舞台へ
私はフェイとしてエルディナス王国の辺境にある村に生まれた。
のどかな村で、なにもない村だった。広大な土地に反して村は少ない村人たちで構成され、ほとんどが農業で生活をしていた。
ゆるやかに流れる川のせせらぎ、柔らかく微笑むような葉擦れの音。すべてが美しくて、穏やかで、私はとてつもない平穏を感じていた。
「姉さん!こっち!」
妹のサラが木の上に座って手を振っている。
薄桃色の髪に、緑の瞳。両親とも、私とも似ていないサラは今にも消えてしまいそうなほど儚く、村では妖精のようだと言われていた。
「サラ!危ないじゃない!」
「危なくなんかないよ!ほら、姉さんも登ってみて!」
足をゆらゆらと動かし、楽しそうに笑っているサラが大切だった。純粋で真っすぐで、穢れも知るサラを曲げてはいけないと、両親が壊れてから決めていた。
「もう、わかったよ」
悪い運動神経を発揮しないようにと神経を研ぎ澄まして足を木にかける。いそいそと昇る私に、手を伸ばすサラ。綺麗な手を取り、引っ張られてやっとサラの隣に座ることができた。
少しだけ、いやかなり息切れしながらも登り切った私は、隣のサラを見てから私もサラの見ている方を向く。
「これが見せたかったもの?」
「うん」
オレンジ色の光が草原を染めている。宙を舞う塵が夕陽に照らされて、キラキラと輝いて見える。どこまでも続くその光景は壮大で、いつまでも見続けていたいと思った。
「綺麗でしょ!ここで見る夕陽は素晴らしいけど、姉さんと見るともっときれい!」
「そうだね、綺麗。……生まれてきてくれてありがとう」
ささやかな幸せを感じられる時間。
ぎゅっと抱き着いてくるサラ。
「姉さん大袈裟!私だって姉さんがお姉ちゃんでよかった!」
「ありがとう。さ、降りよう」
サラがするすると器用に降りていく。
日が暮れたら夜になる。
夜になったらお母さんは街に出てサラの学費を稼ぐために働きに行く。お父さんも朝早くに仕事に行くから、日が暮れてすぐに寝てしまう。仲睦まじかった両親はそうやってすれ違っていき、限界まできていた。
「あっ」
足を掛け違えて背中から地面に落ちる。
「姉さん!!」
お尻と手を着いて受け身を取ったつもりだった。
サラが駆け寄って、眉を下げながら覗き込む。心の底からの心配が透けて見える。
「大丈夫!?」
「大丈夫よ。木から落ちただけ」
「手!擦りむいてるじゃない!見せて!」
強くそう言われたが、サラが何をしようかわかるので手を差し出さなかった。
「いいよ、時間が経てばこれくらい治るから。さ、日が沈むから家に帰ろう」
「だめ!見せて!じゃないと帰らないから!」
サラがむっとしながら手を出すように、手を伸ばしてきた。
私も負けじとサラの視線に耐え続けた。
「……」
「ん!」
眉を顰めるサラ。そしてここから動かんとする気概。
「わかったよ……」
サラに負けて手を伸ばす。
「よろしい!姉さんは死ぬこと以外は掠り傷だと思ってるところがあるからね」
サラが握る私の手が光り出す。
夕焼けの光景とは違う、白くて眩しくて心のこもった暖かな光。みるみるうちに擦りむいていた馬車が元通りになっていく。
サラはこの世界で数少ない聖女だ。魔物がいた時代に聖女はその魔物を鎮める存在として活躍していた。今となっては魔物も絶滅し、その力は人の傷を治すことに使われるようになった。
その力の扱い方を巡って両親と村で意見が分かれ、両親は村八分になってしまった。村で働くことができなくなり、かろうじてお父さんが持っていた土地で農業をできた。
綺麗だから大切にしていたわけじゃない、力の恩恵を受けたいから側にいたわけじゃない。
「はい!終わり!」
「ありがとう」
ただ、名も無き少女のようになって欲しくないだけだった。
「さ、帰ろう!」
視界が白い光に包まれる。
リリーがカーテンを勢いよく開ける。
「おはよーございます!お嬢さま!」
「おはよう」
懐かしい夢。
