Route49「第一の関門……、といったところか」
――娯楽都市ケタバナハ・オー内にあるプリン王国軍基地。その地下にまるで迷宮のごとく張り巡らされた地下牢獄。悲壮、憎悪、狂気。そんな気配で包まれているはずの牢獄というこの場所は、とある一か所で微妙な空気を発していた。
「――ほう。なかなか大変な目にあったようだな」
「そうなんすよ。トビーは役にたたないし、せっかくお近づきになれそうだった美女ともオサラバで。もう散々なんすよ兄貴」
「アンタはゲーム中にそんなことしか考えてなかったのかよ!」
談笑する漢たち。なぜこの状況でこうのん気に構えていられるのか。彼らを見て誰もがまず思いつく疑問だろう。
さらにタナカを知るものならばそれとは違う疑問も湧くに違いない。「なぜタナカとイケメンが和気あいあいと並び立っていられるのか」と――。
しかしその答えは実にシンプル。タナカはおのれの保身こそ最も重要視する漢だ。牢獄に閉じ込められたというこの状況で目の前にいるのは勇者。しかも歴代最強の呼び声が高い勇者の中の勇者。それほどの強者を前にしてタナカがとる行動はただ一つ。「勇者ヤシチを兄貴と慕いその最強の力を後ろ盾にいきがるしかない」と――。
保身のためあえてイケメンと並び立つという危険な状況を受け入れる柔軟な発想。元始よりすべての小物を記録してきたといわれるアカシックレコードに偉大なる小物として名を刻んだのはまず間違いないだろう。
そんなこんなで長いものに巻かれたタナカと愉快な仲間たちはいまも談笑を続けていた。そしてここでお互いの事情が明らかとなる。
勇者ヤシチ――。プリン王国での亜人の境遇を憂えていた彼は事あるごとに駆けつけ亜人を手助けしていた。それを疎ましく思った王国が今から五年ほど前。卑劣な罠によって彼を拘束しこの監獄送りにしたのだ。しかしさすがの王国も創世神の加護をもつ勇者に手をかけることはできず、今も監禁され続けているというのが彼、勇者ヤシチの今の境遇らしい。
トビー・ザール――。ハル皇国のとある商会に所属する彼は販路を広げようと王国内で活動していた。しかし王国の商会にでも目をつけられたのか。カジノで遊びまわっていたところを理由もはっきりせぬまま拘束されてしまう。皇国の諜報員との濡れ衣を着せられた彼は公開処刑というレッド将軍のお遊びにつきあわされることとなる。そしてそこに居合わせたタナカがいろいろとぶちこわした結果、この監獄送りとなったというのがトビーの事情だ。
そしてタナカ――。そのあまりのカッコよさはカジノ中の美女の目を釘付けにしてしまう。それに嫉妬したレッド将軍がタナカを目の敵にするのはもはや必然であったといえよう。その結果タナカは無理やり勝負の舞台に引きずり込まれ、卑劣なイカサマによって敗北し監獄送りとなってしまった。というのがタナカ本人による見解だった。ちなみにこの見解に対する苦情はいっさい受け付けていない。
「それにしてもどうして兄貴はこんなところでくすぶってるんですかい? 最強勇者な兄貴ならこんなとこから抜け出すことなんてわけないっしょ?」
「フッ、そう買い被らないでくれ。俺にもままならぬことくらいあるさ。脱出できない理由はそれだ」
そう言って目でその理由となるものを指し示す勇者ヤシチ。その先にあったのは壁一面に刻まれた魔術的な紋様。向かいにあるタナカたちのいる牢の壁にも同じように存在するその紋様は、この暗い牢獄にわずかな光をもたらし続けていた。
「監獄じゅうに設置されたそいつらがここ一帯にいる者の力を制限している。この場所ではたとえ勇者であろうとただの人というわけだ。おまけにそいつは自分以外の魔法的作用を阻害するというオマケまでついていてな。そのせいでここでは魔法や魔道具はおろかアイテムボックスも使用できんよ」
「なん……だと……」
厳しい現実に打ち負かされるタナカ。このままではアイテムボックスの物資を利用したぜいたくな暮らしができなくなってしまう。というかここは牢獄でありタナカに都合のいい状況などはじめからあるはずもなかったのだが。ここにきてようやく事の重大さに気づくタナカ。ポジティブすぎる思考が仇となってしまったかたちだ。
そしてこの事実は勇者の力を利用して脱出する計画が早くも崩れ去ってしまったことをも意味していた。タナカの頭の中で急遽ハムスターたちによる緊急会議が開催される。
