主人と従者による追走
マスター、お客様です。お仕事の依頼です。
そんなに面倒くさそうな表情をせずに、いつもの愛らしい笑顔でどうぞ。
そうしないと……夕飯の献立のランクとおやつのランクが下がることとなりますよ?
「あー、すみません、探偵って便利屋では無いので、そういう依頼はちょっと…………」
「申し訳御座いません。少しマスターには荷が重いようですので、今回の件は…………」
「カッチーン。よーしわかった、お引き受けいたしましょう!! 私にお任せください!!」
「さすがマスター、頼りになると評判の女ですね。それでは契約条項の確認をお願い致します」
「チッ…………あ、いえいえ、奥歯に物が挟まっただけですのでー。えーっと、それでは条件面をー」
「私がお伺い致しましょう。……はい……はい、ええ…………そう、ですね、前金として20%で構いません。依頼の性質上、当然かと思います」
(ちょっと悦子、前金でぼーんっと貰っておいたほうが良いでしょうが!!)
(マスターも一時は渋った依頼ですが、そこまで自信がおありでしょうか? それなら構いませんが)
(ぐ、ぐぅ…………も、もう、任せるからいいわよ)
(ありがとうございます。謹んでお任され致しましょう)
「いえいえ、業務上の確認です。それでは詳しくお話をお聞かせくださいますでしょうか?」
昼下がりのぐだぐだ――優雅に寛ぐひとときにでもお客様は突然にやってきます。どうも、マイマスターのメイドの悦子です。
今日のお客様はどこから見ても気品溢れる淑女と言った風貌のお方、どうみても探偵事務所には見えない広くないリビングにてお客様に用件の確認の真っ最中です。宣伝自体はしていないはずなのですが、よくわからない口コミと言うのは恐ろしいものですね。
はてさて、実はマイマスター――長ったらしいのでマスター、今回の依頼はお断りするつもりだったようです。あまり足を使うようなタイプの依頼は好まないぐうたらな――効率主義のマスターですが、それでも私はマスターを唆し――背中をさっと押して差し上げました。
綺麗な身なりに落ち着いた所作、私の勘では87%の確率でクライアントは富裕層、こちらからの金額の提示を行うより提示を待てば――危ない危ない、目がドルマークになってしまいそうです。
そういうわけで世間一般では『意地汚い』という風にカテゴライズされてしまうのかもしれませんが、それでも蓄えは多いに越したことはありません故。
「…………なるほど、かしこまりました。『人探し』の件、了解致しました…………くっしゅん!!」
「17歳の可愛い娘が失踪って……警察に捜索願は? 探偵よりよっぽど良いと思うけど。少なくとも花粉症よりは確実に重大なことじゃあ」
「ちょっとむずっとしただけです。私もまずは警察に捜索願を出すべきかと――――はい――ええ、ごもっともな意見です」
「それもそっか。警察に頼めないからウチに持ち込んだんだし。まあ、どうせ碌でも無いりゆ――」
「理由は詮索致しませんのでご安心を。それではお嬢様の特徴等、ご教示頂けますでしょうか?」
マスターの的確で鋭利な推測通り、クライアントはこの案件を警察には持ち込みたくない様子。やんわりと伺ってみましたが、恐らく間違いないでしょう。
そのような案件も稀に回ってきますし驚きません。それにこのような案件のほうが…………おっと、頭の中でそろばんを弾く音、聞こえてしまいますね。
そうと分かってしまえば深く伺わず依頼のみを聞き出し、完遂する方向に頭を切り替えるのが正しい判断と言うもの、引き出せる情報は全て引き出す作業に入ります。
『探し物』に属する案件で重要になってくる情報は『重要な情報』のほかに『クライアントがどうでも良いと思っている探し物に対する情報』であったりします。
なのでクライアントの考える『必要十分』な情報をベースとし、マスターや私の考える『最低限必要十分な』情報に近付ける、簡単なようで難しいことです。
早い話、マスターと私がちょっとでも楽をしたいという理由もあったりもしますが――情報は多いほうが依頼の完遂率はあがりますので。
そのような理由から慎重に慎重に、クライアントから情報を引き出すことと致しましょう。ここからもう、依頼は始まっているのですから。
落ち着いた物腰に落ち着いた口調ではあっても、会話の一端に現れる狼狽が状況の切迫感の高低を、会話中の心拍と体温の変動で言葉に対する感情の変化を読み取るのは私の作業です。
それらを観察しつつ、情報を整理しながらも手帳に走らせる、これで大よそ動き出すことが出来る段階までに算段が整います。
「了解致しました。それではお嬢様の件、確かに承りました。成功時の報酬のお支払い方法は――はい、ではお連れしましたときにということで」
