新月が三日月へ
私の手を取るラーレンスの手は、さっきとは違って暖かかった。きゅっと少しだけ強く握れば、ラーレンスは応えるようにそれ以上の力で優しく握り返してきた。
「アルメリアはやっぱり綺麗だね」
透き通る風のような声でそう囁く。彼の声は強い風ではないが、ふわっと体を乗せられてしまいそうな声色だ。そこら辺の令嬢なら薔薇のように真っ赤に顔を染めただろう。
「ありがとうございます」
青色の瞳が細まり、形の整った唇が弧を描く。
そうして互いに手を取り、一呼吸置けばそれが合図のようにダンスが始まった。
「くっ……」
ラーレンスが静かに悲痛な声を上げる。
「ごめんなさい」
ラーレンスが顔を歪ませる度に私は彼から目を逸らしながら謝罪する。
チラッとラーレンスを見れば、なんでもない顔をするラーレンス。こめかみに冷や汗を滲ませながら、痛みを隠そうと必死に遠くを眺めていた。その目はまるで心ここにあらずと言った感じで色がない。
彼をそんな風にさせているのは、ステップを踏むたびに彼の足を踏んでしまう私だ。
「……緊張してる?」
細々とした声でそう聞かれ、私は顔が熱くなった。
「はい……」
実を言うと踊りは苦手だ。
アルメリア以前から運動神経が悪かった。フェイの頃は庭師として王宮で働いていたが、木登りなんてできなかったし、投げられた果実や機材を受け取るなんてこともできなかった。走るのだけは得意だったが、走り方を笑われたことは何度かあったのでおかしいのだろう。
踊りもどれだけ特訓しても相手の足を踏まずに踊りきることなんてできたためしがない。
「殿下、もう終わりましょう。帝国の太陽を傷つけてしまうのは心苦しいです」
「では、この手を振りほどけばいい。でしょ?」
お父様の前でできないと分かっているのに、そんな風に言うなんて所詮は傲慢な皇子なのね。
「そんな目で見ないで。俺は別に踏まれてもいいからアルメリアと踊りたいだけなんだ、ごめんね」
「なら最初からそう仰ってください。最善を尽くしますので」
踏むたびに心を込めて謝っていたが、だんだんと私が涙目になってしまいラーレンスが折れる形でダンスは終わった。
踊り終えた時、ラーレンスは異常なまでに汗をかいていた。
両親はそれを見て顔を合わせ、二人して私をにんまりとした顔で見た。いたずらを好む子どものような顔でこちらに近づいてくる。
「殿下、着替えをされた方がよろしいかと……」
「えぇ、うちの別館でゆっくりされた方がよろしいかと」
まるで私が殿下をここに引き留めるためにわざと足を踏んだと言われているようで、私は塵のように消えてしまいたくなった。
「では夜も耽ってきましたのでお言葉に甘えさせていただきます」
「じゃあアルメリア、殿下をご案内しなさいな」
語尾に嬉しさを隠し切れないお母様の言葉通りに、私はそのまま別館を案内することになった。
「別館に泊まるのは初めてだな」
「あぁ、たしかに」
ラーレンスは幾度となく公爵邸に訪れてきたが、一度たりとも泊まることはなかった。
「そいえばなぜこちらに?帰られたと思っていたのですが、わざわざ引き返したのですか?」
「えっと……アルメリアの喜ぶ顔を見たかったから……。オルベキア殿が見られて俺が見れないのはなんだか、その、納得がいかなくて」
「……私ってそんなに顔動かない?」
自分の顔を触って確認する。喋れば口は動くし、目を細めたり笑ったりしてきたつもりだ。
「そういうわけじゃないよ。なんだろう、よくわからない……」
ラーレンスは顎に手を当てて長考する。
「家族の団欒を邪魔するつもりはなかったんだけど、少しだけ見たくて」
「堅物で仏頂面の私が喜ぶところを?」
「殿下、それはきっと嫉妬ですよ~!」
後ろから意気揚々とリリーが現れた。心なしか足取りが軽く見える。
「リリー……。とんでもなく不敬ね」
「殿下はお優しいですから、私の粗相は許して下さります!きっと、ね!」
バッとリリーがラーレンスに顔を向けると、次第にリリーの顔が青ざめていく。
「え、私、処されますか?」
ラーレンスの表情が、眉を上げずに目を見開いていたからだ。
「嫉妬?誰に?」
「えっと、旦那様に……?」
リリーは少し首を傾げて言う。私はリリーとラーレンスを交互に見た。
徐々にラーレンスの顔が紅く染まっていく。
「殿下?お熱ですか?きっとそうですよね」
リリーの声に感情が籠らなくなってきた。
リリーは狼狽えながら、なぜか私に同意を求めた。
「ああ!風邪だ!移さないためにもここまでで構わない!おやすみ!!」
足の回転が速いのか、風の如くラーレンスは別館の方へと走っていった。
場所知っているんだ、と思った。
「私、明日、処刑?」
「さぁ?」
「うええええん!アルメリア様ぁ!!お慈悲を!!」
「命乞いはラーレンスにして。私はしらないわ」
リリーは私に抱きつきながら耳元で泣き叫ぶ。
私はリリーを宥めながら、一回り以上歳が上の侍女を引きずって部屋に戻った。リリーは歩く気がないようで足元でズリズリと音が鳴っていた。
****
リリーは月光を遮るようにカーテンを閉める。
私は寝台に寝転んで寝ようとしていた。
「うぅ、では私の命が明日ありますようにと願いながらお眠りください」
「いやよ。悪い夢を見そうで怖いわ」
