地味だと虐げられ婚約破棄された私、実は規格外の魔力持ちでした。隣国の冷徹公爵様に見初められ、お飾りではない真実の愛と幸せを手に入れます
「エリアーナ・フォン・クライネル! お前との婚約を破棄する!」
夜会に響き渡ったのは、私の婚約者であるはずのアルフォンス第二王子の声だった。彼の隣には、今をときめく男爵令嬢リリアンナが、まるで勝利を確信したかのように寄り添っている。ああ、やはりこうなったか、とどこか冷静な自分がいた。
「アルフォンス様、それは、どういう……」
「言葉通りの意味だ。私はリリアンナと真実の愛を見つけた。お前のような地味で華のない女は、私の隣にはふさわしくない。王妃の器でもない!」
アルフォンス様の言葉は、鋭い刃となって私に突き刺さる。周囲の貴族たちの好奇と嘲笑の視線が痛い。私はクライネル侯爵家の令嬢として、幼い頃からアルフォンス様の婚約者として育てられた。感情を殺し、常に完璧な淑女であるよう努めてきた。それもこれも、全ては王家と侯爵家の安寧のため。そして、いつかアルフォンス様と心を通わせられる日が来ると、淡い期待を抱いていたから。
私の母は、私が生まれつき規格外の魔力を持っていることを知ると、それを厳しく隠すよう命じた。「女の強すぎる力は不和を招く。特に王家に嫁ぐならば、王子より目立ってはならない」と。だから私は、魔力を抑えるための魔道具を常に身に着け、目立たぬよう、息を潜めるように生きてきた。その結果が、これだ。
リリアンナ嬢が、勝ち誇ったような笑みを浮かべてアルフォンス様の腕にさらに身を寄せる。「エリアーナ様、お可哀想に。でも、殿下の愛は私にあるのですわ」その言葉は、私をさらに惨めな気持ちにさせた。
悔しさと悲しさで唇を噛み締めていると、不意に冷ややだが、どこか芯のある声が響いた。
「――実に興味深い茶番劇だ」
声の主は、隣国ヴァルハイト公国の若き公爵、カイ・フォン・ヴァルハイト様。鋭い蒼銀の瞳は「氷の公爵」と噂される通りの冷たさを湛えているが、その奥には深い知性を感じさせる。彼がなぜこの場に? 確か、我が国との友好視察で来訪されているとは聞いていたが。
アルフォンス様は、カイ公爵の言葉に一瞬顔を歪めたが、すぐに気を取り直したように言った。
「カイ公爵、これは我が国の内密の……」
「内密? これだけ多くの者がいる前で宣言しておいてか? それよりクライネル侯爵令嬢、貴女のその力、我が国で活かす気はないか?」
カイ公爵の言葉に、私だけでなく、その場にいた全員が息を飲んだ。私の力? 何を言っているのだろう。私は力を隠しているはずなのに。
アルフォンス様が嘲るように笑う。「力だと? カイ公爵、彼女には何の力もない。ただ地味で、退屈な女だ」
「それはどうかな」カイ公爵は私を真っ直ぐに見つめ、ゆっくりと言った。「時に、隠された才能ほど価値があるものはない。エリアーナ嬢、もしこの国に未練がないのであれば、私と共にヴァルハイトへ来ないか。貴女を、お飾りの妃候補としてではなく、一人の人間として遇することを約束しよう」
その言葉は、乾いた心に染み渡るようだった。お飾りの妃候補ではない。一人の人間として。今まで誰にも言われたことのない言葉だった。
私は、アルフォンス様とリリアンナ嬢、そして周囲の貴族たちを一瞥した。もう、この国に私の居場所はない。ならば。
「……お受けいたします、カイ公爵様」
私の返事に、アルフォンス様の顔が驚愕に染まるのが見えた。まさか私が、彼の婚約破棄をあっさりと受け入れ、あろうことか他国の公爵の誘いに乗るとは思ってもみなかったのだろう。
「エリアーナ! 何を言っている! お前は私の……!」
「いいえ、アルフォンス様。私はもう、貴方様の婚約者ではございません」
私は静かに首を振り、長年身に着けていた魔力を抑えるネックレスを外した。瞬間、身体の奥底から奔流のような魔力が解放されるのを感じる。それは、今まで感じたことのないほどの解放感だった。
「これは……」カイ公爵が僅かに目を見開く。「やはり、私の目に狂いはなかったようだ」
