第百八話 推進
修行するためにタナカが創世神につれられて辿り着いた空間――仮に亜空間とする。その亜空間には感無量の表情で悠然と佇むタナカの姿があった。
「あれから二年か……。凛々しく成長したオレの姿を見て皆の驚く様が目に浮かぶぜ」
亜空間は以前タナカが染め上げた緑の大地がどこまでも続いており、空には創世神が映し出した宇宙の姿が今も変わらずひろがっていた。
タナカは相変わらずの景色を眺めながら、過酷な修行の毎日を思い出していた。
勇者ちゃんのもとに逃げ出そうと試みること百八回。毎度のこと創世神に阻止されては厳しい修行を課せられ、その強靭さは黒い悪魔の称号を得るほどに急成長を遂げていた。
「今の実力があれば間違いなく勇者ちゃんとイチャコラできるだろう」
タナカの顔は修行をやり遂げた自信に満ち溢れたものだった。
「戻るか。あの懐かしい日常へ!」
「いや、まだ二日しか経ってねえから。今日も厳しくいくから覚悟しておけよ」
無情にも創世神のツッコミがはいる。
「何でだよ! もう二年経ったってことでいいだろ! そんでもって約束の島に集合って感じの流れにすれば、みんな納得してくれるって。週刊少年誌の力はまだまだ偉大なんだよ!」
「なにわけわからんこと言ってるんだ、お前は」
まったくもって創世神の言う通りである。二話連続危険な発言をするタナカさんには自重という言葉を覚えてほしい。
それにしても二日の間に百八回の脱走を試みたタナカの成長には驚嘆せざるを得ない。よくぞこの短期間でここまで心の弱さを磨きあげたものだ。
「とにかく、もう修行なんてしなくても大丈夫だっての! オレがただ逃走を繰り返していたと思ったら大間違いだぜ、おやっさん。もともとオレには逃げ出すつもりなんかなかったんだよ。実は適度な運動を自らに課し、桃色の脳細胞を活性化させることによってナイスアイディアを生み出すってのが真の目的だったんだからな!」
「なん……だと……」
創世神も驚愕の真実。
タナカが誤魔化しで適当なことを言っている可能性もいなめなくもないが、創世神はタナカの言葉が真実であることを信じて疑わなかった。
なぜならタナカの見せている気迫が、その目線を絶対に合わせようとしない不安を誘う姿が創世神を確信させたのだ。この漢ならそのくらいやってのける――と。世界が危険な状況で焦るのはわからんでもないが、どれだけ判断力を鈍らせているんだ創世神。
「ま、まあ口では何とでも言えるからな。お前のその自信の根拠を教えてもらおうか」
なんとか悪魔の囁きを前に踏みとどまる創世神。しかしその様子からはあきらかに期待しているのがわかる。
「クックック。オレが導き出した結論は『完璧で不完全な結界』だ」
「完璧で不完全な結界?」
「そうさ。完全なものを作ろうとすれば大きな力が必要となるのは道理だ。だからおやっさんは修行で少しでもオレの力を底上げしようとしたんだろうが、僅かな期間で成長できる力なんてたかがしれている。その結果完成させた結界がそんなに強くなると思うか? たいして変わらんだろう」
「た、たしかにな……」
この創世神の反応にタナカは手ごたえを感じる。これは自分に流れがきていると。
「だったら今のオレの力でじっくりと時間をかけて結界を作ったほうがいい。オレたちに都合のいい結界をな」
タナカの言い分はこうである。
創世神の結界は何者をも通さない強力なものだったが、そのぶん強大な力を必要とした。それは過剰な力の浪費であり、そんな完全な結界は必要ないというのだ。
必要となる性能は破界神侵入の阻止と最終決戦の余波の遮断の二つ。これが達成できるのなら、あとは適当な性能でもかまわないだろうというのだ。
世知辛い世の中をいかに楽に生きていくか、常に手を抜くことを考えてきたタナカならではの発想である。
しかし、そんな具体的な条件付けをしようとすれば、それはそれで手間がかかる。だからタナカは条件を満たすことができる、より単純な造りの結界を張ろうと提案した。タナカが考えたのは強大な力の通過のみを邪魔する結界である。
どこかの漫画から引っ張ってきたようなアイデアなところは実にタナカさんらしい。隔世遺伝に目覚めたりしないよう注意してほしいところだ。
「なるほど……。強力な力をとりあえず受け止めはするが、適当に力を逃がすことで必要となる強度が下げられるってことか。たしかに完全な結界を張るよりも力の消費は抑えられるな。だが破界神が結界の特性に気づいた場合危険だろう。ヤツが大量の化身を生み出し、こちらに送りこんだらえらいことになる」
タナカがカッコつけて「チッチッチッ」とダメ出しをする。創世神はちょっとイラッとした。
「そんときゃおやっさんは破界神と戦ってんだぜ? んなこと目の前で始めたらチャンスじゃねえか。遠慮なく化身たちを殲滅してやれよ。簡単にヤツの力を消耗させることができるんだからラッキーだろう?」
創世神はしばらく考え込むとニヤリと笑みを浮かべる。
「やるじゃねえか。なかなか頓智のきいた代物だぜ。残された時間もそう長くはねえし、その手でいくか!」
こうしてタナカは修行地獄からの脱出に無事成功したのだった。
ナナシの街に集う強者たちが、近場の荒野で修行するのを毎日の習慣のように感じ始めたある日――。
