第百十二話 覚悟
タナカの渋いセリフで再開したこの戦いは、まず破界神の一方的な攻撃から始まった。
その戦況から力の差は明白だったが、破界神が油断するようなことはなかった。先ほど創世神を助け出した際のタナカの行動に違和感を覚えていたからだ。
実際、タナカは一撃でもまともに直撃すれば最期という攻撃を、幾度となく回避し続けていた。
この虚無の世界を支配するかのごとくひろがった破界神の負のエネルギー。その合間にあるわずかばかりの安全圏を的確に移動しながら、タナカは破界神の攻撃をかわし続けているのだ。偶然あるいは幸運ととれなくもないが、それが数十、数百と続けば、なんらかの仕掛けがあると考えるのは当然であろう。
『どういう絡繰りだ? まさかここにきて人間ごときに足止めをくらうとは、思いもよらぬことよ』
「クックックッ、神様ともあろうものが、人間ごときの悪知恵にも気づけないのか?」
『うぬぼれるなよ! 人間!』
破界神の攻撃がさらに激しさを増す。しかし相変わらず当たれば必殺であるはずの一撃はタナカに回避され続けた。のみならずタナカの反撃が始まる。
破界神はいまや負のエネルギーの集合体である。その総量は自称イケメンチート主人公のタナカさんでさえ到底およびもつかぬほど膨大なものだったが、エネルギーであるがゆえにその力にはムラがあった。
タナカは破界神のウィークポイントというべき力の弱い部分を的確に見抜き、神の力をもってして破界神の力を消滅させていく。
本来、戦いにならないほどの力の差があるにも関わらず、弱者であるタナカのほうが戦いを有利に運んでいた。
『認めよう。貴様の悪あがきはなかなか大したものだ。我どころか創世神にすら到底届かぬ程度の力しか持たぬ身で、まさかここまで戦ってみせるとはな』
「なんだ急に褒めだしやがって、気持ち悪い。ああ、アレか。お前に世界の半分をやろうとかいうお決まりのパターンってヤツか? チッチッチ」
タナカはカッコつけて破界神にダメ出しをした。イラッとさせる態度が相変わらず似合う漢である。
「アニメやゲームに精通したオレにその手の罠は通用しない。せめて『世界中の美女をお前にやろう』くらいのことは言ってくれんと話にもならんな」
タナカさんは断固とした態度で破界神の懐柔を退ける。その鼻の穴は期待で大きく膨らんでいたそうな。
『何をわけのわからぬことを。貴様にあらためて宣言してやろう。貴様は絶対に我には勝てぬ。どんな小細工だろうが好きに使ってみるがいい。我が越えられぬ壁があるということを教えてやろう』
破界神の様子に変化が生じる。虚無の世界を覆いつくさんばかりだった破界神が縮小したかに見えたのだ。
しかしそれは破界神が弱体化したことを意味するものではない。むしろエネルギーの密度が上昇したことにより、タナカにとってはやっかいな変化だったといえる。
「チィッ!」
あこがれの渋い舌打ちができたことを喜ぶ暇もなく、タナカは破界神の攻撃にさらされ続ける。破界神の攻勢の苛烈さもさることながら、タナカ的に問題だったのは攻撃ができなくなった点にある。
破界神は自らの力を集約することで、ウィークポイントを攻める意味をなくしたのだ。エネルギーの集合体である以上、力のムラは未だに存在してはいた。しかしそのウィークポイントはすでにタナカが全力で攻撃しても、相殺はおろか一方的にタナカの攻撃が消滅させられかねないほどにまで密度が上昇していたのだ。
『どうした? 攻撃をしてこぬのか?』
「くそっ! わかってるくせに言いやがって、性格わりいぞ!」
触れれば消滅されかねない破界神の攻撃を、タナカは器用にかわし続けていた。
『逃げ回るのは得意なようだな。こうまでしても攻撃に当たらぬとは、いったいどういう小細工を使っているのか。興味深いものよ』
破界神の攻撃は苛烈さを増しているが、相変わらずタナカは危なげなくその攻撃をかわし続けていた。その的確な動きと判断力は、未来が見えているのではと錯覚するほどのものだった。
『もはや我に攻撃は効かない。貴様の勝ちはなくなったわけだが、どうするつもりだ。まさか永遠に逃げ回って、世界の終末を先延ばしし続けるつもりでもあるまい。もしそうならばたいした自己犠牲の精神だと賞賛したいところだが、まもなく時間切れだ。貴様とてそれはわかっていよう』