「どうするんですか?! このまま処刑されるのを待つしかないんですか!」
青ざめた表情のトビーがヤシチにすがりつく。もっとも向かいの牢にいるヤシチには実際届かないが。
「俺はまがりなりにも勇者。さすがのやつらも創世神の関係者を処刑する度胸はないだろうが、お前たちはな……」
「そ、そんなぁ……」
絶望的な状況を悟り悲嘆に暮れるヤシチ。
「兄貴の前で情けない姿をさらすんじゃねえ。そんなんだからお前はいつまでたってもトビーと呼ばれるんだよ!」
「トビーは悪口じゃねえよ! 普通の名前だから!」
非情にも現実に引き戻されるトビー。タナカのボケへのツッコミを運命づけられたトビーにもはや安息はない。
「まあおちつけって。たしかに力を抑えられ絶望的かもしれんが俺たち人間の武器はそれだけじゃないだろう」
めずらしくまともなことを言ったタナカがカッコいいポーズをとって頭をつつく。
「ココだよココ。こういうときは頭を使うんだよ」
そういっておもむろに格子の前までいくと頭をだして叫ぶ。
「看守さーーん! 看守さんキテーー! メッチャ大事な話があるんですぅーー!」
情けない声をあげ始めるタナカ。それはまさに情けなさの極致。理想的情けなさを体現し続けるタナカに若干ひきながら皮肉をいうトビー。
「なにやってだか。ひょっとして看守をおびきよせて鍵でも奪おうって魂胆ですか? ムリですよ。わざわざ鍵なんてもってくるわけないでしょ」
「敢えて言わせてもらえば看守なんて見たことはない。ここでは人間の力は奪われてしまうからな。ここにやってくるのは食事をもってくる使役された魔物くらいのものだ」
ヤシチが冷静にこの監獄のことを説明してくれる。
「……や、やだなあ。冗談っすよ、冗談。場をなごませようとやってみただけですって」
さすが気配りができる漢タナカ。この危機的状況でも他人を気遣う心を忘れない優しさと精神力。まさに漢のなかの漢である。決して小さなプライドを守るために適当ないいわけをしているわけではないはずだ。
「あれ? 頭が抜けん……」
「……なにやってんだか」
頭が引っ掛かったタナカは若干慌てた様子で格子を掴みふんばる。
「ンモッ!」
カッコいい気合とともに轟音が鳴り響き格子が丸ごと外れてしまう。呆気にとられるトビー。
「ほう。なかなか斬新な頭の使い方だ。しかし……、まさかそんな脱出方法があったとはな」
そして相変わらず冷静なイケメン勇者ヤシチ。自分も脱出しようとタナカの真似をして格子から頭を突き出す。そんなヤシチにすかさずツッコミをいれるトビー。
「イヤイヤ! なんかいろいろ間違ってるから! もうツッコミどころがありすぎてどこからツッコめばいいかわかんないから!」
「……ムッ、確かにうまくいかないな。どこが間違っているのか……。友よ、なにかコツがあるのか?」
この勇者。見た目も中身もイケメンで実力も確かなのだが残念なことに天然さんだった。
「任せてくれ兄貴! コツはつかんだぜ!」
頭から格子をはずしたタナカが得意気にヤシチの牢に頭を突っ込む。
「フォアッ!」
再びカッコいい気合とともに鳴り響く轟音。
「さすが俺の見込んだ漢。やるな」
「もう疲れたよ……。いったい俺の何が間違ってるっていうんだよ……」
格子を首にしたままドヤ顔のタナカを前にヤシチとトビーはそれぞれの感想をこぼしたのだった。
居並ぶ牢の前を走り抜け階段を駆け上がるタナカたち。
「すげえ階段が続いてんなぁ。たいして使わねえくせにこんなでけえもん作るんじゃねえよ!」
「ふむ、まだ身体が重いな。やはり監獄をでなければ弱体化の影響下から完全には抜け出せんか」
「アンタら元気ありすぎ! もうちっとゆっくり行きましょうよー」
三者三様の感想をもらしながら長く続く階段を上り続けた。見飽きるほど続いた階段の景色はやがて終わりを遂げ、そこには不気味な長い通路が口を開けて待ち構えていた。迷宮のように張り巡らされた通路を慎重に進む三人。もはや自分がどれほど移動したかわからないほど歩き続けていた。やがて大きな扉の前に行き着く。
「第一の関門……、といったところか」
ヤシチのつぶやきに緊張が走るタナカとトビー。
「びびってんじゃねーよ、トビー。こっちには最強勇者な兄貴がいるんだからな!」
