Route48「かつてそう呼ばれたこともあったな」
勝負再開後、青年トビー最初の一手。山から引いたカードは……。
「――ストレートフラッシュ」
「なに!」
レッド将軍は思わず驚きの声をあげる。同時に周りの客からも歓声が沸いた。トビーの残りのポイントは一気に回復して13ポイント。ロイヤル・フラッシュを決められれば未だ即死ではあるがとりあえず安全圏に退避したといえるだろう。
(流れがかわったか……。まあいい、次にこちらの流れになったときは必ずしとめる)
先ほどまでのやりとりで熱くなっていたレッド将軍はここにきてようやく冷静さを取り戻す。そして改めて相手を見据えた。
(トビーの纏う空気が変わっている。フッフッフッ、面白い。これはひさしぶりに勝負を楽しめそうだな)
トビーは茫然としていた。あまりにもあっけなく危機的状況が霧散したからだ。そして茫然としたままとなりの漢をみる。その漢こそストレートフラッシュという大物手を呼び寄せた張本人。
「なにを呆けている。勝負はこれからだ。気を引き締めろよ」
なんとも頼りがいのある風格。タナカと名乗った漢の指示にトビーは素直に従う。
「どうやらお前は勝負というものをわかっていないようだ。勝負のイロハを叩き込みたいところだが今はそれどころではないからな。お前には最低限のことをやってもらう。いいか? まずはとにかく冷静さを忘れるな。冷静であれば勝利するわけではないが、冷静さを失えば敗者になることを肝に銘じろ」
戦いにおいて常に冷静さを失い続けた漢タナカの言葉は重い。そしてそのいちいちもっともな指摘にうなずくトビー。
「よし、次に自分の手札を前に進めることに集中しろ。いまのお前のレベルでは相手との駆け引きなど無意味。よって相手の動向は全部無視だ。ただし自分の挙動を抑えることだけは忘れるな。まあそれでも多少は読まれるだろうが想定済みだから安心しろ」
なんとも頼りになる漢だ。最後に不敵に笑ってサムズアップ。
「とにかくそれだけやってもらえば問題ない。流れは俺が制してやる。なあに駆け引きは俺の最も得意とするところだ。泥船に乗って雨乞いをするくらいのつもりでどんと構えていろ」
恋の駆け引きをする段階にすら到達できなかった、駆け引きの自称プロが与える安心感はさすがといえよう。なんだかよくわからないがこの漢についていけば勝てる。そう思わせるほどの安心感を生みだしてくれた。トビーはそんな漢の姿に希望をみる。ちなみに内陸育ちのトビーが船とはなんなのかよく知らなかったことは実に些細なことだろう。
こうして再び戦いが始まった。トビーはタナカに言われた通り自分の手札に集中する。自分の手札、これをどう揃えるのが最善なのか。慎重に考えながら前に進むトビー。新たなカードに道筋をガラリと変えられること幾度。それでも冷静さを失わないよう心がけ、まだ見ぬ完成された手札を目指して歩みを続けた。
(不思議だ……)
トビーはいつの間にかざわつく周りの音がまったく気にならなくなっていた。それどころかまるで静寂の中にいるような錯覚さえ覚える。つい先ほどまで心を落ち着けようと自分自身に言い聞かせていたのが嘘であったかのように冷静だ。
――カードを引く。前進せず。しかし見えてくる新たな道筋。心は冴えわたり瞬時にその道を選んだ。その選択に躊躇いも迷いもなかった。
ふとレッド将軍の顔が目に入る。そこにあるのは戦う者の顔だった。先ほどまで見られた余裕、愉悦、蔑み。そういった感情は微塵も感じられない。
(いつの間にか戦いになっている……。ただ蹂躙されるがままだった勝負が……)
そして気付く。自分の感覚が研ぎ澄まされていることに。視野がおそろしく広がっていることに。
(ひょっとしてこれが高みにいる者が見ている世界なのか? 不思議な気分だ……。いまなら何だってできそうだ)
まるですべてが見通せるような感覚。神とはこのような目をもっているのでは。そう思わせるほどの全能感に満たされる。そんな最中、目に入っていたレッド将軍の纏う空気の揺らぎに気付く。
(なんだ? 一見無表情な顔、しぐさ。……でも確かにわかる。将軍の心が揺れているのが。……なにかに圧倒されているのか?)
