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スキップドロップ  作者: 丹㑚仁戻
最終章 転がり落ちていく先は
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【第十四話 選択】14-5 運が良ければまた会うこともあるんじゃないかなぁ

 私達執行官は結構優遇されていて、ノストノクスの建物の中に個室が与えられている。しかもこの個室、そこらのビジネスホテルよりずっと凄い。風呂トイレ完備は当然だし、ベッドの他にソファやテーブルもある。しかも全部そこそこ良い物。

 広さだってそれなりだ。ちゃんと測ったことはないけれど、三十畳くらいはあると思う。まあ古い建物だしね、小さい部屋を作るという発想がなかったのかもしれない。


 だけどそのあたりの事情を知らないキョウは、私が部屋に案内すると固まってしまった。一見すると高級ホテルのようにも見えるから、私がいい生活をしているように見えて驚いたのだろう。


「……こんなとこに住んでんのかよ」

「たまにしか使わないけどね。普段は麗様の屋敷に住んでるの。そっちは東京の部屋と似たようなものだよ」

「贅沢な使い方だな……」


 ドアの前からなかなか動かないキョウを部屋の隅にある大きな窓の方へと促す。椅子やソファに座ってもいいんだけど、なんとなく彼に外の景色を見せたくなったのだ。


「青い……?」


 窓の外に目を向ければ、夜の暗闇が青い光でうっすらと照らされていた。ここから見えるのはノストノクスの敷地内だけだから大して面白いものもないのだけど、外界では見られない景色にキョウが驚いているのが分かる。


「赤くもなるし、たまに紫にもなるよ。面白いでしょ」

「ずっと夜なのか?」

「うん。一応今が夜ってことになってるけど、昼でも外はこれ以上明るくならないよ」

「ああ、だから前こっちの方が暮らしやすいって……」


 そういえばキョウにはそんな話をしたことがある気がする。具体的に言った記憶はないけれど、この空を見て納得したのだろう。

 この世界にはキョウの知るような昼間がない。何せ太陽にあたるものがないから常に夜に包まれている。だから私達吸血鬼は、いつだって太陽を気にせず外に出られるのだ。


 外を見せて満足した私はキョウに椅子を勧めたけれど、彼はこの空が気に入ったのか、そのまま窓枠に腰掛けた。大きな窓の端の方にわざわざ座ったのを見て、私もここに座れということかなと思って隣に腰を下ろす。

 私達の背中は淡い青い光で照らされて、部屋の中にはうっすらと二人分の影ができた。ここには基本的に電化製品なんてないから、明かりはもっぱら蝋燭だ。外の光も入っているとは言え、人間の目には結構暗く見えているだろう。


「それで、話って? ご両親と話して泣きたくなったなら胸でも貸そうか?」

「いらねェよ。まだ気持ち的にも消化できてないしな」


 そういえばタオルを渡すのを忘れていたなと思いながら問いかければ、必要なさそうな返事でほっと胸を撫で下ろした。

 気持ちが消化できていないというのは予想外だったのだけど、考えてみれば無理もない。キョウが両親と最後に会ったのは十年以上前だと聞いている。ずっと裏切り者だと思っていた彼らが実際は裏切りなんてしていなくて、吸血鬼を狩る立場だったのに吸血鬼になっていた――だなんて、話で聞くだけでも受け入れるのは大変だ。そんな現実をさっき直視してきたばかりなのだから、気持ちが追いつかなくても当然だろう。


「うちの親、ここで働いてるんだってな」


 ぽつりと話し始めたキョウは、もしかしたら気持ちを整理したいのかもしれない。独り言にも似た響きだったけれど、私は「らしいね」と静かに相槌を打った。


「移住の世話をしたのが執行官だし、紹介しやすかったんだと思うよ」

「それは言ってた。あと……本当は執行官になりたかったんだと」

「そうなの?」

「ああ。自分達が助けられたから、執行官になって同じようにしたかったんだって言ってた。それに上位種の中には話が通じる奴もいるって、ハンター達のことを説得したかったらしい。完全に敵対するんじゃなくて共存することはできないかって」

「凄いね、自分達を殺そうとしてきた相手に」

「少しは懲りろって話だけどな。そんなことすればまた狙われるのに……まァ、序列っつーのが全然足りなくて無理だったらしいけど。――……だから迎えに来れなかったってよ」


 小さく付け足された言葉に込められた感情はよく分からなかった。安堵でも落胆でも、怒りでもない。もしかしたら全部なのかもしれないし、何の感情も込もっていなかったのかもしれない。だけど不思議と嫌なものは感じなかった。


