【第十三話 無力】13-3 うわぁ……
『――だからさ、二人には揃って死んで欲しいな』
その声はとても優しく、なのにそれでいて、ひんやりと喉元に刃物を突きつけてくるかのようだった。
キョウが表情を強張らせる。得体の知れないものでも見るかのような目でレイフから視線を動かせずにいる。
キョウに逃げてとは言えなかった。彼にそうするなと言われたからじゃない。今レイフの前から逃げ出そうとしたら、その瞬間殺されてしまうと分かるから。
レイフの望みは私達が二人共死ぬこと。だからどちらか一人を取り逃がすなんて有り得ない。
どうしよう。このままじゃ本当に二人揃って死ぬしかない。一緒に逃げようにも私は動けないし、なんとかお腹の刀を抜いたところで今の私じゃきっとキョウより動けないだろう。
二人で逃げるのは絶対に無理だ。キョウには怒られそうだけど、それでも彼だけは逃がす方向で考えるしかない。
レイフが私を殺そうとした瞬間なら隙ができるかも……駄目だ。一、二秒時間を作ったところでレイフなら簡単にキョウに追いつける。大体彼が私を先に狙う保証もない。
紫眼でキョウの動きを止めないのはそうする必要もないと確信しているからだ。私を畳に縫い付けて両手が空いた今、銃を出されたところで避けられると思っているのだろう。実際、最初の男に当たったのも奇跡のようなもの。完全に意識の外から狙ったから彼は避けられなかっただけ。銃口と指の動きを常に見ていれば、その瞬間に体勢を変えることなんて私達の視力があればそう難しくない。
「いくら考えても無駄だよ、一葉。二人共死んでくれた方が僕にとって都合が良いんだから、見逃してあげるわけにはいかないんだ。時間を稼いだところで壱政だって助けには来ない。君が言ったんだよ、彼は数日こっちに来られないって」
ああ、そういうことか――唐突に状況を理解した。
今レイフが事を起こしたのは私のせいだ。私が彼に聞かれるまま壱政様の予定をぺらぺらと話してしまったから、今やればいいと確信を与えてしまったんだ。
思えば雨戸を開けたタイミングもおかしかった。空気の入れ替えなら部屋に入った時にすればいいのに、話の途中で――私が壱政様は来ないと言った直後に彼は雨戸を開け放っていた。
もしかしたらそれが合図だったのかもしれない。仕込み傘に手が届かなかったのだって、レイフが遠ざけていたせいだったのだから。
「うわぁ……結構きっちり準備してあったんですね……。でもその割には壱政様達の不在は運任せじゃないですか?」
お腹の痛みを我慢して、なるべく平然を装って問いかける。
時間稼ぎは無駄だと言われても、今はそれしかできることがなかった。壱政様が来ることはないのだとしても、残った時間でキョウを逃がす方法を考えなくちゃいけない。
「まさか。ちゃんと遠ざける方法は用意してあったよ、運良く使わずに済んだけどね。壱政はともかく、序列が高い麗様に来られたらどうにもならないから。まあ壱政でもこの身体じゃまともにやり合える気はしないけど」
レイフは私の意図には気付いているだろう。それなのに素直に会話を続けてくれるせいで、私達に逃げ道はないのだと言い聞かされているような気分になる。
お前とのんびり話していたところで何の問題もない――そう、言われている気がするのだ。キョウが銃を撃ったんだから警察くらいは来るかもしれないと思ったけれど、この分じゃそのあたりまで対策しているのかもしれない。銃っていうピンポイントなものに対するものじゃなくて、この屋敷で起こる騒ぎを誰も気にしないような何か。レイフは長いことここに住んでいるから、いくらでもやりようはある。
ああ、詰んでるな。考えれば考えるほど、思いつく全ての逃げ道が塞がっていく。この屋敷はレイフの腹の中と同じだ。そんな場所で襲われた時点で、私にはどうにもできなかったのかもしれない。
私、やっぱり死ぬのかな。キョウのことも助けられないのかな。
いつかと同じような状況だ。私は身動きが取れなくて、大事な人に死が迫るのに何もすることができない。
あの時は壱政様が助けてくれた。だけど今はそれも期待できない。
