第一話 桜の季節
第一話 桜の季節
小鳥さえずる早朝。道路を通るのは会社へ向かうサラリーマンや小学生たち。元気な声が空に響く。
「飛鳥。早くしないと入学式遅れるからね。」
久留生飛鳥は急いで制服に着替えた。布同士が擦れる音が聞こえる。彼女は今日から高校生になる。
憧れの高校である舞ヶ丘女子高等学校の制服を着た感想を一言。
「中学のセーラー服とほとんど変わらないんだけど。」
飛鳥は鏡の前で両手を広げた。彼女が通っていた舞ヶ丘東中学校も同じセーラー服。線の入り方が違うだけ。このまま六年間もセーラー服を着ることになりました。採寸したときにわかってたけど。
飛鳥は鞄を持って階段を下りる。居間を見れば兄がご飯を食べていた。三歳年上の兄。のほほんとしていられるのは大学生ゆえか。
飛鳥が外に出ると母親が車で待っていた。家から学校までは自転車で二十分ぐらいだろうか。今日は車で連れてってもらう。
車で行ったからといって何処に車を置くかを考えなければならない。敷地内に置くわけも無く、知人の家に停めてもらった。知り合いや友達は重要。
「良かったわ。私も高校は舞ヶ丘女子高だからね。娘が同じ高校に行くなんてうれしいわ。」
飛鳥が通う高校は女子高である。なぜか私の住む栃木県には男女別の高校が多い。特に進学校になればなるほどその違いは分かりやすいのだ。この舞ヶ丘女子高も同じ。一キロぐらい離れた丘に舞ヶ丘高校がある。そちらは男子ばかりの男子校である。ちなみに舞ヶ丘高校が舞高で舞ヶ丘女子高が舞女である。これは中学校のころから先生にも通じる呼び名だ。
飛鳥は車から校門までの道を母と歩いた。桜の木が敷地内に沢山ある。彼女が校門を入ったとき、一際大きな桜の木が見えた。これまで二度学校に来たものの、桜の木をしっかり見るのは今日が初めてである。
「大きな桜の木ね。ちょっと見てくる。」
「ちょっと待って。」
母親は腕時計で時間を確認している。
「五分くらいね。そしたら戻ってくるのよ。」
飛鳥は母親に頷くと大きな桜の木に向かった。
飛鳥は桜の木は近づくほど大きさを実感し、何年もこの場所でこの学校を見ていたのだろうと思った。そんな学校に彼女も今日入学するのだ。ふと、周りを見れば何人か同じ桜の木を見ている人たちが居た。みんな新入生だろう。しかし、声をかけづらい。それに声をかけてくる人間は居ない。そうこうしているうちに五分が経ってしまった。彼女は急いで母親のところに戻る。
「どうだった。私も高校に居た時はあの桜をよく見たわ。」
飛鳥は昇降口で別れると上履き履き替えて自分のクラスに入った。ちなみに彼女のクラスは四組だ。彼女が教室内に入ると何人かはこちらを向き、その中の二、三人が挨拶に来た。一人は中学が一緒のよく知らない子。他の二人は知らない。本当に知らないのだから仕方ない。しかし、その中の一人は違った。
「あなた。さっき桜の木を見てた人でしょ。私も見てたんだよね。なんだ、同じクラスかぁ。」
飛鳥は突然話しかけられ、彼女の言葉をうまく理解できなかった。
「あなた誰な……。」
「ああ、私は海老原紗綾。よろしく。」
紗綾は飛鳥と握手する。力が入っているためか腕が波打った。関節が伸びる感じがしてちょっと痛い。
紗綾の髪は短くてセーラー服を着ていなければ男女どちらなのかすぐには答えられないと思う。ボーイッシュとはこういう人を指すのだと思った。
「はいはい、やめましょうね。」
そんな紗綾を優しく止める人。飛鳥に近づいてきたもう一人。その子は飛鳥と紗綾の手を離れさせた。
「ごめんなさいね。紗綾ったら力の加減を知らないから。」
すかさず紗綾が反応しているが、その子は無視して続けた。
「私は阿久津遥です。よろしくお願いします。」
遙は飛鳥に丁寧にお辞儀をした。
「あ、久留生飛鳥です。よろしく。」
飛鳥は反射的にお辞儀をしていた。遥はいいところのお嬢様なのだろうか。遙が顔を上げるとともにバスガイドのように紗綾を指した。
「こんな紗綾の友達です。」
「こんなって何。こんなって。」
紗綾は我慢できず遥につっこむ。遙も嫌々言いつつ楽しそうだ。仲が良さそうだ。
「私も紗綾と一緒に桜を見ていたんですよ。その時紗綾が……えっと久留生さんを見つけて。一緒に桜を見ていた人が同じクラスに揃うなんて凄いですね。」
「久留生じゃなくて飛鳥って呼んでよ。」
紗綾を見れば諦めて飛鳥を見つつ、遥の肩を軽く叩いた。
「これも何かの縁。三人仲良くしていこうよ。だって、ここは女子だけなんだからさ。」
飛鳥は改めて教室を見回す。教室にいるのは女子だけ。女子高なので当たり前だ。
