第百七話 あらがう者たち
神の領域に足を踏み込んだタナカにとって、長距離の移動はもはや時間のかかるものではなかった。それこそ瞬時に移動することさえも可能だっただろうが、以前に経験した転移のトラウマのせいか、タナカは律義に移動してナナシの街を目指していた。
カサカサという不気味な音とともに、あっという間に目的地に到着したタナカであるが、酒場の前まできたところでようやくあることに気づく。
「あ……、おやっさんって不思議生物だから、わざわざこっちまでくる必要なかったんじゃ……」
「誰が不思議生物だバカヤロー」
本日休業のプレートがぶら下がった扉がタイミングよく開き、酒場の親父こと創世神が姿を現した。
「時間がねえんだ。早くはいれよ」
「べっ、別にドジったわけじゃないんだからね! ちょっとボケてみたかっただけなんだからね!」
タナカの気持ち悪い言い訳を無視して、酒場の親父は扉の向こうへと消えた。タナカはちょっとだけ、ほんのちょっとだけ寂しさを感じながら酒場に足を踏み入れる。
酒場の中はテーブルや椅子などが端に寄せられおり、いつもより広く感じられた。
「早速だが場所を代えさせてもらうぜ。今のお前が本気で力を使うには、この世界は狭すぎるからな」
言うが早いか、酒場の親父は酒場のなかに光の扉を出現させる。
「行くぞ」
「お、おう……」
タナカは展開のはやさに戸惑いつつも、酒場の親父に続いて光の扉をくぐり抜ける。
その先にあったのは拍子抜けするほどに普通の居住空間だった。もっとも庶民のタナカにしてみれば、贅沢すぎるほどの広さがある住居であるが。
酒場の親父は部屋のなかを横切ってさらに別の扉へと進む。タナカもそれに続いたが、その先にあったのはタナカの予想だにしない光景だった。
真っ白な空と真っ白な地面。それが見渡す限り広がっていた。この場所には光源すらも見当たらず、ただ真っ白な世界が広がっていたのである。この世界にあるものと言えば、今タナカたちが入ってきた光の扉くらいのものだ。
「ここは元いた場所から遠く離れたところに作られた特別な空間だ。夜空を眺めても見ることができなかったほどのな。具体的に言えば世界のちょうど端に位置する場所にある。もともと来るべき時に深淵の魔女が待機するための場所だったんだが、修行するにはうってつけの場所だろう」
「んー? ここってどっかで見たような気が……。なんかアレに似てるよなあ。精神と時のへ――」
「バカヤロー!!」
タナカの言葉をかき消すように酒場の親父の怒号が響き渡った。
「お前……、いったいなに言おうとしたんだ。今世界が崩壊しかけたぞ。破界神と戦う前に世界を消滅させてどうすんだよ」
「す……、すまん」
これは全面的にタナカが悪い。モテモテチート主人公当確間違いなしとの評判に、タナカにも油断があったのだろう。今後は各方面からお叱りをうけるような言動は慎んでもらいたいところである。
「ま、まあなんだ。あまりにも殺風景だったもんで、さすがのオレもアレがあんな感じでちょっとアレだったんだよ。とりあえずこのままじゃ精神衛生上よくないから、ちょっとアレンジさせてもらうぜ」
タナカはそういうとこの空間の改変を試みる。
思い出すのは以前にハムスターたちが生息する星――通称ハム星で体験したアノ感覚。自身が生み出した世界にアクセスする要領で、この空間を徐々に支配していく。
しばらくすると段々空が青くそまり、大地も緑にかわっていった。もっともその形状は相変わらず自然とは程遠い人工的なものだったが、さっきまでの真っ白な世界よりはずいぶんとましだろう。
「ほう、やるじゃねえか」
「オレも伊達に修羅場をくぐってないってことさ」
タナカが調子に乗って決めポーズ。しかし酒場の親父には通用しない。
「だが、この程度じゃまだまだだな。お前には新しい結界を張ってもらう前に、ここでみっちり修行してもらうからな」
「ちょっ、ちょっと待てよ! おやっさんが張った結界ってそんなにもたないって言ってたよな? そんな悠長なことやってないで早く張っちまおうぜ。こうみえてオレも結構忙しい人だからさ。勇者ちゃんとあんなことやそんなことが待ってるはずだし」
そんな未来などない。それを暗示するかのような険しい表情で、酒場の親父は空を見上げた。
タナカが生み出した青い空が消え、宇宙が映し出される。
「この宇宙にはもっとたくさんの星々が輝いていた。しかし、破界神が現れた時――、かつての戦いの余波で多くの星々が消し飛んじまった」
「ま……まぢでか」
「それだけでは済まず、無事だった星々でも破界の力に晒されたせいで多くの生物が死滅した。僅かに生き残ったものたちをかき集めたのが、この世界の中心にある星――お前らが今生きている場所なんだよ」
「……」
タナカさんが最も嫌うシリアスな空気である。ここでボケようものなら、どこからともなく「それ以上はいけない」と誰かが現れそうなのでとりあえず黙っておいた。
「そしてこの宇宙はあの戦いのあと長く放置されたままだ。この星々はいわばあの時失われたものたちの墓標みたいなもんだ。俺はこいつらに誓った。これ以上犠牲者を出させねえってな。だからタナカよ、少しでも強力な結界を創り上げるため協力してくれ」
「お……、オーケー。わかったよ、おやっさん」
