第百話 最悪のシナリオ
未曾有の危機にさらされたハル皇国皇都オーエドは現在、混乱のさなかにあった。
皇国の兵たちはモリナーガの攻撃により負傷した者の救護をはじめ、避難所への誘導、観光客の皇都外への退避など交通整理に大わらわである。オーエド城の一部も解放され、負傷者や避難民であふれかえっている状況だった。
そのオーエド城で活動する兵たちのなかにはバラの騎士の姿もあった。彼は闘技祭に参加していた皇族、ならびに貴族たちを避難させるため行動をともにしていたのだ。護衛として無事このオーエド城に到着した彼は、そのまま避難所の指揮をとっていた。
今も続々と負傷者たちが運ばれてきている。バラの騎士はその様子を悲壮な表情で見守っていたが、流れに逆行するように一人の漢がオーエド城からでていこうとしているのに気づいた。
「行くのですか」
駆け寄ったバラの騎士の言葉に立ち止まるニクメン。しかし固い決意がゆえか。振り向くことはなかった。
「皇族の皆様を無事避難させることができたのは貴方のおかげです。協力に感謝しますよ」
ニクメンはバラの騎士の感謝の言葉に短く頷くと足を踏み出した。
「無事に戻ってきてください。勝ちを譲られたままというのは納得がいかないですからね。次は遠慮なしに相手をしてくださいよ」
ニクメンは足をとめることはない。ただ右手で快諾のサムズアップしてみせた。そしてそのまま駆けだす。向かうのはすべての元凶となっている闘技場。バラの騎士はその遠ざかる背中を見守りながら無事を祈るのだった。
はるか上空からモリナーガがゆっくりと下降していた。
『――さて、先ほどのアレ以外に我を阻めるものがいるとは思えんが、危険の芽は今この場で摘んでおくとしようか。たとえ創世神の加護を受けしものであろうと、我に歯向かうというのならば容赦はせぬ』
モリナーガのその言葉に呼応するように彼女の使徒たちが戦闘態勢をとる。ヤシチたちは舞い降りてくるモリナーガを警戒しながら間近の敵に向かい合った。
まさに一触即発といった状況となる。しかしこの状況にあって一人だけその輪に加わろうとしないものがいた。
「フフフフ、まさかこれほどうまくいくとは。あまりにもうまくいきすぎて笑いが止まりませんよ」
一人不気味に笑い続けるのは、この皇都にてララ王女のそばに仕えた使徒だった。そして以前には真実を偽り、魔族たちに魔剣バーンダムを渡した張本人でもある。
もはやモリナーガとそれに反抗しようとする側の力関係は歴然だった。ヤシチたちからしてみればその勝ち誇るような態度は不快でこそあれ、ある意味ありきたりな反応でもあるため闘志が揺るぐことはなかった。むしろこれに違和感を覚えたのは使徒側のほうである。
『なにをしておる。早く戦列に加わらぬか。そのものたちを始末するのだ』
モリナーガは自分の意にそわぬ使徒に命令する。しかしその言葉に従うどころか、笑い声を大きくしていた。
「この場にあの漢が現れたときはどうしようかと思ったけど、親切にも排除してくれるとはね。私が最も危険視するあの漢を排除してくれて感謝しますよモリナーガ。これで安心してことが進められます」
ここでヤシチが最悪の事態に気づく。
「みなこの場から離れろ!」
しかしすべてが遅かった。ヤシチが叫んだのとほぼ同時にその翼人が本性を現す。
禍々しい力がその身体から放たれ、ヤシチは押しつぶされるような錯覚に陥る。いや、事実ほとんどのものがその力の前に崩れ落ちていた。無事なのはヤシチ、ミコト、カムイの三人だけ。モリナーガの使徒たちでさえも等しく倒れこんでいた。
「ちょっと! どうしちゃったのよ」
上位精霊のゾンマーでさえミコトの肩から落ちてプルプルと震えていた。
「いかん……。お前たちだけでも逃げるのだ……。ヤツは……」
そのときモリナーガが地上に舞い降り、そのまま地に膝をついた。
『馬鹿な……。なぜ貴様がここにいる……。どうやってこの世界にまぎれこんだ!』
「フフフ、本当にこの世界はお馬鹿さんが多いですね。とりわけ貴方は本当に滑稽ですよモリナーガ。私がここにいるのはある意味あなたのおかげなんですから」
偽りの使徒がよりいっそう声をあげて笑い続けた。
「それにしてもその創世神の結界を開く力はやはり魅力的です。苦労して貴方を復活させた甲斐があるというもの。この世界を食らいつくすためにも、その力いただくとしましょうか」
やがて徐々にその半身がひび割れ、殻をやぶるように黒い身体があらわとなる。形や大きさは異なるがその無機質は外見にヤシチは見覚えがあった。
「やはり友の予想通り現れたか」
「さすがにあの漢は気づいていたようですね。しかし当の本人ははるか時空の彼方。もはや私の邪魔ができるものはいません。遠慮なく滅ぼしてさしあげましょう」
