Route43「この世には決して赦されない罪がある」
タナカたちが、一角族の集落に居ついて、はや一月。タナカはムールガイの家を、一部占拠していた。
「くふっ。くふふふ……。なかなかやるでおじゃるな。しかし麻呂はもっと過激な画像を、所望するでおじゃるよ……」
「……何言ってんだコイツ」
気持ちよさそうに、熟睡しているタナカを傍目に、あきれるムールガイ。すでに、外出の支度を整えていたムールガイは、タナカを放置して家を出る。今日は集落の結界を張り替える、大事な日だった。
家をでると、まず目に入ったのはカクさん。目の前で、プカプカと浮遊している。精霊であるカクさんは、睡眠をとる必要がない。タナカが寝ている間は、基本的に暇なのだ。
「よう。相変わらず早いな」
「いや、アイツが遅いだけだろ」
ここ最近、あたりまえのように交わされる、朝の挨拶。カクさんと同じく、プカプカと浮遊している、スケさんが近づいてくる。魔法生物であるスケさんも、睡眠をほとんど必要としない。同じく暇をもてあましていた。
「朝はイメージトレーニング中なので、起こしてはいけないルールになったでござる」
「……」
非常識な彼らに、もはやなにをいっても無駄であろう。そう察したムールガイは、なにも言わずに立ち去るのだった。
向かうのは集落の中心の広場。歩きながら物思いにふけるムールガイ。その心中はあまり穏やかではない。自然と歩みが緩む。
やがて完全に歩みをとめるムールガイ。深くため息をついて座り込む。
頭に浮かぶのは数日前、結界の張り替え作業について、話し合った場での出来事。
「ふざけんじゃねえ!」
ムールガイは集まった面々に、怒鳴り散らした。対して怒鳴られた側の目は、どこか冷たい。その中のひとり。ムールガイの父親でもある族長が、彼をたしなめた。
「おちつけ。もうお前にもわかっているのだろう。閉鎖的なままでは、我ら一族の未来がないということを」
落胆の色を隠しきれない族長。いずれ息子のムールガイに、一族を率いていってほしい。そんな願いを持っていた。親心としては当然といえよう。
しかしその期待を知ってか知らずか。感情を爆発させている息子。それを見て族長は思う。息子にはやはり無理なのかと。
ここ最近の息子の様子から、族長は期待していたのだ。いつの間にか、息子の家に居座り始めた人間。その話を聞いたとき、族長には信じられなかった。実際、彼らが息子と一緒にいるところを、最初に見たとき、幻覚魔法でも使っているのではないか、と疑ったくらいだ。あの人間嫌いの息子が、人間と肩を並べていたのだから。その後、日を追うごとに、ぎこちなさも消えていった。さらに変化はそれだけに留まらない。融通の利かなかった、我の強い息子から角がとれていった。
族長は息子の変化を喜んだ。これならば後継者としても問題なかろうと。
そこからの族長の行動は早かった。数年に一度行う行事。集落を守る結界の張り替え作業。それを息子に取り仕切らせようと画策した。
一角族は結界を張り替える度に、集落を移動させる。それは彼らが、一部の人間から狙われるがゆえであった。彼らのもつ額の角。この角には、多量の魔力が貯蔵されている。彼らはいわば生きた魔力結晶なのだ。魔力結晶の入手が困難な中。魔力結晶を求める者たちからすれば、一角族は非常に魅力的な存在なのは、言うまでもない。そのような者たちから、身を守るため定住をさけるのだ。
しかし、今回はいままでと事情が違う。頼もしい協力者がいるのだ。それが現在集落のある森、その一帯をおさめる領主、アーモンド男爵である。
それまで、移住を繰り返していた一角族は、とても豊かといえる生活ではなかった。そんな彼らに、アーモンド男爵が手を差し伸べたのだ。外部の物が流通するようになり、集落は見違えるように豊かになった。人間たちとの間にあった心の壁。それが崩れるのに、時間はかからなかった。定住という選択を考えはじめたのは、ごく自然な流れだったといえよう。
アーモンド男爵の了承は、すんなり得られた。残った問題といえば、いまだ人間不信を抱える者たち。その最たる人物こそ族長の息子だったのだ。
ここで息子が定住を推し進めれば、すべてがうまくいく。族長はそう考えたのだが、そううまく事は運べなかった。