「安心して任せちゃってくださいねー。――――大丈夫です、期日までにはなんとかー」
「期日が経過してしまいそうな場合は追って連絡差し上げますので。その際は――――ええ、ええ、進捗状況、途中経過は報告させていただきます」
「無いと思いますけど、期日以降のお話はその際でー。――――えーっと、他に何か話ってあったっけ、悦子」
「いえ、これで十分です。――――いえいえ、こちらこそお尋ね頂きありがとうございます。それでは玄関までお送り致しますので」
「大船に乗ったつもりでどーんと構えていてくれれば大丈夫ですからー。ありがとうございましたー」
「それではお気をつけてお帰り下さいませ。何か御座いましたらご連絡お願いいたします。――はい、ありがとうございました」
「で、今夜はすき焼きかなんかしちゃう感じー? お寿司もいいなー」
「……マスター、ドアが閉まった瞬間に頭を切り替えるのはちょっとどうかと」
クライアントがお帰りになり、とりあえず玄関の鍵を掛けて居間に戻ることになりました。前金だけでもそこそこ懐が潤う額ですし、夕飯の献立は憂慮すると致しまして。
とりあえずはクライアントが手を付けなかった粗茶とマスターと私の粗茶も台所に下げて新しいものと交換致しましょう。
……粗茶と言ってしまったので手をつけなかったのでしょうか、次回からは『お客様用の値の張る逸品です』と差し出してみたいとも思います。
同じ粗茶でも美味しく感じられること受けあいですが、思うだけでそうしないところが慎み深いメイドインマスターのメイドといったところですね。
茶碗をささっと洗いつつその間に紅茶の準備を手際よく済ませ、茶碗を食器棚に戻す頃には程よい具合に紅茶が出来上がっております。手際の良さはマスターのぐうたら――マスター仕込みです。
マスターにはミルク多めに砂糖を1匙、私の分は砂糖を1匙の半分、付け合せは朝に焼いておいたクッキーが良く合うでしょう。
「さすが気の利くメイド。んじゃお茶にでもするかねー」
「ありがとうございます。紅茶も緑茶もお茶ですが、コーヒーでもお茶をするというのは不思議なものですね」
「そういう暗黙の決まりみたいのがあるんでしょ。コーヒーしよう、じゃあ語呂が悪い」
「そうですね。それではお茶をすると致しましょうか」
とまあ、こういう素朴な疑問もふつふつと日頃から湧いてはマスターに伺う、と言うのも楽しいものです。基本的に馬鹿――知識をひけらかそうとしないマスターの対応は私には面白く、自ら知識を深めようとする礎となってくれます。
それにしても――今日のクッキーは紅茶とよく合いますね。マスターの手も良くクッキーに伸びていて、それが美味しさを物語っていると言えそうです。
紅茶の余韻を上手くクッキーが柔らかく包み込み、クッキーの後味を紅茶が綺麗に流してくれる、これはやはり理想的なバランスと言わざるを得ないでしょう。
…………マスターの手がひょいひょい伸びていきますし、次回はもう少しだけ多めに用意することと致したほうが良さそうですね。
紅茶も若干温かさを失い、クッキーも殆ど無くなって参りましたので、そろそろメインのお話に持っていくといたしましょう。
そのような思考に至ったと同時にマスターのほうから、考えていたことと同じ話題が飛んでくる、ということはよくあります。幸せな瞬間ですね、従者として。
「ふぅ。んで、悦子はどう見る、今回の依頼っていうか依頼者っていうか」
「裕福な層の人間であるようで服装や所作に気品すら感じられました。落ち着いていた人間かと思われます。依頼の内容もありきたりな人探しです」
「うんまあ、それはアタシも思った。まあ、報酬からそれは嘘じゃないと分かる。服はともかく、行動仕草は一朝一夕で身につけるのはちょっと無理」
「ええ、その通りですね。依頼の内容ですが、恐らく仰ったことに嘘はないでしょう。本当に探して欲しいというのはとても伝わってきましたから」
「まあアレか。本当のことは言っているけど、隠していることもある。言わなかったんじゃなくて、言いたくなかったこと」
「あれ以上探ろうとすると不快感を与えてしまいますから。それでも必要十分な情報はある程度得られたと思います」
「必要十分ねぇ…………って、写真すら無いのにどこが…………」
「クライアントが提示してこなかったということは、考えにくいですが『所持していない』ないしは『見せたくない』のどちらかかと判断致しましたので」
「んまあ、人探しなのに最初から最後まで写真やらプリクラとか、出そうとしなかったしなぁ」
今回の依頼は少々特殊なケースとなりました。マスターが仰り私が感じたとおり『隠している』か『言うことができない』ことがあると判断した次第です。