「こっちに来た事情が事情だからね、簡単には外界に行く申請は通らなかったんだと思う。吸血鬼になったならハンターと揉められても困るだろうし」


 今回キョウがこんなにすんなり来れたのだって結構珍しいことらしい。事前に壱政様が色々と手配してくれていたみたいで、大量にある手続きがかなり簡略化されたようだ。

 そのあたりの事情はキョウにも話してあるから、彼の両親が外界に来られなかったのも少しは納得しやすいだろう。案の定キョウは小さく頷いて、「それも聞いた」と呟いた。


「俺に危険がなさそうなのも世話してくれた執行官に頼んで確認できてたから、一旦引き下がったんだって言ってた。まァ、こっち来たばっかで下手に目を付けられたくなかったんだろうな。そうすりゃ今度こそ逃げ場がなくなるし……でもそいつにそこまで頼めるなら、一言伝言でも預ければよかったのに……!」

「キョウ……」


 キョウの語気が僅かに強まる。横顔でも分かるくらい目元に力が入っている。

 だけどキョウはすぐに深呼吸をして、吐き出す息と共に表情を元に戻していった。


「情けない話だけど、誰かを恨んで気を晴らしたいって思うのに、誰を恨んだらいいか分かんねェんだよ。レイフでもいいけど微妙に違うし……つーか奴にはもう一発撃ち込んでやったから今更って気もするし。それに……結局、誰を恨んだってしょうがないって思う部分もあって……」

「……私はそういう気持ち分からないんだけど、ゆっくり時間をかけるんじゃ駄目かな? 急に受け入れろって言われても無理なことだってあるしさ、そんなに急いで色々考える必要はないんじゃない? って言っても、時間をかけたところで駄目なこともあるけど……」

「そうだな……二人はどうせ長生きだろうし、そのへんは気長にやるよ。俺が死なないようにすればいい話だしな」


 やっとこっちを向いたキョウは不器用な笑みを浮かべていた。その笑い方は知っている――キョウが優しい気持ちの時にする顔だ。まだまだ気持ちは整理できていないんだろうけれど、両親に対して彼が悪い感情を持っているわけではないと感じて少し安堵を覚えた。


「一葉は……これからどうするんだ?」

「どうって?」


 突然自分に向けられた質問に首を傾げる。見ればキョウは既にいつもの調子に戻っていて、茶色い瞳で私を見つめている。そういえば最近裸眼のことが多いな、だなんて場違いなことを考えていると、「仕事だよ」とキョウが言葉を続けた。


「言ってただろ、アンタの今までの役割は陽動みたいなもんだったって」

「ああ……」


 それを聞いた途端、自分の気持ちに翳がかかったのが分かった。キョウには全部ではないけれど話してあったから、彼が私の役割を知っていることは不思議ではない。


 だけど今はまだ、その話はしたくなかった。


「奴と繋がってたハンターは要職を外される。陽動の必要はもうないかもしれないけど、協定がなくなったわけではないんだろ?」

「……でも、ハンターと密接に関わる意味はもうそんなにないんだよね」

「でも何かしら理由は……――付ける気もないのか」


 キョウの声が低くなる。目が細められたのは探るためか、それとも機嫌が悪いのか。どっちにも取れるなと気付いて、私はすっと視線をずらした。


「理由がないんだよ。正直外界側の治安の悪さが解決したわけじゃない。レイフはあくまでその一角で、まだまだ他にもいるはずだからね。だけど……私がハンターをやる必要はもうないんだ。だから少し前の状態に戻る。ハンターとは別で、私達は自分の獲物を追う。そうなったら私の仕事ももうおしまい。あと何回か外界に行って事後処理を済ませたらハンター業ともおさらばです」


 レイフのことがあったから、外界と行き来できるノストノクス関係者は全員漏れなく身辺調査をされている。まだ全部終わったわけではないけれど、現時点で彼のようなことをしていた人は見つかっていない。

 だからわざわざハンター達に近付く必要もない。これまでどおり〝お互いの存在は知りつつも基本的に不干渉〟という状態に戻るのだ。ハンター上層部はノストノクスとの付き合いが残るけれど、それも以前と同じでキョウ達末端のハンターが意識することはないだろう。


「でもこっちに来ることはあるんだろ?」


 キョウの声はまだ低いままだった。目を逸らしているからキョウの表情は分からないけれど、なんとなく不機嫌そうな顔をしているんだろうと感じて胸がきゅっとなる。


「そういう仕事の担当になればね。それが日本になるとも限らないけど」

「……仕事以外では来ないのか」

「執行官って休み少ないんだよ」

「作れよ」

「作るよ。壱政様に稽古つけてもらいたいしね」

「ッそうじゃなくて……!」


 キョウが私の腕を掴む。驚いて思わず目線を上げてしまったら、辛そうにしている相手と目が合った。


「……たまには顔見せろよ」


 真剣な目でキョウが言う。そんな顔をされたらつられてしまいそうだったけれど、私はへらっとした笑みを作った。


 だって、もう決めているから。あの時キョウを()()()()に連れてくる決断ができなかった私は、きっとこれからも覚悟を決められないだろう。そんな状態でキョウの近くにいるのは辛いだけだ。

 好きだと自覚して、もうすぐ一ヶ月――キョウにちょっかいをかけようとしていた麗様には『大事な人だから悲しませないで』と言うつもりだけど、それ以上は何もない。口を出す権利は、私にはない。


