど気分をよくしたのだろう。
「そういえば貴様はホワイト将軍の知己だったらしいな。あの老人もなかなかに楽しませてくれるじゃないか。死んだ後も私に娯楽を提供してくれるとはな」
ムチスキー獄長から報告された情報を思い出し、さらに笑顔を輝かせて語り続けるレッド将軍。
「かつては私の上に立つ目障りな存在だったが、排除した今となっては懐かしい思い出よ」
タナカを映すその瞳が狂気と狂喜に染まる。
「あの老人の敵討ちでもするつもりだったか? 残念だったな。貴様はここで死ぬのだ。あの老人を処刑したこの場所で。ヤツを謀略に嵌めたこの私の手によってな。ハッハッハッハ!」
――その瞬間、この場が爆音に包まれた。三人を拘束していた封印術式の石壁のすべてが爆発し、支えていた兵たちが吹き飛ばされる。粉塵に覆い尽くされる戦場。何が起こったのかわからなかったが、この場にいるすべての者が動きを止めていた。
それは生物としての本能。想像することをも許さない圧倒的な力。その波動を前に自分が恐怖していることすら認識できずに、ただ時を待つしかなかった。まるで神判の時を待つかのように――。
そしてソレはついに姿を現わす。世界の法則を超えた漆黒の輝き。目に見えるほどの高濃度な魔力を纏うタナカが感情のない表情でレッド将軍を見据えていた。
「貴様か……。爺さんを殺ったのは……」
黒い輝きが収束しタナカの中に消える。と同時にタナカはゆっくりと片腕を持ち上げ右手の観客席にかざした。
まるで砂で築いた城が崩れさるように競技場の一部が崩れていく。もはやタナカの生活魔法「盛土」は大地に根付くすべての存在を支配していた。やがて生まれた砂は大地へと還りそこにはぽっかりと道が生まれる。
「行ってくれ。ここからはオレの戦いだ」
それまでただ茫然となりゆきを見守っていたヤシチとトビーは我に返る。
「イヤイヤ、もう大丈夫でしょ。皆で逃げましょうよ!」
しかしタナカはレッド将軍を見据えたまま微動だにしない。なおも促そうとするトビーだったがその言葉は続かなかった。肩におかれた手がそれを許さない。トビーが目をやるとヤシチが首を横に振る。無言の圧力に負け戦場離脱を余儀なくされるトビー。二人はタナカがつくった逃げ道へと進みだす。最後にヤシチが立ち止まり振り向かず声をかけた。
「友よ。次に会ったときは俺がおごろう。美女は紹介できんがね」
それはかつてタナカが交わした果たされなかった約束。ヤシチはあえてその約束を交わす。友の勝利を信じて、再会できることを願って――。
「ああ、楽しみにしてるぜ兄貴。美女の件は再考をお願いします」
そして漢は背中で応えた。新たに交わした約束は必ず果たすと言わんばかりに不敵な笑みを浮かべ。無限の煩悩に鼻の下を伸ばしながら――。
かくて二人は走り去り、追う者は許さぬとばかりにタナカが立ちはだかる。
「な、なにをしておるか! 奴らを追え! 邪魔するそいつを殺せ!!」
まるで金縛りが解けたかのように突然将軍の叫び声がこだまする。それに呼応するかのように王国兵は動き出した。しかし漢の声が再び彼らを凍りつかせる。
「何を勘違いしている。オレが残ったのは仲間を逃がすためではない。貴様らと決着をつけるためだ」
タナカの怒りがついにレッド将軍を追い詰めるのか。娯楽都市ケタバナハ・オーを舞台にした戦いは最終局面をむかえようとしていた。
剣を借りパクされたことにタナカさんが気付くまであとわずか……