どちらの場合にしても、状況がかなり変わってくる――主に犯罪が絡む確率があがってくる――という点から絞れるだけの情報は絞りたかったのですが、なかなか難しいクライアントでした。
依頼達成の速度の観点からも、そして何より犯罪が絡む場合のマスターへの危険の軽減のためにも視界は明るくしたかったのですが、少々遺憾ではあります。
ですが安心材料として、私の当たるのか当たらないのかわからない勘が『犯罪は絡んでいないだろう』と教えてくれたので多少は安心でしょう。絡んでしまった場合、私が盾となるだけです。
とりあえずは得た情報の整理ですね。多くない情報ではありますが、目印となるようなものも比較的少なくありませんでした。
言葉によるもののみでしたが、外見的特徴に内面的特徴も聞き出すことが出来ましたので、モンタージュの作成くらいならお手の物です。
白い肌に大きな瞳のショートヘアーの女の子『都』。17歳であり身長は歳相応で性格は大人しくもあり気ままなところもある。気付いたときには家に居なかったということ。
年齢的には学生かと思われますが、そのような情報はありませんでしたし、もしかすると学校に登校したくないような事情もあるやもしれないと判断し深くは伺いませんでした。
クライアントの語り口調から溺愛具合は承知しておりましたし、それに比例するはずの『心配の大きさ』が感じられなかったことから『初めてじゃない』というのは見て取れました。
学校については席を置いていても通学していない、通学出来なくなってしまった等の理由があるのかもしれません。『家出を何度か行ったことがある』という場合、どちらに該当するか想像に難くありませんが。
ですが依頼にまで漕ぎ付けたという背景には『いつもより帰りが遅い』ないしは『いつもと様子が違う』というところがあったからでしょう。
おっと、邪推はこの辺にしておいて、クライアントの話に耳をきちんと傾けなくてはなりませんね。
家出の理由は全く思い付かないそうで、欲しいものは何でも与えていたとのこと。何とも羨ましい限りです。お金で買えないものも買えそうな家柄に見えたというのに。
服装はいつも家に居るときの格好のままなら、着の身着のままTシャツにホットパンツという格好。広いように見えて、このような格好は珍しかったりするので良い目印となります。
そして一番最後に気になった点、夜中に急に泣き出すことがあったという点。これは『生きたまま発見出来ないかもしれない』というのを少なからず示唆していると私は考えます。
なるべく生きたまま発見できるように尽力しよう、そう記憶デバイスに決め私は淀みなくペンを走らせる作業を忘れません。
「情報を総合的に解釈した結果のモンタージュ、完成致しました。これで捜索の時間もかなり短縮の目処が立つというものです」
「どれどれ…………って、うわあ…………なにこれ…………旧友のパブロも真っ青な絵柄…………」
「マスター、冗談が分かり易すぎますよ。それにパブロほど芸術性より汎用性を意識したつもりです」
「……おかしい。アタシは上手いのに何で悦子は絵が下手なの……ベースはアタシなのに」
「アイデンティティというものではないでしょうか。そう仰るのならマスターがモンタージュ作成していただけると助かります」
「それは今度。今回はあんたのこれでいいんじゃない。感じくらいは掴める」
「ありがとうございます。お役に立てたのなら幸いです。それではメモを含め2,3枚コピーしておくと致しましょう」」
「頼もう。んじゃアタシは予定組んでおくとするから。とりあえずコピーあがったら出かける感じで」
「了解致しました。外出の準備をしておきます」
マスターが紅茶をいつものように左手に避け、手帳を開いてパタパタやり始めるのを確認しつつ、私も席を立ちます。
捜索活動は基本的に単独行動で多くの場所を廻り手掛かりになるものを見つけるというのがセオリーではありますが、今回はマスターはどのようにお考えなのでしょうか。
今回のように『単独行動に危険があるかもしれない』場合、私としてはマスターに同伴したいところですが、指示には従うべきでしょう。
そもそもチャランポランな性格――もちろん良い意味で、ですが――のマスターですが、仕事に絡んだ判断をミスしたことは知る限り無いはずなので心配は要らないでしょう。
はてさて、単独行動を見越しつつ、ささっとモンタージュと依頼関連をまとめたメモをコピーしつつ、外出に備えると致しましょうか。
夕飯までに帰ってくることが出来れば幸いですが、どうなることやらですね。それでは外出用のメイド服に着替えると致しましょう。
「んじゃアタシは関係各位を回ってみる。悦子は街のほうよろしく」