こうしてタナカは勇者ちゃんとあんなことやそんなことになることを夢見て――。もとい、早くもとの場所に戻るため、酒場の親父を納得させるべく試行錯誤を始めたのだった。
「――ハッハッハッ! すげえなアンタ! さすがダンナが認めてるってだけのことはあるぜ!」
「なに、友が年上の俺に気を遣ってるだけのことさ。彼には到底及ばんよ」
カレーマンは新たな強者の出現に興奮を隠し切れない。いっぽうのヤシチは非常に冷静である。
カレーマンの双剣が縦横無尽に走り、勇者ヤシチに喰らいつこうと襲い掛かっていた。しかしそのその激しい攻撃は動きを見切ったヤシチに届くことはない。双剣が幾度となく空を切り続けるなか横から飛び込んでくる影が一つ――。
「ちょっと! 少しは連携ってものを考えなさいよ!」
横からの奇襲を試みた勇者ミコトの鋭い刺突も、ヤシチにあっけなくかわされていた。
「わりいな。まだまだ強いやつがいるってわかって嬉しくなっちまってよ」
カレーマンは反省の弁を口にしたが口元に笑みが浮かんでいた。
「相変わらず脳筋じゃのう――ホイッ!」
ここで後ろから口をはさんだ大賢者マーリンが地割れを発生させる。三人の足元が揺れ動き足場が壊れる。
三人はお互い別れるようにその場からジャンプして離れた。
「やはり、そう簡単には引っ掛からんか」
「もう! そっちはそっちでこちらのことも考えなさいっての!」
飄々とした様子でヤシチの反応を見ていたマーリンに怒鳴り返すミコト。
「フッ、仲がいいな。その調子でどんどんかかってきてくれて構わんよ」
「ならば!」
正面から突っ込んだクーゲルの拳に魔力が集まる。その強固な拳で攻撃するかと思いきや、ヤシチに接近する前に地面に叩きつけた。
まるで爆発したかのように土砂が舞い上がる。
ヤシチはそれらが降りかかるのを避けるため後退しようとするが、そこには勇者カムイが待ち構えていた。
「ハァッ!」
上段からの渾身の一撃。その大きな動作はヤシチの注意をひきつけるためのおとりだった。その攻撃にあわせて土砂の暗幕からちびっこコンビ、テツジンとトルテが襲い掛かった。
結果、三人の攻撃を同時に受けることになったヤシチであるが、その攻撃が届こうとした刹那、三人の視界から一瞬のうちに姿を消す。
「今の攻撃はなかなかだったぞ」
少し離れたところからヤシチが称賛の声をあげていた。
「おいおい、マジかよ。まだまだ速くなるってか」
ヤシチの動きを見てカレーマンはあきれた様子だったがどこか嬉しそうだった。
「おのれい……ちょこまかとしよって」
いっぽう攻撃をかわされたトルテが悔しそうにヤシチを睨んでいた。土砂を浴びるかたちになってしまった彼女のそばでは、一生懸命にそれを払い落とすエクレアの姿もあった。
「ええい、今はそのようなことはよい! それよりお主も協力せんか! あやつから一本でもとらん限り今日の晩飯は抜きじゃからな!」
「そんな!」
お嬢の世話をお預けにされ、さらに食事までも失いそうな予感にエクレアが絶望する。
その様子を遠目に眺めていたガナッシュが愚痴をこぼす。
「あっちの訓練のほうが我の性に合っているのだがな」
「まあまあ、これも仕方がないでござるよ。神の力をうまく扱えぬままというのはもったいないでござるからな」
ガナッシュとスケさんの二人は並んで点火の炎を灯し続けていた。これ自体は簡単な魔法であるが、彼らの修行はこの炎に神の力を纏わせるというものだった。
「わかっているさ。あまりにもうまくいかぬから愚痴ってみただけよ。それにこの力が必要であることも十分に理解している。破界の化身を前に意識を失ってしまったあの屈辱、二度とは繰り返さん」
「まあ俺がサポートにまわるからみんな一応は戦えるとは思うが、いざとなったら俺も直接戦うことになるだろう。そうなったら戦えるのはタナカから神の力を受け取れる俺とスケさん。異世界からやってきた三人の勇者たち。そして創世神の祝福を受けたお前だけだからな」
口をはさんだのは二人の修行を監督していたカクさんだった。
今、彼らがいるのはナナシの街から少し離れた荒野の真っ只中である。何故ここでこのような訓練をやっているか。それはタナカが破界の化身との戦いに勝利をおさめ、やんごとなき事情により立ち去った後にまでさかのぼる。
創世神はその場にいた戦士たちに、近々起こるであろう破界神との戦いのことを告げたのだ。そして創世神とタナカがその戦いにおもむくとき、その隙をついて潜んでいた破界の化身が動き出すであろうことも。
その化身との戦いを任されたのがここに集った世界の強者たちなのである。
「ふん! あいかわらず偉そうな態度よな。本来ならば労役どころか厳しい罰を受けていた身なのだぞ。無駄口をたたかずさっさと力を使いこなせるようにならぬか」
「言われずともやってみせるわ。だいたい貴様こそ屋敷に帰ったほうがいいのではないか。その実力では皆の足手まといだろうよ」
「なんじゃと!」
トルテとガナッシュの仲は相変わらずだった。これにはすぐにミコトの仲裁がはいった。
「ちょっとちょっと! アンタたちは何ですぐそうやって喧嘩するのよ!」
ミコトは相変わらず苦労性のようである。
そんなこんなで戦士たちはにぎやかに特訓を続けるのだった。
「タナカの異世界成り上がり」第四巻が発売されることになりました。
イラストを公開してますので、興味のあるかたは活動報告をのぞいてあげてください。