そしてレッド将軍の目線の先。自分のとなりにいる漢を見た。それはまるで巌――。腕を組みすべてを見透かしたような笑みを浮かべ堂々と構えた漢。覚醒したトビーの目をもってしても彼がなにを考えているのか窺い知ることはできなかった。
(レッド将軍にプレッシャーを与えているのか? 一体どうやって? ……わからねえ。ひとつ確かなのは彼がこの感覚よりさらなる高みにいるってことだけだ……)
そして悟る。この漢こそが自分を高みに引き上げた張本人であることに。自分にかけがえのないチャンスを与えてくれたのだということに。トビーは全能感に流されそうになった自分を恥じる。
(何を余計なこと考えていたんだ俺は。この感覚がいつまでも続く保証はねえ! せっかく与えられたチャンスを無駄にするな! 勝つんだ。この勝負に勝って生きるんだ!)
トビーは前に進む。自分の前にひろがる茨の道を。その先に光があることを信じて――。
「――フルハウス」
周りの客がどよめく。これで六連続のポイント奪取。いまだレッド将軍が36対24と有利ではあるが完勝目前からここまでの巻き返し。さすがに認めざるを得ない。
(……本物。……いや、化け物だ)
先程まで一方的に殴りつけていた青年に殴り返されていた。それはもはや対等な闘いといってもいい。いや、いまでは逆に一方的にやられかねない。それほどの勢いだった。
しかし今は相手に流れがあるというだけのこと。時が来ればまた押し返して見せる。レッド将軍にはまだそう言えるだけの余裕があった。この程度を化け物とは呼べないだろう。では何故さきほどのような考えが頭をよぎったのか。それはその相手のとなり。そこにいる漢の存在に他ならなかった。
目の前の未熟だった青年を勇猛な勝負師に変えた張本人。自分は勝負の土俵の上にあがらず、それでいて領域外からレッド将軍を圧倒してくる漢。
(まさかこれほどの化け物が存在しているとはな……。だが私もこの街で数々の勝負師と渡り合ってきた男。このままやられはせぬ!)
それは勝負師としての意地だった。相手がかなりの高みにいるのはもはや疑いようもない。しかしつけいる隙は残っていた。その化け物と直接闘っているわけではないという点。そしてポイントはいまだレッド将軍が有利な点だった。
(まずは流れを変える! 変えてみせる!)
手札はノーペア。連番なし。揃った柄は二組。レッド将軍にとっては相変わらず逆風の最中ゲームはスタート。
山からの一枚は不要なカード。好転の兆しはいまだ見えず。不要カードを交換し場に捨ててターンエンド。
そしてトビーのターン。時間をかけずもはやレッド将軍と同等の手際のよさでターン終了。もはやレッド将軍にはトビーのもらす空気から思惑を読み取ることはできなかった。見事という他ない。わずかな時間でレッド将軍のいる領域まで駆け上がってきたのだ。しかし感嘆してばかりもいられなかった。
自分のターンに集中するレッド将軍。トビーのとなりにいた化け物は見ない。いや、見る余裕などない。見れば間違いなく圧倒されてしまうからだ。そのままこの勝負を一気にもっていかれかねない。そうレッド将軍に予感させるなにかがあった。
そのまま数ターンが経過。そして新たに引いたカードで3枚の連番まで到達する。わずかに好転の兆しアリ。しかしすべてが違う柄。このまま進めば間違いなくストレートより上はない。安物手を掴む流れ。
(……これでいい。役はどうでもいいのだ。まずはあがること。流れをかえねば勝機はない!)
自分を奮い立たせ向かうべき道、ストレートの完成に狙いを定める。不要なカードを捨ててターンエンド。
もはや迷いはなかった。ストレートを最速であがるという断固とした決意。しかしこのとき微動だにしなかった化け物に動きがあった。それにつられてつい見てしまう。化け物の顔を――
(――嗤った。私の決意を? いや、わかるはずはない! そんなことあってたまるか!)
次のターン。連続の好手。ストレートまであと一歩のところまできた。しかしまた見えてしまう。化け物がにやけるその瞬間を――
(本当に考えを読み切っているというのか……。クッ、それがどうした! たとえ私の考えを読み切ったとしてもこの最速のあがりはとめられん!)
自分を奮い立たせるレッド将軍。しかし次の相手のターン。そこで思い知る。自分の考えが甘かったことを……。
「――ストレート」
茫然とするレッド将軍。決して甘くみていたわけではない。相手が化け物であると確かに認識していたはずだった。
(……ばかな。完全に相手の流れだった。いくらでも大物手を狙う機会はあったはずだ。それなのにここであえてストレートだと!)
化け物がさらに顔を歪めにやけるのを見てようやく気付く。こちらの見立てよりさらに高みにいる化け物だということに。
(私の考えを読んでいただけではない。私の狙いをそしてゲームの流れすらも先読みしていたのだ!)