カティスがこの家に来てから五年。最近になってから前世の夢を見ることが増えた。それもサラに関することばかり。
むくりと体を起こすと、暖かい日差しがカーテンの隙間から差し込んでいた。まだ夢の中にいるような感覚だが、地面に足をつけて寝台から立ち上がる。
「ぐっすりでしたね」
「昨日もいっぱい体を動かしたから」
体を伸ばして寝台から立ち上がり、よぼよぼと歩いて一人掛けの椅子に座る。リリーは流れるように櫛を手に取り、私のブロンドの髪を手で掬う。
「カティス様と遊んだと聞きましたよ。まぁ、今は風邪気味とか」
リリーは私の髪を楽しそうに梳かしながら、明るい声でそう言った。
「子どもっていつでも元気よね。ずっと走り回っても疲れ知らずって感じ」
「子どもはみんなあんなものですよ。アルメリア様がちょっと年寄りって感じで……」
私はバッと立ち上がり、リリーのこめかみに拳骨をねじ込ませる。ぐりぐりとまわすたびにリリーの顔は歪んでいく。
リリーは涙目になりながら私の手首を掴み、こめかみから離そうとする。
「さ!今日は久しぶりの皇宮なんですからはやく準備しましょうよ!」
そう言われて私はリリーのこめかみから拳を離した。
今日は二度目の皇宮。デビュタントに備えて皇宮に慣れておこうと先日殿下に自分で願い出たのだ。そしたら皇帝がしばらく滞在するといい、と言ってくださったので数日滞在することになったのだ。随分と信用されてしまっているようで思ったより警戒しなくてもいいのでは、と肩透かしを食らった気分になる。
胸が締め付けられる気分は変わらない。胸に手をあてて深呼吸をする。
「おねーさま!!おはよう!」
息を吐こうとした瞬間、ドタバタと私の元にカティスが駆け寄ってきた。
「おはよう、カティス」
抱き着いてくるカティスの頭を撫でながら、サラのような純粋な瞳を見つめる。
「あれ、ごはん食べないの?」
カティスは私が朝食も食べないで正装でいることに違和感を覚えたのだろう。いつもは寝巻のまま自室で朝食をとるが、今日は皇都にある宮殿に行かなければいけないので時間がないのだ。
「えぇ、今日は皇宮に行かないといけないから時間が無いの」
「僕も行きたい!」
カティスの潤む薄緑の瞳が、ブロンドの前髪から覗く。
「だめよ。許可されていない人は入れないの」
「えーなんでー?」
決まりだからと言って素直に聞けるものだは無いだろう。
「わかった。帰ってきたら私と遊びましょう?それじゃあ駄目?」
「うん。わかった。じゃあさ、これつけていってほしいな」
カティスはポケットを漁り、小さな掌にジャラっと音を立てる装飾品が乗せられていた。私はカティスからそれを受け取り、持ち上げる。
紅い宝石が嵌められたネックレスを首にかける。宝石は小ぶりだが、今日のドレスのアクセントとしてとても似合う。
「ありがとう、カティス」
カティスから貰う初めての物。身につけないわけにはいかないだろう。
それで納得してくれたのか、カティスはスキップをしながら戻っていった。リリーと目を合わせて眉を下げて笑い合った。
皇宮には数日滞在することになっているので、生活に必要な物を詰め込んだ馬車と二台で皇都に向かう。
馬車に乗り込むとカティスの元気な声が聞こえてきて、開いた扉から私は顔を見せる。
「きをつけてねー!」
「カティスもいい子にしていてね!」
大きく手を振るカティスに、小さく手を振り返した。
聞こえているかわからないが、笑顔で見送ってくれたので大丈夫だろう。
カティスは走り出す馬車を見つめる。
その顔に笑顔はなく、ただ何も考えていないような、操り人形のような表情だ。
「僕も皇宮に行く。連れて行って」
薄緑の瞳は宝石のように輝き、瞳が動くたびに残像のように靄がかかって見えた。その目が従者を捉えると従者の目は次第に虚ろになっていき、顔の力が抜けきった表情になった。
後ろで控えていた従者は意を唱えることなく、カティスに言われるがまま返事をした。
「あ……はい」