以前私が死にかけた時、壱政様は辛そうな顔をしてくれた。もうあの人にあんな顔はさせたくないと思っていたのに、今ここで死んだらきっとまたそうさせてしまうのだろう。
「……私を殺した後、何も知らないふりして壱政様と今までどおり話すんですか?」
無意識のうちに口にしていた疑問は考えるだけでも嫌だった。私を殺すくせに、それをする張本人が私の大事な人と関わり続けるだなんて。
「そうだね、ここまでやって今までどおりになれなかったら意味がない。君達二人は犬死ってことになっちゃうんだから」
「アンタの勝手な都合で殺される時点で犬死だろ!」
怒鳴り声を上げたのはキョウだった。さっきよりも顔色が悪いように見えるのは、どこかに怪我でもしてしまったからだろうか。もしかしたらもう立っているのも辛いのかもしれない。
「君達にとってはそうかもね。でも僕にとっては有用な死だよ」
「ふざけんな! 大体アンタは何なんだ……個人的な商売? こうやって仲間殺さないと続けられないようなことをなんでやってるんだよ!」
「そりゃあ、お金の方が信用できるからかな。仲間って言っても信頼関係なんてあんまりないからね、僕達は」
「ッアンタが作ろうとしないだけだろ!? 少なくとも一葉達はできてるじゃねェか!!」
怒りを顕にキョウがレイフを睨みつける。それなのに睨まれたレイフの雰囲気が変わる様子は感じ取れない。だけど――
「それは血の縛りの上に成り立った信頼だよ」
落ちてきた声は、少しひんやりとしていた。
「僕達にはね、誰が自分を吸血鬼に転化させたかっていうのが一番重要なんだ。何せその相手のことは絶対に裏切れない、逆らえない。壱政が麗様に逆らえないのはそういうこと」
レイフの言っていることは事実だった。そういう意味では私は運が良かったのかもしれない。元々信頼していた人に吸血鬼にしてもらった私は、他の吸血鬼なら抱くかもしれなかった葛藤を知らずに済んだのだから。
「絶対に裏切らないと分かっている相手になら、優しくなれるのは当然だろう?」
その瞬間、気温が一気に下がった気がした。私からじゃレイフの表情は見えないけれど、キョウが息を呑んだのは分かる。彼の瞳にはレイフの忌避感が宿っていて、それに気付くと私の背筋にも薄気味悪さが這っていくのを感じた。
「麗様、壱政、一葉――この三人は血が繋がっている。だから互いのことを信じられる。だけど僕は違う。彼らとは系譜が違うから、僕は彼らを完全には信じられないし、彼らだって僕を信じてはいない」
「でも……私達とは違っても、レイフにだって自分の親や子がいるはずじゃ……」
彼の言う血の繋がりは吸血鬼としてのものだ。麗様が壱政様を、壱政様が私を吸血鬼にした。だから私達は血が繋がっていると言える。
でもそれはレイフだって同じこと。彼が誰かを吸血鬼にしたことがあるかは分からないけれど、少なくとも彼を転化させた人はいるはずなのだ。
「いるよ。でもそれ以外のみんなまで同じように僕を絶対に裏切らないわけじゃないだろう? 全員僕の子なら僕は安心だけど、そんなの現実的に無理だしさ。その点お金はいいよ、誰に対しても平等だ。突然紙くずになってしまう危険性はゼロではないけど、対人関係とは違ってリスクヘッジもできるしね」
「……アンタは他人との信頼関係より、そんな紙っぺらの付き合いの方がいいのか」
「お説教かい? 言っておくけど、ハンター達も僕のお客さんだよ」
「は……?」
キョウが怪訝そうに声を漏らす。理解できないと言わんばかりの表情だったけれど、その瞳はどこか不安に揺れていた。
「不思議に思ったことはない? 吸血鬼殺しなんて一銭にもならないのに、ハンター達にはちゃんと給料が払われている。その武器だってそうだ。吸血鬼相手にしか使えない武器だなんて、相当な開発費がかかっているに決まっているだろう? そういう莫大なお金は一体どこから出てる? 気前のいいパトロンが大勢いるとでも? 一般人は吸血鬼の存在を信じてすらいないのに」