そうでなければ先にあがれるはずはない。確かにレッド将軍に流れはなかった。しかし先ほどのストレート狙い。そのかかったターン数を考えると決して遅くはなかった。むしろかなり速かったはずである。間違いなく勝負の節目。流れが変わる一手になりえたはずだった。
(最初から向こうもストレートを狙っていたのだ。ゲームの流れが変わる時を読み切り、さらには私がそのタイミングで最速のストレートを狙うと予想して!)
これまで驚き、戸惑い、怒り。さまざまに心を揺さぶり続けてきた。レッド将軍は気付いていなかった。ここにきてその心の奥底に恐怖を植えつけられたことに――。
「――むぅ」
ゲームをタダで楽しむところまでこぎつけたタナカ。しかし思わぬ誤算に見舞われていた。
いろいろと薀蓄を披露しながらゲームに口出ししようというのがタナカの目論見だったわけだが……。
タナカは目の前でカードに集中している青年トビーに目を移す。どういうわけか先程までの劣勢が嘘だったかのように健闘していた。もはやタナカを蚊帳の外にゲームは進行している。
かつてゲームセンターで脱衣麻雀に挑戦し一勝もできず、早々に勝ちをあきらめ他人のプレーを遠くから盗み見てムフフ画像を楽しんだ勝負師としての血が騒がなくもなかったが、そこはカッコよくて大人な漢タナカ。若者の戦いを生暖かい眼差しで見守ることにした。
そしてふと相手方のほうに目を移して気付く。目の前の壮年のイケメン。その憎きイケメンが両側にはべらせた美女たちに。
――ニヤリ。タナカの表情が一変する。それはまるで獲物を狙う狡猾な獣の眼。いま再びタナカの中に眠る獣が目を覚まそうとしていた。――が寝返りをうっただけで再び眠りにつく三匹のハムスター。仲良く川の字に並んで眠るその姿はどこか懐かしく温かい。そんなハムスターたちの心温まる一幕とは関係なくゲームは進んでいく。そしてタナカの美女寝取りミッションも開始するのだった。
「――フッ」
まずは微笑からの流し目。軽いジャブで様子をみたといったところだろう。しかしなんということか。美女たちはだれもこちらを見ていない。
痛恨のミス。初手から空回ってしまう。しかし人生常に空回ってきた漢タナカはこの程度では動じない。「空回りは僕のトモダチ」とさわやかな笑顔で語るスポーツ少年を描いた熱く感動の物語を瞬時に作り上げ、脳内ハードディスクに保存することで冷静さを保つ。
それにしても美女たちではなく目の前の壮年のイケメンがこちらに注目したことに、イラッとした気持ちまでも抑え込んだタナカの精神力はさすがといえよう。
そしてタナカの戦いは続く。まずは美女の目を引かなければならない。タナカは目を閉じおもむろに片手をあげる。美女たちの目がその美しい身のこなしに見惚れているのが目に浮かぶ。しかしここで手をゆるめないのが「攻撃は最大の防御」をスポーツ漫画で学んだ漢タナカ。動かした片手をそのまま顔の前にもってきて得意のポーズに持ち込む。
――クワッ! っと見開く眼。指の隙間から放たれるその眼力に耐えられる美女などいまい。ニヒルに口を歪ませながらそう確信するタナカ! ……と目があったのはまたしても美女ではなく壮年のイケメン。さらにイラッとしたタナカに非はないだろう。
タナカはここにきてようやく悟る。今の自分ではこの美女たちを手にすることはできないのだと。この運命はどうあっても変えられないのだと。それは例えるならば扇風機のまえで「アッ、アッ、アッ、アッ、アッ~」をやってしまう世界共通の絶対摂理を捻じ曲げるようなもの。
(……俺はまた負けるのか)
折れそうになる心。しかしこれまでの過酷な試練を乗り越えてきた経験はだてではない。タナカは最後の大勝負にでる。
「――そろそろ終わりにしないか」
「……それはどういう意味だ」
ゲームの最中。きりのいいところでタナカが口をはさんだ。それに対し訝しげな表情で声をあげるレッド将軍。ゲームを常に制していたといってもいい漢の発言に警戒感は強い。
「充分楽しんだだろう? これ以上チマチマとポイントをとりあっていても興が覚めるだけだ。そろそろここいらでケリをつけようじゃないか」
「……どうしようというのだ」
タナカはニヤリと笑って応える。何度その笑みに圧倒されてきただろうか。レッド将軍は心の中で身構えながらタナカの言葉を待つ。
「最後を飾るにふさわしく……、役はロイヤル・フラッシュのみ。得られるポイントは倍でどうだ?」
端的にいうと次の勝負で決着。勝者は先にロイヤル・フラッシュをあがった側。そう提案したのだ。
「なっ!」
驚きの声をあげるトビー。それとは対照的に表情を変えず考え込むレッド将軍。彼にとってみればそれは悪くないルール変更だった。考えを読まれゲームの流れも意のままに操る化け物相手にこのままでは負けは明白。しかしこの提案であれば読みあいなどほとんど関係なくなる。役を構築するセンスと運が勝負を決めるといってもいいだろう。このまま長々と通常の勝負を続けるよりは明らかに勝算がある。問題があるとすればなぜわざわざ自分の有利さを捨てようとするのか。相手の思惑が不明で不気味な点であろう。
「……いいだろう。その勝負受けて立つ」
「……」
トビーの存在を無視してルールの変更が決まった。観客からも歓声が沸く。期待する結末がなかなか訪れず退屈していた気持ちがあったのだろう。場が一転して盛り上がった。
(クックック、これで俺の存在感がグッと増したはずだ。この流れで美女を攻めれば間違いなく落ちる!)