「そんなことわかってる! でもそれとこれとは話が別だろう!」
すでにムールガイは、闇雲に人間を嫌うことはやめている。タナカたちとのふれあいで、愛すべきバカな人間がいることを知ったのだ。
そしてタナカたちから様々なことを聞いた。長い内戦で貧困に苦しむ西部。魔族弾圧の嵐が荒れ狂う中原。そして比較的安全な東部、その北に魔族の街が生まれたことを。
様々な知識は、族長が考えている以上に、ムールガイを変えていた。
恋敵であるアーモンド男爵のことも、悔しいが認めていた。集落が豊かになったのは、間違いなく男爵の功績だと。
「結界の張り替えだけは、一族だけでやるべきだ! 人族と友好関係を築くのはいい。男爵への恩もわかる。今後、人族と互いに協力していくのに文句はない。だが、結界は一族の安全の根幹。そこに一族以外の者を関わらせるべきじゃない!」
人間と仲良くやっていくのも悪くないと、ムールガイは本当にそう思っているのだ。しかしそれでも認められない。譲れないことというのはある。しかしその思いは親でもある族長に届かない。
「結界が安全の根幹であるのは、言われるまでもない。大事であればこそ、それを共に行うことで、より絆が深まると思わんか。これは恩ある男爵に、人族と共に生きていくという、我らの決意表明でもあるのだ」
「裏切られたらどうするつもりだ?」
「男爵がどれほど援助してくれたか、わかっていよう。そんな男爵が裏切ると思うているのか?」
「なにも考えてねえじゃねえか!」
話し合いは、お互い平行線のまま。やがてただの口げんかと化していく親子。
結局、意見はまとまることはなく、多数決で男爵の協力のもと、作業が行われることが決定する。しかしそれを取り仕切るのは族長。ムールガイを後継者として、既成事実化しようとする、族長の思惑はくずれることとなった。
「ハァ……」
らしくなく考えにふけるムールガイ。やはり自分が間違っていたのかと。
男爵を認めていると言いながらも、嫉妬に流されたのではないか。それが原因で、反発してしまったのではないかと。しかしいくら考えるても、答えは出せない。
今回の協力の話。やはりどこか納得ができないのだった。
「――らしくないな。決まっちまったことは仕方ねえ……。っと、やばいな。もう始まっちまったか……。しっかりしねえとな。こうなったらやるべきことをやるだけだ」
悩みを吹っ切るように、素早く立ち上がる。そして再び、広場へと足を向けるのだった。
「一体、何が……」
広場に集まった一角族たちがザワついていた。そんな中、今回の行事に参加していたアーモンド男爵が族長に話しかける。
「族長。なにやら怪しい雰囲気になっておるが、どうかしたのかな?」
不安気な空気につつまれた一角族の中。いつもと変わりない様子の男爵が訊ねた。
「本来であれば、すぐにでも新たな結界が築かれるはずなのですが……」
「ふむ、結界が消えたままだと……。なるほど……、どうやらうまくいったようだな」
満面の笑みを浮かべる男爵に対し、怪訝な表情となる族長。
「それはどういう意味ですかな?」
「実は今回の行事が終わった後、皆で大いに祝おうと思いましてな。ふるまうための酒や料理を、大量に運ばせていたのだ」
「いったい何の話ですかな? だいたいそんな話、私の耳には届いてませんぞ」
男爵が余裕の表情で説明を続ける。
「なあに。わざわざ族長に伝えるほどのことでもない。そう思いましてな。彼女に手伝ってもらいましたよ」
男爵の目線の先には、微妙な表情を浮かべているシジミがいた。
「え、えっと……、みんなびっくりするかなと思って……。エヘヘ……」
ぎこちなく笑みを浮かべるシジミ。
「シジミ、お前なにを勝手なことを……。いや、その話はいい。男爵様、いまはそれどころではないので、その話はまた後程……」
族長は唐突になんの関係もない話を始めた男爵を怪訝に思いながらも、話を切り上げようとする。しかし男爵はかまわず話し続けた。
「まだ話は終わってませぬぞ。これはいま起きている事件に、大いに関わりのあることなのです。なぜなら私が運ばせた荷の中身が、なぜか我が兵にすり替わっていたのですからな」
「なんですと!」
