第二十五話 魔神召喚
共和国軍の遠距離攻撃が一斉に放たれる。魔法、弓矢が当たった同盟軍兵士たちの足が止まる。しかしそれだけでは今の同盟軍の勢いを止めることはできなかった。足の止まった兵士たちを残し、雪崩れこんでくる同盟軍。戦いはすぐに両軍入り乱れての混戦となる。
カシウスはこの戦いの前に、全兵士に向けて降伏も撤退もないと訓示していた。もはや共和国には後がないのだ。共和国軍の兵士たちは、これまでの戦い以上に激しく抵抗する。
カシウスは物見台の上から戦場を見下ろしていた。これまでにない激しい戦闘に、両軍の兵士たちが次々と倒れていく。
「フフフ、いいぞ。争え……もっと争え……。貴様たちの血が、我が研究成果の糧となるのだ」
満足そうに戦いを観戦しているカシウス。隣ではブルータスが冷たい瞳で凄惨な戦場を見つめていた。
戦いが始まってから数時間が経過した。朝から始まった戦いは午後に入っても相変わらずの激しさだ。
しかし徐々に同盟軍が押し始める。軍人ではないカシウスの訓示のせいか。共和国軍のなかには降伏するものも出始めた。そこから戦闘が無くなるまでははやかった。戦場のいたるところで喧噪がおさまっていく。
戦闘がほぼなくなり、同盟軍が隊列を整え前進を始める。共和国軍司令部の包囲するのに、そう時間はかからなかった。
司令部には戦力と呼べる者はいない。同盟軍から代表者が近づいていく。その中には元トローチ王族のショウサとタイサもいた。
「姉さん!」
二人は司令部に姉がいるのに驚く。隣にいたカシウスがその二人を見て笑顔で話し始める。
「これはこれは。元トローチ王族の方々までお越しとは――。感動の再会というわけですな」
話しかけてきたカシウスを無視して、タイサがブルータスに声をかける。
「姉さん。早くこちらに。……姉さん?」
なんの反応も示さないブルータス。タイサが怪訝そうな顔になる。カシウスが楽しそうに話を始める。
「無駄だよ。今の彼女はトローチ王女アイサではなく、私の腹心ブルータスなのだから」
カシウスが見せつけるようにブルータスの肩を抱く。
「貴様! 姉さんから離れろ!」
タイサが剣を抜いて襲いかかろうとする。ショウサが彼女の肩を掴みそれを遮る。
「姉さんになにをした!」
怒りを抑えてショウサがカシウスに質問する。
「疑問に思わなかったのかい? なぜ5年前、君たちだけが脱出できたのかを」
怒りに震えていた二人の動きが止まる。
「当時、実験のためにぜひ王族の血が欲しくてね。しかし元王族とはいえ、そう簡単に殺させてはもらえないからね。そこに丁度、あの脱出劇さ。フフフ、見逃してあげたんだよ。あの脱出劇、最初から私は知っていたけど、わざと実行させたのさ。これで堂々と君たちを処刑できるとね」
「なん……だと」
二人は唖然とする。そんな二人を楽しそうに見つめながら、話を続けるカシウス。
「脱出が成功する直前に全員取り押さえる予定だったんだけど。先に捕まった君たちの両親から、ある提案をされてね。自分たちだけで充分だろうと。もし二人を見逃すのならば、王家の秘術を教えるとね。当時の状況ではトローチ王国の再興なんて不可能だったからね。もはや隠し続ける意味もなくなった秘術より、子供たちの命を選んだというわけさ。実に感動的な話だねえ」
なにも言うことができない二人。カシウスが笑みを歪ませる。
「まあ魅力的な提案だったけど、面白くないからこちらからも条件を出させてもらったよ。アイサ王女が自らの手で君たちの両親を殺すのならば見逃そうとね。ハハハハ! なかなか面白い見世物だったよ」
「貴様!」
二人の怒りが一気に沸点に達しカシウスに迫ろうとする。しかしその時、司令部のまわりを取り囲むように防御結界が発動し誰も近づけなくなってしまう。
「なにを怒っているのかな? むしろ感謝してほしいくらいだねえ。心が壊れ、衰弱死するところだったアイサ王女を、この隷属の魔道具で救ってあげたんだから」
肩を抱いていたブルータスの首に手をやり、隷属の魔道具を見せびらかす。
「トローチ王家の秘術を利用して作り上げた、私の自信作だよ」
自分の作品に酔いしれるカシウス。そして取り囲む同盟軍に顔を向け宣言する。
「そしてこれから貴様らは、私の作り上げる最高傑作に滅ぼされるのだ!」
突然、回廊の四方から光の柱が立ちあがった。戦場で倒れた者たちの魔力を溜め続けていた仕掛けから、新たな術式が発動される。戦場に巨大な魔法陣が浮き上がった。
「ハハハハ! これこそゴクリとトローチの秘術を組み合わせた結晶。強大な存在を呼び出し、使役する私の創りあげた新しい召喚術!」
魔法陣の中心に半球状の光が現れる。やがてそこに何かが出現する。輝きではっきりとは見えないが、その映る影から人型であることが判る。
「成功したぞ! 私の新作、最強の魔神が誕生した! どんな化け物であろうと葬ってやるぞ」
カシウスは儀式の成功に興奮を隠し切れない。一人で自身の創りあげた儀式の成果を誇っている。
