Route36「約束の地へ」
「お嬢さん方、疲れてはおられないかな? 何でしたら不肖このタナカめが負ぶって歩きますぞ。なあに心配には及びません。身体を……特に上半身を密着していただければ、このタナカ疲れることなくどこまででもご案内します」
「……」
上機嫌に一団を先導するタナカ。その軽快なトークは心に傷を負った女性人を優しく癒すかのようだ。
「おい、タナカ」
少し声を抑えたカクさんがタナカに話しかける。
「あいつらの目を見てみろよ。完全に怯えてるぞ」
「そ、そうか? 俺的には『素敵! 抱いて』イベントまであともうちょいだと思うんだが」
タナカ全力攻略中である。
「なんだよそりゃ」
タナカの常人を遥かに超えた深謀深慮は世界の管理者たる精霊カクさんにも理解することはかなわない。
「とりあえず今は無事集落まで送り届けることが先決でござるよ」
冷静な判断をするスケさん。齢1年と数か月。見事な成長ぶりである。
「……すまん。どうやらようやく訪れたチャンスを前に少々あせっていたようだ。世界にみすみす付け込ませる隙を与えてしまうところだった」
拳を突き出すタナカ。
「いいってことよ」
「我ら一蓮托生でござるよ」
拳を突き合わせる三人。彼らのこの絆があれば、たとえ世界がどんな恐ろしい罠を仕掛けてきても乗り越えていけるだろう。
そんなおっさん、骨、筋肉の暑苦しいイベントを前に獣人たちの心はますます離れていくのだった。
そしてタナカたちは再び歩き出す。
現在タナカたちは獣人の住む集落があるという森に向けて旅を続けていた。どうやらタナカたちが遭遇したのは奴隷商人の小隊が盗賊団に襲われた現場らしく、牢に捕らわれていたのは獣人の女性たち。子供といえなくもない年頃の娘から妙齢の女性まで幅広いラインナップが見事に揃えられていた。まさにタナカの追い求める異世界ウハウハライフへの片道切符イベントである。しかし、逆にそのいたれりつくせりさがタナカに冷静さを失わせる結果となった。今回は3人の絆で見事にのりきったがまだイベントは始まったばかり。タナカは心をひきしめ獣人の集落をめざすのだった。頭の中で集落で起こるであろう酒池肉林イベントの攻略を考えながら……。
「おお! これは一体……」
村長らしき老人が奴隷商人たちに捕えられていった女性たちを前に、驚きとともに言葉をこぼす。そして女性たちはというと、そのままその場で立ちすくんでいる。
その状況をひとり訝しむタナカ。獣人たちがぞくぞくと集まってくるがその様子を観察してみるに驚きと戸惑い。喜びもないわけではないがかなり小さいといってもいい。
なにか嫌な予感がするタナカ。今回も決死の覚悟で一人でイベント攻略に挑んでいた。スケさんカクさんには集落から少し離れたところで待機してもらっている。
何か厄介ごとを一人で解決せねばならぬのではと苦悩し始めるタナカ。実に先の見える漢である。
「ねえちゃん!」
「カナブン!」
獣人たちの間から少年が飛び出してきて姉と思われる人物に抱きつく。「なんでカナブンなんだよ。獣人だろうが!」と心の中で絶叫するタナカをよそに姉弟がきっかけとなって一人また一人と動き出す。そこかしこで喜びはじめた様子に「カナブン。グッジョブ!」と心の中で感謝するのだった。
「あなた様が娘たちを解放してくださったのですかな」
村長がタナカに話しかけてくる。
「たまたま奴隷商が盗賊に襲われている現場に居合わせてな。すでに奴隷商たちは殺されていたが彼女たちは無事だったのでここまでつれてきた。迷惑だったか?」
もちろんカッコイイポーズを忘れてはいない。ここからイベントが本格的に始まる。そう直感したタナカは臨戦態勢に入る。
「いえいえ、まことにありがとうございました。村人一同感謝しております」
「……あまりそうは思えないのだがな」
「そ、それは……」
タナカはあえて困難なルートを選択する。カナブンのおかげで通常ルートの酒池肉林イベントへの道が開けたかのように思える。しかしそれは所詮表向きだけ。実際にはなんの解決にもなってはいない。おそらくこれはタナカをはめるために世界がしかけた罠。そう判断したタナカは酒池肉林イベントルートをあっさり切り捨てたのだ。
目の前につきだされた甘い果実を躊躇なく切り捨てたタナカ。今回はかなり本気であることがこの一瞬の攻防で伺える。そしてついに本格的な戦いの幕が切って落とされる。
「おやおや、これは随分と賑わっているようですなあ」
小太りの中年の男が大勢の武装された集団を引き連れて現れる。
「こ、これはどういうことですか。今期はすでに……」
村長が小声で小太りの男に声をかけた。男はニヤリと笑みを浮かべるとまるで予想してたかのように村長と言葉を遮って答える。