「了解致しました。家出少女が立ち寄りそうな場所を回ってみます」
「お願い。何か情報があったらメールで。急ぎや重要な用件だったら」
「すぐに電話で、ですね。マスターのほうもお願い致します」
「オーライオーライ。んじゃまた後でー。疲れたら適当な場所でお茶でもすることー」
「かしこまりました。夕飯前ですので、デザートの食べすぎは禁物です」
「はいはい」
「では、また後ほど」
やはりマスターとは別行動を取ることと相成りました。ということは、マスターは『危険は無い』と判断したということでしょう。となれば心配しすぎるのはマスターに失礼ですね。
さて、マスターは恐らく警察や病院等、多少は利いてしまう顔で確実に入れられる情報を手に入れてくるおつもりでしょう。
どちらかで身元が判明してしまうと、良い状況とは言えませんがそれでも発見出来るに越したことは御座いません。無事であれば何より、ですが。
期日まではまだ5日ほどあります。早期解決がコストパフォーマンス的にも望ましいのですが、急いてはことを仕損じてしまうこともあるかもしれません。
いつものように焦らず急がず、着実に依頼を進展させて行くのが実は一番の近道であることがままあります。
まずは家出娘の定番らしき場所、駅近辺のネットカフェ辺りでも探して回ると致しましょう。捜索1日目の1件目、そこで発見出来ればこれ以上のことは無いのですが。
「申し訳御座いません、人探しをしているのですが――――ええ、個人情報の件もあるかと思いますがご両親からの――――左様でございますか。ありがとうございます」
「すみません、人探しをしているのですが――――はい、このような女性なのですが――ええ、モンタージュですが――――左様でございますか。ではお見掛けになった場合はご連絡をお願い致します」
「ねえねえちょっとー、わたくし人さがしてるんだけどー――――えー、まじやばくなーい、きゃははー――――それでは失礼致します」
駅周辺の全ての目ぼしい店を回ってみても手掛かりのひとつもなし。それらしい人間の出入りは確認出来てもクライアントからの話と差異があったり、背格好等の条件が大きく外れていたり致します。
よくよく考えれば、家出少女とはいえ、富裕層の娘です。見つかりたくないはずですので、既に服装をオールリニューアル、頭髪も減らすことはおろか増やすことも容易でしょう。
道行くそれらしき女性に声を掛けてみてもビンゴするはずもなく。私の場合、ご存知かと思いますが言葉の抑揚の他に体温心拍等でも判断できますので、精度は高いはずです。
もちろんストレートな質問をぶつけるよりも、少しだけ会話の相手の深いところに届き嫌が応でも身体が反応するような言葉を投げかける術もマスター仕込みで心得ております故。
はてさて、こちらのほうの収穫は『恐らく駅近辺を根城にはしていない』という摺り足で小さく1歩進んだようなものだけ。そろそろマスターのほうも何か動きが――――
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
「はい、悦子です。――はい、丁度連絡差し上げようと思っていたところです。――――そう、ですか。了解致しました。――――それでは駅前の喫茶店に。注文を済ませて席におりますので。失礼致します」
携帯電話が鳴ると変な声が出てしまうのはロボなので仕方の無いこと。今度二足歩行ロボにでもお目にかかる機会があれば、同じような現象に遭遇して困ったことが無いか聞いてみたいものです。
私自信は多少不審な目で見られる程度のことなので、特に困ったことはありませんので改善の申請もしておりませんが。
それにしても『連絡しようとしたときに連絡きちゃった現象』は何とも言えない嬉しさが込み上げてきますね。完全に蛇足な話ですが。
そしてとりあえずコーヒーでお茶をしながら経過報告と相成りました。いつもどおり淡白な口調でしたので、劇的な変化は期待出来ない感じですが、経過の確認は重要です。
それでは取り急ぎ注文を済ませ席の確保と参りましょうか。マスターが来てしまってからですと、余計なおやつも注文してしまいますので。
はてさて、マスターが到着するまでの大よその時間を逆算し、丁度良い時間に品物を提供していただけるように喫茶店に向かうと致しましょう。
「ちょっとちょっと悦子、何でアタシのがプレーンでアンタのがチョコチップのスコーンなのよ! 世の中絶対間違ってるわよこれ」
「あら、間違いは正さなくてはいけませんね。それでは交換致しましょう。プレーンが美味しいとのことだったのですが」
「よしじゃあ半分こでいいや。悦子もチョコチップも半分食べたいもんねー?」