「そうね。入学式前にクラスの人と喋ることが出来て良かったわ。」
飛鳥は二人から離れると割り当てられた席に座った。天井に大きく息を吹きかける。クラスの一部の人と仲良くなれたが、あくまで一部である。まだ周りに居る生徒の名前は知らない。故に居心地は良くない。目に見えぬ緊張感が教室の中に広がっている。クラス全員の自己紹介が済めばもっと居心地が良くなるだろう。お互いを知ることは大切だ。準備期間に担当した先生もクラス担任にはならないだろう。全部入学式からなのだ。
ほとんど空のカバンを教室後方の棚に入れたとき、準備担当の先生が来た。見た目おば様。幾多のクラスを持ってきたと見える。
「これから入学式です。出席番号順に並んでついてきてください。」
飛鳥たちは体育館へと向かう。体育館に向かうセーラー服の集団。みんな少々大きめに制服を作っているためかぴったりでは無い。
教室がある棟を抜けて体育館へ。すこしずつ聞こえてくる音楽。前後での他愛の無い会話。紗綾と遥は番号が離れているので気軽に話すことはできない。飛鳥は周りに話せる人が居ない状況に緊張して黙ってしまった。こういう式というものはなれることは無い。特に式の主役となれば何回もするものじゃないからだ。
新入生の黒い線が体育館へと吸い込まれ、式場に並べられた椅子へと学生が格納されていく。入り口近くにある立て看板には「栃木県立舞ヶ丘女子高等学校入学式」と書いてある。
入学式とは面白く無いものだ。遊ぶわけでもなく、ただ偉い人や在校生の言葉をじっと聞くのである。気になることといえば式の途中で紹介される担当する先生たちである。先生のなかには若い男性教師も居た。式が終われば退場する。そういうものである。
教室に戻ってクラスの人間が席についてしばらくすると、先程見た先生の一人がクラスに入ってきた。さっきよりはもう少し若い女教師。入ってくると、何時か見た光景をふたたび見る。
「はい、これから一年間このクラスを担当することになった佐藤栄子と言います。」
佐藤先生は自分の名前を黒板に書いていく。
「それじゃあ、これからよろしくね。ちなみに私は舞女の卒業生です。後輩を受け持つことが出来てうれしいですよ。」
それから少々先生への質問タイム。結婚してるかだとか。してないなら彼氏居ますかとか。その辺りから始まって最終的に一般的な質問へと流れていく。
「それじゃあ、みんなも自己紹介しましょう。出席番号順に名前、出身校とあと趣味等を言ってください。」
その後は生徒の中で出席番号順に自己紹介を始める。最初に立ったのは入学式前に遥だった。「あ」から始まるので一番らしい。佐藤先生は「みんなのほうを向くように。」と言っている。
「あっ、あの。阿久津遥って言います。出身は舞ヶ丘中学校です。趣味は……。」
そこで無音の一瞬。再度遥は口を開いた。
「お料理とガーデニングです。よろしくお願いします。」
最初の自己紹介をこなした遥はかなり緊張しているようだった。椅子に座って安堵の表情だ。
その後も二、三人の自己紹介を終えて紗綾の番になった。
「舞ヶ丘中学から来ました海老原紗綾です。女の子ばかりなので新鮮です。あとは走るのが好きです。よろしく。」
元気の良さが目立つ紗綾。言うべき事を言ってさっさと席に着いてしまった。
番号順に順番に自己紹介をしていく。そして飛鳥の番となった。
「舞ヶ丘東中学校から来ました久留生飛鳥です。趣味は、映画見たり読書したりです。よろしくお願いします。以上です。」
飛鳥はお辞儀をするとすぐに椅子に座った。飛鳥自身なんとも普通な自己紹介だと思った。もうちょっと変わった事を言えば良かったかもしれない。そんな事を考えている間も他の人が緊張しながら自己紹介をしている。
それにしても女子高だけに教室には女子だけだ。紺のセーラー服の集団。なんというか当たり前だけど男子が居ない。飛鳥にとってこんな状況はこれまで無かった。故に女子高という世界に入った飛鳥は今後どうなるかと心配になった。
飛鳥は頭の中を漂う諸問題をかき消して、これから始まる新しい高校生活を考えた。
「はい、みなさん自己紹介が済みましたね。それじゃあ、今日は決め事が色々あるので早く終わらせちゃいましょう。」
佐藤先生が黒板に書いたのは「学級委員」の文字。そこから始めるらしい。
飛鳥は窓の外を見た。校庭の端にある桜の木が見える。
これから飛鳥たちの高校生活が始まる。まだわからない事ばかりだけど、初日から友達が出来た。一日でも早くこの学校に慣れようと思う。どんな高校生活になるのか楽しみだ。
「久留生さん。ちゃんと話し合いに参加してください。」
兎にも角にも授業は真面目に受けようと思う。