第百六話 風
歴史的大事件があった翌日――ハル皇国皇都オーエド。
破壊されたはずの闘技場は奇跡的に元の姿を取り戻していた。そしてその観客席にはは今やぎっしりと民衆が埋め尽くしており、上方にある儀式場を見守っている。彼らの視線の先では先日の混乱でうやむやになっていた『皇国の守護者』のお披露目が行われようとしているのだ。
儀式場に立ち上がる光の柱――その祝福の光は幻想的な光景で民衆たちを魅了したあと、しばらくすると姿を消していく。
入れ替わるように観衆の前に姿を現したのは『皇国の守護者』となった皇女カリンだった。その出で立ちは先日の闘技用のものではなく皇女としての正装である。決して華やかなものではなかったが、清廉なカリンにとてもよく合っておりファンだけでなく観客たち皆が歓声を上げていた。
観衆の声を浴びた皇女カリンが手を振って応える。
一歩下がった所ではこの国の皇にして彼女の父でもあるビンタハル14世が立っていた。やり直されている闘技祭最後のイベントの様子に満足しているのか、そのつっぱった顎がいつもより輝いている。
皇国にとって今回行われているイベントは、やり直しという以上に意味のあるものだった。この儀式を行うにあたって皇都じゅうに、ひいては皇国じゅうに今回の事件のあらましが公表されていたのである。
しかしプリン王国の謀略について公には伏せられることとなった。皇国が大国同士の争いにより疲弊するのを嫌ったということもあるが、モリナーガの使徒たちが協力的だったというのも大きい。建築物の修繕をすぐに行ったのは使徒たちであり、被害にあった者たちの補償もプリン王国にすべて負担させることを約束したからである。
王国の実権を握っていたララ王女が亡くなり、プリン教の主神であるモリナーガが封印されたことで、王国は覇権主義の基盤を失っていた。創世神の意向もあって今後は王国も協調路線に変わっていくことになるだろう。
その王国の代わりに矢面に立たされたのが皇国の貴族たちである。魔族の強さを目の当たりにし、超常の存在を知った彼らにはすでに反抗する気概など失われていた。近いうちに表向きの首謀者として権力をはく奪される予定である。財産がある程度残されるのは、大国同士の争いの身代わりとなったことに対する恩赦である。ただの小金持ちとなった元貴族たちは、時とともに民衆へ埋もれていくことになるだろう。
そして今回の事件に関わった魔族は皇国の法によって労役を課せられる。皇国には多くの魔族が暮らしているため、禍根を残さないようそれなりに気を遣ったようで、今回の件は魔族云々は関係なくあくまで法を犯したことによるものだと明言した。
事件は終わったのだ。
それを明確にしめすために行われているのが、この『皇国の守護者』のイベントなのである。モリナーガの使徒たちによる偽りの儀式であるが、皇女カリンは皇国のためならばと道化になることを快く引き受けた。笑いのためならばどんな窮地をも良しとするタナカさんに通じるものがあるのではなかろうか。いや反語。
こうしてつつがなくイベントは進み皇国闘技祭は無事幕を閉じる。その様子を最後まで見届けていたタナカは闘技場から立ち去ろうとしていた。関係者が使用するための回廊をひとり静かに進んでいく。
「もう行かれるのですか?」
タナカの足を止めさせたのはタナカいわく親友であるエチゴヤの言葉だった。
「オレの役目は終わった――そうだろう?」
「あなたが望むのならば皇国はあなたを喜んで迎え入れるでしょう。それこそどんな望みも叶えてくれるほどの待遇で……。それでも行かれますか?」
いつものタナカなら喜んで飛びつくような内容である。しかし彼が振り向くことはなかった。
今や彼も泣く子も黙らないモテモテチート当確主人公なのである。この程度はそつなくこなして当然だろう。
「フッ、相変わらず人を乗せようとするのがうまいな。だが少々オレを甘くみすぎてるんじゃないか? 今回の件ではつくづく実感したんだよエチゴヤさん。権力争いってやつのくだらなさをな。オレはそういったことに関わるのは金輪際ごめんだと思ったね。というわけでエチゴヤさんともこれでサヨナラってことさ」