「ええ、実のところプレーンが残り1つだったので食べたくはありました。ありがとうございます」
「いえいえいーえ、さーて、コーヒー冷めちゃう前に頂こうかね。話は少しお腹を満たしてから」
「了解致しました。それでは頂きます」
さすが私のマスター、正直感服してしまいました。まさか実は私がプレーンのスコーンを食べたかったというのを見抜き、あまつさえ半分提供してくださるなんて。
そんな優しいマスターの下に産まれることのできた喜び、スコーンと一緒に噛み締めさせて頂くと致しましょう。
…………さすが喫茶店、私も遅れを取ってしまうほど口の中に広がる芳醇な香り。スコーンは多少甘いと感じられますがコーヒーとの相性を計算してのことでしょう。
味覚の鋭さは人間と同じ程度の私では、この味を再現出来なさそうで残念です。なるべく近しい味になるように研鑽してみる価値はありそうです。
そしていつの日か、このスコーンを召し上がったときよりひとつ上の笑顔を、と考えると俄然作製意欲が湧いてくるというのが不思議なところですね。
「んーむ、旨いね。さて、アタシからの報告はーっと…………見つかる範囲では怪我もしてないし死んでもいないし悪さもしていないってことくらい」
「情報収集お疲れ様です。生存が確認出来そうという意味でとても貴重な情報かと思われます。私のほうは駅周辺のお店、通行人の目撃は無さそうというほどのものでした。申し訳ありません」
「あー、うん、今日見つかればーとは思ってたけどそう簡単にいかないか。悦子が聴いて回ったなら間違いは無さそうだし」
「勿体無いお言葉ありがとうございます。似ているかもしれない、その程度の情報は多少御座いましたが、どれも『本人に繋がるもの』では無いかと思います」
「ってことは、失踪してからここらへんには留まらなかったってことか。不良娘がどこ出歩いてんだか」
「あら、マスター流石ですね。不良娘、までは考えが及びませんでした。もしかすると学校には行っていない、程度は頭にありましたが」
「まあ、わからないけどね。学校行ってるなら行ってるで言うでしょ、普通。言えないか言いたくない理由なんて多くないから」
はてさて、とりあえずは私とマスターの会話から分かったことを纏めると致しましょう。
死んでもいないし病院にお世話になるような大きな怪我もしていない。着の身着のまま家を出たようだ、という情報からどちらの場合もクライアントに連絡が及ばないので念のため、ですね。
ただし、着の身着のままとは言え、相応の年齢の女性ならお金無いしはクレジットカードくらいは持ち合わせていても不思議ではないものです。面倒なことで。
それに交友関係、これも全く話に出て来ず娘がどのような交友を持っているのか知らないとのことでした。『プライバシーの尊重』と『ほったらかし』の違いはロボでも分かるという時代ですのに。
おっと、クライアントの悪口をあまり言うものでは御座いませんね。壁に耳あり障子に目あり、心の中では大いに悪く言っていても口や表情に出すのは従者として頂けません。
マスターについてはそのような悪い感情を抱いたことが無いというのに、不思議なものです。
「それではマスター、今後の動向ですが、マニュアルに沿ったもので宜しいでしょうか? 多少骨が折れそうですので指示が御座いましたら従います」
「期日が迫ってきたらもうちょっと手、いつもより多めに出してもらうかな。とりあえずはマニュアル通りで問題無いなー
「畏まりました。それでは私は捜索範囲を少々広げるだけに留めて、駅周辺を再びローラーする作業に致します」
「うむ。アタシのほうはもうちょっと手広くいろいろと当たってみるわー。一緒に買い物行けないと悦子が悲しみそうだけど、我慢して」
「ええ、我慢出来るようにがんばります。マスターもおやつの回数を増やさないように我慢してくださいませ。夕飯までには出来ればお帰りください」
「わかってるって。夕飯は残さず食べられるくらいにしとくって。そのかわり頑張ってる分、目いっぱい美味しいものよろしく」
「かしこまりました。腕によりを掛けさせさせていただきます」
「よーし、んじゃアタシはもうひとがんばりしてくるか。悦子は気になったところ見て廻りながらのー」
「買出しと家事を済ませておくことと致します。それではそろそろ私は参ると致しましょう」
「アタシもそろそろ行く。あー、悦子、ひとくち残して勿体無い。ぱくっ、もぐっ」
「あああ…………最後のひとくちをマスターに召し上がっていただけるなんて…………有難き幸せギギギ」
「あ、あっはっは、じゃあまた!! 気をつけて帰るんだぞっ!」
「ギギギギギ――夜道…………マスターこそお気をつけて」