そこに男爵の兵がやってくる。
「閣下、結界を張ろうとする者を、取りおさえました。それとこれを――」
兵から男爵に手渡されたのは数個の角。それこそが集落を守る強力な結界の源。亡くなった一角族が残していったものである。一角族はまさに先人たちに見守られてきたと言えよう。
「なるほど。これが結界の正体か。しかし強力な結界をはっていたとなると、やはり一角族の角は、莫大な富を生み出しそうだな」
角を手に満面の笑顔になる男爵。それを見て、ようやく現状を理解したのか、族長が激怒する。
「っ……騙したのだな! 一族の宝を返せ!」
飛びかからんとするが、いつの間にかやってきたのか兵が立ち塞がる。
「森で待機させておった兵が、結界が消えたことですでに動き出しておる。包囲されるのも時間の問題ぞ」
男爵の笑みが、醜悪な笑みへと変化する。
「なあに、不安になることはない。私が用意した住居に移ってもらうだけよ。もっとも私たちはそれを牧場と呼んでるがね」
族長をはじめとして、集まっていた一族たちは気付く。もはや、どうすることもできないことを。しかしそんな中ひとり、現状を理解していない、いや理解しようとしない者がいた。
「嘘よ……。嘘よね、男爵様。一族と仲良くするって……、一族を豊かにしてくれるって……」
フラフラと男爵に向かっていくシジミ。それを醜悪な笑みを浮かべたまま、男爵が言い放つ。
「ああ、そうだよ。仲良くしようじゃないか。私が管理し、育てて、増やしていってやろう」
「違う! そうじゃない! そうじゃないでしょ! そんなの納得できないわ!」
男爵の目に侮蔑の色が浮かぶ。
「そうだろうなあ。だから最後に協力してくれたまえ。一族を納得させるために、君には死んでもらおう」
「な、何を言って……」
男爵が笑みを浮かべたまま、族長に顔を向ける。
「族長よ。君たち一族も納得できないこととは思う。しかし、こちらも君たちを解放するわけにはいかん。とはいえ今後の長い付き合いを考えると、このまま事を強引に進めるというのも気が引ける。だから多少ばかり、溜飲を下げるのに協力してやろうではないか」
兵たちがシジミを取り囲む。
「君たち一族を売った、裏切り者を処刑することで――」
族長はやめさせるため、声をあげようとするができなかった。現在の危機はまぎれもなく、彼女の軽率さが招いた結果なのだ。
そして、自分もまた愚かであったことを自覚する。息子を跡継ぎにしたい、という思いから強引に行事を進めてしまったのだから。結局は息子自身が反対することで、目的は果たされず仕方なく手段だけを行いご覧のありさまだった。自分もまた、処刑されるにふさわしい愚か者であると。気付かないうちに涙がこぼれていた。
「よろしいのですか。彼女は男爵様に従順でした。まだ使い道があるのではないかと」
従者のひとりが男爵に耳打ちする。
「ふん。裏切り者というのは、裏切るまで重用し、裏切ったら素早く始末するのが肝要よ。あのような頭の弱い者。いつか誰かに利用され、寝首をかかれるのがオチよ」
従者は頭をさげ、あっさりと後ろへ下がる。念のため確認しただけで、従者自身も彼女にそれほどこだわる気はなかった、ということであろう。
結局のところ彼らにとって一角族は、単なる利用価値があるモノ。ただそれだけでしかないのだ。
「やれい!」
男爵の号令で、シジミを囲んだ兵たちが槍を構える。すでにかなりの兵が集まり、一族は拘束されつつあった。もはや誰にも止めることはできない。そして処刑がなされようとしたとき――
「やめろぉおおお!!」
遅刻したのが幸いしたのか、兵たちの目を逃れていたムールガイが、一人果敢に飛び込んでいく。手には巨大な木材。それを振り回しながら、シジミを助けようと兵の中に躍り出る。しかしそれも多勢に無勢。それもまともな武器もないまま。結果は明らかであった。
兵たちは始めは驚いてとまどっていたものの、すぐに冷静になりムールガイを包囲する。
「ムールガイといったか。お前の威勢の良さ、嫌いではないぞ。どうだ? お前を一族のまとめ役にしてやろう。ある程度の自由も認めようではないか」
シジミを処刑することで、一角族の怒りをおさめようとしたように、ムールガイを権力者にすることで、一角族の不満の矛先を、ムールガイに押し付けようと画策する男爵。