「甘く見てもらっては困りますなあ。商隊が襲われたのはすでに確認済みですよ。ちょうど補充もされたところのようですし、今期分を納品していただきましょうか」
小太りの男、奴隷商が片手を上げる。同時に後ろに控えていた武装集団がゆっくりと前にでてくる。手近にいた娘に手を伸ばそうとしたところを遮る影。
「ねえちゃんにさわるな!」
「……カナブン」
獣人の少年カナブンが姉をまもるため立ちはだかる。奴隷商はいやらしい笑みを浮かべながらカナブンに話しかけてくる。
「おやおや、聞き分けのない子どもがいるようですなあ。これはわれわれ奴隷商とこの村で取り交わされた契約。この村の安全は我々が保障しているのです。そのかわりに君のお姉さんたちには仕事をしていただく。これは正式な取引なのですよ。なにを誤解しているのやら……。ああ、そうですなあ。なんでしたら君もいっしょにくればいいじゃないですか。お姉さんと一緒に働いてくれるのならこちらとしてもありがたい」
奴隷商が手を伸ばそうとしていた男に目配せをする。男は再び動き始めカナブンの腕をとる。
「な、なにすんだよ! 離せよ!」
「カナブン!」
カナブンの姉が連れ去られようとするカナブンを取り戻そうとカナブンを抱き抑える。
「二人とも連れていきなさい」
奴隷商が冷たく言い放つと男が腕に力を入れ強引に二人とも連れて行こうとする。その刹那――
「ぎゃあああああ!!」
連れさろうとしていた男の腕が肘を中心として消滅する。騒然となる面々の間を響き渡る声。
「なるほど、そういうことか」
声を発した漢に全員の目が移る。もちろんその漢とは我らが主人公タナカである。
「細くとも長く生きることを選んだというわけか。よくある話ではあるがあまり感心せんな」
そう。獣人たちは生き残るためあえて自分たちから奴隷を差し出していたのだ。だからこそ戻ってきた者たちを前に素直に喜べずにいたのだ。そして今再び、契約をもとに取引が行われようとしていた。
もし誰も動かなければタナカはなにもしなかったかもしれない。しかし少年カナブンは動いた。必死に理不尽に抵抗としようとした。その少年の強い心がタナカを動かしたのだ。決してカナブンの姉がナイスバディー! だったからではない!
「なんだね君は。この正規の取引を邪魔しようというのかね」
不機嫌そうにタナカを見下す奴隷商。そんな相手にひるむことなく立ち向かうタナカ。
「なにが正規の取引だ。命をもてあそぶ小悪党風情が」
ナイスバディーによって目覚めたタナカは超強気モードである。
「無関係な者が無駄な横やりを……、おい、痛めつけてやれ」
武装集団がタナカに迫ってくる。
「ヒーローきどりかい? バカな真似したことを後悔するんだな」
隊長らしき男がタナカに声をかけてくる。
「皆さがっていろ」
タナカは周りの獣人たちを気遣う。しかし突然の展開に戸惑う獣人たち。残念ながら動けないでいる。
「はやくしないか! 死にたいのか?!」
語気を強める。ここにきてようやくタナカの強さ、そして優しさがわかったのか。獣人たちがさがっていく。
「ちょっとまてやコラ! なにエラそうなこと言いながら率先してさがっていやがる!」
隊長が怒鳴りつけるその先には誰よりも速く後ろへさがる逃げ腰のタナカがいた。
「……フッ、少しは戦術というものが理解できているやつがいたらしいな」
しぶしぶ戻ってくるタナカ。神算鬼謀をもつ漢タナカ。すでに動いていたのもさすがではあるがそれを防いだ隊長もなかなかの知謀といえよう。奴隷商のやとわれ兵とは思えない知謀である。そこでタナカは気づく。これも世界が用意した布陣であると。生半可なことではやぶれない。しかもこちらには獣人たちがいる。重荷を背負った状態での長期頭脳戦はまずいと判断するが……。タナカは動かない。そんなタナカを取り囲む武装集団。
「どうした? 急に元気がなくなったな。いまさら怖気づいたか? あん?」
隊長が余裕の表情でタナカの心を砕こうとプレッシャーをかけてくる。しかし
「……クックックック、まんまとひっかかりおって。頭脳戦でにつまったとでも思ったか。愚か者め、わざわざ貴様らの用意したテーブルで戦うと思ったか」
「なに?」
隊長はタナカの言っていることが理解できない。そしてタナカは動き出す。レビテーションで空中に浮かび上がると上空から言い放つ。
「思惑通り見事に群がったな。魔を統べる我が前に立ちふさがったのだ。覚悟はできていような?」
思いもしない展開に誰もが動けない。そんな中タナカの死刑宣告が響き渡る。
「天より堕とされ、ぬくもりという概念のない地獄で味わった我らの苦しみ。存分に堪能するがいい。――嘆きの川のひと雫」
地獄の最下層、氷結地獄に封じられし仲間の力を借りゲートを開き地獄の力を現世へと顕現させるタナカの奥義である。もちろん設定だけであるが。