どこからその自信が湧いてくるのか。内心ひとり勝手に盛り上がるタナカ。
勝利への執念を燃やすレッド将軍。
そして存在を無視されテンションがさがったままのトビー。
にぎやかな観客に囲まれ最後の戦いの幕があがる。
――闇を切り裂き無機質な音が響き渡った。
そこは都市ケタバナハ・オー内にある王国軍の基地。その地下深くに存在する牢獄。
そして響き渡ったのはその牢のひとつが重い鉄格子によって閉ざされた音に他ならなかった。それは同時に哀れな二匹の子羊の未来が閉ざされた瞬間でもあった。
その牢の中に佇む二人の漢――。
「って負けてんじゃねーか! どうすんだよ!!」
大声で抗議するのはその場の空気に流された結果、不幸のどん底に突き落とされた遊び人の青年トビー・ザール。そして同じ状況に追い落とされながらもまったく動じていない鋼の漢タナカ。笑みを浮かべサムズアップで応える。
「安心しろ。なんとか致命傷ですんでいる」
「致命傷かよ! どう安心したらいいんだよ! この状況、絶対絶命じゃねえか!」
優しくてカッコいいタナカさんが落ち着かせようと気を遣ったというのに、トビーは相変わらず喚き散らしている。余裕の表情で下半身をプルプル震わせているタナカさんの爪の垢を煎じて飲ませてあげたいくらいの醜態だ。
「まあ落ち着け。とにかくここは冷静になって考えようじゃないか。そもそもなんで俺はこんなところに閉じ込められたんだ? ひょっとして新しいプレイかなにかか? ここで待っていればさっきの美女はやってくるのか? ……わからん。これは難題だな」
「俺にはアンタの言ってることがわけわかんねえよ! 難題すぎるだろ!」
しばらくボケとツッコミを繰り返したあとようやく落ち着きを取り戻すトビー。タナカの言葉に耳を傾けたというより疲れてしまったのだろう。
ようやく訪れた静寂。その静寂を破ったのはタナカでもトビーでもなかった。
「――驚いたな。この国の連中は罪人など即処刑。牢は飾り物にすぎないのだと思っていたよ」
それはちょうど向かいの牢。壁に寄りかかりこちらを見つめる男がいた。長い間そのままだったのであろう放置された髪と髭がまずは目につく。そして髪の合い間から覗かせる鋭い眼光がやけに印象的だ。年の頃はわかり辛いが三十代後半といったところか。タナカより若干年上くらいだろう。
「ほほう。ならば処刑されないコツを是非ともご教授願いたいな」
言動と存在が矛盾する男を前にタナカは警戒する。タナカのイケメンセンサーにビビッときたからだ。
(一見汚くみすぼらしい恰好の男だが俺にはわかる。 こいつ……、ダンディーなイケメン!)
自分とキャラがかぶる男の出現に、タナカの頭の中では最大級の警報が鳴り響いていた。
「それは難しい質問だ……。おっと自己紹介がまだだったな。俺は仲谷七郎。気軽にヤシチとでも呼んでくれ」
「うむ。では俺のことはエチゴヤと呼んでくれ」
意味もなく正体を隠すのはカッコいい漢の基本。クレバーに接するタナカは平常運転だ。しかしその横ではトビーは驚愕の表情とともに言葉をこぼした。
「――まさか……。勇者ヤシチ……」
それほど大きくない声だった。しかしヤシチはしっかりとそれに応えた。
「フッ、かつてそう呼ばれたこともあったな」
いまからおよそ二十年ほど前。勇者召喚によりこの世界に降臨した異世界人がいた。歴代最強と謳われながらも五年前、忽然と姿を消した先代の勇者。それがタナカたちの目の前に現れた漢だった。