「別にびびってねーよ! っていうか他人の力をあてにしていばってるだけじゃないですか! びびってんのはアンタでしょ!」
「び、びびってなんかねーよ! 俺は美女の前でしかビビッっとくることはねえんだよ? それともアレか。お前はこじらせてついに扉にまでビビッっと欲情しはじめたのか? この変態が!」
「何が言いたいのか全然わかんないよ! ってめちゃくちゃ動揺してるじゃないか! あきらかにびびってるのはアンタだろう!」
言い争いを始めるタナカとトビーを前に微笑むヤシチ。
「この状況でその猛々しさ。頼もしいな」
相変わらずの天然さんである。そして戸惑うことなく扉に手をかけるヤシチ。重々しい響きとともに扉が開いていく。そこは想像していたよりも広い空間だった。地下であることを忘れさせるその部屋の中央から強烈なプレッシャーを発する者がいた。
「――おやおや、脱走とは大胆な。しかしこのムチスキー獄長様がいる限りこの先にはいかせんぞ」
巨大な椅子にどっしりと座っていた大男がのっそり立ち上がってタナカたちのほうにやってくる。服の上からでもわかる鍛えられた身体。間違いなく強者だ。
「……ここはオレがいこう」
そしてめずらしく闘いに積極的な姿勢のタナカが進んで前に出た。それはカラーテの正統継承者としての血が騒いだからにほかならない。獄長、大男とくれば武道家が相手をするのがお約束だろう。実にわびさびのわかる漢だ。
「グフフフ、えらく弱そうなのがでてきたな」
ムチスキー獄長は進んできたタナカを前に余裕の表情。あきらかにタナカのことを障害とは思っていなかった。その態度に早くも圧倒されるタナカ。彼は今だかつてないほどの強烈なプレッシャーに襲われていた。
(ムチで打ちつけるのが好きなのか。それとも打たれるのが好きなのか。あるいは両方……。確かなのはこいつは属性持ちの強敵だということだ。ノーマルのオレにとっては未知の世界を知る恐ろしい相手……。しかしこういうイベントでは後になればなるほど強い敵がでるのがお約束だ。となればここは無理をおしてでも闘わなければ……。何としてでもこの先に待ち受ける強敵は他のやつに押し付けてみせる!)
それは断固とした決意。不利な闘いと知りつつもタナカは前に進むことを選んだ。これまでのタナカであれば間違いなく逃げに徹したであろうこの場面。しかし後の大きな戦いを見据えてあえて危機と対峙するタナカには確かな成長がみてとれる。小事を受け止め大事から確実に逃げるというその発想。タナカの小物としての成長は留まることを知らない。
「フッ、戦う前にひとつ言っておこう」
そしてこのタイミングでタナカは最強のカードをきる。
「オレにはこの国の重鎮。ホワイト将軍の後ろ盾がある。獄長ごときの貴様がこのオレに手をあげようなど。百三十七億年はやいわ!」
カッコいいポーズをとってとどめをさしにいくタナカ。
「その足りない脳みそで理解するのは難しいかもしれんが無理にでも納得しろ。このオレが貴様よりはるかに高い地位にいるということをな!」
一気にたたみかけるタナカ。いまの彼ならば間違いなく三割以上の確率でしつこい新聞勧誘を撃退できるはずだ。それほどの口撃。
「十数えるうちに道をあけろ。さもなくばオレのカラーテが火を噴くぜ」
決まった――。タナカは勝利を確信する。しかし……。
「グフフフ、そうかい。そりゃあとんでもない話だなあ」
相手の態度は軟化しなかった。それどころかその不細工な笑みに青筋がたったように見えなくもなかった。タナカはちょっと煽りすぎたと反省する。反省することはとてもいいことだ。
「どうやら理解できなかったようだな。いいだろう! わかりやすく説明してやる。つまりこの国の王女ちゃんとだってムフフな関係になれるほどの可能性を秘めた漢。それがオレだということだ!」
煽る文句を控え己を大きく見せることのみに力を入れる。タナカさんはまだ勝利をあきらめていない。冷静さも失っていないはずだ。
「だから可愛い娘がいたら紹介してください。お願いします」
――ダメだった。獄長の迫力ある顔に屈服するタナカ。そこにはもはや勝ちをあきらめ、ただ己の欲望のみを吐き出すひとりのオッサンがいるだけだった。
「なにわけわかんないこといってんだよ! まじめにやれ!」
外野からのトビーのツッコミ。タナカははたと正気に戻る。