――食べ物の恨みは恐ろしい、帰りにもう1個だけテイクアウトして食べてやりましょうか、と考えているうちにマスターは店の外へ。本当に仕事熱心で頭が下がります。
さて、マスターががんばってらっしゃるのに私だけがもう1つスコーンを頂くのはメイドとして宜しくありません故、大人しく捜索ついでの買出しへと向かうことと致しましょう。
マスターが精力的に依頼と向き合っている間、お肉はワンランク上に、野菜も値引きされていないものを、魚は純国産のものをと食卓は内外面ともに豪華に。
マスターが方々に足を伸ばしている間に私が出来ることといえば、心苦しいですがそれぐらいのことです。しかしながら出来ることは全力でやらせていただきますのでご安心を。
それでは私は私のやらなければならないことに精を出すことと致しましょう。今宵の夕飯は、季節には少し早いですがすき焼きなんて良さそうかもしれませんね。
時の移ろいとは時として無情で慈悲の欠片すら無いものかもしれません。只今、マスターと私はそのような無情さを感じずには居られない状況に立たされているわけです。
期日まであと0日、平たく言うと今日が期日でありながら、収穫は殆どゼロという私の知る限りマスターではあり得ないような状況に立たされています。
昨日辺りからマスターの焦りが見え始め、珍しく朝から私も加わりの捜索活動を展開してもやはり収穫はゼロ。似たような人間の情報はあっても、結びつく情報すらないという状況です、
わざわざ何度も同じ店舗に顔を出してみたり、同じような種類であろう人間に声を掛けてあえてターゲットの印象を与えて情報を得てもらおうという目論見も不発に。
結局何度訪れても『そんな子は見ていないし知らない』というところにしか行き着きませんでした。
このような場合『死亡情報も通院情報も無いが既に見つからない場所に居てこの世に居ない』という見解も強ち間違いではないように思えてなりません。
もしくは『虚偽の依頼で最初からターゲットは存在しない』という不可解な場合も考えられますが、それはそれで理由が推測出来かねます。
…………もしこの日数の間にあった依頼をこなしていれば、前報酬以上の額は稼げたはずなのでとても残念で仕方ありません。
兎にも角にも、今日でタイムリミット、出来ればターゲットを発見したいところですがやはり進展すらなし。困ったものです。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
「はい、悦子です。――はい、ええ、残念ながらこちらも不発です。――――そう、ですか。了解致しました。――――それでは…………少し時間を潰してからクライアントの報告へ参りましょう」
変な声が出て周囲の方々に見られてしまうのも、なぜかそれがないと物足りなく思えてしまうような錯覚を覚えますが、マスターからの報告は残念なものでした。
『収穫一切無し』、私と同じく全く持って情報すら出てこない状態のようです。これは探偵稼業始まって以来の失態の予感。
電話越しに伝わってくるマスターの声が気だるそうでぶっきらぼうながら悔しそうに聞こえてしまったのは気のせいではないでしょう。
殆ど経験の無い『依頼を失敗した際のクライアントへの言い訳』を思考回路総動員で考えつつ、マスターとの待ち合わせ場所へと向かうことと致しましょうか。
ここまで情報が無い依頼も初めてすぎて、もし延期の依頼が来てしまっても平謝りしつつ白旗を揚げるのが一番懸命な選択肢かもしれない、私の思考回路がかなり大きな音を立てて訴えてきているのが聞こえてきます。
「はぁ、何か疲れたからもうヤメ。これだけ探して何もわからないとかありえん」
「ええ、ご尤もです。ターゲットに繋がる情報の一端すら掴めないとなると、私も珍しくイライラという感情を湧きたたせざるを得ません」
「悦子が珍しい。まあでも仕方ない。がんばって謝ろう。延長があったら…………」
「私はお断りすることを提案致します。もし仮に延長する場合、多少で良いので本人識別に繋がる情報を頂けないことには堂々巡りとなる可能性しか見出せません」
「それ乗った。てーか悦子がそんなん言うなんて珍しい。まー、アタシも同じ。このままで継続しても可能性が見えてくるとも思えない」
「同感です。ではクライアントへの報告とこちらのご意見を伝えつつ継続の可否を伺うと致しましょう。成功報酬が無くなるのは寂しいことですが」
「まあ、仕方ない。こういうこともある。ちょっとだけ気分転換してからクライアントのとこ、向かおう。最近ご無沙汰だし、寂しがってるはず」
「そちらも同感です。パンの耳を頂いてから参ると致しましょうか。マスターが禁断症状で発狂してしまう前に」