そう言い残すと漢は再び足を踏み出す。
その姿を見送りながらエチゴヤは複雑な思いを胸にしていた。タナカと出会ってから散々な目にあいもしたが、それ以上に得たものは大きかった。その関係が失われることに少しさびしさを覚える。
「――とはいえ腐れ縁だしな。困ったときは声をかけてくれてかまわないぜ。美女がらみならばよろこんで駆けつけよう」
最後にそんな小粋な言葉を残すタナカ。振り向くことなく二本指を立ててピッと挨拶するとそのまま立ち去った。渋すぎるぞタナカ。コンパの経験はそれほどまでに漢を成長させてしまうというのか。
「どうやら彼を引き留めるのは失敗したようだな」
そこに現れたのはイベントを終えたエチゴヤの父、ビンタハル14世だった。
「ぜひとも我が国に迎え入れたかったのだが」
「無理ですよ」
エチゴヤは未だタナカが立ち去った方角を見つめ続けながら応えた。
「結局、彼は私の礼すらも受け取らず行ってしまいましたから。彼が求めたのは見返りではありません。友人である私の願いのため、この国のためにただ戦ってくれたのです」
衝撃の事実がエチゴヤの口からもたらされる。なんとタナカはコンパを――合体コンパを経験していなかったというのだ。ならば先ほどのタナカの渋い反応はいったいなんだったのか。まさかいまさら熱血硬派主人公の使命に目覚めたとでもいうのだろうか。
「しかしあれほどの漢だ。やはり惜しいな……。お前の友人なのだろう? なんとかならんのか」
「無理を言ってはいけませんよ父上」
エチゴヤの代わりに応えたのはビンタハル14世の後ろに従っていた皇女カリンだった。
「彼は風なのです。とても強く、優く、そして清爽な風――。世に蔓延する禍患という名の澱んだ空気を消し飛ばしてくれる風です。たしかに国家に携わる身にとって魅力的ですが、手にすることは叶いませんよ。掴むことができぬがゆえに風なのですから」
妹の言葉を聞いてどこか納得するエチゴヤ。
「そうかもしれませんね。世の中には彼という風を必要とするものがまだまだいるでしょうから、我が国で独り占めするわけにもいかないでしょう。それに――」
エチゴヤはここで言葉を止める。それ以上話すべきか少しの間考えたがそのまま口に出す。
「彼が口にしたことがあります。使命があるのだと……。彼の力を考えるに、とても大きな使命があるのではないでしょうか。それこそ国家という枠組みすら霞んでしまうほどに大いなる使命が……」
「ふむ」
さすがのビンタハル14世も子供たちにここまで言われてはそれ以上言えなかった。
「ですが――できればもう一度お会いしたいですね。今回はいろいろと立て込んでいましたから。次はゆっくりとお話しする機会がほしく思います」
その瞳をタナカが消えた方角に向けたまま、皇女カリンはそう口にした。
三人はしばらくの間、姿を消した恩人を見送り続けたのだった。
そして当のタナカさんはというと……。
闘技場を飛び出した後、言葉通り風となって北へと走っていた。
なぜタナカは垢バン待ったなしなキャッキャウフフの合体コンパを期待していた読者を裏切ったのか。それは今回の騒動の後始末のためエチゴヤと接触したのちの話となる。
相変わらず有能なエチゴヤはその手腕を発揮し、あっという間に事の収拾をつけた。これはエチゴヤが元皇族であることや、超常的な力をもつ使徒たちの協力もあってであるが詳細は省く。
とにかくことのほか簡単に事がおさまったのを察知したタナカさんは、早速合体コンパにむけて動き出そうとした。そう、タナカは皆の期待どおりに動こうとしたのだ。
しかし、タイミングよくタナカの前に現れた酒場の親父こと創世神が告げたのだ。タナカが合体コンパを諦めざるを得ない重大な事実を――。
「クソッ! ようやく夢が叶おうとしていたのに! なんでこんな目にあわなくちゃならないんだよ……。ちくしょう……ちくしょうめぇええええええ!!」
創世神が用意していた緊急用結界の効果が消えるまであとわずか――。