いつものように特訓を始めようとした彼らは、少し遅れてきた三人の姿を目にして動きを止めた。
「おいおい、なんだよそりゃ?」
最初に声をあげたカレーマンの疑問に答えたのは、妖しいオーラを感じさせる三人のうちの一人――トビーだった。
「タナカさんに魔剣を壊してしまったことを謝りにいったんすけど……」
トビーはそこまで話すと、その手に持っていたものを目の前に持ち上げた。
「なんだかあっけなく直してもらえたっす」
鞘におさまっていたひと振りの剣を引き抜くトビー。見た目は普通の剣だが、それは間違いなく先日の戦いで刃を砕かれたはずの絶の魔剣スクリームヴァスタであった。
「本当にあの者がソレを……信じられん」
「驚きっすよね。あんな粉々にされたのに元通りなんすから」
上位精霊ゾンマーこと上様の呟きにトビーは肯定の言葉を返したが、彼は上様が驚いている理由を勘違いしていた。
完全に破壊されていた刃は直されたものではなく、ゼロから生み出したものだったのだ。神の力によって生み出されたその魔剣は、その秘めたる力はもはや以前の比ではない。まさしく神剣と呼ぶにふさわしい剣へと進化していた。
「フッ、友もトビーのことを心配したのさ。その剣があればあの化け物とも対等にわたりあえるだろう。よかったな」
「いや、俺的には別に戦いに参加できなくてもよかったんすけど……、というか参加したくなかったっす……」
小さな声で発したトビーの愚痴は完全に無視され、特訓への強制参加が決定する。
「それで――、お主のその様はいったい何なのだ?」
続けてトルテの質問をうけたのは、その巨体を頭の上から足の先まですっぽりと漆黒の鎧に包まれた姿のガナッシュだった。
「つい先日までは敵だったのだ。諍いを起こさぬようにとあの漢に一言挨拶に向かったのだがな……」
ちなみにタナカは件の結界を一日で完成させた後、ナナシの街に戻ってきていた。帰ってきたその足で恩師であるオモイのもとへ向かった彼は、自分の部屋を気持ち悪くおねだりした後、用意されたギルドの一室に引きこもっていた。そこでは着々と勇者ちゃん攻略の策が練られているわけだが、その恐るべき真実は誰にも知られていない。
そんな状況のなかガナッシュはタナカのもとを訪れたのだ。タナカは「敵だったヤツが味方になるのは王道だな」的なことをかるく考えたくらいで、ガナッシュが危惧していたような衝突は起こらなかった。
しかしこのときのタナカは勇者ちゃんとキャッキャウフフ計画を推進中だったのを忘れてはいけない。
彼はその小物的嗅覚で気づいてしまったのだ。ガナッシュは強面の顔をしているが、どちらかというとイケメン側の人間であることを。こういうヤツに限って寝取りが得意だったりするということを。
これでいざ決戦になったとき、謎の味方がやってきたりしたらタナカの堪忍袋は間違いなく切れる。タナカのハーレム候補とガナッシュとの間にできた子供が、未来からタイムマシンでやってきた可能性が極めて高いからだ。
宇宙物理学の自称世界的権威である田中太郎(仮)氏もこの危険性を示唆していたので、タナカはこの推測には自信があった。
そういうわけでタナカさんは早速手を打ったのである。
「よくわからぬうちにこれを渡されたのよ」
完全に顔の隠されたフルフェイスヘルムがイケメン死すべしというタナカさんの意図を強く感じさせる。それに合わせられたようなフルプレートメイルはその悪意をごまかすための飾りであろう。漆黒に染め上げられているのはタナカさんの趣味としか言いようがない。
「なるほどな……。友の考えそうなことだ」
「どういうことだ?」
なにかに気づいた様子のヤシチにガナッシュが尋ねる。
「友は直に君と拳を交えていたから気づいたのだろうな。持ち前の大火力を活かして真正面から戦う戦闘スタイルは攻撃の面からは頼もしいが、守りにいささか不安が残る。今回の相手は触れられるだけでこちらが消滅されかねない危険な相手だ。回避に失敗した場合を考えてそれを君に託したのだろう」
「まさか敵だった我を心配していたとはな」
「あの勝負はすでに決着がついているんだ。今さら妙なレッテルを貼ったりはしないさ」
ヤシチ氏には彼に寝取り男というレッテルを貼った人間に是非とも説教をしてほしいところである。
「あのような代物を簡単に与えよって、何を考えておるんだあの者は……」
上様が誰にも聞こえない小さな声であきれていた。
ガナッシュが装備している漆黒の防具も、タナカが無から生み出したものだったのだ。その秘めた力は絶大で、のちの世に最強の防具として永遠に語り継がれることになるのだが、その話は今はおいておこう。
「なるほどのう。まあせいぜい道具にふりまわされぬようならしておくのだな」
そう言うとトルテは最後の一人に目を向ける。そこにはタナカから貰った闘士「月影カスタム初号機」を手にドヤ顔をしたポンコツがいた。トルテは何も言わず振り返る。
「緊急用の結界とやらもそう長くはもたぬだろう。より一層気を引き締めていかねばな」
「そ、そうね。がんばりましょう」
最後の一人を華麗にスルーしたトルテに気を遣いながら、ミコトたちは今日も特訓に精を出すのだった。
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