「そんなものいるか! オレが皆を守る! かかってきやがれ!」
男爵の思惑など知らず、ただ愛する者を守るため、断固として抵抗する意志をみせる。
しかし、それはあまりにも無謀な行為。
「ふん、面倒な。もったいないが二人とも見せしめにするか……。一族を従順にするためだ! 派手に殺してやれ!」
男爵の一言で兵たちが襲い掛かる。懸命に木材を振り回すが、抵抗にすらなっていなかった。隙をついて兵たちの槍が襲い掛かる。木材を振り回すたびに、ムールガイの身体に風穴が空いていく。ムールガイが動けなくなるのに、それほどの時間はかからなかった。崩れるように倒れるムールガイ。すでに瀕死の状態だった。
「ムールガイ!」
ムールガイに駆け寄るシジミ。逞しかった身体は惨くえぐられ、丸太のような丈夫な腕は、文字通り皮一枚でつながっているような酷い有様だった。
「ごめんなさい……。ごめんなさい……」
でてくるのは贖罪の言葉。それはムールガイへ向けてなのか。一族すべてへの贖罪なのか。ただあやまり続けるシジミ。しかし、そんな寸劇などお構いなしとばかりに、男爵の命がくだる。
「やれい!」
一気にカタを付けるためか。兵たちから魔法攻撃が一斉掃射される。他の一角族たちは、兵に牽制されて身動きがとれない。
「――っ。神様!」
シジミはムールガイに抱き着いてただ祈る。もはや彼女にできるのはそれだけ。神に縋るくらいしか残っていなかった。
一斉掃射された魔法攻撃。それが暴虐の奔流となって、二人を呑み込もうとした。その刹那――。まるで見えない壁にでも、衝突したかのように、魔法が爆散する。
予想外の事態。男爵をはじめとして、兵たちの動きが止まる。そして一角族たちも、茫然として爆発を見守った。
粉塵が徐々に晴れていく。目に入ったのは、二人の無残な亡骸ではなく、その二人を護るように、立ち塞がる三つの影。タナカたちである。
その三人から放たれる、途方もないプレッシャー。男爵たちは動くことができなかった。シジミから商人ときいていた人物。その彼がみせる強者の風格を前に、ただ目が離せなかった。
そんな中、タナカだけが動き出す。うずくまるムールガイとシジミに、歩み寄るタナカ。シジミはなにが起こったのか、理解できずただ茫然と、タナカを見かえしていた。
「――だ、誰か……」
その沈黙を破るかのような、ムールガイの力ない声。シジミは我に返り、ムールガイを抱きかかえる。
「ムールガイ! しっかりして!」
力づけようとするシジミ。それとは裏腹に、ムールガイからは急速に力が失われていく。朦朧とする中、ムールガイは呟くように言葉を紡ぐ。
「――誰か……。俺の角を……。タナカに渡してくれ……。一族を救ってもらう代償に……。アイツなら、きっとなんとかしてくれる……。頼む……、誰か……」
「何を言ってるの! そんなことをしたら、アナタが死んじゃうわ! ダメよ! あきらめないで! 生きてよ……」
一角族にとって、その角は命の源。それが失われることは、死を意味していた。
泣き崩れるシジミ。もはや彼女にもわかっていた。ムールガイが助からないことを。たとえそれでも、ほんのわずかでも、生きていてほしかった。
すでにムールガイは、目が見えていない。愛する人が目の前にいることもわからないまま、願いを口にしていた。自分の死を前にただ願う。愛する人の、そして一族の救われる未来を。
――タナカが手をかざす。シジミにはまるで、ムールガイの角を奪おうとするかのように見えた。
「だめええええ!」
咄嗟にムールガイをかばうように、しがみつくシジミ。そんな中、タナカの怒声が響き渡る。
「……言いたいことはそれだけか。このバカチンがぁあああ!」
その手が光り輝き二人を包み込む。必死にしがみついていたシジミは、不思議な感覚に我に返る。
「……う、うそ」
彼女の目に映ったのは、いくつもの槍に穿たれた、無残なムールガイの身体。その傷がふさがっていく様子だった。まるで時が巻き戻るかのようなデタラメな現象。それは回復などというレベルではなかった。無残にも千切れそうだった腕も、元通りの逞しい腕に戻していく。
「――これは、いったい……」