彼の口元に、初めて微かな笑みが浮かんだ。
私の変化に気づいたのか、アルフォンス様や周囲の者たちが息を飲む気配がする。
「エリアーナ……お前、そんな魔力を……?」
「隠していて申し訳ありませんでした、アルフォンス様。ですが、もう隠す必要もございませんわ」
私はカイ公爵に向き直り、深くカーテシーをした。
「カイ公爵様、このような私ですが、どうかよろしくお願いいたします」
「ああ、歓迎する。エリアーナ」
これが、私の新たな人生の始まりだった。
* * *
ヴァルハイト公国へ向かう馬車の中で、カイ公爵は私に彼の国が抱える問題を話してくれた。ヴァルハイト公国は豊かな魔晶石の鉱脈に恵まれているが、その魔晶石を効率よく精製し、エネルギーとして活用できる高度な魔力を持つ術者が不足しているのだという。特に、植物を活性化させ、土地を豊かにする系統の魔力を持つ者は稀有だった。
「君の魔力は、文献でしか見たことのない、生命力を活性化させる稀有なものだ。先ほどの夜会で、君が魔力を解放した瞬間、周囲の草花が一斉に輝きを増したのに気づいたか?」
「いえ、全く……」
「君は無意識のうちに、周囲に影響を与えるほどの力を持っている。我が国に来てくれれば、その力を存分に発揮できる場を用意しよう。もちろん、無理強いはしない。君が望むなら、静かに暮らすための場所も提供できる」
カイ公爵の言葉は常に率直で、誠実だった。氷のように冷たいと噂される外見とは裏腹に、彼の瞳の奥には温かな光が宿っているように感じられた。
ヴァルハイト公国に到着すると、私は公爵の言葉通り、破格の待遇で迎えられた。与えられたのは、陽当たりの良い広大な庭園を持つ離宮。そして、私の魔力を研究し、サポートするための専門の研究者たち。
初めは戸惑うことばかりだったが、カイ公爵は常に私のことを気遣い、支えてくれた。私が力を解放することに躊躇いを見せると、「君の力は、誰かを傷つけるためではなく、誰かを助けるためにある」と静かに諭してくれた。
私は彼の言葉を信じ、少しずつ自分の魔力を解放していった。すると、驚くべきことが起こった。荒れ果てていた公爵領の農地が、私の魔力によってみるみるうちに蘇り、作物が豊かに実るようになったのだ。枯れかけていた薬草園は薬効の高いハーブで満たされ、水源は清浄な水で満たされた。
私の力はヴァルハイト公国に未曾有の豊穣をもたらし、人々は私を「豊穣の乙女」「緑の姫君」と呼び、心から慕ってくれるようになった。地味で、誰からも必要とされていないと思っていた私が、こんなにも多くの人を笑顔にできるなんて。それは、今まで感じたことのない喜びだった。
そして、私の隣にはいつもカイ公爵がいた。彼は公務の合間を縫っては私の元を訪れ、私の研究を手伝ったり、ただ静かにお茶を飲んだりする時間を大切にしてくれた。彼の蒼銀の瞳が、私に向ける時だけ、ほんの少しだけ優しく細められることに気づいたのはいつからだっただろうか。
「エリアーナ、君のおかげで、我が国は大きく変わった。心から感謝する」
ある日、夕焼けに染まる庭園で、カイ公爵は私の手を取り、そう言った。
「私の方こそ、カイ様には感謝しかありません。私に、こんな素晴らしい場所と機会を与えてくださって」
「君の力は、君自身のものだ。私はただ、それを見出すきっかけを与えたに過ぎない」
カイ公爵はそう言うと、私の手の甲にそっと唇を寄せた。その瞬間、私の心臓が大きく跳ねた。彼の真摯な眼差しに見つめられると、頬が熱くなるのを感じる。
「エリアーナ」カイ公爵が、いつになく真剣な声で私を呼ぶ。「私は、君をただの協力者として見ているわけではない。……君を、愛している」
それは、あまりにも率直で、そして甘い告白だった。
「え……」
「君の優しさ、強さ、そして何よりも、君のその魂の輝きに惹かれた。私の隣で、共にヴァルハイトの未来を築いてはくれないだろうか。私の、唯一の妃として」
