大きな背中と太陽
リリーと大広間までやってきた。少し崩れてしまった髪型とドレスはそのままで来てしまったけれど、今はそんなことを気にしている暇はなかった。
「わぁ、二人とも綺麗……」
心の底から感嘆の声が漏れる。
リリーも私の後ろで静かに呟く。
片付けられた大広間はパーティーの時より質素な感じがするが、それを感じさせないほど厳かで華麗なダンスを踊る二人の男女。
「さすが、旦那様と奥様ですね!」
お父様が帰宅なさったのだ。
リリーが急いで私を探していたのはそれを早く伝えるためだったらしい。
「本当に綺麗ね」
お母様とお父様が音楽は流れていないが、息の合ったステップでひらりひらりと踊っている。細身のお母様と、熊のように屈強なお父様の体格差すら美しく思えるほどその空間は煌めいて見えた。
お互いの顔が向き合うたびに視線を合わせ、目だけで愛を伝え合っているように見える。
「永遠にこんな時間が続いたらいいのになぁ」
「そんなの無理よ。どの人間にも等しく永遠なんてないから」
そう言いながらも、アルメリアは羨望の眼差しで二人を見続ける。
二人はきっと離れていても心でしっかりと繋がっていて、信じることができているんだろうな。
「コホン……。オルベキア殿にはもう一人踊るべき相手がいるのでは?」
聞きなれた声の方へ向くと、この家で一番高価な椅子に座らされているラーレンスがいた。
なぜラーレンスがここにいるのかは疑問だけど、それよりも二人だけで踊るなんて羨ましい。私も混ぜてほしい。
薄暗い廊下から明るい広間へと飛び出した。
「お父様!お母様!」
私は二人に駆け寄り、短い腕で二人をギュッと抱きしめた。
「アリア!」
「お~~!!愛しのアリアよ~!!七歳の誕生日おめでとう!!」
二人が大きな手で私を迎え入れてくれた。暖かい朝日のような二人が私をみて微笑んでいる。
アリア。アルメリアの愛称で呼ぶ人は両親だけで、それもプライベートな空間だけ。殿下がいても気にしていないのは、きっと殿下が二人の心に入り込んでいるからだろう。
「お帰りなさい、お父様。祝いの言葉はお父様が最後ですよ」
「ははは!最後を飾れて嬉しいよ!」
勇敢な戦士に相応しい凛々しい顔立ちのお父様が、大きく口を開けて笑うのは家族だけの秘密。
「さて、踊ろうか、我が娘よ」
お父様が手を差し伸べる。
自分でもわかるくらい、目を輝かせてお父様をみていた。心を落ち着かせなければと自制しようとしても、あまり帰ってこない父親と会えた嬉しさが込み上げてきて隠せない。
「はい!」
大きくて固い暖かな手を取る。
あまりにも体格差があるので、お父様は腰を曲げて私が踊りやすいようにリードしてくれた。くるくると視界が回って、お父様とステップを踏めばお父様は愛おしそうに私を見つめる。
「どうして戻ってこられたのですか?」
「殿下が伝書鳩で報せてくださったのですよ。可愛い娘が寒空の下私のことを待っているとね。もちろん私宛ではなく、皇帝宛にね」
お父様と私は大理石の上をクルクルと回り、風が二人の金色の髪を靡かせる。
少し日に焼けたお父様の腕をぐっと掴む。
ラーレンスがいつ鳩を飛ばしたのか、すぐに見当がついた。きっと変なことするなって私に怒られると思って、悟られないようにしたんだわ。
「彼は優秀なお方だ。無意識かもしれないが、人の立場というものを理解している」
「そうですか」
「私はアリアが殿下のことをどう思っているか知らないが、アリアにとって殿下は大事な人になると思うよ」
「どうして?」
「そうだな……父親としての勘、だな!!」
「わっ!!」
急に抱き上げられて情けない声を出してしまった。
ラーレンスが私にとって大事な人になる?
戯言はやめてください、お父様。他人に全てを捧げるような人は、全てを失ってしまうのですよ。そんな人を大切に思ってしまえば、私の心の平穏が失われてしまう。
「大切な人がいなくなる苦しみを、味わいたくありません」
「私たちは受け入れて、殿下は遠ざけるのか?」
静かに頷く。
生まれた時から愛を注いできてくれた二人と、小さな時に母親同士のお茶会でたまたま出会った殿下とでは雲泥の差がある。
皇宮に入りたくないという理由で、求婚してくる皇子を毛嫌いしていたからそれも大きいだろう。
「殿下への信頼が足りていないのか?……私も大切な物をいくつか抱えているが、失った時のことなど考えたこともない。いついなくなるかわからないからこそ、今を大切に生きるのだ。今いる人たちに真摯に向き合うのだ」
お父様だって戦火の最前線で死んだ人を沢山見てきたに違いない。
「アリアがまず人を信用しなければ、誰もアルメリアのことを信用してくれないぞ。信用とは心の繋がりなんだ。一方的な気持ちで成り立つものではない。最初から殿下を拒んでいては、アリアが手に入れるはずだったものを取りこぼしてしまうぞ。まずは人に歩み寄りなさい、その人を知りなさい」
ふるっと体が震える。
信用なんて目の見えないものを信じ切ることができない。
ルシアンを信じていたのに、結局は自分のために私を鳥籠に閉じ込めた。一年も私を騙して、それを笑って見ていた。
ラーレンスが私を大切にしてくれているということは、頭ではわかってる。なのに、その気持ちに正直になってしまうのが怖くてたまらない。また、裏切られてしまうのではないか。一人になってしまう。
「恐れることは何もない。レティシアが私の全てを愛してくれるように、殿下はアリアの全てを受け入れてくれるだろうからな」
さすが血を分けた親子とでも言おうか。少しの表情の変化も見逃さない。
「死なない人はいなのですよ」
もう二度と捨てられたくない、もう二度と一人にしてほしくないという思いが私をこうさせる。
「わっはは!バルセミオンの名において、約束しよう。大丈夫、アリアの大切なものは死ぬ気で私が守ろう。寂しい思いは絶対にさせないよ」
「お父様……」
お父様にギュッと抱き着いた。厚い胸板に顔を埋め、私の心を見透かしたようなお父様の服をぎゅっと握りしめた。
「信用は不安定なもの。確実なものではないが、だからこそ互いの信頼で成り立つのだ。まぁ……裏切られたら裏切られた時に考えればよい。復讐なら父が付き合おう」
「ふふっ、お父様がいてくださるのなら心強いですわ」
確実な信用と信頼はできないし、心を乱されることは嫌だけど、向き合わなくてはいけない感情なのかもしれない。それは魔物のように心に巣くう恐れという感情。命に対する恐れ。
――死んだ人は帰ってこない。
帰ってこないからこそ、今を大切に生きているお父様。克服しなければならない。今を生きる私は、フェイという人生をまず克服しなければいけないのだ。
「殿下、約束ですので私と踊ってください」
「もちろん」