レイフの言葉にキョウは何も言えずにいた。私はハンターの事情なんて知らないけれど、彼のその反応がレイフの言っていることを肯定しているように思えてしまう。
キョウだってきっと細かい事情は知らないだろう。だけど、もしかしたら疑問に思ったことはあるのかもしれない。さっきよりも不安の色を濃くした瞳はずっとレイフを映していて、その言葉の続きを待っているかのようですらあった。
「パトロンってわけじゃないけど、僕の商売関係で彼らも利益を得てる。君達ハンターの生活は、狩るべき相手とのそういう薄っぺらい付き合いの上に成り立っているんだよ」
「アンタらと……吸血鬼と協定を結んでるのは知ってる。だから別におかしなことじゃ……」
「無理に自分を納得させようとしたって無駄だよ。それとは違う話だって分かってるだろう? ノストノクスとの付き合いは平和を維持するためっていう名目がある。でも僕との間にそれはない――彼らは純粋にお金が欲しいだけ。だからこっちが多少悪さをしても誤魔化してくれる。僕がいないと損をするのは自分達だから」
「ッそんなの信じられるわけないだろ!」
キョウが声を張り上げる。その声の強さは否定ではなく拒絶。それだけレイフの話には真実味があるのだと、キョウが感じてしまっていることを表していた。
だからレイフが笑ったのはキョウの心情を思ってのことだろう。その優しい笑い声はまるで我儘を言う子供に向けたもののよう。そして同じ声音のまま、彼は「でもさ」と話を続けた。
「今日、ハンター側に動きがあったんだろ? もしかして偉い人達が行方不明になったんじゃない?」
「なんで知って……」
「昨日の奴が捕まっちゃったからね。次は自分達がノストノクスに狙われるとでも思って隠れてるんだと思うよ」
「……適当に言ってるだけだろ? もしアンタの言うことが本当だとしても、そんなの許されるはずがない……!」
否定しようとするキョウの声は酷く弱々しかった。対してレイフのそれはいつもどおり落ち着いていて、「許されてるんだよ」と迷いなく彼に告げる。
「むしろ君みたいに事実を知って異を唱えた人間をハンターの上層部は消してきた。『敵から支援を受けているようなものじゃないか』、『そんなことをするなら真っ当に共存の道を探せ』――人によって言うことはまちまちだったけどね。そういうようなことを言って迎合できなかった人はみんな殉職してる。その意味くらい分かるだろう?」
レイフの言葉にキョウは目を見開いた。でもそれは驚きのせいだけじゃない。彼の表情には怒りや混乱が滲んでいて、キョウ本人ですらそれらを持て余しているように見える。
「ああ、みんなじゃないか。一組だけ取り逃がしちゃったらしいんだよね。彼らがどうやったかは知らないけど、ハンター達が探しても見つからなかったみたいでさ。僕も一度だけ会ったことがあるんだけど、その記憶はいじってあったからまあいいかなって諦めたんだよ。実際、あの後何も起こってないし」
レイフはなんてことのないように言うけれど、その人達は相当運が良かったのだろう。ハンター達が探しても見つけられないというのはよっぽどだ。
だって彼らは大勢の人間の中からモロイを探し出せる。人間を探すのは専門ではないかもしれないけれど、その情報網が全く役に立たないということはないだろう。レイフと関わっているのが上層部の人間なら、理由なんていくらでも変えてハンターの人員を総動員できる。
キョウは何か知っているだろうか――そう思って見上げた彼の顔はさっきまでと同じように混乱を浮かべたまま。まだレイフの話を飲み込みきれていないのだと嫌でも分かる表情だった。
だけどレイフが彼の理解を待つ様子はない。キョウは当事者だから自分の言葉を受け入れるには時間がかかると分かるはずなのに、レイフはお構いなしとばかりに口を動かし続ける。
「そういえば彼らも日本人だったよ。確か若い夫婦でね……最後まで自分達を殺そうとするハンター達を説得しようとしてたって言うんだから、流石平和ボケした国の若者だよなぁって感心したっけ」
その言葉に、キョウが表情を一気に凍りつかせたのが分かった。