まだメソメソしているリリーは私を揶揄うようにそう言った。本当はラーレンスに罰せられるなんて微塵も思ってないだろう。
大人五人が寝転んでも余るほど大きな寝台で寝返りを打つ。
ふと、視界に入った型崩れしないように綺麗にかけられたラーレンスの外套。
「あ、そうだ。ラーレンスにあの外套を返しに行っきてよ」
「それは私の仕事ではありません」
「あなたねぇ……」
ラーレンスがむやみに人を罰したりしないことを分かっているのに、私を揶揄うための芝居ばっかり。仕返ししてやらないと気が済まないわ。
「ふん、私に訴えられても知らないわよ」
メラメラと自分がオーラを放つような感覚で怒る。
リリーはあっけらかんとした顔で私を見る。
「アルメリア様も、そんなことされないでしょう?私知っているんですから。どんな些細なことでも叱りはしますけど、痛めつけたりはしないことを」
名演技と称えていいほどリリーは迫真の演技をした。
片膝をつき、片手は胸に当て、もう片手は天に伸ばしている。目には涙を浮かべて哀愁漂う顔をしている。
「どこかの劇団にでも入れば?」
「あぁ、私にもそれほどの美貌があると……」
チッ――。
「今うっとうしく思いましたね!!」
「うっとうしくは思ってないわよ、ただうるさいだけで」
「紙一重!紙一重ですよ、それ!!」
「寝られないんだけど」
布団へと潜り込む。
「あ、じゃあ別館へ行ってみては?」
リリーの声が籠って聞こえる。
「散歩のついでに外套も返しに行けばいいものね」
「なんのことやら」
****
出迎えた寝巻き姿のラーレンスが口を開けて目を丸くしている。
「アルメリア?!こんな時間に何しに来たんだ!!」
扉を開けるなり説教をするラーレンス。
虫の音や葉が擦れる音が直接耳に響くような静けさの中、ラーレンスの声は頭に響いた。
「いつもあなただって用もないのに訪ねてくるじゃない」
「それとこれとは別だよ!さ、早く戻るんだ」
クルッと翻し、私の肩を軽く押した。
「なんで?」
首を傾げる。
「なんでって……」
「ハックシュ……。早く入らせてよ、寒い。お願い」
「えぇと……」
なんでそんなに渋るのか理解できない。いつもの仕返しをしただけなのに。不都合があるならそう言ってくれればいいのに、理由も言わないで寒空の下で追い返そうなんて。
「とりあえず、何の用?」
「散歩のついでに外套を返しに来たの」
「じゃあ、外套は置いてくるから、そしたら散歩しよう」
そんなに私を入れたくないのなら仕方がない。
「わかったわ」
ラーレンスは私から外套を取って、そそくさと部屋の中へ消えていった。
数分したら寝巻きから着替えていた。私は寝巻きだというのに。
ラーレンスは別館から一刻も早く離れたいようで、私の手を引いて大股で庭園まで来た。
「ここの庭は皇宮とは違うね。さすがレティシア殿って感じだ」
「お母様が力を入れている部分ですから」
ガゼボに二人腰をかけた。
「……」
「……」
話すことがないわ。どうしよう。何か聞くべきかしら。気になってることとか?
「……殿下は私のことどうして好きなんですか?」
「急だね」
「急でしたか。すみません」
「いや、いいんだ。確かに理由もなく俺がアルメリアに近づくのは疑念を抱くだろうから、仕方ないよ」
皇宮で生き抜いている者だからこその発言だろうか。
「最初に会った時、覚えてる?」
「さぁ、すごく小さい頃でしょ?もう覚えていない」
「まだ七歳だけど……。まぁ、初めて会った時に好きになったから、一目惚れなんだろうね。アルメリアが視界に入った瞬間に君が輝いて見えたんだ」
「へぇ」
「直感で俺は君を求めたんだろうなって思ったから、こうやってずっとアプローチをしてきた。納得いく答えかな?」
「まぁ、それなりに」
「恥ずかしいけど、今だってずっとドキドキしてるんだ」
「そうですか。お大事にしてください」
「……アルメリアは手ごわいね」
本心から心配したのに。
「殿下が張り合うには丁度いいでしょう」
「張り合うって……。面白がられてるのは俺でもわかる」
「ふっ……ふふ。ばれた」
ラーレンスは私の頬に手を当てる。唇を親指でゆっくりと撫で、ラーレンスは私の混沌とした瞳から目を離さない。
「くすぐったいんだけど」
ラーレンスの手に顔の体重を乗せるように手にすり寄る。
「ずっとこんな時間が続いたらいいのになって」
私は目を見開いた。青い真っすぐとしたラーレンスの瞳と視線が交わる。
両親が向けあっていた視線に違いない。無常にも過ぎ去る時間が悲しく、その時間を永遠に守りたいと願った者たちの眼差しそのものだ。
「永遠なんてないよ」
警戒した猫のような顔でそう言う。
「そうだね」
「でも、忘れたりしない、と思う」
ゆっくりと向き合っていけばいいと思うの。
「嬉しい。アルメリアからそう言ってもらえて」
「そう、ですか」
太陽に照らされるだけで、満足なのかもしれない。
私もこの時間を守りたい。ラーレンスがこうやって来てくれて、毎日こうやって話ができる時間だけでも。今を大切にしていれば、きっと過去を消せるかもしれないから。
「さ、戻ろう。送っていくから」
「うん。わかった」
二人並んで月光が照らす庭を歩く。
「あ、リリーに怒ってないよって伝えておいてほしいな」
「わかりました。ついでの用事も済ませることができてよかったです」