「発狂するのは猫達。それと揚げたてのコロッケも久しぶりに食べたい」
「では参りましょうか。私もあのメンチカツが恋しくなっておりますので」
マスター同様、私のほうも気持ちの切り替えの大事さを知っています。そしてその切り替えスイッチがどこにあるのかも、よく存じております故。
今日は幸い夕飯との時間も多少距離が御座いますし、マスターのおやつを制限することもほどほどにするのが吉というものです。食べて解消、やはり人間もロボもストレス解消法は似たようなもののようです。
そしてお腹を満たした後の束の間のくつろぎタイム、これで今日までの依頼の疲れを少しでも吹き飛ばし、明日はまた新たな気持ちで迎えられればこんなに素晴らしいことはありません。
明日からでなくとも、今日中にまた新しい依頼が来るやもしれませんが、その際はその際、上手く気持ちを切り替えることが重要となります。
そのためにもやはり、ここで上手いこと気持ちの転換を図っておくべきですね。善は急がなくてはならないとの言葉を胸に、早足になるマスターに遅れを取らぬよう私も歩みを速めると致しましょうか。
「あー食べた食べた。パンの耳も貰ったし、よかったねー? 悦子」
「ええ、マスターではなく、私がとても嬉しくて嬉しくて仕方ありません。ありがとうございます」
「素直で宜しい。そういえば良い匂い嗅いでて思ったんだけど、悦―」
「いえ、犬並みの嗅覚の鼻というのは必要ありません。恐らく日常生活に支障が出てしまうかと」
「チッ。ってまあそっか。人探しとかいろいろな場面で活躍しそうだけど、それどころじゃなくなるか」
「マスターのご命令とあれば、どうしてもというご命令があれば話は別ですが、私自身としましては申し訳御座いませんがお断りさせていただきたく思います」
「そこまで言われんでも、冗談だから。それに悦子が這い蹲って私が立ってるって、絵面的にマズイものがあるでしょ」
「そうでしょうか? 仲睦まじい光景に見えないことも無いと思いますが、鼻の件はありがとうございます。機能追加せずとも事足りるよう、精進させていただきます」
「それは何よりだけど悦子、アンタマスクとか用意したら良いと思うんだけど? 毎回毎回鼻グズグズなの、大変じゃないの?」
「大変と言われれば大変とお答えしますが、やはりコンマミリ単位でも猫さんたちと壁を作っては仲良くなれないとのポリシーがあります故、ご了承くださいませ」
「ふーん。ま、アンタが良いならいいけどさ」
猫公園が近付くにつれ早くなる足取りはマスターの猫思いの証。しばしの間、依頼のことは忘れて大いに楽しむとしま――――くしゅん!!
「よーし、ミケ、おいでー。よーしよし、そっちのミケにも耳上げちゃう!! こら、そっちはケンカしない!!」
「マスター、毎度思っていますが『ミケ』と言う名前は『三毛猫』から来ているのであって、明らかに毛色の違う――――」
「名前なんてあるだけで嬉しいものなんだからいいの。うりうりうりー、美味しいかー、ミケー。寂しかったのかー、えっへー」
「……全部の猫を『ミケ』と呼ぶマスターに宇宙のように広い心を感じずにはいられまくっしゅん」
「ほーら、悦子もミケと遊びたいってー。ゆけ、ミケ!!」
「よーし…………ぐしゅ…………なでな……ぐしゅぐしゅ…………ミケさーくっしゅん!!」
猫に囲まれてご満悦の様子のマスターを眺めるのは、私まで気持ちが高ぶって参りますが、だがしかし、マスターと同じように、あるいはそれ以上に猫が好きな私に神は試練を与えたようです。
久方ぶりとは言え、猫アレルギーが無くなっているなどという都合の良い展開は起こりませんでした。毎度のことながら期待してしまうのですが、残念でなりません。
しかしながら数日振りとはいえ、代わり映えの無い面々。マスターは全てミケと呼んでいますし、私もマスターの前ではミケと呼ぶように心掛けておりますが、実は心の中ではきちんと固体ごとに特徴を捉えた呼称を決めていたりします。
真っ黒な黒猫は『クロ』、真っ白な白猫は『シロ』、斑のある猫は『ブチ』、このように固体の特徴を完全に反映させつつ見違えることもない、合理的で愛嬌のある名前です。
三毛猫にはミケと私も名付けますが、今日は姿が――――見えましたね。今日は新しいお連れ様をお連れのようで――――
「って、マスター、あれ……くっしゅん!!」
「何。おー、姿を見ないと思ってたミケ!!! …………と、あれって……もしかするのこれ…………」
「もしかする可能性もありますくしゅん!! 特徴も一致していますしくしゅん!!」
「服着て歩いてる猫なんて、そうそう居ないし…………とりあえず確保」
「かしこまりましゅん!!」
白い毛並みに大きな瞳のショートヘアーの女の子『都』。シャツにホットパンツという格好。