「……そうかもしれんな」
破界神の力は未だに増大し続けていた。滅ぼした数々の世界から供給されるエネルギーは止まることを知らず、それほどの時間もかけずに限界を突破するだろう。
それは世界を守るためにタナカが張った結界の限界のことである。いくら強力な力のみを遮断するとはいっても限度がある。もはや破界神の強さはその限界をも超えようとしているのだ。
「まさかとは思っていたが、これほどとは思わなかったぜ。どうやらこのまま戦い続けても、オレの――世界の負けらしいな」
『ようやく降参する気になったか。矮小な人間ごときにしては上出来だったと褒めてやろう。しかし多少とはいえ我に時間を使わせたのだ。その罪は償ってもらわねばならんな』
破界神がトドメとばかりに攻撃態勢にはいる。その攻撃による余波は結界を破壊しかねないほどに力が高まりつつあった。
「ガラじゃないんだが仕方ない。最後まで悪あがきさせてもらおうか。オレの全力をもってしてな」
タナカはノーヘル文学賞にノミネートされかねないほどのヤレヤレをもってこれを向かい打つ。バイクに乗るときは必ずヘルメットを着用しましょう。
「……おいおい、まだ何かやろうってのかよ。ここはイチかバチか、二人で力を合わせて結界を固めるしかないだろうが」
亜空間で戦況を見守っていた創世神は、まだ無茶を続けようとしているタナカに向かってそう呟いていた。しかしそれが不可能に近いことだというのは創世神自身にもわかっていることだった。
いまだ創世神の力は僅かしか回復していない。例えそれが万全の状態だったとしても、今の破界神を止めることは不可能にも等しいことだっただろう。それほどまでに破界神の力は増大していたのだ。
しかしそれでもこのまま戦いを続行するよりは守りを固めたほうが可能性はあると考えたのだ。とはいえそれは僅かばかりの光明でしかないのだが。
そんなふうに創世神が戦いを見守っていたころ、他にもこの戦いを観察していたものがいた。タナカの生み出した世界――ハム星の住人たちである。
彼らはタナカが出て行った後も、じっと息をひそめて破界神を監視し続けていたのだ。そして今、タナカが覚悟を決めたことは、彼の半身たるハムスターたちは当然のように伝わっていた。小物の王たるタナカがその矜持を曲げてまでに決めた覚悟に、全員が整列して敬礼を送る。
ここに一つの小さな世界が、わすか数日という短い生涯を終え静かに消えていった。誰にも知られることのなかった小さな世界であるが、彼らの役割は決して無駄ではなかった。
彼らの分析と試行錯誤があったからこそ、タナカが圧倒的強者である破界神を相手に大立ち回りを演じることができたのだ。そしてなによりタナカが破界神に打ち勝つための方法は、彼らの働きによって辿り着くことができたのだから。
「見せてやるよ。お前が蔑む人間ごときが秘めている可能性ってやつをな!」
タナカの力が一気に膨れ上がる。いままで分かたれていた力を取り戻したのだ。しかし、それでもなお破界神には到底及ばない。
『力をまだ隠し持っていたとは驚きだが話にならぬ。その程度の力で我を倒そうなど、なんとも傲慢なものよ。やはり人間など下らぬ存在! 無知蒙昧で見苦しいほどに貪欲、その行動は理知とはほど遠き醜さよ。そのような不完全なものは必要ないのだ。我が全てを滅してくれよう。やがては全ての世界を喰らい、我が唯一の存在となることで全ては完結しよう』
「なんとも寂しい理想だな。そんなものクソくらえだっての! 確かにお前からすれば人間なんて不完全もいいとこだろうよ。だがな! そんな不完全だからこそ面白いのさ! そんな混沌とした世界から可能性は生まれるんだよ!」
タナカは知っていた。人間の素晴らしさを。
彼の愛してやまない漫画が教えてくれたのだ。友情、努力、勝利は強くてカッコイイことを。
彼の大好きなゲームが教えてくれたのだ。恋の駆け引きのイロハを。
日本の誇るべきアニメ文化が教えてくれたのだ。二次元の素晴らしさを。
「お前の言う通り人間なんて醜さの塊のようなものさ。だがな、その醜い感情も前に進む原動力になりうるんだよ。見せてやる! 弱者の意地を! 上だけを見続けたものが辿り着いた境地を!」
タナカの姿が光り輝く。それは彼の初恋がアニメの美少女キャラだったこと忘れさせてしまうほどに幻想的な姿だった。