破界の化身を前にして動くことができるのは、神の影響を受けにくい異世界人である三人だけ。世界は最悪のシナリオへと向かいつつあった。
――なにもないただ真っ暗闇の世界だった。
いつから歩き始めたのかはもう覚えていない。ただひたすらに歩き続けていた。
いったいどこに向かっているのか。どちらが前なのか後ろなのか。上下の感覚すら失いつつあった。
相変わらずただ真っ暗いだけの世界が続いていた。
さらにどれだけの時間がたったころだろうか。前方に小さな光が見えた。気が狂うほどになにも変わらない世界でようやく見つけた変化である。
タナカは駆けだす。このなにもない世界から抜け出したい一心で懸命に走った。
徐々に大きくなる光。眩しくてその先になにがあるのかわからなかった。それでもこの真っ暗なだけの世界から抜け出したくて光へ飛び込んだ。
そこは――。
「グフフフ、また会えると信じていたぜ」
それは大巨人の異名をほこるプロレスラーを思わせる巨体だった。はち切れんばかりの筋肉をピンクのエプロンで包んだその漢をタナカは知っていた。
「お前は! ムチスキー獄長!」
「グフフフ、覚えていてくれたか。はじめてその瞳をみたときから感じていたぞ。運命の赤い糸というやつを」
ムチスキー獄長はうれしそうな様子でタナカににじり寄ってくる。彼の心の内を指し示すようにその手に握る鞭がぴょんぴょんしていた。
「やっ、やめろ! こっちにくるな!」
後ずさるタナカ。しかしムチスキー獄長との距離が遠のくことはなかった。恥ずかし気に頬を染めるその迫力ある顔がどんどん近寄ってくる――。
「うぁああああああああ!」
飛び起きるタナカ。背中に冷たい汗が伝うのを感じていた。
「ゆ、夢かよ。脅かしやがって」
夢とはいえあまりにも恐ろしい体験のため、いまだ心臓の音が聞こえるほどに動揺していた。
「ま、まあ本当は全然ビビってなんかないんだけどね。オレにはわかっているのよ。場を盛り上げるための演出は大事だってことがさ」
誰もいないのに言い訳をはじめる。まさにいつもどおりのタナカだった。どんな状況においても小物という自分を見失わないその姿勢は見習いたいものである。
「それにしても誰だよ。あんな恐ろしい夢を企画したやつは。最悪のシナリオじゃねえか! このタイミングなら皇女ちゃんか天使ちゃんが裸エプロンで出てくるべきだろ!」
憤慨することこの上なかった。
「皇女ちゃんか天使ちゃんが裸エプロンで出てくるべきだろ!」
大事なことなので以下略。そしてこの哲学的思考をしているうちにタナカは徐々に冷静さを回復した。
「そういえばオレなにしてたんだっけ。たしか天使ちゃんとキャッキャウフフしていて……」
まわりをみる余裕が出てくるタナカ。そこで不意に強烈な違和感に襲われた。そこは見渡すばかりの大空だったのだ。
「なっ、なんだ! ここは!」
地面に立っているものの、あまりにも空に囲まれすぎていた。あわてて四つん這いになって身体をささえるタナカ。
そこはまるで公園のドーム形遊具を思わせるような半球状の地面の上だった。綺麗に生えそろった芝生の上は心地いい感触だったが今はそれどころではない。今立っている小山以外に地面らしきものが見えないのだ。まるで空に浮かんでいる地面に乗っているような感覚を覚えた。
「怖っ! 寝返りしてたら落っこちてたんじゃねえか!?」
長らく空を飛べるという生活を続けていたタナカは、ひさびさに高所の恐ろしさを実感した。しかし起きている今はどうということでもない。
余裕がもどってきたタナカはあらためて自分のいる状況を把握しようとする。
「ん? これは星……なのか?」
タナカはこの場所が小さな星であることを不思議な感覚で知覚していた。
ここはまるで銀河を見守る神が住むと言い伝えられている小さな星を思わせる場所だった。しかしここは断じてあの星ではない。タナカには蛇の背中っぽい形状の長い道を走り続けた記憶もなければ、地球の十倍もの重力を感じているわけでもなかったからだ。
タナカは立ち上がるとこの小さな星の上を歩き始める。
太陽もないのに明るい青空。ところどころに安っぽい感じの雲のようなナニかが浮かんでいた。
「なんか……、偽物チックな世界だな」
地面には綺麗に生えそろった芝生が続いていたが、最初にいた場所からちょうど反対側にきたくらいのところで変化があった。
そこにあったのはタナカの膝下くらいまでの高さしかない小さな家。その前にはこれまたテーブル大の小さな池。そして砂浜状のふちには小さなビーチチェアが並べられており、そこに総勢26匹のハムスターたちがくつろいでいる姿を発見したのである。
ヽ(°▽、°)ノ 祝百話