「運が良ければまた会うこともあるんじゃないかなぁ」


 なるべくいつもどおりに聞こえるように。目線を逸らさないまま言えば、キョウの瞳が僅かに揺れた。


「……どうせずっと運は向かないんだろ」

「そうだね」


 責められるような声色に耐えながら、口先の音を並べる。


「俺が人間だからか」

「うん。私も吸血鬼だし」

「俺が人間辞めるって言っても?」

「……言わないでよ」

「言わねェよ」

「ッ……」


 ぎゅっと奥歯を噛み締める。それはそうだ、キョウが人間を辞めるだなんて自分から言い出すはずがない。

 そんなこと考えなくても分かるのに、なんで苦しくなったんだろう――分からないふりをしたって、自分がどこかで期待していたことくらい分かっていた。


 私からは()()()()に来てとは言えないから。だからキョウから来てくれることを期待していた。

 キョウが私のことをどう思っているかなんて分からないのに、勝手に期待して、勝手に落胆しただけ。


 都合の良い考え方に情けなくなって視線を落とすと、「でも……」と声が聞こえてきた。


「多分、ずっとってわけじゃない」

「……え?」


 私の腕を掴むキョウの手に力がこもる。おずおずと見上げれば、キョウがじっと私を見ていた。


「今回の件で、俺以外のハンター達にもアンタらとの関係が知らされた。それで余計に吸血鬼に対して悪い感情を持ってる奴もいる。それなのに一葉とずっと一緒に行動していた俺が今人間じゃなくなったら、そういう奴らの感情を助長するだけだ」


 キョウは何を言いたいんだろう――聞きたいのに、言葉にできない。


「今はまだ、人間でいた方がいいんだと思う。人間の言葉しか聞かない奴だって少なくないから、俺は人間としてそいつらと話した方がいい」

「……よく分かんないんだけど、でもそれってキョウ自身はどっちでもいいみたいじゃん。駄目だよそんなの……そんなふうに自分を利用するためじゃなくて、ちゃんとどうしたいかを考えないと……!」


 まるでハンター達のために自分を使うような口振りに思わず声を上げれば、小さな息と共に「考えたよ」と返された。


「考えたけど、どっちでもいいんだよ」

「どっちでもいいって……」


 そんなの信じられない。確かに最近のキョウの考え方は変わったけれど、それでも元々吸血鬼を酷く嫌っていた人だ。いくらそういう感情が減ってきたからって、自分まで吸血鬼になることを良しとできるとは思えなかった。それなのに――


「人間を餌としか見ない奴らは許せない。だけどそこに俺自身は何者なのかってあんまり関係ないだろ?」


 そう言うキョウの表情を見ていると、本当にどちらでもいいと思っていると感じてしまう。後ろ向きな〝どうでもいい〟とは少し違う。違うけれど、だからこそ余計に訳が分からなかった。


「今は人間であることに意味があると思ってる。だけどいずれそうは思わなくなるかもしれない。人間でいるより、吸血鬼として生きた方が都合が良いと思ったなら……俺は、そっちを選ぶと思う」

「でも……!」


 反論する私を止めるように、キョウが静かに立ち上がった。座っていたのは窓枠だから、それほどこれまでと高さは変わらない。だけど私の目の前に立ったキョウは視線を合わせるように少し屈んで、ぎこちない笑みを浮かべた。


「アンタのためじゃない、一葉。俺が、俺のために決めることだ」


 私に言い聞かせるようにはっきりと、けれど穏やかな声でキョウが告げる。


「だからさ……人間だからとか、吸血鬼だからとか、そういうの一旦忘れてくれねェ?」

「忘れて……どうするの……?」


 青い光に照らされた瞳が私を見つめる。ゆるく細められたそれはほんの少し困ったように揺らめいて、でも真っ直ぐに私を映した。


「忙しくても顔見せてくれよ。ここやどっかの国から動けないって言うなら、俺が会いに行くから」


 夢を見ているのだろうか――だってそれは、私の欲しかった言葉そのもの。キョウの方から来てくれるだなんて勝手な期待だと思っていたのに、そう願ってもいいんだと言われた気になってしまう。


 喜びに身を委ねたい。だけどやっぱり、まだほんの少しだけ怖い。


「会ってもいいの……? キョウは人間で、私は違うのに……」

「そういうの忘れろって言っただろ。俺は一葉と会いたいって言ってんだよ。それとも俺が人間のうちは顔も見たくないってか?」

(ちが)……私はッ……私もキョウに会いたい……! もっとたくさん一緒にいたい……ッ!」


 自分の涙声に気付いて慌てて下を向けば、こつんと額に小さな衝撃が降ってきた。私よりも少し温かい額を押し当てて、「アンタが胸貸してくれるんじゃないのかよ」とキョウが笑う。

 悔しくて言い返したいのに、私の口からは情けない嗚咽しか出てこなかった。

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