「ハッ! オレは一体なにを……。クッ、油断した! パワータイプと見せかけて搦め手の精神攻撃かよ。なかなかやるじゃねえか」
冷や汗をぬぐいながら不敵な笑みを浮かべるタナカ。なんという豪胆さ。はたしてタナカ以外に絶望の淵に追い込まれたといってもいいこの状況で笑うことができるだろうか。
「精神攻撃か……。恐るべき相手だな」
「いやいや。どう見ても独り相撲でしょ!」
戦いを真剣な眼差しで見守るヤシチにツッコミをいれるトビー。このまま過労死するまでツッコミし続ける運命なのか。トビーの今後が実に心配である。
「さっきから何を言ってるんだ? 貴様は……」
そして続くタナカに向けてのムチスキー獄長のこの発言。このときトビーにはムチスキー獄長がさながら地獄に舞い降りたツッコミ天使に見えた。ツッコむことに疲れたトビーの苦労をねぎらってくれる可憐なる天使だ。トビーは獄長との距離が縮まったような気がした。もちろんただの気のせいである。
「勇者以外は好きにしていいといわれているからな。貴様には俺様の可愛いペットたちのエサになってもらうとするか。おい!」
ムチスキー獄長の声を受けひとりの看守が大きな扉の前に駆けていく。慌てたような手つきで鍵を開く看守。
「さあ出てこい。セシリーにスザンナよ!」
ようやく開いた扉から蠢くなにかが這い出してきた。タナカたちに緊張が走る。最もタナカだけは他の二人とは違う期待によるものだが。
「グフフフ、あいかわらず可愛いのう」
それは粘液質でありながら奇妙な形を保つ不思議なスライムだった。
「って悲しくも隷属させられている美女的なものを期待しちまったじゃねえか! 返せ! オレのトキメキを返せ! せめて女の子モンスター的なものにチェンジしろ!」
相変わらずどんなときも夢を忘れない漢である。しかし恐るべきはムチスキー獄長だ。不死鳥のごとく蘇ったタナカを再度地獄の谷に突き落とすかのようなこの所業。まさに強敵だ。
「気をつけろ。俺も奴らには手痛い目にあった」
「なん……だと……」
ヤシチの警告に愕然となるタナカ。それもそのはず。タナカが最強勇者と頼るヤシチをして警戒せざるを得ない敵。それほどの化け物が自分が倒すべき相手なのだから。
「小型のやつはスライムに非ざるほどの俊敏さを誇る。そのドラ猫的な仕草から名付けられた名はドライム!」
タナカは一気に警戒度をあげる。逃げ技を得意とするタナカにとって素早い敵は最も警戒すべき相手だ。
「そして大型のはその質量にまかせた強力な攻撃を特徴としている。単純な力ならばドラゴンに勝るとも劣らない強者。その名はドライム!」
「どっちもいっしょじゃねえか!」
敵を前にして思わずツッコミをいれるタナカ。あいかわらず大胆不敵な漢である。かまわずヤシチは忠告を続けた。
「気を抜くなよ。ドライムは希少な性質をもっていて魔法に対して絶対的な防御を誇る。ヤツへの魔法攻撃は魔力を捨てるのと同等の行為と心得ろ。それからドライムはスライムの物理耐性を最も濃く受け継ぐ腫だ。物理攻撃はまず通用しないと思っていい」
「ちょっと待てい! いったいどっちだよ! どっちがどっちなんだよ!」
混乱するタナカ。そんなタナカに叫び声をあげるトビー。
「アンタこんな状況でなに言ってんだよ! ドライムに魔法攻撃! ドライムには物理攻撃だよ! とにかくヤシチさんの言うとおりにやれって!」
「お前もか?! この土壇場にきてお前も俺を裏切るんだな! そんなに女にモテたいのかよ! オレだってボケを貫いて女にモテたいんだよちくしょう!」
「またなにわけわかんないこと言ってるんだ! こんなときくらいまじめにやれよ!」
いつのまにかタナカにツッコミ役がまわっていた。タナカはあらためて勇者の力に恐怖する。
――やはり勇者の力は危険だ。
その力はボケとツッコミ役を逆転させるほど。まさに世界を変え得る力だということをタナカは思い知るのだった。
そんなシリアスな状況のタナカにおかまいなしにドライムたちが迫りくる。
「……ク、クックックッ。この程度の小細工。我が智謀をもってすればなんの障害にもならんわ!」
ついに耐えきれなくなり厨二病が発症するタナカ。
「物理耐性に魔法耐性だ? 我が頭脳にどれだけの戦いが記録されていると思っている。瞬時に百八通りの打開策を導き出した我に死角はない」