思考力が戻ったムールガイも、事態が呑み込めず茫然としていた。己の身体をあらためて見直す。瀕死の状態が、まるで嘘であったかのように、元通りだった。身にまとったボロボロの服だけが、先ほどの悲劇が、幻ではなかったことを物語っていた。茫然としたまま顔をあげる。
その目に映ったのは漢の背中。自分より小柄なはずのその背中が、とてつもなく大きく感じられた。
そして漢が背中で語る。
「これが最後のレッスンだ。モテる漢がどういうものか。よくその目に焼き付けておけ」
その背中に見惚れる。「レッスンを受けた覚えなんてねえよ!」とツッコミすら忘れさせるほどの、圧倒的存在感。
ムールガイは言われた通り、ただ目に焼き付けることしかできなかった。誰もが憧れた理想。いつしか目指すのをあきらめた、その先にある理想の漢の姿を――。
兵を前に、立ちふさがっていたスケさんとカクさん。そのもとにゆっくりと戻ったタナカ。珍しく非情な指示が出される。
「禍根はここで断ち切る。スケさん。カクさん。ひとりも逃すな」
それはタナカなりの、感謝の気持ちだったのかもしれない。絶望を前に最後まで抗い、己が命をもかけて、願いをかなえようとしたムールガイ。その姿はタナカに、再び立ち上がる、勇気の炎を灯してくれたのだ。
「承知!」
「おうよ!」
タナカの指示ですぐに動き出す二人。
スケさんは瞬時に兵たちとの間合いを詰める。さらにひと駆けで数人が薙ぎはらわれた。それはまるで生命を飲み干していく、黒き幻影。スケさんの残像が現れる度に、兵たちが次々と倒れていく。
「ひぃっ! お前たち私を守れ! あ、あの化け物を止めろ!」
男爵の悲鳴で、我に返った兵たちが動き始める。しかし、それをまったく意に介さないかのように、黒き幻影は兵たちを呑み込んでいく。
一方、カクさんはといえば、上空に飛び上がっていた。狙うのは散会した兵たち。もはや魔法を使うため、人化を解く必要もないほど成長したカクさんは、人化したまま魔法を放つ。得意のサイドチェストポーズをとって叫んだ。
「マッスルレインボゥー!」
巨大な炎、氷塊、岩塊、暴力的な鎌鼬。数百を超える魔法が一斉掃射された。タナカの魔力補助を受けたカクさんの基本魔法。それは上級魔法に匹敵する威力で、散会した兵たちを確実に刈り取る。
「ひぃぇぇ!」
目の前の悪夢を前に悲鳴をあげる男爵。自らの前でいまだに壁をつくる兵を残し、逃亡しようと後退する。
しかし振り向いたその先には、いつの間に移動したのか、ひとりの漢が立ち塞がっている。
敵が減った安全なタイミング。そしてもっとも目立つ場面。そんなおいしい役を取る漢といえば、タナカしかいない。
「この世には決して赦されない罪がある。貴様はそれを犯したのだ」
タナカを前に男爵の心が絶望に染まる。
「ひとつ、女を騙すイケメン――」
一歩、歩みを進めるタナカ。
「ひとつ、喪男から寝取るイケメン――」
また一歩、歩みを進めるタナカ。
「そして最後に……、毎朝、川辺で戯れる女の子たちを隠れ見るという、俺のささやかな楽しみを奪ったイケメン――」
「いや、それは私が悪いのではなく――」
思わず素にもどった男爵のツッコミに、間髪いれず大声で反応するタナカ。
「だまらっしゃい!」
それは数々の罪を犯した男爵への怒り。焦って声が多少裏返っていたのは、気のせいである。決して、思わず本音から漏れ出た言葉を、ごまかすために焦って叫んだわけではない。正義感あふれる、強くてかっこいいタナカさんにかぎって、そんな情けない理由なわけはないだろう。
「オー・ノレーイ・ケメーン……。奈落で迷う、救われぬ魂たちよ。立ち塞がる愚か者を、絶望へと誘え――」
呪文を唱えながら、手をかざすタナカ。「妬ましい……。妬ましい……。イケメンめ……」とブツブツと呟いている点について、あえて説明はしない。
「奈落へ誘う闇――」
それは一時的に、地獄への門を顕現させ、その魂までをも奈落へと引きずり込む、闇と地の属性をもつ複合魔法。
かつて神代の戦い。タナカはこの魔法を広範囲に、大規模発動させることを得意としていた。この魔法で一掃された天界の兵が、どれほどであったことか。もちろん妄想設定である。