徐々に輝きがおさまり、魔神の正体が露わになっていく。
カシウスとは対照的に動揺が走る他の者たち。とくに動揺しているのが、僅かに残っていた共和国の兵士たちだった。
「どうした? なにを狼狽えている?」
カシウスがまわりの者たちの異常な空気に気づく。
共和国の兵士たちからは、すでに恐怖の表情が見て取れた。
そこにカシウスの傍に控えていたブルータスから説明が入る。
「あれはテノヒラ平原に現れた化け物のうちの一体です――」
「あ、あれ?」
タナカは数日前まで、ゴクリ地方の観光を楽しんでいた。もう充分楽しんだので、ハル皇国へと帰る旅路に就いたはずであった。
しかしその最中に突然地面が輝き始め、光に呑み込まれてしまう。そして今、その光がおさまったところなのだが……。
「どうなってるんだ……。いや、なんか前にもこういうことがあったような気が……」
そう、タナカにはすでに似たような経験があった。一度目は異世界召喚のとき、二度目はカクさんによる転移魔法のときである。
詳しいことは解らないが、自分が移動してしまったことだけはすぐに察した。
まわりにはたくさんの人々が倒れている。その恰好から彼らが兵士であることは解った。
「また戦場かよ! ……まあいい。いやよくないが、それよりも問題は……」
辺りを探すがスケさんとカクさんがいない。どうやら移動したのはタナカだけらしい。
「グッ、まずい。なんとかしなければ……。カクさんは一応精霊だからなんとかできるかもしれん。ここは動かず助けを待つか……」
とはいえここは、そこかしこに死体が溢れている戦場。こんな場所に平気でいられるほど、タナカは図太くない。とりあえず少し移動しようと歩き出すのだった。
「――あれはテノヒラ平原に現れた化け物のうちの一体です」
「な、なん……だと。いや、それは……」
予想外の説明に驚くカシウス。しかしすぐに何か思いついたようだ。カシウスはなにやら考え込み始める。彼にはめずらしく深刻な表情だ。
「どうやら魔神の召喚とやらは失敗に終わったようだな」
ショウサが考えに没頭しているカシウスに向かって言い放つ。しかしショウサの声はカシウスの耳に届かない。彼は考え込んだままだ。
「誰かグンソウ殿に事の次第を説明してきてくれ。彼に敵と思われてはたまらない。できればこちらに連れてきてくれ」
同盟軍の一人が説明のため走る。それを確認するとショウサは再びカシウスに向き直る。
カシウスにはいつの間にか余裕の笑みが戻ってきていた。
「そういうことか。フフフ、私としたことが、どうやらテノヒラ平原の化け物を侮っていたようだな」
ようやく自分の世界から戻ってきたようだ。
「これ以上の悪あがきはやめろ。この戦は――、いやゴクリ共和国は終わりなのだ。これ以上の戦いは無意味。この結界を解いて、早く姉さんを解放しろ」
余裕の表情でカシウスが応える。
「強気だねえ。まあとりあえず待とうじゃないか。長く続いた反乱に多大な影響を与えたお客人を」
しばらくするとこの場にタナカがやってくる。皆がタナカの存在感に圧倒されていた。しかしタナカも負けず劣らず、この場の重たい空気に圧倒されていた。すぐに自己防衛機能が働き厨二モードになる。
「久しぶりだな、少佐殿。それにしても我を召喚するとは。どこの愚か者だ?」
「奴だ」
ショウサがカシウスを指し示す。当の本人は臆することなく、タナカに話しかけてくる。
「つくづく、こちらの予定を狂わせてくれるねえ。だが我らの勝ちは変わらんよ。私の召喚術に組み込まれた支配の術は完璧だ。ブルータス、奴を支配しろ。そして取り囲む同盟軍を滅ぼすのだ」
その場の空気が凍りつく。ブルータスはタナカに向けて支配の杖を掲げる。杖の先に組み込まれた黒い結晶が輝きタナカを支配しようとする。
召喚の際ほどこされたタナカとの魔術的な繋がりを伝い、支配の力がタナカに迫る。しかしタナカの異常な抵抗力がその力を抑え込む。しかも魔術的な繋がりを伝い、タナカの膨大な魔力が漏れ出る。本来ありえないことだらけなのだが、タナカの力は異常すぎた。その結果、支配の杖が砕け散る。
カシウスまでもが凍りつき、その場は沈黙に支配される。しばらくしてカシウスが声を震わせながら言葉を絞り出す。
「一体なにが……。貴様、一体なにをした?」
「何をしただと? なぜ我が悠々とやってきたと思っている。すでに対処は施されていたのだ」
状況が解らなかったタナカだったが適当にノリで答えてしまう。
カシウスは信じられないといった風で、怒鳴り始める。
「まさか? わざと……、魔神を召喚されないよう、わざと召喚に割り込んだというのか! 支配の術式まで破って!」
タナカにはなんのことを言ってるのか全然わからなかった。しかし慌てふためいているカシウスの態度に、気分がよくなってしまう。優越感を持ってしまったタナカは調子に乗り――
「貴様の策謀など当にお見通し――。はじめから貴様は我の手のひらで踊らされていたのだ」
カッコイイ決めポーズで、カシウスの敗北を宣言したのだった。