突如出現する巨大な氷塊。それは武装集団を、そして商人をも呑み込む。その巨大さに誰も生活魔法だとは気付けない。
「フッハッハッハ、愚かなり。力押しを卑怯とののしるか? 知恵と力、臨機応変に使い分けてこその戦いよ」
華麗に氷塊のそばに着地する。
「それにしても邪魔だな……ハッ!」
手をかざしカッコよく気合をはなつ。もちろんこれは演出でこんなことをする必要などない。レビテーションによって氷塊はあっという間に空の彼方へと飛んでいく。
「運がよければ助かるだろう。フッ、俺も甘くなったものだ」
自分に優しく他人に厳しい漢。それがタナカである。
「さてと、皆無事だったか?」
まわりを確認するタナカ。獣人たちは目の前で起こった奇想天外な出来事を前に唖然としていた。それを目の当たりにしてタナカは考える。魔族の国が亡び、永きにわたり日陰を歩んできたであろう彼らの心はそう容易く溶けることはないだろうと。とくにこのプリン王国での亜人の扱いは酷いと聞く。それを考えるとこのイベントおそらくこのあたりが限界――
「ここまでだな……」
マントをひるがえし立ち去ろうとするタナカ。しかしふと立ち止まる。
「聞け。この地の遥か東。プリン王国国境の山岳地帯を越えた先にある森林地帯。そこを北上すると森林が途切れたころに街が見えてくる。魔族の街だ」
「魔族の街……」
「魔族の国が滅んで幾年月。約束されし再起のときが来たのだ。約束の地へたどり着くまでに犠牲はでるであろう。しかし未来を生きる者のためあえて立ち向かってほしい。永きにわたる苦しみにより皆疲弊していることはわかる。奴隷への道を選んだのも責めはしない。ここで細く生きながらえるというのならばそれもいいだろう。だが、ただ今一度立ち上がることを望んでいる」
タナカは最後に振り向く。その姿は力強くも優しい漢の姿だった。
「俺は信じているぞ。その少年がみせてくれた希望の光を。皆の中にも熱き魂が残っていることを。俺は行く……約束の地で未来をともに歩めることを信じて」
立ち去るタナカ。その背中をただ見つめる獣人たち。しかしその心の中に確かに熱いものが躍動しつつあった。
「ねえちゃん。おれ強くなるよ。あの人みたいに」
「カナブン……」
抱き合う姉弟。その様子を温かく見守りながら村長はつぶやく。
「そうさな。こんな子供が勇気をふりしぼったというのに、ワシら大人がこのままというのもなさけない話だわな」
「村長……」
獣人たちが自然と村長のもとに集まる。
「皆、聞いてくれ。ワシはあの方のいった約束の地を目指してもいいと考えておる。苦しい旅になるじゃろう。本来死ぬことのなかったものが命を落とすやもしれぬ。だが未来を生きるものたちが幸せに生きるため立ち向かいたいと思う」
村長の言葉に誰も答えない。村長も答えを聞こうとはしない。その必要はなかったのだ。村長をみる獣人たちの目にはいままでになかった意志の炎がすでに灯っていた。
「往こう。約束の地へ」
森を進むタナカ。スケさんとカクさんが現れ合流する。
「どうだった?」
「無事一件落着でござるか?」
タナカは歩みを止めない。
「クソッ。作戦は完ぺきだったはず。しかし思った以上に難易度が高い。今回はわずかに連動するかもしれないイベントに望みを託すしかなかった……」
そう、タナカはあきらめてはいなかった。あの獣人たちが永らくうけてきた境遇。それを鑑みるといまの時点でキャッキャウフフなイベントが起こるとも思えなかった。彼らの心を溶かすには時間が必要である。そのために未来をつないだ。彼らをナナシの街に誘い時限式イベントに望みを託したのだ。すでにタナカは彼らを救っている。ならばあとは彼らの心が癒えるのを待つだけ。自分のホームで暮らしていればそのうちイベントが起きる。夜にあのナイスバディーな娘さんが強襲してくるに違いないのだ。今はそれで満足すべきと自分に言い聞かせながら歩を進めるタナカ。
恐ろしい漢である。あの短い時間でこれだけのことを計算し実行したのだ。その叡智はもはや世界と並んだのかもしれない。
「フゥー、それにしてもこの国腐りすぎだろ。まったく爺さんもなにやってんだか……」
懐かしい恩人を思い出す。酒をおごる予定だったがこれを口実におごらせようかと画策するタナカなのであった。
創世暦5964年夏、プリン王国西部にて奇妙な事件が発生する。西部荒野地帯に点在する森。その森にある獣人たちの集落がもぬけの殻となっていったのだ。獣人たちを奴隷としてつかい経済がなりたっていた西部経済は打撃をうける。王国守備隊が動き付近を調査したが獣人たちは発見されることはなかった。この奇妙な事件はこの年に王国で起こる大事件のきっかけともなる事件だったのだが、このときそれを知る者は誰もいなかった。




