いじめの首謀者は婚約者でした。
(……ここが、私の新しい学び舎)
レンガ造りの巨大なアーチ門が、オリヴィアの正面にそびえたっていた。
ガジャマダ大学の門は、いかなる学生も拒まない。
(私はここで、運命を変える。)
◇◇◇
「身分が低い方は芋臭くてかまいませんわ」
「あら、その教科書随分汚いですわね。誰にやられましたの?」
休み時間、オリヴィアの周りにはいつもの顔ぶれが集まっていた。
嘲笑まじりの視線が突き刺さる。
「捨てて差し上げましょうか。お父様に新しいのを買ってもらいなさい」
「あ……!」
取り巻きの一人がオリヴィアの手から教科書をひったくり、ゴミ箱へ投げ捨てた。
(まただ。どうして私ばかり。何も悪いことはしていないのに)
震える手でゴミ箱へ歩み寄ろうとした時、背後から凛とした声が響いた。
「いい加減にしろ。見苦しいぞ」
婚約者の公爵令息、ギルバートだった。彼は取り巻きたちを鋭く睨みつける。
「ギ、ギルバート様……」
「オリヴィアは私の婚約者だ。彼女を傷つけることは、私を侮辱することと同じだと知らないのか?」
蜘蛛の子を散らすように去っていく生徒たち。ギルバートは優しくオリヴィアの肩を抱き寄せた。
「大丈夫かい、オリヴィア。君を守れるのは俺だけだ。俺がいなければ、君はどこにも居場所がないんだよ」
「ありがとうございます、ギルバート様。いつも守っていただいて」
親の決めた結婚だった。だが、彼だけは味方であると信じていた。
◇◇◇
ある日の放課後。
(いけない、掃除をしていたらこんなに遅い時間になってしまった)
荒らされた机を元通りに磨き、教室中に散らかされた私物を集め、やっと帰ろうという時だった。
中庭を足早に歩いていると、右手の教室からあのよく通る声が聞こえた。
ギルバートの声だ。
別に盗み聞きをしようと思ったわけではない。が、自然と耳は注意深くなっていた。
「だからさ、あいつは俺を馬鹿みたいに信じている訳よ。親鳥を見る雛鳥のようにな」
「はっはっは、そいつは傑作だぜギルバート。お前も性格が悪いな」
(今、ギルバート様はなんと?)
教室に屯している人たちにバレないよう、静かに窓の下ににじりよる。
礼儀に欠けるのは百も承知で、オリヴィアは聞き耳を立てた。
「俺は悪くないさ。勝手に親があんな女との結婚を決めるのが悪い。古臭い田舎者なんかより、俺はもっと熱い女がよかったんだ。せめて俺の遊び道具くらいにはしてやらないと」
ギルバートは下卑た笑い声を響かせた。
思い返せば、いじめが激化するたびに、ギルバートは「君の味方は俺だけだ」と繰り返していた。
孤立させ、自分にすがる私の反応を楽しんでいたのだ。
(信じていたのに。私を地獄に突き落としていたのは、唯一の救いだと思っていた人だったんだ)
絶望が、ふつふつと熱い決意に変わる。
騙された私にも責任がある。それに、この閉鎖的な学校で争ったところで結果は見えている。
(この学校を出よう。ここに、私の味方はいない)
それからのオリヴィアは、影で血の滲むような努力を重ねた。
蔑みの視線を浴びながらも、休日は図書館にこもり、寝る間を惜しんで隣国の言語と高度な魔法理論を叩き込んだ。
そして数ヶ月後。彼女の手には、ガジャマダ大学への留学許可証が握られていた。
◇◇◇
「本当によく来たね、オリヴィア」
ガジャマダ大学の広大なキャンパス。門の脇に控えていた黒髪の青年が、ちぎれんばかりに手を振っていた。
裏表のない、人懐っこい笑顔である。
「アラン様……お久しゅうございます。留学にいらしていた時以来ですから、もう随分になりますね」
ガジャマダ王国、王太子アラン。彼はかつて、オリヴィアの通っていた学園に留学生として通っていたのだ。
彼の持つ異国の知識に、オリヴィアは一種の憧憬のようなものを抱いていた。
「ああ、久しぶり。まさかオリヴィアと再会できるなんて。凄く嬉しいよ」
「私も、またアラン様と意見交換するのが楽しみでございます」
ちょっと堅いね、とアランは苦笑いをした。
「随分貴方の国の学校では上下関係が厳格だったけど、ここでは身分なんて関係ない。僕もただのアランだ。勿論、人それぞれ事情はあるから、無理に敬語を崩さなくていい。好きなように呼んでくれよ」