実際は第十位の生活魔法「盛土」。本来、多少の土を操ることで、工事や農業などで利用される魔法である。しかしタナカが使うとなるともはや別物。広範囲にわたり、粒子レベルで操作された大地が魔物と化す。
「ひっ! ひぃぃぃ! た、助けっ――」
男爵はあっさりと地面に呑み込まれてしまう。魔物と化した大地は、はるか深い彼方へと男爵を引きずり込んでいった。そして残ったのは元通りにもどった、なんの変哲もない地面だけだった。
「フッ、俺も鬼ではない。行先は地下帝国にしておいてやろう。心のきれいなイケメンへと、生まれ変わってみせろ! そして俺の下まで這い上がってこい!」
ぐっと拳を握り、地面を見つめるタナカ。慈悲の心を忘れない、熱い漢である。もっとも地中深くに、地下帝国なるものがあるかは定かではないが。
しばらくの間、カッコいい自分に酔いしれた後、すでに兵を一掃したスケさんカクさんとともに、ムールガイのもとへと戻るのだった。
ただ茫然としていた。シジミも、他の一角族たちも。そして、タナカたちの力を知る、ムールガイですらも。
先ほどまでの状況は、間違いなく、この集落はじまって以来の危機だった。その危機が一瞬のうちに、霧散してしまったのだから。
それを成したのは、圧倒的な力。さまざまな伝説すら、かすんでしまうほどの純粋な力。それを目の前で見せつけられて、ただ見とれていた。
一方、なにやらたくさんの人に見つめられて、居心地が悪くなってしまうタナカ。下半身がヒュンとなってしまったのは、小物界の大物といわれるゆえんであろう。
「いつまでそんな呆けた顔をさらしておく気だ、まったく……」
そんなタナカの文句に、我に返るムールガイ。
「――いや、その何というか……」
どう言葉に表していいのかわからず、言葉につまる。
「フッ。次に会うときまでには、もう少しましな顔になっておくんだな」
居心地が悪いタナカは逃げるように立ち去る。こと逃げに関しては天才的である。何故だかわからないうちに、強引にここでサヨナラなのが当たり前的な、そんな流れにしてしまった。まごうことなき逃げの天才。
立ち去る三人の背中を見つめて、ムールガイは思う。
なんの見返りもなく、救いの手を差し伸べた漢たち。感謝の言葉すら受け取らず、立ち去るその姿。彼らこそ最高の漢たちであったと。
いつの間にか隣には、シジミが立っていた。自然と手を握り合う。そして二人でもう一度、漢たちの背中を見送る。
気付いていた。あの姿は自分では、到底届かない理想であると。しかし落胆する気持ちはない。最後に最高の贈り物をくれたのだ。
愛する人。守るべき仲間。そしてタナカの最後の言葉。あの最高の漢が、再会を信じて疑わなかったのだ。
「タナカ。俺なりに力いっぱい生きてみせるよ。そしてみんなでたどり着いてみせる。約束の地へ――」
すでに小さくなってしまった漢たち。その背中にかたく誓ったのだった。
そしてムールガイが、タナカを置き去りにして、リア充への道を歩め始めようとしていた頃。タナカはというと――。
「ん? どうしたんだよ。急にゆっくり歩き始めて」
突然、歩みを抑え始めたタナカに、疑問の声をあげるカクさん。
「フッ、わかってないな。オレのカッコよさに惚れた女の子たちが、いままさに駆け寄ろうとしているんだよ」
そんなタナカの言葉に、同時に振り返るスケさんとカクさん。
「バッ! 振り返るんじゃねえよ! 引っ込み思案な女の子の足がとまっちまうだろ!」
「誰も来てないでござるよ?」
タナカの抗議に、無情にも現実を突きつけるスケさん。しかし、類まれなる精神力をもつタナカはあきらめない。
「大丈夫! まだ大丈夫だ! イケる! もう少ししたら女の子たちが!」
「いや、こねえって」
姑息にも、さらに歩みを緩めようとするタナカに、悲しい現実を再びつきつけるカクさん。
こうして期待するイベントはおきることもなく、タナカたち一行は一角族の集落を後にしたのだった。
ついに再び立ち上がったタナカ。しかし、いまだに勇者打倒の答えは、見つからないままである。
はたしてタナカは、絶望たちこめる深い闇の中、光を見出すことができるのであろうか。
がんばれタナカ。負けるなタナカ。
( ゜Д゜)まるで成長していない……