おもむろに構えをとるタナカ。両足は肩幅よりやや広く。相手に対し斜めに構えた身体は自然体。前の手を天高く掲げ、後ろ手は下段より相手を待ち構えるようにかざしていた。
「これこそカラーテの長き歴史において不敗を誇る守りの型。『禍果渦殺誅在』」
構えをとるタナカに対し笑い声をあげるムチスキー獄長。
「グハッハッハッハッ! なんだそれは。ただ身を守っているだけではないか」
しかしそんな獄長の煽りに微動だにしないタナカが静かに応える。
「クックックッ。分からんか? 貴様のペットたちの防御。その致命的欠陥が」
「なにい?」
タナカの挑発ともいえる発言にムチスキー獄長は反応してしまう。
「物理耐性に魔法耐性。二体が補い合って完全なる防御陣を構築するというその戦術。攻撃しながらでも保てるかな? いっておくがカラーテの守りの型はただの防御にあらず。攻め手の隙あらば守りから攻めへと転じる表裏一体の型。クックック、この戦い先に動いたほうが負けるぞ」
獄長の顔から余裕の笑みが消える。
「魔物を使役するのを得意としているようだが。はたしてこの状況で貴様に自慢のペットを抑えることができるかな? たとえペットに堕ちても魔物は魔物。敵を目の前にして湧き上がる野生の本能。抗うことはできまい」
ムチスキー獄長はここにきて気付く。目の前の漢を侮っていたということに。魔物使いとして熟練者であるからこそわかるのだ。ペットたちの心のざわめきを。そして完璧といえた防御陣がそれほどの時を要せず瓦解してしまうであろうことを。
緊張のなか背中をつたう汗がやけに冷たく感じられた。いまは恐るべき相手を前に何か手を考えなければならない時。しかし獄長は頭が働かない。いつのまにか恐怖に呑み込まれていた彼は、ただ状況を受け入れるしかできなかった。そして何の手も打てないまま恐れていた時がやってくる。
突然、飛び跳ねるように舞い上がった影。ついに野性の本能があらわとなったのだ。
「キシャーー!」
奇声をあげながら相手を威嚇する狂気。本能のおもむくまま猛然と襲い掛かるタナカ。
「ってアンタが襲い掛かってどうするんだよ! いままでのやりとりはなんだったんだ! すべてが台無しじゃないか!」
バナナの皮が落ちていれば滑って転ばずにはいられない漢。それがタナカ。例えどんな危機に陥ろうとも、芸人として本能を止められるはずなどなかったのだ。
トビーのツッコミを浴びながら笑みを浮かべるタナカ。彼は異世界にきてはじめてといってもいい幸福感につつまれていた。かなりどうでもいいことである。
いっぽう先程までの焦りが嘘だったかのようにムチスキー獄長から笑い声があがった。
「グハッハッ! バカめ。恐怖で我を忘れおったか。しょせんはハッタリにすぎなかったというわけか」
そしてこの茶番を終わらせるためペットたちに指示を出す。
「セシリー! スザンナ! ヤツを喰らい……つく?」
しかし言葉が最後まで続かない。高く飛び上がったタナカに気が向いた一瞬ですべてが終わっていた。そこにあるのは巨大な穴。それがみるみるうちに閉じられていく。獄長の可愛いペットたちが呑み込まれたのは明らかだった。
「なんだこれは……。貴様! いったい何をした!」
戸惑い、怒り、恐怖――。獄長から様々な感情が入り混じった叫びがあがる。
閉じられた地面にカッコよく着地すると獄長のプレッシャーに小揺るぎもせず言い放つ。
「貴様こそなにか勘違いしていないか? 我らは脱出するのが目的であって敵を倒すのが目的ではない。目的と手段をはき違えるなど愚の骨頂よ。わざわざ面倒な敵など倒さずとも、簡単に排除できるのならばそうするのが当然だ」
なんとすべてはタナカさんの策だったのだ。これまでの醜態の数々もすべては敵を油断させるための作戦。そもそも強くてカッコいいタナカさんが醜態をさらすこと事体おかしかったのだ。タナカさんにかぎってノリに任せた行動の結果とてつもない窮地に陥り、無我夢中で魔法を使った結果たまたま盛土魔法で敵が排除できたなんてことはないはず。その証拠にいつものように不敵な笑みを浮かべたタナカさんがカッコよく決めポーズ。
「所詮貴様ごとき、我が前に立ち塞がるには役不足だったということだ」
恐るべき敵を前にしてタナカ揺るがず。
ヽ(°▽、°)ノ よいお年を!