(あの学校では儀礼の場のように苦しい身分社会だったのに、ここではそうでないのね。なんだか、とっても気楽)
「お気遣いありがとうございます。では......今はまだ、アラン様と」
「わかった。では僕もオリヴィア嬢と――」
「いえ!」
不思議そうに目を細めるアラン。
「私のことはアラン様の呼びやすいように呼んでください。その――身分差を感じさせてしまうのは、私の癖ですので」
他国の地の慣習を持ち込んでいるのは自分の方なのである。アランにまで無理強いをするわけにはいかなかった。
アランは事情を察したように小さく頷いた。
「では、オリヴィア」
右手を差し出す。確か、握手という挨拶の作法だ。
オリヴィアは彼の手を取った。
「改めて、ようこそガジャマダ学園へ」
◇◇◇
案内された学生寮は、活気に満ちていた。
歴史を感じさせるレンガ造りながらも、古くからの学生の呼吸が、ここには息づいている。
「あ! あなたが噂の留学生? 私はカレン、よろしくね! 専攻は?」
「僕はエリック。わからないことがあったら何でも聞いて。この国の数学はちょっと特殊だからさ」
(みんな、私の家柄なんて一度も聞いてこない。私が「何ができるか」だけを見てくれている)
授業は想像以上に厳しかった。
最先端の理論、飛び交う議論。オリヴィアは必死についていった。
「……ここの式変形、こうすればもっと効率的かもしれない」
「お、オリヴィア! 天才かよ、それ! 教授に報告しに行こうぜ!」
寮の仲間たちと夜遅くまで図面を広げ、コーヒーを片手に議論を交わす。
初めて知る、自らの足で立つ喜び。
しかし、そんな充実した日々を切り裂くように、一通の手紙が届いた。
真っ赤な封蝋。それは、母国の学園からの「対抗戦」の招待状だった。
『親愛なるオリヴィアへ。君が異国の地で男たちに誑かされていると聞いて、胸が痛むよ。俺の方が君にふさわしいことを証明しよう。対抗戦で俺たちが勝てば、君は大人しく帰国して俺の妻になるんだ』
手紙を握りしめるオリヴィアの手が震える。
(どこまで傲慢なの、あの人は。私を自分の所有物だとしか思っていない)
「オリヴィア、行かなくていい」
アランが横から手紙を覗き込み、表情を硬くした。
「僕たちの代表メンバーは最強だ。貴方を出さなくても、あんな奴らには負けない。貴方はここで守られているだけでいいんだ」
「……守られているだけでいい?」
オリヴィアは、アランの顔をじっと見つめた。
「アラン様、今の言葉、かつてのギルバート様と同じです」
「えっ……。申し訳ない、そんなつもりじゃ」
「わかっています。あなたは私を心配してくれている。でも、私は気づいたんです。守られて逃げているうちは、何も変わらないのだと」
オリヴィアはカバンを手に取り、出口へと歩き出した。
(もう、あの頃の私じゃない。学んだ知識も、出会った仲間も、全部私の力だもの)
「行ってきます。私のケリは、私自身でつけてきます」
振り返った彼女の瞳には、かつての怯えは微塵もなかった。
母国の土を踏んだオリヴィアを待っていたのは、以前と変わらぬ、淀んだ空気の学園だった。
「お帰り、オリヴィア。やはりあんな野蛮な国では、君のような弱い令嬢は生きていけなかっただろう?」
校門の前で待ち構えていたギルバートが、勝ち誇った笑みを浮かべる。周囲にはかつての取り巻きたちも集まり、冷ややかな視線を送ってきた。
「さあ、俺の足元に跪いて許しを請え。そうすれば、また『保護』してやってもいい」
(相変わらずね。この人は、相手を支配することでしか自分を保てないんだわ)
オリヴィアは怯まなかった。むしろ、哀れみすら含んだ瞳で彼を見つめる。
「ギルバート様、勘違いしないでください。私は逃げてきたのではありません。本気でこの学園を変えにきたのです」
「……何だと?」
オリヴィアは懐から、国王の印章が押された一通の書状を取り出した。
「私はガジャマダ大学での成績を認められ、国王陛下より学園改革の全権を委任されました。今日からこの学園の統治システムを根底から作り直します」
