漆黒のいし
ラーレンスと二人で謁見の間の控え室に通された。皇宮にしては小ぢんまりとした部屋で、必要最低限の物しか置かれていない。
公爵邸より遥かにお金と歴史の匂いを感じることができる。誰かの自尊心を満たしそうな豪華絢爛な家具。公爵家でも手に入れられない宝物。
私は陛下の前で取り乱さないように深呼吸をする。何も考えないように、頭を空っぽにする。
それを察してなのか、ラーレンスは話しかけてくることはなかった。腕を組み、壁に凭れてただじっと呼ばれるのを待っている。
衛兵が控え室の扉を開けた。
「殿下、アルメリア様。謁見の間へお越しください」
無機質な声を聞いて、ラーレンスは壁から離れこちらを見る。私もラーレンスを見てただ笑顔を見せた。
「あぁ。さ、行こう。アルメリア」
「はい」
重い腰を上げ椅子から立ち上がる。
***
謁見の間に通された私は、玉座に腰掛ける陛下に首を垂れて挨拶をする。ラーレンスも形として頭を下げ、私の一歩後ろに立っている。
呼ばれたのが私だとわかっているのだろう。
「よく来てくれたな、アルメリアよ。頭をあげたまえ」
玉座に座る陛下はラーレンスの父親らしく、白髪で海のような青い眼をしている。生やした髭を触りながら、威厳と年の功が伺える声で、陛下は私との久しぶりの再会を喜んだ。
私は精神的なストレスからくる吐き気と冷や汗が止まらない。
「いえ、皇帝のご配慮に常々感謝しております。顔を見せることができて感無量です」
陛下をいざ前にすると、喉が閉まり吐き気が込み上げてくる。この空間がダメなのか、それとも陛下という偉大な存在に怖気付いているだけなのか。
ドクンドクンと体全体が脈打つ音が耳に聞こえてくる。
「そうだなぁ、見ない間に大きくなって。オルベキアが帰れなくて嘆くことがあったな」
陛下の側にいるのは見たことのない、屈強な男性ばかり。ラーレンスよりも大きく、お父様よりは小さいけど、額にある傷を見れば戦場を生き抜いてきたことが伺える。
お父様は別の任務があるのだろうか。常に陛下の側にいるものだと思っていたが、なにか離れなければいけないほど大きな問題でも発生したのだろうか。何もないといいのだけれど。眉が自然と下がり、視線も下へと移る。
「オルベキアはいま、書庫の方にいる。私の首を狙うやつについて調べているのだ」
「そうでしたか、父がお役に立てているようで何よりです」
お父様が傷つかなければ、なんでもいい。
「父を想うのは当然。会わせてやれなくてすまないな」
「いえ、仕事の邪魔をするつもりはありませんので」
「ははっ、そうか。では、オルベキアに時間を作らせよう」
「結構です。父の時間を奪うわけにはいきません。会える時に会いますので」
早くここから出たい。
冷や汗がこめかみから顎へと流れる。その汗がネックレスの紅い宝石に落ちる。
誰も気づかぬうちに、その汗は宝石に吸い込まれ紅い宝石が禍々しい黒色の宝石へと変色した。
「…………」
陛下は口を閉ざして、顎髭に手を当てる。
「ラーレンスの下で自由に過ごすといい」
陛下はにっこりと笑ってそう言った。
ラーレンスの下で、というのはラーレンスの監視下で動けということ。立場もラーレンスの部下、と言った方がいいのだろう。
それでもここから離れられるならなんでもいい。
「感謝いたします」
「もうよろしいでしょうか、陛下」
後ろで黙って見ていたラーレンスが発言し、私の隣に立った。
「あぁ、もう下がってよいぞ。窮屈な思いをすることがあるだろうが、ゆっくりとしていくといい」
多分、陛下に気を遣わせてしまった。自分なりに上手く対応したつもりだったのに。ラーレンスが私の手を取って謁見の間を後にした。
「庭園に行こう。そしたらゆっくり息を吸おう」
***
「…………」
アルメリアは庭園の隅で、膝を抱えて蹲る。
風が草を遠くまで飛ばそうと強く吹くが、アルメリアは石像のようにそこに鎮座していた。
ラーレンスはそれを見て慌てることなく、いつものようにアルメリアの隣に座る。
「もう平気か?」
「もとから大丈夫だから」
眉間に皺を寄せたアルメリアはそう呟く。
「そう?俺にはきつそうに見えたけど」
「きついのかな、きついのかもね。自分でもわからない」
顔も髪型も気にすることなく膝に顔を埋めなおす。
「ゆっくり慣れればいいよ。いつまでもいていいし」
「できることなら早くここから出たい。帰りたい」
「……アルメリアが帰るとは思えないけど、一応帰る?」
「帰らない。変わらなきゃいけないの」
ラーレンス少し眼を開いて驚いた表情をしてから、ふっと力が抜けたように柔らかく笑う。
「そうだな。アルメリアは変わろうとしてるもんな」
ラーレンスはアルメリアの頭を髪の毛の流れに沿って撫でる。
「ゆっくりして、本番に備えようか」
「うん」
本当は令嬢が皇子宮に寝泊まりするなんて許されないだろう。
「部屋で休む?それともまた庭園に行こうか」
「いえ、ここにいます」
どうしても皇宮に入るだけで全身が波打つように血が巡り、呼吸が浅くなり意識が遠のいていくのだ。この煌びやかで壮大な部屋がどうにも私をここから出させない檻のように見えてしまう。
城が怖い。
一生出ることができない、囚われの身として城で死んだ私は城が怖いのだ。自分で選んだ道が間違っていたとも、誰かが悪いとも思わない。
「トラウマなんだ」
「トラウマ?」
「昔、私はここで死んだ」
「ここで?アルメリアは今生きてるじゃないか」
ラーレンスが青い目をぱちくりさせている。私もハッとしてラーレンスの方を見る。
ここで?いや、ここは国が違うじゃない。エルディナス王国とフィードルド帝国って名前が違うし、城の形も場所も全く違う。
私の前世の時の人物は誰一人としていないんだから、こんなに怯えることはないじゃない。この宮殿だって一度入ったら出られないわけじゃない。
「そうね。勘違いだったわ」
殿下に縛られることもないし、家族のことで苦痛を感じることもない。
「どんな勘違いだ。変な夢でも見たんじゃないか?」
「そうだね。悪い夢でも見たみたい」
さわさわと風がアルメリアを撫でる。
「皇子宮に戻らなくていいの?」
「構わない。執務は溜まっていくが、すぐに片付くさ」
「そう?皇子としてするべきことがあるんじゃないの?」
「どうした。急に治ったとでもいうのか?」
「治ったから早くいきましょう」
「そんなに急に治るわけ……」
顔を顰めながらラーレンスはそう言ったが、アルメリアはにこりと笑ってくるりと体を翻した。
「それを確かめないといけないでしょ」
アルメリアの胸元で黒くなったネックレスが、ゆらゆらと振り子のように揺れている。