ここまで一致するのなら、もう人間でなくとも、まさに猫にも縋りたい思い。
パンの耳を撒き散らしながら走るマスターとは対の方向に走る私。猫さん捕獲のノウハウは御座いませんが、一生懸命頑張らせていただきます。
「はい。――間違い御座いませんか。――――いえいえ、期日内に発見できて何よりです」
「まー、まさか人間じゃないとか考えもしなかったから、ちょっと苦労したけどねー」
「いえいえ、こちらのお話です。――――はい、では確かに確認致しました。ありがとうございます」
「ありがとうございまーす。次回はもっと早く見つけられると思うので、また何かあればぜひアタシ供にご依頼をー」
「ぜひお願い致します。――いえいえ、娘さん、発見出来て何よりです。それでは失礼致します」
「失礼しまーす。じゃあねー、ばいばーい、みゃあ子ちゃん」
クライアントの家から少し離れた商店街へと向かうマスターと私の足取りも、行きはよいよい帰りは尚よい状態というわけで、とても軽やかなものです。
結局『都』ちゃんは猫公園に居た猫で間違いなかったという運びでした。きちんと成功報酬も頂けたので問題は何も無いでしょう。
少し風変わりな気がしないでも無いですが、事情を詳しく話さなかったのはこのため。言いたくなかったのか言えなかったのかは定かではありません。
そういえばクライアントとの最初のお話の際、都ちゃんを完全に人間のように話していたのを思い出します。つまりは、そういうことなのでしょう。
猫であっても家族は家族、大金を叩いてでも探して欲しい大事な家族、その思いだけは今になってなんとなく伝わってきました。捜索のためにはもう少し情報が欲しかったと言わざるを得ませんが、解決を見たので万事問題無しとしておきましょう。
マスターのほうもクライアントの事情を察してか、多少不機嫌になる程度で特には問題があるようなことは言っていません。猫を1匹没収された、ことに対して怒っているわけではないのでしょうけれど。
それでも都ちゃんとクライアントの対面したときの様子を見ていると、本当に心底相思相愛の家族というように見えて嬉しくなりました。そして珍しく、マスターに意見を伺いたく思うこともあります。
「マスター、猫と人間の家族というのも、アリなのかもしれませんね」
「まー、いいんじゃないの。もうちょい情報くれてたらもっと良かったけど。過ぎたことはどうでもいっか」
「同感です。私にはまだまだよくわかりませんが、やはり人間は面白いものですね」
「何がわからんのかわからんけど、猫だろうが犬だろうが家族は家族。良いものなんじゃないの、家族が増えたら家庭も明るくなるでしょ」
「左様でございますね。マスターは家族――――いえ、申し訳ありません。失言でした。聴かなかったことにして頂けると幸いです」
「プッ!! 悦子がトチるの珍しいね。家族欲しくないとか聴きたかったわけ? 天涯孤独なアタシにチクリとしたら悪いと思って前言を撤回したと? ビンゴだったら夕飯カレーで」
「……今宵はマスターの大好きなビーフカレーと致しましょう。さすがマスター、頭が上がりません。そして申し訳ありませんでした」
「別にそれぐらい聴かれても問題ないけど。わんことかにゃんことか、死ぬと悲しいからって言うのはあるけども。それにアタシは天涯孤独なわけじゃないし」
「マスター、少々胸が熱くなってまいりました。申し訳…………ありません、ぐしっ」
「おー泣け泣け。アタシには家族居るし寂しくないし。まー、誰とは言わんけどなぁ、悦子?」
「……ぐしぐしっ…………人間でも動物でもないこんな私を家族だなんて…………ぐしっ…………ありがとうございます」
「よーし、感謝の気持ちを表すために、今日のビーフカレーの肉は国産の良いやつだなっ!!」
「…………ぐしっ……かしこま…………りません。それとこれとは別問題です。ぐしっ」
「チッ。まー良いや。毎日家族と卓を囲めるだけ贅沢だし。ほれ、腹減ってきたし買い物して帰るぞ」
「はい、マイマスター。どこまでもお供致します」
そっと握ってくれたマスターの手がとても暖かく、私の内部まで温めてくれました。
いつまでも隣に並んで歩いて行きたい、改めてそう思った瞬間を私は絶対に忘れません。
マスター、本当に本当に大好きです。
なぜか動物捜索の依頼の量が跳ね上がったのはまた今度お話すると致しましょう。
それでは、私はマスターとの買い物がございますので、これにて失礼致すとします。
マスターの大好きな、林檎と蜂蜜たっぷりのカレーを、一緒に食べる時間が待ち遠しいですね。
とりあえずまだ続きます。
どこまで行けるふたりかわかりませんが、お付き合いいただければ幸いです。