「は、ハッタリを言うな! たかが女の留学生に、そんな権限があるはずが――」
「陛下は、貴方たちが私の留学中にどれほど不当な圧力をかけ、国益を損なおうとしたかをご存知ですよ。……では、改革を始めましょう」
◇◇◇
オリヴィアの動きは電光石火だった。
彼女はガジャマダ大学で学んだガバナンスを、この閉鎖的な学園に持ち込んだ。
「まずはこちら。全生徒、全職員対象の『匿名アンケート』です。誰が、いつ、どこで、誰を傷つけたか。すべてを集約します」
「そんなもの、書く奴などいない!」
「いいえ。投書内容は、私が提携した『外部の監視委員会』に直接届きます。間違っても漏れる心配はありませんので、ご安心を」
オリヴィアはさらに、専門のカウンセラーを配置し、被害者が即座に声を上げられる報告システムを構築した。さらに、当事者でなくとも相談可能である、というガイドラインを周知した。
匿名の報告件数は右肩上がりに増加し、当人ではない傍観者の立場からも多く寄せられた。
(守られるのを待つんじゃない。誰もが自分を、大切な人を守れる仕組みを作るの。それが、本当の自由への第一歩よ)
数週間のうちに、ギルバートたちが隠蔽してきた悪事の証拠が山のように積み上がった。
不正な成績操作、談合、そして卑劣な集団いじめ。
「バカな……俺は公爵家の跡取りだぞ! こんな紙切れ一枚で……!」
「ご自分がなさったことの報いです。冤罪だとおっしゃるなら、専用の窓口を設置しております。そちらからご自分でお問い合わせくださいませ」
オリヴィアが突きつけたのは、国王による「放校処分」の命令下達だった。
ギルバート、そして彼に加担した生徒たちは、その日のうちに学園を追われた。
特に首謀者であると密告されたギルバートは、廃嫡のうえ辺境に追放という罰が下った。
後ろ盾を失った彼らの実家も、次々と没落の道を辿ることになった。
◇◇◇
嵐が去った後の学園は、見違えるような活気に満ちていた。
オリヴィアは自室から、隣国の友人アランへ連絡を取る。
「アラン様、準備が整いました。今度は本当の意味での『平和的な交流戦』をしませんか?」
『ああ、楽しみだ……しかし驚いたよ、オリヴィア。実は貴方が帰国した後、僕たちも奪還計画を練っていたんだ。エリックなんか、重武装兵を率いて攻め上るなんて言ってね』
エリックがそんなに血の気が多いなんて知らなかった。友人の意外な一面に、オリヴィアは思わず噴き出した。
『流石にそれじゃあ国際問題になるから、オリヴィアに迷惑だろう? 貴方なら自分の力で成し遂げる。そんな確信があったから、水を差すんじゃなく、信じて待とう、そうまとまったよ』
こんなに早いのは流石にびっくりしたけどね、と通信の向こうで感服したように笑うのがわかった。
『オリヴィアは本当に凄いよ。ガジャマダ大学の誇りだ』
「ふふ、お褒めに預かれて光栄です」
手放しの賞賛が心地よい。裏表のない彼だからこそ、オリヴィアは安心してそれを享受することができた。
対抗戦は半年後。
諸々の調整も併せてもうひと踏ん張り。オリヴィアは決意を新たにした。
◇◇◇
半年後。
学園のメインスタジアムには、色とりどりの旗が翻っていた。
母国の生徒たちと、ガジャマダ大学の学生たちが、笑顔で握手を交わしている。
「いい試合になりそうですね」
運営委員専用のボックス席。オリヴィアの隣には、アランが座っている。
「ああ。君が作ったこの制度のおかげで、みんな純粋に競技を楽しめている。……さて、次はどちらが勝つかな?」
「どちらが勝っても、私は満足です。だってここはもう、誰もが自分らしくいられる場所なんですから」
青空の下、歓声が響き渡る。
「だから、純粋に楽しみましょう......アラン」
そう言ってぷいと顔を背けるオリヴィア。
耳まで真っ赤に染まったアランの顔は、運よく見られずに済んだ。
お読みくださりありがとうございました。
ブックマーク、リアクション、感想、☆☆☆☆☆評価、とても励みになります。
がんばれアラン。
※追記 誤字報告ありがとうございます。