氷の公爵と恐れられる彼の、熱のこもった言葉。それは、アルフォンス様から与えられたものとは全く違う、心からの愛の言葉だと分かった。涙が溢れて止まらない。
「はい……喜んで、カイ様」
私は、涙に濡れた笑顔で頷いた。カイ公爵は優しく私を抱きしめ、その温もりが私の心を幸福で満たしていく。もう、お飾りの令嬢ではない。私は、愛される喜びを知ったのだ。
* * *
一方、私が去った後のクライネル王国では、様々な問題が噴出し始めていた。
私が無意識のうちに調整していた王国内の微細な魔力のバランスが崩れ、原因不明の凶作や水源の枯渇が各地で報告されるようになった。特に王都の庭園は、私が世話をしていた頃の瑞々しさを失い、見る影もなくなっていたという。
アルフォンス王子は、婚約破棄の際に私を「力の無い女」と罵った手前、国内の混乱を私の不在と結びつけることができず、有効な対策を打てずにいた。
そして、アルフォンス様が新たな婚約者として選んだリリアンナ嬢。彼女は派手な美貌と甘い言葉で王子を虜にしていたが、実際のところ魔力はほとんどなく、貴族としての教養も乏しかった。夜会での立ち居振る舞いは常に危うく、王妃教育も全く身に入らない。さらに、リリアンナ嬢の実家である男爵家が、娘が王子に近づいたことを利用して不正な蓄財をしていたことが発覚。男爵家は爵位を剥奪され、リリアンナ嬢も王子の側近たちから白い目で見られるようになった。
アルフォンス王子は、次第にリリアンナ嬢の化けの皮が剥がれていくのを見て、ようやく自分が大きな過ちを犯したことに気づき始めた。エリアーナがいた頃の、穏やかで安定していた日々。彼女の地味だと思っていた気遣いが、実はどれほど国にとって重要だったのか。そして、彼女が隠していたあの強大な魔力。それを知った時の衝撃と後悔は、今も彼の胸を苛んでいる。
「エリアーナ……君は、あんなにも素晴らしい力を持っていたというのか……」
だが、後悔しても時は戻らない。アルフォンス王子は、国を傾かせた責任を問われ、王位継承権の見直しが囁かれるようになり、日に日にその立場を危うくしていった。リリアンナ嬢は、結局王子からも見捨てられ、没落した実家で惨めな暮らしを送ることになったという。まさに、自業自得の末路だった。
* * *
そして数ヶ月後、ヴァルハイト公国では、カイ公爵と私の盛大な結婚式が執り行われた。
純白のドレスに身を包んだ私は、少し緊張しながらも、隣に立つカイ様の温かい手に支えられ、溢れんばかりの祝福の中を歩む。
「エリアーナ、君は本当に美しい」
カイ様が、愛おしそうに私を見つめて囁く。その言葉だけで、私の心は羽が生えたように軽くなる。
「カイ様こそ、とても素敵ですわ」
かつて「地味だ」と虐げられた私が、今、こんなにも華やかな場所で、心から愛してくれる人の隣に立っている。それはまるで夢のようだったが、しっかりと繋がれたカイ様の手の温もりが、これが現実なのだと教えてくれる。
式典の後、バルコニーから民衆の歓声に応えると、カイ様はそっと私の耳元で囁いた。
「これからは、私が君を生涯守り、愛し抜くと誓う。もう二度と、君に寂しい思いはさせない」
「カイ様……」
彼の言葉に、再び涙が溢れそうになるのを必死で堪える。
地味だと虐げられ、婚約破棄されたあの日。それは確かに辛い出来事だった。けれど、あの出来事があったからこそ、私はカイ様と出会い、本当の自分を見つけ、そして、お飾りではない真実の愛と幸福を手に入れることができたのだ。
もう、魔力を隠す必要はない。息を潜めて生きる必要もない。
私は、愛する人の隣で、私らしく輝いて生きていく。
遠いクライネル王国の方角を見遣る。元婚約者や、私を蔑んだ人々のことを思い浮かべないでもなかったが、もう彼らに心を乱されることはない。彼らには彼らの選んだ道の結果が待っているだけ。
私の未来は、このヴァルハイトで、愛するカイ様と共に築いていくのだから。
優しい陽光が降り注ぐ中、私はカイ様の胸に顔を寄せ、満ち足りた思いで微笑んだ。私の本当の物語は、今、始まったばかりなのだ。